第19話 メデューサの恋10

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「いよいよ明日ですね。私、信じていますから」


 私はできるだけ明るい口調で話すことを意識していた。強がっているわけではない。そう思っていないと、つい泣きそうになってしまうから。


「ありがとうございます。正直に言うと、少し不安だったんです。本当に手術が成功するのかって。でもいつもみたいに石井さんと話していると勇気が出ました。本当に、ありがとうございます」


「いいえ、勇気づけられたのは私の方です」


 私は隣にいる夏目さんにもぎりぎり聞こえないくらいの小さな声でそっと自分の本心を吐露した。


 夏目さんには見えていないけれど、それでも笑顔で彼を見送りたいと思った。その気持ちに嘘はない。でもそれ以上に、――彼の重荷にはなりたくはなかった。


 本当は『愛してる』とか『私のことを忘れないで』とか言いたいことは溢れてきたけれど、それらを胸にそっとしまって


「それでは、また明日も会いに来ますね」


 私は――優しい嘘を吐いた。


「ええ、また明日」


 そう言って笑う彼の顔を私は直視できなかった。相手の顔を見れなくなるなんて、きっとメデューサとしては落第もいいところだけれど、それでも私はもう彼の顔を直視することができなかった。


 本当は申し訳なさとか、これまで騙していた罪悪感が湧いてこなければいけないはずなのに、それにもかかわらず胸の内に溢れてくるのは――ただただ夏目さんへの愛おしさだけだった。


 ――ああ、やっぱり私この人に恋してる。


 もう二度と会うことはできないのにそんな気持ちが溢れてしまった。


「それでは……また」


 私は彼にそう告げると、できる精いっぱいの笑みを浮かべながら、夜の病院をあとにした。ひょっとしたら、少し涙声になっていたかもしれない、言葉も不自然だったかもしれない。でも、今の自分にはそれが精いっぱいだった。


 足早に立ち去って彼の姿が見えなくなると、私の両目から涙がこぼれ落ちた。止まらなかった。


「ひどい、私って本当に醜くてひどい存在」


 ぽつり。その言葉は誰にも聞かれることはなく、闇夜に溶けていく――はずだった。




「ああ、本当にアンタは醜い存在だよ」




「――え?」


 背後から声が聞こえたかと思うと、振り返る寸前、強い痛みが背中を襲った。


「――!?」


 背中を巨大な刃物で切られたのだと気が付いたのはその一瞬後だった。強い痛みに耐えられず、私は崩れ落ちるように地面に突っ伏した。


「おいおい、頼むからこっちを振り返らないでくれよ。石にはされたくねぇんだよ」


 背後からゆっくりと足音が近づいてくる。


「……なん、で?」


 もはや体を動かすことすらできない私はかすれる声で尋ねる。まあ理由など想像はついているけれど。


「何で? おいおい、勘弁してくれよ。アンタ、メデューサのくせに何言ってんだ? アンタら『この世ならざるもの』は俺たち人間とは相容れない存在だぜ? だから、人間にとって危険で危険で仕方がないメデューサを俺たちハンターが退治してやろうってわけさ。それにメデューサみたいな希少な存在は懸賞金が高くつくからな。正義の味方ついでにちょっぴり稼がせてもらおうってわけよ!」


 一瞬、気持ちの悪い笑みを浮かべた男がこちらに近づいてくるのが見えた。


 ――ああ、こんな悪意に満ちた笑みとともに死んでいくのか。


 そう思うと少し残念な気がしたけれど、しかし私のような半端な存在にはどこかふさわしい最後だとも思った。


 思い返せば、孤独な人生だった。


 メデューサに生まれてしまった以上、誰かと心を通わせるなど、あってはならないし、何よりもそんな身の丈に合わないことを望んではいけない。そんなことは誰に言われるまでもなくもちろん分かっていたはずなのだけど、それでも一人で孤独に過ごすにはこの人生は長すぎた。

 メデューサの寿命など人間のそれと大差ないものだけれど、それでも一人でただ生き続けるだけの人生は普通の人生に比べて何倍もゆっくりと時間が流れていった。


 いや、むしろ『ただ生き続けるだけ』ならよかった。そんな風にゆっくりと流れる時間の中で、私は何人もの人たちを石に変え続けてしまった。もちろん、故意に石にしてしまった相手など存在しないけれど、それでもこの体に流れる血は私が誰かと触れ合うことを許さなかった。


 ――ああ、本当に孤独な人生だったな。


 死に際になると走馬燈が流れるというけれど、そんなものはなかった。――ただ、あの人の笑顔だけが、彼の優しさだけが思い出されていた。

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