第27話 初恋の悪霊5

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 幽霊と一言で言ってもそれらには多様な種類が存在する。そういう意味で幽霊とは『この世ならざるもの』の中で最も種類が豊富な存在といっても過言ではない。


 当然その中には、悪霊と呼ばれるような人間に対して害をなすような存在もいれば、座敷童に代表されるような人間にとって幸福を呼ぶ存在など、その在り方すら多種多様な存在でもある。


 また、その存在理由自体も多様であり、目の前の幽霊のように死んだ人間の怨念をもとに存在する場合もあれば、付喪神のように物に魂が宿るといった場合もある。


 ゆえに、幽霊に対する問題に関して決まった解決方法などあるわけもない。と、ここまで説明すれば、なぜ僕が頑なに幽霊と対峙するのを避けたのかが分かってもらえるのではないだろうか。


 ――ようするに、面倒くさいのだ。


「ぶっちゃけ幽霊みたいなめんどくさい案件を相手にするくらいなら、鬼や悪魔でも出てきてくれた方がまだ楽なんだよな」


 鬼や悪魔なら、吸血鬼の僕からすればまったく問題ではない。ただ戦って一発殴ればそれで万事解決だ。しかし、残念ながら今回のケースはそれほど単純ではない。


「まあまあ吸血鬼さん、一応話くらいは聞いてあげたらどうですか?」


 橘が分かりやすく上機嫌に僕をなだめる。まったく、気分屋で分かりやすい彼女だ。


「それで? 成仏させてほしいとは具体的にどういうことですか?」


 橘に促された僕は諦めて一応話を聞いてみることにした。そもそも、管理者という立場上、この幽霊をこのまま野放しにしておくという選択肢は僕にはないのだ。


「すまない。ちょっと端折りすぎた。なんせこうやって誰かと話すのは久しぶりなんでな。えっと、まずは自己紹介からした方がいいか? 俺の名前は佐久間誠也サクマセイヤ。見ての通りもとは人間だったけど死んで今は幽霊になってる。さっき言ったように、あんたたちには俺を成仏してもらいたいんだ」


 頼んでもないのに懇切丁寧に自己紹介までしてくれた幽霊は佐久間誠也というらしい。こんな風に意外ときちんとしているところを見ると、ひょっとしたら見てくれ程ガラの悪い奴ではないのかもしれない。


「成仏してほしいとのことですが、その理由を聞いても?」


 そう、今回色々と引っかかる所はあるけれど、一番のポイントはここだ。普通幽霊になった者が自ら成仏を願うことは珍しい。そもそも、幽霊になるという時点で、多かれ少なかれこの世に未練が残っているはずで、その未練を残したまま自ら成仏することを願うのは僕の知る範囲では聞いたことがない。


「まあ、正直この世にまだ未練はあるんだけどさ。でも最近分かるんだよ。自分が……俺がどんどん悪霊化しているってことが」


「…………」


「だから、完全な悪霊になってしまう前に何とかしてほしいんだよ。早くこの世から俺が消えてしまわないと……俺が憑りついているやつに迷惑が掛かっちまうからさ」


 なるほど、合点がいった。なぜこの佐久間と呼ばれる幽霊が自ら成仏を望むのか。


 彼のように幽霊となった存在が理性を保ったまま行動すること自体は珍しいことではない。しかし、幽霊とは本来的には肉体を持たない不安定な存在であり、何らかの要因によって悪霊化してしまうケースも往々にしてある。そして、一度悪霊化してしまった幽霊はもう二度と理性を取り戻すことはない。つまり……


