1-5
ここがどこで、なぜ佳月希海がいて、しかも十二単という妙な恰好をしていたのか。そして今まさになぜ、この中に隠れ息をひそめているのか。訊きたいことは山ほどある。しかし希海の様子が、それを訊くことを許してはくれなさそうだった。
希海の胸が、呼吸に合わせて前後に動く。その度に、彼方の唇に希海の肌が触れ、その感触を意識した瞬間、彼方の心臓はその動きを急に速めた。ゆっくりと呼吸することが苦しくなり、彼方はふっと息を強く吐き出してしまう。「あっ」という希海の小さな吐息が彼方の耳にかかり、彼方の顔がより強い力で希海の胸元に押し付けられた。
と、帳の外で何かが動く気配がした。それが何なのか、彼方には分からない。希海の喉が、こくんと音を立てる。
「なにかはある。こころおくまじきことなれば」
希海の凛とした声が響いた。彼方に向けて言ったのではない。彼方が感じた『気配』に向けて言ったのだ。そしてまた希海が息を殺す。
二人の呼吸と拍動の音だけしか聞こえない時間が戻ってきた。それがしばらくの間続いていく。
――いつまで、こうしていればいいのだろう。
彼方がふとそう思った時、冷たい汗が自分の唇を濡らした。それは、緊張で希海の体から染み出してきたものであり、それを彼方が意識した瞬間、下腹部に熱いものが流れ込んでくる。自分の意に従うことなく、それはゆっくりと硬くなっていった。
希海の脚が彼方の硬くなったものに触れている。彼方は、余りの恥ずかしさに下半身を希海から離そうとしたが、うまくいかない。時折、希海の脚が動く。それがまるで、自分のものの硬さを確かめられているような気がして、彼方は顔が熱くなった。心臓の音が大きく響く。恥ずかしさを紛らわせるため、彼方は自分の心臓の音を数え始めた。
結局、彼方がその恥ずかしさから解放されたのは、いくつ数えたのか分からなくなってしまってからのことだった。
「もう、大丈夫。でも、大きな声は出さないで」
囁き声が聞こえたのと同時に、彼方を抱きしめていた腕の力が緩まる。しかし彼方は返事ができない。羞恥心、それだけが彼方の心を支配している。
希海が上半身を起こすと、彼方たちを覆っていた布団代わりの着物も下へとずれた。暗がりにようやく慣れてきた彼方の目に、着物がはだけ顔をのぞかせてしまっている希海の胸元が見えている。希海がそれに気づき、そっと胸元を隠した。
さっきまで自分は希海の胸元に、肌に、唇を付けていた。それを思い返し、彼方の顔がまた熱くなる。
「いや、あの」
言葉を濁しながら、彼方も体を起こした。希海が次に何を口にするのか、それを聴くのが怖い。だから、彼方は自分から何かを言おうとしたのだが、言葉がうまく出てこなかった。
「ごめんね、変なことして」
そうこうしている内に、希海の方が先に彼方に向けて謝罪の言葉を囁く。高音の透き通った吐息が、彼方の鼓膜だけでなく心臓をも震わせた。
顔、声、それは間違いなく佳月希海である。しかし、教室にいる時とは全く雰囲気が違っていた。希海は女性が着る着物、しかも十二単という随分と重厚なものを着ていたのだ。彼方は、希海が一体いつ着替えたのかを考えようとして、それがそもそも無意味なことだと悟った。
ここは教室ではない。
「そ、そんなことは、ない、けど、ここはどこで、なぜ佳月はそんな恰好をしているんだ?」
彼方には全く状況が呑み込めない。しかし希海にはこの状況に慌てているというような様子は見られなかった。
もちろん彼方はそれらの理由を知りたいと思った。しかしそれ以上に、顔の熱さ、頭の中の真っ白さ、そして後ろめたさを消したいとも思った。だから、彼方が口にした疑問は、後者の理由の方が大きく、とりあえずのものでしかない。
それを聞いた希海が少し困った顔を見せた。左手を口元に持っていき、軽く親指の爪を噛む。しかしすぐにそれを止め、慌てて両手を膝の上に持っていった。
「えっとね、よく分からない。逆に、どうして早瀬くんがここにいるの」
どうして。それは彼方の方こそ知りたいことだった。
「どうしてと言われても、俺にもよく分からない。教室に佳月が入ってきて、そしたらいきなりここにいてて。と言うか、佳月はどうやってここに来たんだ?」
「僕は、ずっとここにいたよ」
希海がすぐに答える。しかし彼方は、『ずっと』という言葉の意味をしばらく考え、そして結論を出すことを諦めた。
「いや、さっきまで佳月、教室にいたじゃないか」
彼方がそう言うと、希海はまた困ったように眉を寄せた。
「僕は、ずっとここにいるよ」
そしてただ、それだけを口にする。それ以上言うことが無いのか、それとも言いたくないのか、希海は彼方から視線を外し、そしてまた着物の胸元を直した。
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