第10話 メデューサの恋1

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 いとも容易く『この人はきっと運命の人だ』と信じることができる強さが欲しい。


 僕は橘鳴と恋人になって以来、常にこんな情けないことを考えている。


 我ながら女々しい考えだということは重々承知しているけれど、しかし僕はどうしても思わずにはいられない。


 きっと『運命の相手だ』とか『自分にはこの人しかいない』なんてことを声高に言えてしまうような関係なんて、結局のところ他にも選択肢のある人間だから言えるのだと、少なくともこれまで僕はそんな風に考えていた。


 だってそうだろう? 究極的に言ってしまえば、かけがえのない人なんてきっと存在しない。社会的な要素やくだらないしがらみさえ捨ててしまえば、人間関係なんてものはすごく自由だ。だから、『いつでもこの人以外に乗り換えることができる』と、そういった選択の自由があるからこそ、きっと思う存分一人の相手に対して好意を向けることができるのだろう。


 ――もし本当にこの人しかいないという人間に出会ったとき、きっと人は臆病になる。

 まさに今の僕がそうではないか。


 僕はもうすでに自分自身の少なくない部分を橘鳴という女性に依存している。そしておそらくそれは彼女にとっても同じことで、一度誰かが傍で支えてくれる温かさを知ってしまった僕たちはきっともう元のように一人きりの人生には耐えられない。不死身の吸血鬼が死にたくなってしまうなんてそんな悲惨な結末は願い下げだ。


 閑話休題。

 話をまとめると、世間でいうところの運命の人なんてものはきっとまやかしでしかなく、もちろん相思相愛なわけもなく、ただ単に自分のことを好きになってくれる人のことを好きになって運命だのなんだのほざいているだけだということを僕は声を大にして主張したい。


 本当に大切なわけではないからこそ、強く愛し合える。本当に大切なわけではないからこそ、相手が壊れてしまうことなどお構いなしに強く抱きしめることができるのだ。……まあ残念ながら僕に関して言うならば、強さに関わらず、抱きしめた先に待っているのは『死』だけなのだけれど。


 と、そんな風に僕は世の中の恋愛観に対してひねくれた態度をとっていたわけだけれど、しかしこの頃の僕に一つだけ失念していることがあった。


『運命の人とは出会った瞬間から決定づけられているものである』と、ひょっとして僕はそんな固定概念に囚われてはいなかったか?


 なるほど考えてみれば確かに、運命の人とは読んで字のごとく運命に決定づけられた赤い運命の糸で結ばれている相手であるなんて、そんな浅はかな妄執に恥ずかしながら僕も囚われていた。


 そんなわけないじゃないか。


 たまたま出会った人に、運命なんてよくわからない不確かなものに自分の感情を託すなんて馬鹿げている。


 運命の人かどうかなんて、出会っただけでは分からない。本当に運命の人かどうかは、きっと時間をかけてお互いのことを知り、それでもずっと一緒に居たいと思った相手――それこそが運命の相手なのだと、そんな至極当たり前の結論に少なくともこの頃の僕は思い至らなかった。


 好きになるきっかけなど些細な問題で、それはきっと、偶然相手が自分のことを好きだと言ってくれたからだとか、顔が好みだとか、話し相手がその人しかいなかったからとか、別に何でも構わない。


 運命の人なんて出会った瞬間にはわからない。――けれど、お互いに育む時間の積み重ねこそがいつか相手を運命の人にするのだ。


 思えばそんな当たり前のことに気が付くまでに僕はずいぶんと遠回りをしてしまった。そして僕は運命とは何かと、そんな答えが出るはずもないようなことを考えるたびにいつも思い出す。


 ――あのメデューサの恋を。

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