第32話 初恋の悪霊10

010


 ――結婚式。


 正直、人並みの幸せすら半ば放棄している僕にとっては完全に自分とは無縁のものだと思っていたし、それは今でも変わっていないのだけれど、それでもこの時ばかりは自分の無知さというか常識の無さを後悔した。



◇◇◇◇◇


 佐久間に先導されて着いた先は高級そうなレストランだった。


「おいおい、こんなところに入られたらさすがに大学生の所持金では尾行できないぞ? ……ってあれ?」


 しかし、よくその店の看板を見てみると、今日は定休日だと書かれていた。


「おかしいな? 佐久間、本当に姫柊さんはここに入っていったのか?」


「うるせぇな、間違いねぇよ」


 ……うーむ、しかしどうしたものか。


 ――ガチャッ。


 と、何の気なしに店のドアノブを回すと、カギはかかっていなかったようで、あっけなくドアは開いた。


「お、開いてるじゃねぇか。ちょっと中に入ってみようぜ」


「お、おい!」


 するりと扉をすり抜けて店内に入る佐久間を追いかけるように僕も店の中へと入っていく。


 店の内装は思った以上に複雑怪奇な構造をしていて、油断すれば迷子になってしまいそうだったけれど、そんな中でも佐久間は迷わず進んでいく。やはり彼にとっては憑りついている主の居場所など手に取るようにわかるらしい。


「おい、佐久間ちょっと待てよ!」


 僕はそう言って佐久間に追いつき、突き当たった大きな扉を開けた瞬間、――目に映った光景を見てすぐに『しまった』と後悔した。


 僕たちが入った部屋は教会のチャペルさながらの空間で、一番奥にはご丁寧に十字架まで立てられているような場所だった。要するに、――僕たちが入った場所は結婚式場だったのだ。


 そして、十字架の前にはおそらく結婚式の打ち合わせをしているのであろう、姫柊さんと倉敷さんの姿があった。


 そこに立っていたのは二人の結婚式のその瞬間が、明確にイメージできるくらい、本当にお似合いのカップルだった。姫柊さんはウエディングドレスこそ来ていなかったけれど、幸せそうな表情で、きっと予行練習か何かなのだろう、二人は指輪の交換を行っていた。


 それはそれは幸せそうで、見ているこちらまで幸せな気持ちになってしまうような二人を見て、しかし瞬間的に僕は佐久間の方を振り向いた。


「………………………………………………………………」


「さ、……佐久間?」


 しかし、佐久間は俯いたまま動かない。


 が、次第に佐久間の周りに漂う覇気が禍々しいものに変わっていった。


「やばい!」


 僕は瞬間的に佐久間の手を掴もうとしたけれど、悲しいくらい僕の出した手は簡単に彼の体をすり抜けてしまった。


「う……ヴぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 次の瞬間には、佐久間は完全に理性をなくしたようにそんな雄たけびを上げたかと思うと、その禍々しい覇気で僕を吹き飛ばした。


 ――ドンッ!


「――!? ぐぁ!?」


 壁に突き飛ばされた僕は背中に強い痛みを感じたものの、幸いなことに意識を失うところまではいかなかったようで、


「早く! 逃げて!」


 僕は部屋の奥で動揺したように立ちすくんでいる姫柊さんと倉敷さんに向かって叫んだ。


 しかし、二人とも足がすくんでいるのか、あるいは僕の言葉が聞こえていないのか、その場で立ちすくんだまま動かなかった。


「くそっ!」


 ふと、窓の外に目をやると、もうすでに日はほとんど沈みかけていて、僕が吸血鬼の力を発揮できるまではあと数分といったところだった。


 ……まずい。どうするか?


「ヴぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 佐久間はその間も理性を失い続け、人間サイズだった彼の体は見る見るうちに巨大化していった。そしてすぐに人間の姿を失って、化け物さながらのおぞましい姿に変化していく。


 もう、認めざるを得ない。佐久間は――完全に悪霊化してしまった。


 僕は絶望にも似た気持ちで、すでに悪霊と化した佐久間と対峙した。

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