「自分の理性が残っているうちに消してほしいってことですか?」


 僕が尋ねると、佐久間は神妙な面持ちで頷いた。


「そうですか……」


 と、僕が少し考え込んでいると、


「なるほど、分かりました」


「……へ?」


 突然隣から返答が聞こえる。振り向くと、橘がずかずかと前に歩いて、


「ようするに『死んで楽になりたい』と、そういうことですね。まあもうすでに一度死んでいるみたいですが。――それではごきげんよう」


 そんな挨拶とも言えないような支離滅裂な言葉を発すると、そのまま佐久間に向かって手を伸ばす。――が、


 ――スカッ。


 佐久間に触れようと伸ばした橘の手は佐久間の体をすり抜けて空を切る。


「――!?」


 驚いた橘はその後も佐久間に触れようとするも、


 ――スカッ、スカッ、スカッ、スカッ。


 ひたすら空しく空を切るだけだった。


「……え? 橘さん? 何をやっているんですか?」


 僕は恐る恐る尋ねる。


「いや、成仏したいって言っていましたから、もういっそのこと私が触れて消し去ってしまうのが早いかと思って。なんだか話を聞いていたら意外と面倒くさそうだったので」


「君ってやっぱり淡泊だな!」


 ……さっきまであんなに機嫌よさそうだったのに。女心と秋の空とはよく言ったものだけれど、僕の恋人の心は山の天気よりも変わりやすいらしい。


「でも、なるほど。幽霊相手には触ることができないんですね。それは困りました」


 実際、橘のとった行動は頭のねじが数本飛んでいるようなものだったけれど、確かに今回のケースで最も厄介なのはこの点であるのは間違いなかった。ようするに、幽霊を相手に僕たちは触れることができないわけで、そのため橘の力で消し去ることもできなければ、僕が直接吸血鬼としての力を使うこともできない。なので――


「残念だけれど、今すぐに僕たちが君を成仏させることはできそうにない」


 僕が佐久間にそう告げると、


「……やっぱりそうか」


 と、佐久間は少し寂しそうな顔をした。


「君は……人間に憑りついていると言っていたな」


「……ああ」


「その憑りついている人というのは――、一体誰なんだ?」


 急に真剣な口調で尋ねる僕に対して、佐久間は少し目を泳がせながら、


「……昔付き合っていた彼女だ」


 と、少し……いやかなり恥ずかしそうに答えた。


「うわ、 キモ!?」


「おい橘、言いすぎだ」


 口ではそう言いながらもさすがに僕も少なからず橘と同じような感想を抱いてしまった。いや、だって死んでもなおずっと寄り添い続けられるって相当重いやつじゃないか……と思ったけれど、よく考えれば僕のよく知っているやつにもそんなやついたな。これはうっかり、完全に灯台下暗しだった。


「申し訳ないけれど、正直今の状態では君を成仏させることはできそうにない」


「……そうか」


「…………」


 俯く佐久間。しかし、そんな彼を見ていると、


「何で、ずっとその人に憑りついているんだ?」


 なぜかふとそんなことを尋ねてしまった。きっと、これはほんの気まぐれだったけれど、それを聞いた佐久間は


「……初めて好きになった人だったんだ」


 と、真剣な口調で答えた。


「…………」


「いや厳密に言えば、あいつしか好きになったことも、恋人を作ったこともないんだから初めても何もないんだけどさ」


 少し恥ずかしそうにしながら、『最初で最後の恋人だったんだ』と、そう言って佐久間は自嘲気味に笑う。


「もう十年くらいになるのかな。死んだときの記憶は覚えていないんだけど、目が覚めて気が付いたらこんな状態でさ。それ以降ずっとあいつの傍から離れることができないんだよ。離れようとしてもダメなんだ。こんな風に自由に動き回ることはできるんだけど、気が付くといつの間にかあいつの傍に戻ってしまうんだ」


「…………」


「自分でも何が理由でこんな姿になっているのかは正直分からない。でも、こうやってあいつの傍を離れることができない以上、多分あいつのことが心残りなんだってことは分かる。でも、このままじゃダメなんだ。あいつは、まさにこれから幸せになろうとしているときに俺なんかが傍にいたら……ダメなんだよ」


「――? 『幸せになろうとしているとき』って?」


 ああ、なるほど。聞き返しながらも僕は何となく分かってしまった。この佐久間という幽霊がなぜ急に成仏したいと言い始めたのか。そして――なぜ急に悪霊化しているのか。


「あいつは――来月結婚するんだ。だから、そんなあいつの幸せを万が一にも俺が邪魔をするわけにはいかないんだよ。だから、頼むよ! 俺を――あいつを助けてやってくれよ!」


 まるで泣きそうな表情で、佐久間は僕たちにそう告げた。その悲壮感溢れる表情からは、不思議と僕が顔も知らないその誰かに対する思いやりとか愛情とかそういったものしか感じなかった。


 そのくらい、彼は優しい雰囲気に溢れていた。

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