1-4

 驚きで見開かれた目が、扇の上から彼方をじっと見つめている。


 想定していた人物と違うことに彼方もびっくりしたが、そんな彼方の驚きも、その人物の小さな悲鳴によってかき消されてしまった。


「す、すみません、すみません、驚かせるつもりじゃ」


 両手を前で左右に振ってみせたが、その女性はかなり慌てた風にその場にしゃがみ込んでいる。後ろには、重そうな十二単の裾が広がっていた。教科書の絵でしか見たことのないような装束だ。


 その絵と目の前の人物との違いがあるとすれば、髪の毛だろうか。彼方の記憶では、そのような絵の女性は決まって床を這う程に長い髪をしているが、目の前でしゃがみこんでいる女性の髪は、背中に掛かるくらいしかない。彼方は、それを佳月希海の髪の毛と重ね合わせた。


「えっと、えっと、その、み、道に迷ってしまって、それで、ここに迷い込んでしまって」


 一体どう弁明すればこの場を収められるのか。彼方が咄嗟に思いついたのがそのような嘘だったのだが、それが本当に『嘘』なのかどうか、彼方にもわからなかった。


 女性は、扇子で顔の下半分を隠したまま目だけを出して、彼方を訝しげに見上げている。『まあ、それは大変ね』というような反応を期待していただけに、彼方はそこから何をどう言えばいいのか分からず、頭の中が真っ白になってしまった。


「あの、その」


 ただ、そんな言葉だけが口から出ていく。

 いっそのこと逃げようか。彼方がそう思い始めたところで、目の前の女性がいきなり立ち上がり、彼方の手をつかんだ。そして、その手を引っ張り、簾と簾の隙間を押し開けると、彼方を部屋の中へと引き入れる。


「ちょ、ちょっと」


 そう声をかけてみたが、女性にそれを気に留める様子は見られない。

 部屋の中には簾を通して入りこむ外からの光しかなく、暗さにまだ慣れていない彼方の目にはかなり薄暗く見えた。しかし女性は、まるで部屋の中の様子が見えているかのようだ。部屋の真ん中にあった、カーテンのようなものに四方を囲まれた場所へと、彼方を連れ入る。

 と、彼方の足に何かがぶつかった。手を付くと畳を触ったような感触、そして、い草の発する青い匂いが鼻をかすめた。どうも、軟らかめの畳が何枚も重ねて積まれているらしい。


「寝て」


 女性が彼方にそう指示した。


「いや、あの」

「早く」


 よくわからないまま、彼方は手探りで畳の上に横になる。衣擦れの音がした後、彼方はかなり大きい着物をブランケットのように頭から被せられた。


「声を出さないで」


 驚いたことに、声の主も彼方と一緒にそれを被っている。そして、あまり肉の付いていない細い腕で、抱きしめるように彼方の顔を抱えた。

 声の主は、さっきまで着物を何枚も重ねて着ていたはずなのだが、それが今は一枚になっている。着ていた着物を脱いで、それをブランケット代わりにしたのだろう。

 彼方の手が、薄い着物を挟んだだけで、相手の胸に密着してしまっている。そこで彼方は気が付いた。女性にあるはずの丸みや膨らみが、一切感じられない。


――男、だ。


 冷え切ってしまっていた彼方の体に温かみが伝わってくる。それと同時に、涼し気な、でもどこか切ない甘さを含んだ香りを鼻で感じた。


「やっぱり、佳月じゃ」


 さらに言葉を続けようとした彼方の口を塞ぐように、その人物が自分の胸元へと彼方を押し付ける。着物が少しはだけ、胸元は肌が露わになっていた。彼方の唇がその部分に触れる。

 彼方の耳の傍で、「しゃべってはだめ」という囁き声がした。状況が呑み込めなかったが、彼方はその言葉に従い口をつぐんだ。

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