第31話 初恋の悪霊9

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 僕――世餘野木匠の一日は慌ただしい。


 まず、朝は頭のおかしなサイコパスにたたき起こされ、そのままリビングで朝食など朝の支度を済ませる。


 その後、ガラの悪い幽霊と合流し、『既婚者』という何とも甘美な存在をストーキングしていると、いつの間にか日が暮れる時間になっている――そんな慌ただしい毎日だ。


「――おい、誰が『ガラの悪い幽霊』だって?」


 と、僕がそんな風にお物思いにふけっていると、隣から佐久間がそんなツッコミを入れる。


「人のモノローグにまでツッコんでくるなよ」


「うるせぇ、そんな事よりちゃんと尾行しろよ」


 佐久間は相変わらずガラの悪そうな態度で僕に悪態をつく。


 まあもっとも、そんな彼ともすでに数週間の付き合いなので、僕としてはもう慣れたものではあるのだけれど。


 とはいえ、今日は何というかいつもにも増して佐久間の風当たりが強い。まあしかしその理由は明白で……。


『あはは、颯太さんってばおかしいんだから』


 と、少し遠くの席から明るい笑い声が聞こえる。姫柊さんの声だ。


 今僕たちは市内にあるおしゃれな喫茶店で、コーヒーを飲んでいる姫柊さんを尾行するため、こちらも同じくコーヒー一杯でかれこれ小一時間ほど過ごしているわけなのだけれど、しかし当の姫柊さんは一人で座っているわけではなく、


『えー、本当の話なのに。ひどいな奈央は』


 と、姫柊さんが座っているテーブルの向かい側には、彼女に向かって優しく微笑む男性の姿があった。おそらく、あれが姫柊さんの婚約者なのだろう。


 名前は――倉敷颯太クラシキソウタというらしい。


 姫柊さんの勤めている会社の二つ年上の先輩で、見た感じとても穏やかそうな雰囲気の人だった。こういってはなんだけれど、佐久間とは似ても似つかないような印象を受ける男性だった。


 二人とも今日は仕事終わりにこの喫茶店で待ち合わせをしていたようで、今は楽しそうに談笑している。


「ったく、しっかり尾行しろよな! まったく、こんなことじゃ俺が成仏するのもいつになる事やら」


 隣にいる佐久間は終始不機嫌そうにそんな言葉を漏らす。


「…………」


 まあこれに関しては無理もないと思う。憑りついてしまうくらい好きな女性が婚約者と一緒に談笑しているシーンを見て不機嫌になるという気持ちは僕にだってわからないわけではない。


 ……とはいえそれで八つ当たりを受ける僕からすればたまったものではないのだけれど。


 と、僕がそんな風に物思いにふけっていると、


「おい、奈央たちが出て行くぞ?」


 佐久間の言葉に反応してふと目をやると、少し目を離した隙に姫柊さんたちは会計を済ませて喫茶店から出ようとしているところだった。


「あ、やばい」


 僕も慌てて会計を済ませて喫茶店を出たけれど、もうそのときには姫柊さんたちは喫茶店の前にはいなかった。


「あ……見失った」


「おい、何やってんだよ!」


「いや、すまない」


 しかしどうしたものか。もうすでに外はほんのり暗くなってきているとはいえ、僕が吸血鬼の力を使えるようになるのはあと一時間ほど後だろう。そうなると、僕たちは今から人海戦術で姫柊さんを探さなくてはならない。


「まったく、ちゃんとしろよな。ほら、さっさと奈央を追いかけるぞ?」


 そう言って佐久間は僕を促して先導する。


 ああ、そうか。考えれば当たり前の話だ。姫柊さんに憑りついている幽霊である佐久間にとって姫柊さんの居場所が分からないはずがないのだ。


「ああ、サンキューな」


 そう言って僕は佐久間を追いかける。



◇◇◇◇◇


 あとになって考えてみれば、このとき僕が姫柊さんたちを見失ってしまったことは僕にとって完全に痛恨のミスだった。


 今でも時々思い返す。


 もし、あの時に僕がもっとしっかりしていれば、もっと違う結末もあったのではないか――と、そんなことを僕は今でも考えてしまう。


 僕がもっとちゃんとしていれば、きっと最後には少なからず『友人』と呼んでも差し支えないくらいの関係になったあのガラの悪い幽霊を――失わずに済んだのではないかと。


 そんなことを僕は今でも後悔の念とともに、どうしても思い返してしまうのだ。

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