第18話訪問者
ロッテルダム漁村
海上貿易が栄えていたころは立派な町だったが、それが途絶えた今の時代はすっかりさびれてしまい、石造りの建物なども半ば廃墟となっている。
それでも住民たちはめげることなく、漁をしたり塩をつくったりして生計を立てていた。
「ああ、今日はいい天気だな。もう少しで春が来そうだ」
「温かい。漁がはかどりそうだ」
たくましい漁師たちは、小船に帆を立てて沖合いに乗り出していく。しかし、ある一定の距離以上は陸地から離れようとしなかった。
「いいか。『石化霧』の動きには注意しているんだぞ!」
ベテラン漁師たちは、新米漁師にそう命令して海に網を投げ入れる。新米たちは、目をこらして少し沖合いにある禍々しい黒い霧を見つめた。
この日初めて漁に出る新米が、ベテランに尋ねる。
「兄貴、あの霧はなんなんですか?」
「あれはな……」
ベテラン漁師は、このロッテムダムに伝わる話を話し始めた。
以前、現在の当主の祖父の時代、このロッテムダムは北の国や南の王都との海上交易で栄える貿易港だった。その取引相手には、伝説の深海の民、貝殻人の国まで含まれていたらしい。
しかし、ある時突然人々を石にする霧が立ち込めて、船で沖合いに出ていた漁師たちを滅ぼしたという。その『石化霧』はアトルチス海上にとどまり、船による交易路を封鎖した。そのせいで貿易ができなくなって、ロッテルダム港は衰退したのだった。
「あの霧は、伝説の貝柱神ゴッドシェルの怒りだという話だ。人間が海から魚をとりすぎるから、沖合いにでないように霧を吹いているという。いいか、絶対にこれ以上沖にいくんじゃねえぞ」
「は、はい」
恐ろしい話を聞かされた新米は、目を凝らして霧を監視する。ベテランたちは黙々と漁を続けた。
漁に集中していたベテランは、新米の叫び声に邪魔される。
「あ、兄貴。霧から何が出てきました!」
「ああん?馬鹿なこといってんじゃ……」
怒鳴りつけようと顔を上げたベテランが、硬直する。キラキラと七色に輝く殻に包まれた大きな貝のようなものが、こっちにむかってきた。
「じ、爺さんに聞いたことがある。もしかして、あれは伝説の宝貝船?」
伝説の貝殻人、それも王族しか乗ることが許されない船が、むなしく漂っている。
「と、とりあえず、引き上げてみろ!」
新米もベテランも一緒になって、漂う宝貝船を引き上げてみる。
おそるおそる外の殻に触れてみると、貝は独りでに口をあけた。
「き、きれいだ……」
中に入っていた者を見て、漁師たちは絶句する。それは12歳くらいのピンク色の髪をした美少女だった。
美少女の目がうっすらと開かれ、桃色の唇が開かれる。
「聖女様……助けて。このままじゃ、世界が危ないの」
少女はそれだけ言うと、再び眠りに落ちる。漁師たちはどうしていいか分からず、顔を見合わせるのだった。
ヴァルハラ家
地下の薄暗い酒蔵では、ひげもじゃの大男が嘆いていた。
「くそっ。誰が酒の蓋を緩めたままにしておいたんだ!」
「何しているの?」
料理用の酒を取りに来ていたエリサベスが首をかしげる。
「いやお嬢ちゃん。誰かが横着したせいで、この様ですよ」
そういいながら、手にもっている樽からワインを杯に注ぎ、エリザベスにわたす。
それを一口飲んだエリザベスは、渋い顔をした。
「すっぱい」
「そうでしょう。蓋が緩んで空気が入ったせいで腐ってやがる。ちくしょう。せっかく王都から取り寄せたのに」
ぶつぶついいながら、捨てようとする。
「捨てるな。もったいない」
その時、やってきたサクセスがあわててとめた。
「坊ちゃん。いくらアンタがケチだっていっても、腐ったワインは飲めませんぜ」
「サクセス……」
二人が哀れんだ目で見てくるので、サクセスは慌てて否定した。
「誰が呑むって言った。それを使って『酢』がつくれるんだ」
