第14話麦札

ゴールドバード平原

少し前までは蛇鳥の巣だったこの平原では、今は活気にあふれた人間が動き回っていた。

「いいか、今日は1班から5班までは春に向けて開墾。6班から10班までは訓練と魔物狩りだ。かかれ!」

新しくできた村を任されているのは、護衛騎士ガラハットである。拡声魔法で広められた彼の声は隅々まで響き渡り、村人たちはそれぞれ所属する班に分かれて鍬や連弩を手にとった。

サクセスがこの村に対して行った制度は「屯田兵」である。すぐに収穫が見込めない土地であるので、最初から初年度の税収はあきらめ、その代わりに開墾と練兵を交互にさせていた。

「ああ、今日も働いた」

一日の仕事を終えて、各班が村に戻ってくる。

「今日は給料日だ。楽しみだな」

ワクワクした顔をする兵士たちに、班長から『給料袋』と書かれている封筒が手渡された。

「この中に麦が入っているのか?でも、ずいぶん軽いな」

首をかしげながら封筒を開けた兵士たちは驚く。中には麦の一粒も入っておらず、数枚の紙切れしかなかったのである。

「隊長、これは何ですか?」

怒る兵士たちに、隊長は説明する。

「『麦札』というものだ。交換所にもっていけば、札に書かれている数量の麦と交換してもらえる」

麦の引換券と聞いて兵士たちは多少安堵したものの、すぐに不満を漏らし始める。

「なんでこんな面倒くさいことを。直接麦でくれればいいのに」

「麦を小分けする労力や、それに使われる紙袋を節約するためだそうだ。ゴールドマン商会が立てたテントがあるから、そこで必要な量だけ交換すればいい」

班長はそういって、去っていく。残された兵士たちは顔を見合わせた。

「なあ、この紙きれ、どうする?」

「当然。すぐに交換するさ。こんなの持っていても仕方ないし」

兵士たちはこぞって、ゴールドマン商会の紋章が入ったテントに行く。そこには他にも兵士たちがいて、『麦交換所』と書かれたテーブルに殺到していた。

「早く麦に交換してくれ!」

「はいはい。あわてないでください、麦は十分に用意していますから」

商会の職員たちは、後ろに積んである袋を指差す。そこには大量の麦が用意されていた。

それを見て、並んでいた兵士たちもほっと胸をなでおろす。

「どうやら、交換する麦は用意されているみたいだ」

「でも、時間がかかりそうだな」

交換カウンターの前には列が並んでいて、なかなか進まない。

「腹へったなぁ」

「本当なら今頃もらった麦をパンにして食べている頃なのに。くそっ。なんでこんな面倒なことを」

イライラしている列の兵士たちの鼻に、パンが焼けるいいにおいが漂ってきた。

「焼きたてのパンをどうぞ」

そっちを見ると、炊きたてのパンが用意されていて、何人かの兵士が美味しそうに食べている。

「お支払いは麦札5ライ分で結構ですよ」

それを聞いた兵士たちは、喜んでもらった札を支払っていた。

その近くの台の上にはいろいろな日用品が並んでいて、ライ単位で値札が付けられている。

「これらも、この紙で交換できるのか?」

「ええ、もちろんいいですよ」

店員の言葉に、兵士たちは喜んでお札を差し出すのだった。

列に並んでいた兵士たちは、それをみて衝撃を受ける。

「そうか。わざわざ麦に換えなくても、直接交換できるのか」

今まではパン一つ買うにも、重い麦が入った袋を持ち歩かなければならなかった。しかも一回ずつきちんと重量を測って買い物をしないといけない手間もある。

