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俺の隣に立った竹兄に昨日渡した灯台100選には、句碑の事は少ししか書いてなかったから。


「――『雨なんとか…?いかに…くとも…。 山何とか強くとも…。なにこ?』――女子か?」


なんて言うのも無理はない。


「竹兄これはね?――『霧いかに 深くとも 嵐 強くとも  虚子』って書いてあるんだ。――高浜虚子が昭和23年、此処に来て読んだ句を石碑にしたものだよ?」


「そうか」


って、俺の隣から一歩前に更に進んで石碑の文字を確かめながら。


「――灯台守って言ったら…24時間365日雨の日も風の日も休めない。昔は命懸けの職業だったって言うからなぁ。――その事を歌った訳か」


って振り返ってきた竹兄と、目が合った。


ああ。この人は、やっぱり凄い。きっと俺が考えてる事なんか、全部お見通しだ。


ひとつ頷いてから。


「この句が書いてある石碑が。どんな処に建ってるのか知りたかったんだ」


『濃い霧で行く先が見えなくても。酷い嵐で行く手を阻まれてもそれでも進んで行く』


この句碑を実際見て、背中を押してもらえた気がした。


「――そうか」


って優しく笑った竹兄は、その後、首に下げてたカメラを持ち上げて見せた。


「そいつと写真撮ってやろうか」


レンズを向けられるのが苦手な俺は、


「え?いいよ俺は…。句碑だけ撮ってよ!恥ずかしいだろ」


いやだって言ってるのに、竹兄は俺と句碑を交互に指さしながら、


「折角の旅行に来て有りえねー事言うなっ!いいからほら…並べっ!!」


って言った後に。


「だーいじょうぶ。最近俺イイカメラ新調したんだから」


いいって了承してないのに、竹兄はカメラを構えてこっちにレンズを向けたから、仕方なく句碑の近くに立った。


「笑って笑って~!」


はい、チーズ!なんてベタな掛け声の後に、シャッターを切られてしまった。





 灯台の内壁に手を突きながららせん状の階段を上りきって展望台に出たら。『風に圧がある』っていうのが解るような、強い海風に突然さらされた。


おお!?とびっくりした竹兄の声が聞こえた後。


「なんだ、20メートル昇っただけで、こんなに風が強いのか!」


ハットが飛ばされないように手で押さえながら展望台に出てきた竹兄は、


「すげー。沢山船が通ってるなぁ」


って風に負けないように少し大きな声で言いながら、手すりを越えるんじゃないかって見てる方が怖いくらいの姿勢で寄りかかって隣で海を眺め始めた。


「――」


空の青と海の青は同じ「あお」って言っても全然違うんだ。って初めて知った。


空には太陽が輝いていてるけど、それを受けてる海の方がキラキラ眩しい気がする。


風の音で始めは解らなかったけど。不規則に聞こえてくる、ざざ…というのが多分、生まれて初めて聞く波の音だ。


いろんな大きさの船が見える。



海は大波 青い波

ゆれてどこまで続くやら

海にお舟を浮かばして

行ってみたいな よその国


「――」


山の中の小学校に居た頃、音楽の時間に歌わされたあの歌を急に思い出した。


「――海に来るの初めてか?」


隣の竹兄に訊ねられて。


「海のある町に住んだこと無いし。車や電車から眺めた事しかない」


「どうだ?初めての海は」


「波の音と…」


応えながら手すりをぎゅ、って両手で握って落ちないようにしてから目を閉じて。大きく息を吸ってから、吐いた。


「海の匂い」


目で見なくても、音と匂いで体感してたら。隣の竹兄も大きく息を吸い込んでるのが聞こえた。


「ああ。本当だな。――磯の香りだ」


「どっちも…気持ちいい…」


怖さを忘れて手すりから手を放したら。肘をついて少し海に近づいてみる。


「そうか、良かったなぁ…」


潮風が髪を撫でて行くのが気持ちいい。


潮風浴びると髪がベタベタして匂いが付くって聞いた事があったけど。俺はこの匂いが好きになったから、むしろ存分に浴びてやれ、って思ってじっとしてたら。


隣で竹兄が動く気配がした後、シャッターを切る音が聞こえてきた。


目を開いて左側を確かめたら。覗いてたファインダーから顔を上げた竹兄と目が合う。


「黙って撮らないでよ、竹兄」


しまった、って顔してカメラから両手を離して、ハンズアップしたから首のストラップで辛うじてカメラを落とさずに済んだ竹兄に思わず笑っちゃったら、


右手が伸びてきて頭を押さえつけられて、首を軸にぐりぐりと髪をぐしゃぐしゃに掻き回された。


「このー!!!何だ!可愛い顔しやがってこのやろう!!!」


「え!?――何!?」


どうして逆ギレされなきゃいけないのか解らないし、何より視界がブレてこの場所が高所だってことを急に思い出して怖くなった。


「っていうか竹兄怖いよこんな所で!」


俺の髪ぐしゃぐしゃにした竹兄の右手からようやく逃げて、階段を先に駆け降り始めた。

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