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『そっかぁ…サトリ君いよいよバイト始めちゃったんだねぇ~』
大学は7月に入ると人によってはすぐ夏休みだから。俺より一足先に夏休みになってた建君が電話で連絡をくれた時に、駅裏の喫茶店でアルバイトを始めた事を報告した。
『竹兄には?』
当然その事は聞かれることは解ってたけど。
「言ってないよ。――怒られることは解ってるんだけど…だからと言って言い訳も思いつかないし…」
『仕方ない。もう正直に言ったらいいよ。大学でやりたいことがないから行きません。て』
「それだと『じゃあ何やりたいんだよ』って聞かれちゃうよ」
『仕方ないよ。サトリ君て『大学でやりたいことが無い』だけじゃなくて『もう何もかもどうしていいか解らない』んだから』
俺が自分で解っているつもりのことを、態々改めて的確に指摘されることのダメージの大きさと言ったら、倍どころでは済まなくて、言い返すことも出来ず黙ってたら。
『ごめんごめんサトリ君。言い過ぎたよ。社会勉強、って言うのは大げさだと思うけどさ、まずはこの夏でコーヒーを美味く淹れられるようになる、ってくらいのモチベーションでやってみたらいいんじゃない?』
竹兄コーヒー大好きだし美味しく淹れてあげられるようになったらポイント高いんじゃないの~?なんて。
電話越しのニヤニヤしてる表情が解るような声で唆された。
店が休みの火曜日以外は毎日のように朝9時入りの午後6時上がり、って規則正しいバイト生活を始めて10日経った。
「はい…。小野君、お疲れ様でした。明日からもよろしくお願いしますね」
7月31日の18時のバイト上がりに、マスターから封筒を手渡されて。
「?――はい…」
受け取った封筒が思っていたより重くて、なんだろうって思って持ったままで考えて固まってたら。
「月末ですよ?――バイト代です」
って言われて漸く。受け取った封筒を両手で掲げた。
「え!?――ああ!そっか!有難うございます!」
建君に言われた『コーヒーを美味く淹れられるようになる』ってことばっかり考えてて。自分で働いて稼いでる、って考えがどこかに置き去りになってたのを思い出した。
「小野君は本当に良く働いてくれてます。うちじゃあなくてもっと条件の良い所でバイトしたらどうですか?そうすればこんな金額よりもっと貰えるはずですよ」
マスターが笑いながら言う。
「給料は問題じゃなくて。俺何処に行ったらいいのか全然解らなかったから、マスターに声かけて貰えて本当に感謝してます。それに、此処じゃなかったら俺きっと3日と続けられてなかった」
「そう言ってもらえるなら良かった」
「あ、そうだマスター」
貰った給料袋から早速千円を一枚出してカウンターに置く。
「ココア飲んで行ってもいいですか?」
自分で初めて稼いだ給料を初めて使うなら此処だ、と決めていたから。と話をしたら。
「はい、では小野君が着替えている間に、準備をしておきますね」
8月10日を過ぎて、夏休みも折り返し地点になる頃。
食器を洗ったり掃除をするのは、竹丘家でお母さんを手伝っていたから最初から全然戸惑いはなかったし。
人見知りで無愛想な俺が不安に思っていた接客も、考えたら殆どが大人の常連のお客さんで見たことある人が多いって解ったら、緊張はするけど普通にオーダー取ってサーブするくらいなら大丈夫だと自信がついてきたところに。
店のドアベルが勢いよくカラン、と鳴ったから。何時ものように反射的に入口に向かって振り返りながら。
「いらっしゃいませ」
駆けこむような勢いで入ってきた背の高いお客さんに声を掛けたら。
黒いセルフレームの眼鏡越しに俺を見て、絶句したように立ち止まったその人は。
頭に紺色のハットを乗せて。爽やかな白いシャツは長袖をたくしあげたようにして半袖替わりにしてた。
黒いジレは前を開けて肩にかけてるだけなのに、だらしなくなくてむしろ着こなしてる。
長い脚に似合うカーキのカーゴパンツに、裸足でサンダル履き。
こんな都心から外れた所で、そんなオシャレな恰好してたらそれだけで目立つよ、竹兄。
久々に、突然。心の準備のないところに現れたその人に、嬉しいのか恥ずかしいのか怒ってるのか自分でもわからないけど頬が一瞬で熱くなったのを感じた。
ただ、今自分がバイト中だって事だけは何とか死守して自制を保ちながら。
「――おひとり様ですか?」
何時も『コドモ』だ『ガキ』だって竹兄にからかわれてたけど。俺だってちゃんとするときはするんだ。
「あ。はい、ひとりです」
俺が知らないお客さんにするのと同じように接客してるから、竹兄だってそう答えるしかないだろう。
「こちらにどうぞ」
何時も座ってた奥のテーブル席を薦めてから。何時もより早足にカウンターの中に戻った。
『マスター!!!』
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