15
建君のひとつ上の兄の轟君は、何時も気難しそうに腕を組んで仁王立ちしてるような人で、俺にはまだまだ近寄り難いから。話しかけるきっかけになるようにってこれを俺に託してくれたのが解った。
「はい。預かります」
両手を差し出してボトルを受け取った俺は。境内にある道場に歩いて向かった。
「失礼します」
声を掛けて道場の引き戸を開くと。まだ明かりつけてないから少し薄暗い畳敷きの道場のど真ん中で、正面の掛け軸をじっと見ながら正座してる誰かの後姿が見えた。
びしっ、と背筋を伸ばした後姿だけで。強そうに見えるなぁ。なんて思ってたら。
座ったまま手をついて、俺の方に体ごと振り返ってきたのはやっぱり轟君だった。
「――成瀬君。久しぶり」
「お邪魔してます…。今日も建君についてきました。――あ、これ、御師僧さまから預かりました」
って。靴脱いで恐る恐る道場の畳の上に登ると、轟君に近づいてボトルを差し出す。
「――有難う。まぁ。大して構えないけど。好きに見て行ってくれ」
「はい」
ボトルを置いた轟君は。また俺に背を向けて瞑想に戻っていった。
折角話のきっかけをくれた御師僧様には悪いけど。やっぱり轟君とは会話が続かない、って思ってたら。
「ごめん領君!お待たせ!」
がらり、と建君が引き戸を開け閉めする音が大きかったから。轟君がイラついて舌打ちしてるのが聞こえて、俺の方が何故か縮み上がった。
しーっ!なんて。唇に人差し指あてて建君に静かにするようにアピールしてるのに。
「ああ、何。轟君の邪魔になるって?」
建君には音量調節機能は装備されてないみたいで。全然声の大きさは変わらなかった。
「――だーいじょうぶだよね、轟君。こんな程度で心が揺らいじゃうならその程度の…」
「うるさい!!」
立ち上がった轟君はドカドカと畳み踏み鳴らして近づいて、建君の右手首と肘を取った途端。
あっという間に宙に浮かんだ建君のカラダは。バターン!という大きな音とともに畳にたたきつけられた。
「建君!!大丈夫?」
余りにも道場内に響いた音が大きくて俺の方が心配したけど。
「大丈夫だよ、成瀬君。受け身を正しくとるからきちんと大きな音が出るんだ」
って。轟君が説明してくれた途端。むくりと何事もなく起き上った建君が。
「轟君ずるい!今日は俺が『投げ』の日だって言ってたのに!」
カッコいいところ領君に見せようと思ってたのに!って。文句を言ってる。
「何だそれ。成瀬君に何アピールだオマエ。やっぱり腐ってる根性から叩き直してやるから今日もオマエは『受け』の日だ」
兄弟喧嘩に巻き込まれたような気がして。道場の隅に立って縮み上がりながら、投げっぱなしの轟君と投げられっぱなしの建君を茫然と眺めてたら。
「――直れぇい!!!」
腹の中から響くような。怖いくらいの低音の怒号が道場内に響いてようやく。建君が畳にたたきつけられる音が止んだ。
小学生くらいの子供たちが道場入口でわらわらと群がって、社家兄弟の喧嘩稽古が怖くて中に入れずに居たから。それをかき分けるようにしながら御師僧さまが道場に入ってきた。
しまった、という顔で轟建兄弟は畳の上に並んで立って神妙な顔したけどもう遅かった。
「悪いねえ、成瀬君。今日は――君にみせてあげられるような稽古にはならないから。また今度おいで?」
御師僧様は俺にだけは優しいままで諭してくれる。
「――はい。――失礼します!」
新しい名前決めたから稽古の後で建君に話をしようと思ってたけど。今日は仕方ないから早々に道場を後にしたら。
背中の方で御師僧様の怖い声と、社家兄弟の返事や謝罪の声が響いてるのが聞こえてきた。
『建君轟君ごめん…無事でいてね』
せめて心の中で祈った。
まだ4時過ぎで。思ったより早く武蔵八幡に帰ってきた俺は。90段の階段上ろうと見上げた途中くらいに。竹丘さんが自転車担いで登ってるのが見えたから。
追いつきたくなった俺は、
「竹丘さん!」
呼びかけてから走って登り始めた。
「おー。元気だな御前は…。よし来い!」
振り返ってその場に立ち止まって待ってくれた竹丘さんにあと数段ってところまで追いついて。流石に息が切れたけど。
「俺!――今日、一日、――考えて…たんだ」
息を吸って吐くタイミングに合わせて、必死に伝えようとするのに。
「おいおい!授業中は考え事なんかしないで、ちゃんと先生の話を聞いとけ」
なんて。笑顔で返されたから思わず。
「茶化さ、ないで、聞いてくれ…よ!」
ちゃんと聞いてよ、って泣きそうになるけど。
「悪かったよ成瀬。――ちゃんと聞いてやりたいから、こんなチャリ担いだままじゃなくて、上に着いてからでいいか?」
俺に余裕がないのを解ってくれてるって思ったら。もっと泣きそうになって。
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