第17話 メデューサの恋8
008
「石井さんって呼ばれているんですか?」
夏目と別れて病院から立ち去ろうとするメデューサに僕は後ろからそっと声をかける。
「……男女の逢瀬を盗み見るなんてあまりいい趣味とは言えませんよ?」
メデューサはため息を吐きながら振り返る。
「あれ、僕がいたことに気づいていたんですか?」
なんだ、せっかく橘からストーキングスキルを習得したのに。
「それで? この町の管理者であるあなたがわざわざ私なんかを付け回してどういうつもりなんですか?」
「いやそれに関してはすいません。立場上、あなたみたいな強い力を持った存在には一応注意を払わなければいけないものですから」
「こんなことばかりしていたらいつか訴えられますよ?」
「はは、それ恋人にも以前言われましたよ」
まあ返す返すも、やはりこれに関しては『お前が言うな』というところなのだけれど。
僕はおそらく今も勝手に僕の家に侵入しているであろう自分の恋人のことを思い出しながらどこかげんなりしていた。
「管理者さんも大変ですね……」
まったくだ。
しかし、それを言うメデューサの表情に同情の色はなく、むしろ僕たちを羨ましく思うような、そんな感情さえ伺えた。
「――それで、あの夏目という人が昨日言っていた『会いたい人』なんですか?」
僕は単刀直入に切り込む。
メデューサは少し驚いたような顔をしたけれど、
「……はい」
と、力強く答えた。
昨日も感じたことだけれど、メガネのレンズ越しに見えるメデューサの決意を持った瞳はやはり、とても綺麗だと思った。
「その……彼は――」
どう言ったものかと僕が迷っていると
「夏目さんと出会ったのは本当に偶然だったんです」
メデューサはぽつり、と吐き出すようにゆっくりと自分の想い人について語り出した。
「誰かと語り合えないことに、誰とも心を通わすことができないことに、私は疲れていたんです。恥ずかしい話ですけど」
「…………」
恥ずかしいものか。
僕はメデューサのその言葉にただ頷くことしかできなかった。だって、それは僕や橘もかつて抱いていた感情だったから。
「このメガネをつけていれば、一応他人の目を見ることはできます。でも、それは絶対じゃない。いつ相手を石にしてしまうかもしれない状況で、それでも人と関わろうと思えるほど、私は強い存在ではありませんでした」
「人を石にしてしまうことから目をそらすことがあなたの思う『強さ』なんですか?」
つい僕は聞き返してしまう。
「……そうですね。人間からすればおかしなことだとは思います。でも、私はメデューサです。メデューサが相手を石にしまうことに罪悪感を抱くなんて、それこそおかしな話です。だって、それは自分の存在の否定してしまうことですから」
「存在の、否定?」
「ええ、そうです。確かに私たちメデューサは希少な存在ですが、それでも私以外にもメデューサはいます。実際に私も自分以外のメデューサに会ったことはありますしね。でも、メデューサでありながら相手の目を見ることを恐れているのは……私だけでした」
「…………」
「みんな自分の存在に疑問なんて抱くことはありません。相手が自分の目を見てしまえば石になってしまうのなら、普通は『ああそういうものなんだな』って受け入れてしまえばいいんです。だって、どんなに悩んだところでそれは変えられない事実なんですから」
『だから、私は弱いんです』と、メデューサはまるで泣き虫な少女のように悲しそうな笑みを浮かべた。
やはりこのメデューサは僕と同じなのだ。僕は確信に近いものを感じた。
より正確に言うならば、これは橘と出会う前の僕だ。『この世ならざるもの』たちを殺し続けて、心が疲れ切っていた頃の僕とこのときのメデューサはまるで同じだった。
「夏目さんに会ったのは半年ほど前でした」
ぽつり、メデューサは夏目という名前を口にすると、先ほどまでの悲しげな表情が嘘であるかのように嬉しそうな笑顔に変わった。
「夏目さんは感染症の病気を患ってしまって、数年前から突然目が見えなくなっていました。でも、そんなことを少しも感じさせないくらい明るいあの人を見ていると私も強く成れたような気がして……。気が付くとどんどん惹かれていったんです」
ああ、やはりそうだ。橘鳴という人間が僕という存在を肯定してくれたように、今のメデューサはきっと夏目の存在に支えられているのだ。
それを知って僕は少しホッとした。だって、一人で生きていくにはあまりにこの人生は寂しすぎるということを僕は身をもって知っているから。しかし――
「夏目さんは……もうすぐ手術を受けるんです」
またメデューサの声に悲しさの色が混じる。
「手術?」
「ええ、もうすぐあの人は目が見えるようになるんです。だから――私はもうすぐあの人の前からいなくなるつもりです。夏目さんを……大切なあの人を石にしてしまうわけにはいきませんからね」
そう言ってメデューサは悲しそうにほほ笑む。
「……あなたは、それでいいんですか?」
つい僕は聞き返してしまった。聞いたところできっと僕にはどうしようもないことなのだけれど、それでも聞き返さずにはいられなかった。だって、そんなのあまりにも悲しすぎるから。
「いいんです」
しかし、メデューサ自身はもうすでに覚悟を決めているようで、
「あの人が手術を受ける前にこの町から立ち去ります。だから――それまでは見逃してください」
と、そう僕に告げたのだった。
◇◇◇◇◇
「お帰りなさい。早かったですね?」
当たり前のように僕の自宅で帰りを待ってくれていた橘の存在にツッコミを入れることもなく、帰宅早々僕は橘に抱きついた。
「え、え!? 吸血鬼さんってば、いきなりそんな大胆なことを!?」
言うまでもなく、すぐに僕の体は消えてしまったけれど、そんなこと今はどうだってよかった。僕は無性にこの頭のおかしな恋人に抱きついて愛を叫びたいと思ったのだ。
「……橘」
体が再生するとすぐに、僕は恋人の名前を呼ぶ。
「どうしたんですか? 吸血鬼さん?」
橘は笑顔で聞き返す。
「ずっと一緒にいてほしい」
「それって!? も、もしかしてプロポーズですか!?」
「いや、違う」
少し冷静さを取り戻して橘を冷たく突っ放したけれど、それでもこんな風に自分にとって大切な人がいつも近くにいてくれることを心からありがたいと――なぜか急にそんなことを思ってしまった。
僕はまるで石にされてしまったように――いや、むしろ石にされてしまった方がまだましであったくらい、心に重い何かが乗っかってくるような、そんな不思議な感覚を覚えた。そんな――何かを考えさせられた夜だった。
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