第15話 防御策

アーカス子爵領

欲深そうな顔をした子爵の前に、オールドは平伏していた。

「子爵閣下におかれましては、ご機嫌うるわしく……」

「挨拶はよい。それで、ヴァルハラ領を手に入れる方法とは何だ」そう聞いてくる子爵の前に、オールドは三枚の麦札を差し出した。

「閣下はこれをご存知でございますか?」

「知っておる。ヴァルハラ家が発行しておる麦の引換券だ。ふん。最近ではわが領の商人どもにまで広まりつつある。どうせあのゴールドマンとかいう小ざかしい小僧がやりだしたことであろう。迷惑な話だ」

ゴールドマン商会では、いつでも麦札を麦に換えることができる。つまり、手元の倉庫に現物の麦を保管しておくより、麦札に換えておくほうが管理の手間が省けるのである。

それを知った目端の利く一部のアーカス領の商人たちは、自発的に所有する麦をゴールドマン商会に預けている。その結果、どんどん麦がアーカス領から流出していた。

「やつらの行いは、卑劣そのもの。しかし、決定的な欠陥がございます」

「欠陥だと?」

「はっ。それは……」

オールドが耳打ちすると、子爵の顔が輝いた。

「それはよい。婚姻などという手を使うより、はるかに簡単にヴァルハラ領を支配できる」

「子爵の許可さえいただければ、すぐにでも手配させていただきます」

オールドが自信満々に言うので、子爵はこの話に乗ることにした。

「よかろう。必要な『貴公紙』はワシが取り寄せよう。貴様はさっそく取り掛かれ」

こうして、二人によるヴァルハラ領侵略作戦が開始されたのだった。


王都

アーカス子爵が所属する派閥の長、いわゆる寄り親であるアシュラ辺境伯のもとに、一通の手紙が届いた。

「なんだと?『貴公紙』を千枚ほど用立ててほしいだと?その費用は必ず払うので、立替て払ってもらいたいだと?ワシを馬鹿にしておるのか!」

辺境伯は自慢のカイゼル髭を歪める。

「あんな田舎者に、王や上級貴族用の紙などもったいない。しかも金も払わずにな。どうせ見栄を張るためだろう。相手にせんでよい」

辺境伯は無視を決め込む。しかし、同じ頼みごとの手紙が立て続けに届いた。

「しつこいのぅ。『費用は必ず払います。もし払えない場合、わがアーカス領を召し上げられてもかまいません』だと?そこまでいうならよかろう。ただし、期限は二ヶ月じゃ。それを過ぎても費用が支払えない場合、覚悟せよ!」

こうして、かなりの費用を負担して『貴公紙』をアーカス領まで送る。

そこには、王都で集められた絵描きがそろっていた。

「ぐふふ。これで準備がととのったのぅ」

「はっ。さっそく取り掛かります」

オールドは、絵描きに100ライの麦札を差し出す。

「よいか?これと同じものを模写するのだ」

「は、はい。『転写』」

絵描きたちは、目に見えるものを絵に描ける魔法を使い、どんどん偽札をつくっていく。

「ぐふふ。100ライ札が1000枚ということは、10万ライもの麦をヴァルハラ領から搾取できるのだ。王都でそれを売り払えば、今回かかった費用を払っても大幅に儲けることができる。これで我が家の借金も完済だ!」

