第12話 メデューサの恋3
003
メデューサ。
世間では恐ろしい存在として知られるそれは、起源をたどればかつては神話にも登場しており、あの海の神ポセイドンの愛人であったといわれている。
その後は徐々に一般化していき、吸血鬼や狼男などと同様に現代に生きる『この世ならざるもの』の一種として存在しているわけだけれど、なるほど確かによくよく観察してみると、目の前に立っているメデューサはとても美しい容姿をしていた。どこか幼さを残す橘の美しさとは対照的に大人びたクールな印象を受ける彼女の美しさは、髪が蛇となり禍々しいオーラを放ちながらも到底失われるものではなかった。
とはいえ、神話にも登場するほどの歴史的な背景を持つメデューサは吸血鬼ほどではないにせよ、『この世ならざるもの』の序列の中でもかなり上位にランクインするほどの強さを持った存在である。
ゆえに、僕たちもかなり緊張感をもって対峙しなければいけない相手なのだが……
「あ、あの……こんなことになってしまって本当にすいません。私見ての通りメデューサなんですけど……あ、すいません。『見ての通り』なんて石になってしまった人に対して不謹慎でしたよね。本当にすいません」
……当のメデューサはこの通りだ。
「ねぇ、吸血鬼さん? 本当にメデューサって怖い存在なの?」
呆れたようにそう尋ねた橘だったけれど、残念ながら今の僕には文字通り返す言葉がない。橘の声は夜の公園に溶けていくばかりだ。
はぁ、まったく何でこんなことになったのか……。
◇◇◇◇◇
夜の公園。僕たちはいつものように特に予定を合わせるわけでもなく、この公園で落ち合った。
『落ち合った』と言うと、まるでそれまでは別々に行動していたように聞こえるかもしれないけれど、最近の僕たちは常に一緒に行動している。大学が終わって僕が部屋に帰ると、最近はなぜか当たり前のように橘が居座っているのだ。
「おかえりなさい」
いつも橘は僕の帰りを笑顔で出迎えてくれる。家に帰った時に自分を待ってくれる人がいることは嬉しいものだと人は言うけれど、しかし僕の場合はそれがサイコパスな彼女であるのだからやはり人生は上手くいかない。
……そもそも合鍵を渡した記憶はないのだけれど、一体彼女はどうやっていつも部屋に侵入しているのか。
とはいえ、そんな非日常も最近では平常運転と化した僕たちは、いつものように夜になれば自然とこの公園に足を運ぶ。冷静に考えれば、とある事情でこの公園の管理を任されている僕は仕方がないとしても、別に橘までわざわざついてくる必要はないのだけれど、そこはいつも一緒に居たいという彼女なりの可愛い恋心なのだろう。
「いえいえ、吸血鬼さんが夜中に一人で歩いているうちに誰か素敵な女性と出会ってワンナイトされてはたまりませんからね。すっと見張ってますよ。吸血鬼さんに捨てられたら困りますし、そうなったらきっと私死にますよ」
……どうやら可愛い恋心などではなく、僕に対する不信感から橘は毎晩僕に同行してくれているらしい。しかもなにやら物騒な死の宣告のおまけ付きだ。
「まったく、そんなわけないだろ。自分で言うのもどうかと思うけれど、僕ほど誠実な男もそうはいないんだぞ?」
「………………………………………………………………………………………本当ですか?」
愛する彼女を心配させまいとして言った僕の言葉に対して橘は見るからに疑いの眼差しでこちらを見ていた。
「……残念ながら童貞にそこまでの積極性はないよ」
我ながら情けない告白だった。
「それもそうですね。確かに童貞で、草食系で、コミュ障で、人見知りで、おまけに童貞である吸血鬼さんにはいらぬ心配だったかもしれませんね」
とはいえ幸か不幸か、橘の不安を拭い去るという当初の目的自体は達成できたようで、彼氏としては大変嬉しい限りだった。……なのになぜだろう。涙が出てきた。
「しかし、もちろん一途な童貞である吸血鬼さんが自ら見知らぬ女性に手を出すことはないでしょうけれど、それでも油断なりません。何だかんだ言いながら結局吸血鬼さんはラノベ主人公ですからね。主人公補正でいつ空から可愛い女の子が降ってきてもおかしくありません。油断大敵です」
残念ながら僕の場合、万が一空から女の子が降って来ようものなら、その場で飛行石を粉々にした後に空へ女の子を突き飛ばして、そのまま『君をのせて』を熱唱しかねない恋人がいるせいで、おそらくそんなボーイミーツガール的な展開は起こることはないということはわかった。どうしよう、これではいつまで経っても親方の出番がやってこない。
「私的にはム〇カ大佐の敗因は三十秒で準備できるパ〇ーに三分間も時間を与えたことだと思うんですよ」
「本当にびっくりするくらい君的な話だな」
と、僕たちがいつものようにそんな風に他愛のないやり取りをしていると、
―ガサガサ。
誰かが草むらを歩く音がした。
ふと音のした方を向くと、見知らぬ女性と思わしき人物がこちらに歩いてくるのが見えた。『思わしき』というのは、月明かりでできた影の部分でその女性の顔までは見えなかったからだ。
「あの……すいません、このあたりの人ですか?」
その女性は恐る恐るといった感じで僕たちに向かって話しかける。
「すいません。ちょっと道に迷ってしまったみたいで……あ!?」
すると次の瞬間、その女性は何もないところで躓いて転んでしまった。その上、転んだ時の反動でかけていたメガネが僕の足元に落ちてしまう。
「…………」
「…………」
僕は一瞬警戒したものの、足元に転がった眼鏡を拾ってその女性の元へ近づいた。
「大丈夫ですか? ほら眼鏡落としましたよ」
そう言って転がったその女性に腰を落として眼鏡を渡す。
「ありがとうございます。……あ!?」
女性は僕の顔を見た途端、少し慌てたような『しまった!?』というような声を出した。そして僕はその女性と目を合わせた瞬間、――気が付くと体が石になっていた。
……あれ? このパターン少し前にもあったような気がするぞ?
そんなことをどこか他人事のようにぼんやりと考えながらも、もうすでに石と化してしまった僕には言葉にすることができなかった。
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