「なら、札のまま持っておいてもいいか。いつでも交換できるみたいだし」

列に並んでいた兵士たちも麦との交換カウンターから離れ、お札と交換に食事をしたりほしいものと引き換えたりする。

こうして、実際の交換を保障することで兵士たちにも麦札を信用するようになる。

同じことは技術村や農村の小作人の間にも広まっていき、ヴァルハラ領では貨幣の代わりに『麦札』が使われるようになるのだった。


王都から紙を求めて商人たちがやってくる。

真っ先にやってきた商人は、紙を販売しているゴールドマン商会に大金を持ち込んだ。

「紙をあるだけくれ」

そう告げる商人に対して、サクセスは首を振る。

「残念ですが、あなたに売れる紙は金貨100枚分だけです」

紙を買い占めて大もうけしようとたくらんでいた商人は、それを聞いて怒る。

「ふざけるな。金なら出すといっておるのだ!」

そういって袋から金貨を出してぶちまけるが、サクセスは冷たかった。

「なぜあなたは品物を持ってきてないのですかな。我々との約束で、ヴァルハラ領に必要な交易品を持ってくることになっていたはず。なぜ現金しか持ってこなかったのです」

「うっ」

痛いところを付かれて、その商人は言葉につまる。雪が解けたら一番乗りできるようにと、空の荷馬車で来たのが仇となっていた。

「どうせ他の商人が来る前に紙を買い占めて、王都で転売して一人だけ大もうけしようとしたのでしょうが、当家ではできるだけ多くの商人とよいお付き合いをしたいと思っております。それは紙を買ってもらうだけではなく、領に品物を運んで豊かにしてもらうためです。わが領に貢献していただけない商人の方はお取引を制限させていただきます。今回はお引き取りください」

そういって追い出されてしまう。その商人は憤慨しながら去っていった。

「くそ。どこまでも腹立たしい小僧だ。ならば、この領の麦を安値で買い占めてやる!」

他の商人を回るが、町での麦の流通はすべてゴールドマン商会に抑えられていて、大量に買い付けすることはできなかった。

「ならば、村に直接いって交渉だ」

そう思ってブタミントン村を訪れたが、新たに選任された元小作人の村長の反応は芳しくなかった。

「麦を買いたいって?なんだこりゃ?」

村長は、差し出された金貨を微妙な目で見つめた。

「どうした?金が欲しくないのか?」

「これが金だって?馬鹿なこと言ってんじゃねえぞ」

王都なら誰もが喜んで受け取るはずの金貨は、鼻で笑われてしまった。

「なんだと!この田舎者め!」

「田舎者はどっちだ。この村でそんなガラクタ使えるか。帰れ!」

村長は首をふる。商人は今まで絶対視していた金の力が通用しないのを見て、動揺した。

(くそっ。このままだと赤字だ!)

ここに来るまでの旅費もかなり使っている。手に入れた金貨100枚分の樹皮紙だけでは、完全に赤字だった。

(くっ。仕方ない)

しぶしぶ、身につけている銅の装飾品を差し出す。ピカピカと輝く銅のペンダントを見て、村長は目を輝かせた。

「ほう。きれいなものだな」

「そうだろう。王都では高値で売られているんだぞ。大量の麦と交換してやろう」

そっくり返って威張る商人は、めずらしそうにペンダントを見る村長を馬鹿にしていた。

(くくく……どうせこいつらはモノの価値もよくわからない田舎もの。安物の銅で充分だ。できるだけ高く売りつけて、麦を安く買い叩いてやろう)

