37

「小野くん」


マスターの声が聞こえたから、


「はい!」


助かったとばかりに勢いよく立ち上がってカウンターに向かって、カウンターからトレイを受け取った。


「お待たせしました。エスプレッソです…」


もう殆ど無意識で、何時もと同じ手順で丁寧に竹兄の前にソーサーとカップを並べて行く。


「はいどうも」


自分のココアのカップも席に置いてから、トレイをカウンターに返して席に戻った。


さっきよりずっと、息苦しい感じが無くなったのは、きっとココアの香りに満たされたからだ。


指先で大きなマシュマロを抓んでカップのココアの海に投下したら、つまみ上げたスプーンの先で、早く融けろってつつき始めた。


マシュマロが融けきる前に、ふとカップから目を上げて対面の竹兄を見たら。


ハイクラウンのミルクチョコのパッケージを指先で丁寧に捲ると銀紙を取り去って。角を落とすようにひと口齧って、


デミタスカップを指先でつまみあげて、ひと口含んだら。


目の前に俺が居るの忘れてるみたいに瞳を閉じて。満足そうにソファの背もたれに背中を預けた。


「――…」


俺も、熱いココアのカップを持ち上げたら唇を寄せてひとくち含んで。


カカオのいい香りを胸いっぱいに吸い込んで、目の前に居るデミタスカップとソーサーを抱えて微笑んでる竹兄を眺めながらもうひとくち、とココアを飲む。


中学2年生の頃は、高校生になった俺も竹兄みたいに背が高くなって男らしくなって、コーヒー好きになれるものだと思ってたのに。


『やっぱり…3年経ってもこんな風にはなれなかったなぁ』


相変わらず背はあんまり伸びないし。コーヒーは苦手でミルクと砂糖が欠かせないし、選べるならココアを頼む。


相変わらず竹兄は、少し微笑んでるかのように穏やかな表情でデミタスカップを傾ける。


どんな表情でもカッコいいなぁ。なんて。思っても絶対に口には出さない。


それは、初めて会った頃は『こんな風になれたらいいなぁ』という気持ちが大きかったからだと言えるけれど。


何年も身近に居た今はそれが単なる『竹兄みたいになりたい』って憧れとは変わってしまったと気づいたからだ。


貴方のようになりたいんじゃなくて、俺は…


「――」


久々だったからか、眺めるっていうより観察するくらいの勢いで竹兄の顔を見てたかもしれない。


急に目を開いた竹兄は、俺がじっと見てたのに気付いて。眉を寄せた。


「――何だよ小野」


「竹兄にやにやしてる」


って、俺の方がホントはニヤニヤしてたかもしれないのに思わず口にしたけど、竹兄は全然気にしない風で。


「そうか?」


なんて返してくるから、余裕な表情が面白くなくてもう一度。


「してる」


って押してみたら。


「そう言う御前は…ココア飲む時だけはカップを子供みたいに両手で持ってる」


って、きれいにカウンターを決められてしまった。


「―――!!!?」


嘘!!?!俺そんな事してるのか?っていうか竹兄にそんな癖があるって気付かれてたのか!?


確かめた手元は本当にカップを両手で抱えて女子みたいに持ってたから、慌てて左手を外して右手だけでカップの取っ手をつまんだけど。竹兄は容赦なく、


「ついでに言うと、すげぇ大事そうに女子みたいにちびちび飲むよな…。まァ嬉しそうにニコニコ可愛い顔して…。そんな顔目の前で見せられたらそりゃー俺だってニヤニヤせざるを得ないだろ。御前可愛いんだから」


「な…っ…(((( ;゚д゚))))!!!!?」


可愛いってまた言われた…。


これって男としては喜んだらダメだって解るのに。


――竹兄に言われるのはうれしいって思うのは、俺がどうかしてるんじゃないかって思う。


店から飛び出して行きたいけど、そんな訳にもいかなくて、竹兄の視線から逃げるみたいに顔をテーブルにくっつくくらいに伏せるしかない俺に。


竹兄は声を挙げて笑った。


「冗談だよ。俺がにやにやしてたのは、こいつがどうしようもなく美味いからだ。御前の顔が可愛かろうが不細工だろうが、興味なんかねぇ」


竹兄は俺の顔には興味ないのか…ってちょっと凹みながら、何とか持ち直して顔を上げたら。


「――それにお互い旨いもの飲んでるのに、難しい顔する必要あるのか?俺は別に、にやにやしてるの見られても何とも思わねぇよ。むしろこんな美味いもの知らない奴の方が気の毒だろ?」


って、デミタスカップを持ち上げる。


「竹兄。いつもそれ飲んでるけど…そんなに美味いの?」


俺はコーヒーだって頼まないから、それを更に濃くした飲み物なんてもっと飲めないのに、竹兄はいっつもエスプレッソを頼んでるのが不思議だと思ってた。


「あぁ美味いね。一杯飲むとひとつ恋を終えた気分に成れる。だから俺もうすげぇ恋愛経験豊富だと思う」


って。また凄く文学的な表現しながら俺にむかってニヤリ、とカッコよく笑って見せる。


「何それ…」

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