13

「通称でも何でも変えられるなら今すぐ変えたいです。今までだって別に…、苗字変わっても気にした事はないから」


「――そうですか。では君が希望する通りにしましょう」


長い時間だけど。とにかく新しい名前で暮らせる日が来るんだと決意を新たにしてたら。


「成瀬。――オマエ名前変えるのか?――何回目だ」 


隣の竹丘さんが尋ねてくる。


「今度変えたら…4回目」


「今まで何時も自分から変えたいって言ったのか?」


どうしてそんな事聞いてくるんだろう。応えあぐねてたら代わりにお父さんが答えてくれた。


「領君はこれまで引き取り先の家の氏を名乗ってきましたから」


「――何だオマエ。名前を変えて今までの事全部捨てて再出発だなんて都合がいい事考えてるのか?」


竹丘さんの声音が今まで聞いたことないくらい低くて、これは凄く怒ってるって解ったけど。開き直った俺は怖いモノなんかない。


「そうだよ…悪い?――もう俺の過去なんか全部、消してやる…」


突然隣からTシャツの肩口を掴まれて、竹丘さんの方にぐい、って向き直らされた。


「止めなさい!マサヒコ」


お父さんが間にが割って入って竹丘さんを留めてくれたけど。さらに抵抗するように、竹丘さんは自分の目の前に俺の顔を持ってきて、じっと見つめてきた。


「ガキの頃どんだけ盥回しにされたか知らねえけど。それでグレた挙句此処に来たからこそ親父殿にも俺にも会えたんだぞ?――どんなに酷い過去があったとしてもそれがオマエの人生なんだ。とりあえず忘れてもいい。ただ、無かったことにするのはナシだからな?――解ったか!」


最後の言葉と同時に突き放されて。ベッドの上でぽかん、とするしかない。


「――…」


完全に放心した俺の腕に、戻っておいで。とお父さんが手を添えて優しくさすってくれる。


「もうそれくらいで良いでしょうマサヒコ。オマエは部屋に戻りなさい」


「解ったよ」


竹丘さんは立ち上がって部屋を出て行く。


ドアが閉まってから。お父さんはまた椅子に座って。俺に向かい合って話を始めた。


「マサヒコは、君が来てからというもの。大分変わったんですよ」


「――そうなんですか?」


「他人に干渉するのもされるのも嫌がる子でしたが。――君が来てからというもの。『俺がちゃんと見てやるから、あんまり煩く言わずにあいつの好きにさせろ』って私に言ったんです」


君が来てからマサヒコも人間として急成長しているんです。


領君のことを大事にしたい弟なんだと本気で思ってますから。暫く我慢して、『竹丘領』でいてあげてもらえませんか。


「――はい…」


俯いたら、涙があふれてきた。


よしよし、とお父さんに優しく頭を撫でられたけど。少し竹丘さんがしてくれたのとは違う気がして。


涙を拭いながらずっと。どうしてなんだろう、って考えてた。









翌朝。


「…行ってきます」


昨日の夜あんなことがあってあんまり眠れなかった俺は。靴に爪先を引っかけながらずるずると歩いて玄関を出ようとしてたところに、竹丘さんから呼び止められた。


「待てよ成瀬。――俺も直ぐ行くから」


竹丘さんて情緒が欠けた人なんだろうか。俺は暫く二人きりでは話したくなかったのに。


「…――」


黙って歩く俺の横で、竹丘さんはゆっくり自転車漕ぎながら話しかけてくる。


「成瀬。オマエの事情も考えずに昨日は言いたい放題しすぎた。謝るから」


驚いて隣を見たら。ホントに『悪かった』なんて頭を下げたから。


「――別に怒ってないし」


さっきまであんなに顔を合わせたくなかったはずなのに。もう一瞬のうちに、飛びつきたいくらい嬉しくなった現金な俺という奴は、こんな時に限って不機嫌な声しか出ない。


「そうか。御前は――竹丘領になるのか?」


起き直った竹丘さんと目が合った途端慌てて前を向きながら。


「決めてない」


って素っ気なく返したら。


「――なあ。苗字変えて、看板だけ人の借りて書き換えるのは簡単だ。今まで御前が何回そうしてきたのか知らねえけど。お前の看板くらい、お前が決めて書け。本当に御前は『竹丘』になりたいのか?」


お父さんが言ってたみたいに。この人は俺がやりたい、って思う事をちゃんと尊重してくれそうだ、って思ったから。


適当に応えられない、って思って考えたけど直ぐに答えなんか出なくて。


「…」


黙ってたら、俺が困ってると思ったのか竹丘さんは。


「まあ、親父殿も母ちゃんも、オマエがウチの子になるのは大歓迎だってさ」


なんて言うけど。肝心の竹丘さんの気持ちは教えてくれないから。竹丘さんの方を向いて、答えがほしくてはっきり尋ねてみた。


「――竹丘さんは…俺が弟に成ったらどうする?」


「そんなのは、成ってみないと解んねえよ。俺18年間一人っ子だったからな」

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