第44話 招かれざる来訪者8
008
「私、絶対に別れませんから」
鳴は僕が寝ているベッドの横で仁王立ちをしながらそう宣言した。
「こんなことになってしまった僕からすればそれはありがたい話だけれど、鳴は――本当にいいの?」
「構いませんよ。匠さんこそ、私にエロいことができなくなってしまいますけどいいんですか?」
「それは別にいいんだよ。今まで通り日が出ている間にいっぱいヤるから」
そんな風に冗談めかした会話をしている僕たちだったけれど、やはりその空気が少し、重かった。
吸血鬼であることは僕にとって存在意義であったと同時に、鳴にとっても心の救いだった。だからこそ鳴は僕に心を開いてくれたのだから。
こんな風に吸血鬼ではなくなった今となってもこうやって言ってくれる鳴には本当に感謝しかないのだけれど、それでもやはり僕たちの間には大きな溝ができているかのようだった。
「よいしょっと、じゃあ吸血鬼さん。私一度家に帰って匠さんの着替えとか持ってきますね」
そう言って鳴は僕の病室を後にしようとする。
「――鳴!」
鳴がドアを開ける前、僕は彼女を呼び止める。
「――? どうしたんですか?」
鳴は精いっぱいの作り笑いを浮かべる。それくらい、油断すると彼女は今にも泣きそうだった。
「ありがとな」
僕は鳴へ精いっぱいの感謝を伝える。
「何を今さら。これくらい何でもないですよ」
そう言って微笑むと鳴は『また来ますね』とだけ言い残して僕の病室を去っていった。
部屋の中には一抹の寂しさと重苦しい空気だけが残っていた。
◇◇◇◇◇
「よいしょっと。ようやく体が動くようになってきたかな」
鳴が帰ってから数時間後、すっかり夜も更けてきた頃、僕は少しだけ動くようなった体を起き上がらせて、窓の外に見える月を眺めた。
今夜は雲一つない晴れ空で、夜空に浮かぶ三日月がとても綺麗に映っていた。
不思議だ。
これまで夜は僕にとって害をなすものでしかなかったはずなのに、しかし人間に戻ってしまった今となってはこんな風に穏やかな夜がなぜだか少し物足りなく感じてしまう。
「月が、綺麗だ」
ぽつりと、僕が一人つぶやくと、
「――それは恋人様に言ってあげた方がよいのではありませんか?」
背後から声が聞こえた。
「……勝手に部屋に入って来るなよ、ガーヴェイン」
僕は声の主の方を見る。
病室の入り口辺りに立っていたガーヴェインは何が面白いのかニヤニヤと笑みを浮かべながらゆっくり僕の方へ近づいてくる。
「昨日あれだけ忠告いたしましたのに。散々な状況ですな」
「…………」
それに関しては返す言葉もない。僕は沈黙をもってガーヴェインに答える。
「相変わらず、この町から見る月はいつ見ても美しいですな」
「――?」
「どうですか、人間に戻ってしまった感想は?」
「……控えめに言って最悪だよ」
「おや、それはそれは」
ガーヴェインはまた楽しそうにニヤニヤ笑う。
「そんな事より、何をしに来たんだ? もう吸血ですらない僕にかまっても仕方がないだろ? さっさとカーミラのもとに戻ったらどうだ?」
「おや、これはまたご挨拶な。私は純粋に世餘野木様が心配で尋ねて来ただけですが?」
「冗談はよせ」
「いやいや、冗談ではありませんとも。それに『このこと』は世餘野木様にぜひともお伝えしたほうがよいかと思いましてね」
……ん? 『このこと』?
僕は何だか嫌な予感がしながらガーヴェインの方へ向く。
ガーヴェインが人差し指を立てると、そこから光が飛び出し、そこから映像を映し出した。
「――!?」
その映っている映像を見て僕は心臓が飛び出すのではないかと思った。
「――鳴!? 何で!?」
その映像の中に映っていたのはいつも僕たちが管理していた公園で、昨日戦った宣教師と鳴が戦闘を繰り広げていた。
「おやおや、血の気の多い恋人様ですな」
映像の中に映る鳴はすでにボロボロで、昨日のダメージも相まって、今にも倒れてしまいそうだった。
いてもたってもいられず、僕はベッドから飛び起きて病室を後にしようとする。
「そんな体でどこへ行くつもりですか?」
と、そんな僕を冷ややかな目でガーヴェインが制止する。
「そんなの、助けに行くに決まっているだろ」
僕はガーヴェインを睨みつけながら答える。
「助けに? どうやって? 吸血鬼でもなく、人間としてみても不完全な今の世餘野木様が行ったところで何ができるというのですか?」
「そ、それは……」
確かに。今の僕が行ったところでむしろ足手まといにしかならないかもしれない。
「それに、世餘野木様はせっかく人間に戻ることができたのです。吸血鬼という人の道を踏み外した存在ではなく、真っ当な人間として生きていくことができるのです。なのにどうしてまた同じように人の道を外れるようなことをするのですか?」
「…………」
「恋人様のことは残念でしたが、あの宣教師のことです。殺しはしないでしょう。だから、世餘野木様は見て見ぬふりをすればいいのです。そうすれば、きっとあなたには普通の人生が、人として真っ当で幸せな人生を掴むことができるかもしれない。なのに、それでもあなたは助けに行くのですか?」
ガーヴェインは真剣な口調で僕に問いかける。それはいつもの彼とは異なり、まるで本当に僕の身を案じているようだった。
「……悪いな。それでも、僕は行かなくちゃ」
しかし、僕はそんなガーヴェインの言葉を一蹴する。
「どうして?」
ガーヴェインは信じられないといった顔でこちらを見る。
「簡単な話だよ。僕は、好きな人にはずっとそばにいてほしい。他のやつなんて見る余裕もないくらいずっと僕だけを見ていてほしいと、そんなことを思ってしまうくらい実は重い男なんだ」
「…………」
「人間に戻ればもしかすると僕は今よりも幸せになれるのかもしれない。でもダメなんだ。例え幸せになることができても、自分の好きな人のそばにいられないなんて、自分の恋人が本当に僕を必要としてくれるときに――触れることすらできないなんて、そんな人生はクソ食らえだ」
「……そうですか」
なぜだろう。僕のその言葉を聞いたとのガーヴェインは少しだけ寂しそうだった。
窓の外からは美しい三日月が変わらず、僕たちを見下ろしていた。
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