アルコールに温度7度以下の場所の空気が入ると、空気中の酢酸菌が入ることで発酵が始まり、『酢酸』ができる。それを蒸留したものが『酢』である。
「そんなすっぱいだけのソースを作って、どうするの?」
エリザベスが首をかしげる。
「いい機会だ。俺の手料理を振る舞ってやろう」
サクセスはそういうと、台所に向かった
「材料ってこれ?野菜とかリンゴはわかるけど、甲羅イノシシの肉なんて硬くてまずいよ」
エリザベスは、いかにも固そうなイノシシの肉を見て、顔をしかめる。甲羅イノシシの肉は固くて筋が多いので人気がなく、ギルドでも安値で引き取られていた。
「まあ、みていろ。油を引いた鍋に切り分けたイノシシの肉と野菜りんごを混ぜ合わせて、よく火を通す。そして酢をかけると、できた」
人数分用意して、テーブルに並べる。
「あれ?なんかいいにおい」
「ちょっと美味しそうですね」
やってきたエレルも、匂いをかいで頬をゆるめていた。
「そろそろいいかな?よし。いただきます」
「いただきます」
全員が席につき、イノシシ料理を口に入れる。すると、エリザベスが歓声を上げた。
「なにこれ?柔らかい」
「これは本当にイノシシ肉なんですか?まるで高級肉みたいです。すごくさっぱりしていて、食べやすいです」
エレルもうれしそうに食べていた。
「うまいうまい。また肉と野菜とリンゴの組み合わせが絶妙で……酒もすすむぜ」
ガラハットは、ワインとイノシシ料理を交互に味わっている。
「でも、どうしてあの固い肉がこんなに柔らかくなったの?」
エリサベスの疑問に、サクセスが答えた。
「それが『酢』の効果さ。『酢』には固い肉を柔らかくする効果があるんだ。さらに疲労回復や美容にもいい」
「美容にいい?」
その言葉に、エレルが食いつく。
「サクセス、ぜひこれを譲ってください!」
真剣な顔をして頼み込むエレルに、サクセスは戸惑ってしまった。
「あ、ああ」
「なんだ?エレルのお嬢さん。婚期にあせっているのか?」
それを見たガラハットがからかう。
「ほっといてください。23歳といえばもう適齢期なんです。いつ出会いがあるかもしれないので、綺麗にしておかないと」
「エレル姉さん。お嫁にいっちゃうの?」
エリザベスが悲しそうな顔をするので、エレルは慌ててしまった。
「い、いえ。私はエリサベス様が結婚するまでは、お側に仕えさせていただきます。お嬢様が幸せになったのを見届けてからじゃないと、安心して嫁にいけないというか……」
「だってさ。サクセス。私が早く結婚しないと、エレル姉さんが行き遅れるみたいだよ」
なぜかエリザベスは、サクセスを意味ありげに見つめる。
しかし、サクセスはそんな視線に気づかないように、独り言をつぶやいていた。
「エレルさんの結婚か……誰かいい人がいないかな。下手に嫁に出したらヴァルハラ家に家臣がいなくなってしまうからな。エリサベスの婿になるやつは優秀な部下もつれてきてくれる金持ちじゃないとな。ああ、また条件が厳しくなる……」
そんな彼らを見て、ガラハットはあきれる。
「まったく、貴族って大変なんだな。まあ、俺には関係ないか」
さまざまな思惑をもつ彼らを肴にして酒を飲むガラハットだった。
食後にお茶を飲んでいると、伝書鳩がやってくる。
「どれどれ?至急聖女様に申し上げますって。ロッテルダム漁村の網元からか……え?」
その手紙を読んだサクセスは、眉を曇らせる。
「何が書いてあったの?」
「どうやら、厄介な客人がやってきたみたいだ。すぐにいかなくては」
こうして、サクセスたちはアトルチス海に面したロッテルダム漁村に馬車を走らせるのだった。
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