そう悦に入るアーカス子爵だった。


ヴァルハラ領

大量の麦札を持った男たちがやってくる。彼らはオールドの息がかかった商人たちだった。

「いいか。とにかく素早く麦札を交換して、アーカス領に撤収するぞ。麦だけじゃなくて、王都から届いた品物などもできるだけ回収するのだ」

オールドが指揮して、部下たちに商店を回らせる。

「えっ?こんなに買ってくれるんですか?」

「ああ。あるだけ持ってこい。麦札はいくらでもあるんだ」

部下たちは気前よく麦札をばら撒き、ありったけの商品を購入していく。彼らが滞在する宿には、瞬く間に大量の麦や商品が集まった。


「よし。麦や商品を馬車に積み込んだら、すぐにアーカス領に逃げるぞ」

オールドの命令により、速やかに撤収作業が行われる。荷物を半分ほど積み込んだとき、領主の館から兵士たちがやってきた。

「全員!そのまま動くな!偽札使用の罪により逮捕する!」

ガラハットの命令により、商人たちはあっという間に取り押さえられてしまった。

「偽札だと!言いがかりだ!」

そう吼えるオールドの前に、冷たい顔をしたメガネの少年が現れる。ヴァルハラ家の家宰、サクセス・ゴールドマンだった。

「やれやれ。本当にこっちが懸念していたことをやってくるんだからな。人間のやることってどこの世界も変わらないってわけか」

サクセスはため息をつきながら、100ライ紙幣を取り出す。

「これは、お前たちが使った紙幣だな」

「そうだ。それの何が悪い。麦札はいつでも麦や商品と交換できるはずだ!」

そう開き直るオールドの前で、サクセスは筒のようなものを取り出す。

「これは、エリザベスの光魔法を『付与』したチェックペンだ。これで麦札の真偽を判定している」

筒の先端を麦札の中央にある余白部分に向ける。しかし、何もおこらなかった。

「どうした?何もないではないか」

それを見たオールドがせせら笑う。

「何もないからこれは偽札なんだよ。よくみていろ。これが本物の麦札だ」

サクセスは、ポケットから別の麦札を取り出して、先ほどと同じように余白部分に筒の先端を向ける。

すると、ヴァルハラ家の印璽が浮かび上がってきた。

「ば、ばかな!なんだこれは!」

「偽造防止の魔法だ」

サクセスは魔法といってごまかすが、それは嘘で本当は特殊な光―紫外線に当てないと見えない塗料、いわゆるブラックライトを使って押印したのだった。

地球でも、紙幣には偽札防止で紫外線不可視印刷が使われたものがある。

さらに、追加の偽札防止として札の右隅に透かしを、左隅に目通し穴をいれている。

『貴公紙』自体がここでしか作れない上に防止策まで施しているので、偽札を作ることは事実上不可能であった。

「貴様たち、この領では偽札は重罪だぞ!犯罪者として収監する。麦や品物も没収だ!」

偽札を広めたオールドとその部下の商人たちは、犯罪者としてヴァルハラ領に逮捕される。自由の身になるために多額の保釈金を払わなければならなくなり、ついに破産してしまうのだった。

そして、偽札を作るために多額の投資をしたアーカス領でも危機が迫る。

オールドたちが大量の麦と商品を持って戻ってくるのを待っていた子爵は、なかなか戻ってこないことに苛立ちを隠せなかった。

「もう二ヶ月にもなるぞ。なぜやつらは戻ってこない!」

そんな彼の元に、オールドと彼の配下の商人たちがヴァルハラ領に捕らえられたという知らせが来た。

「なんだと!役たたずめ!」

青筋を立てて怒鳴りあげるが、怒っても問題は解決しない。

どうしていいかわからないでいると、寄親であるアシュラ辺境伯が武装した兵士たちを連れてやってきた。

「ワシが用立てた『貴公紙』の代金を払ってもらおう」

寄り親のアシュラ辺境伯に睨み付けられたアーカス子爵は、返答に詰まる。

「も、もう少しお待ちください。あと少しで用意できますので」

「ならん。返済期限は二ヶ月だといったはずだ」

冷たく切り捨てられ、子爵は震える。

「そ、そうだ。ヴァルハラ領でつかえる『麦札』というものがあります。代金はこれで支払うということで……」

偽造した麦札を差し出すが、伯爵は相手にしなかった。

「なんだこの紙切れは。ワシが用立てた『貴公紙』をこんなゴミに使ったのか。もう勘弁ならん。ひったてい!」

辺境伯は獰猛な兵士に命令して、屋敷を接収する。子爵の家族もすべて捕らえられた。

「約束どおり、アーカス領を併合させてもらおう。せめてもの情けだ。貴様たちはワシの部下として使ってやる」

こうして、アーカス子爵家は滅亡してしまうのだった。


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