そう楽観視している商人に、村長は聞き返す。

「んで、この装飾品の価値は何ライなんだ」

「ライ?なんだそれは」

聞きなれない言葉を聴いて、商人は首をかしげる。

村長はそんな彼を哀れむように見つめた。

「やれやれ。本当にお前は田舎者なんだな。この領で使われている通貨が『ライ』なんだよ。俺たちの給料もみんなそれでもらっているんだ」

商人に貴公紙で作られた紙を見せる。それらは見たこともないほど精巧な絵がかかれたものだった。

「答えられないなら、こんなものに何の価値もないな」

村長は興味をうしなったように、銅のペンダントを返す。

「麦が欲しいなら、それに見合った額の麦札をもってこい。話はそれからだ」

そういって相手にしない村長に、商人は必死になって尋ねた。

「む、麦札はどこで手に入るんだ」

商人が焦って問いただすと、村長は村の中央にある穀物倉庫を指差した。そこには建物が併設され、ひっきりなしに人が出入りしている。

「あそこが交換所だ。ゴールドマン商会が経営していて、麦札と引き換えにいろいろなものを交換してくれる」

それだけ言うと、村長は家の中に入っていってしまった。

しかたなく、商人は交換所にいってみる。そこで受付をしていたのは、村人とは違って賢そうな職員だった。

「これを買い取ってくれないか?」

職員に向けてピカピカと輝く銅のペンダントを差し出す。

「ほう、装飾品ですか。高そうですね」

「そうだろう。金製品だぞ。高く買い取ってくれ」

商人は本当は銅なのに、金だと偽って騙そうとしていた。

しかし、職員はペンダントを手に取ると、困惑した顔になる。

「困りましたね。塩や砂糖、布、魔物の素材とかなどでしたら詳細な査定マニュアルがあるんですがね。私には鑑定しかねます」

「な、なんだと!なら、どうすればいい!」

買取を拒否されて、商人は絶望する。

「ヴァルハラ町の本店のお坊ちゃまなら、引き取ってもらえますよ」

「くっ……結局あの小僧と交渉しないといけないのか……」

商人は仕方なく、町まで戻る。

再び店に行くと、ニコニコとしたサクセスに迎えられた。

「おや?まだヴァルハラ領にいらっしゃったのですか?」

嫌味っぽく言ってくるサクセスに、商人は銅のペンダントを渡した。

「金でできたペンダントだ。麦札と換えてくれ」

「どれどれ……『鑑定』。あはは、嘘をいっちゃだめですよ。これは銅の安物です。100ライにしかなりませんね」

「くそっ!」

田舎者に安物を売りつけて儲けようと目論んだが、その目論みが通用しないことを知って商人は毒づく。

そんな彼に、サクセスは優しく告げた。

「あなたもこのままでは帰れないでしょう。当商会ではある程度までなら硬貨も麦札に換えられますが、いかがしますかな?」

そういわれて、しぶしぶ麦札を正当な価格で購入し、それで麦を仕入れるのだった。

サクセスが行ったのは、一種のブロック経済圏を形成することだった。領民に貨幣の知識がない状態で領内を開放すると、王都の大商人に麦を買い占められて麦が流出し、飢饉が起きかねない。だから間にゴールドマン商会が入ることで、無制限の麦の流出を防ぎ、同時に領民に麦札を流通させることで領の外から入ってくる品物に麦で換算したらどの程度の価値になるかを学ばせているのだ。

ヴァルハラ領の住民の無知につけこんで搾取しようとしていた商人だったが、麦札のせいで失敗してしまった。

「くそ……変な手を使いやがって」

大もうけしそこなった商人は、歯軋りしながら王都に帰っていく。それでも、紙と麦の売却益でなんとか赤字にはならずにすんだ。

「こうなったのも、あいつの口車に乗ったせいだ」

怒った商人は、自分にヴァルハラ領の紙や麦を買い占めるようにそそのかした男に文句を言いに行った。

「あんた!なぜ麦札のことを言わなかったんだ!」

「麦札?なんだそれは?」

首をかしげる男に、商人は何枚かの紙を叩きつける。

「ヴァルハラ領は田舎過ぎて、国の硬貨が通用しないんだ。あそこで使える金は、この麦の引換券だけだ!先に知っていれば、まともに使えもしない硬貨なんて持っていったりしなかったのに!骨折り損のくたびれ儲けだ」

商人はさんざん罵声を浴びせると、プィッと顔を背けた。

「もう俺は抜けるぜ。あんたに従ったせいでゴールドマン商会から不信感を持たれて紙の商売から締め出されたら、たまったもんじゃねえからな」

金の切れ目が縁の切れ目とばかり、その商人は去っていく。残された男―元魔皮紙ギルドの長オールドは、投げつけられた麦札を憎憎しげに見つめた。

「くそ!こんなものがあるから。麦の引換券だと!どこまでも邪魔しおって!」

腹立ちまぎれに破り捨てようとしたが、オールドの脳裏に天啓がひらめいた。

「待てよ?この券さえあれば、ヴァルハラ領の麦をいくらでも巻き上げることができるのか?」

現金で麦を買おうとしてもゴールドマン商会が間に入るので、一定量以上は領外に持ち出せないが、麦札を差し出せば相手は断れず麦を提出しなければならない。もしそれを拒否したら麦札の信用が失われるからである。

「くくく……ゴールドマンとかいったな。馬鹿な小僧だ。自分で自分の首を絞めるとはな」

オールドは、これでヴァルハラ領に復讐できると協力してくれそうな諸侯の所に行くのだった。

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