第3話 死を呼ぶ少女3

003


「吸血鬼さんって学習能力がないんですか?」


 目を覚ますと、橘がブランコを漕いでいた。


 どうでもいいけれど、彼女は今スカートをはいていて、なんというかその……見えそうで見えないなんともギリギリの感覚を覚えた僕は一瞬で目を覚ました。文字通り『覚え』て『覚ま』した。


「吸血鬼さんって正直な人ですね。少しは下心を隠すとかしないんですか?」


 橘は呆れるでもなく、かといって僕からスカートの中身を隠すわけでもなく、変わらずブランコを勢いよく漕いでいた。


 さながらそれは死をも恐れない武将のごとく、『羞恥なんてものは自分に自信がないものたちの戯言だ』とでも言わんばかりに堂々とした姿だった。そして、うまく言えないけれど、まるでエロスを感じない彼女のその姿に何となく僕も冷めてしまった。


「隣、いい?」


 僕は橘に尋ねる。


「お好きにどうぞ」


 彼女は興味なさそうに答える。


 僕は橘の隣のブランコに座ると、同じように漕ぎ始めた。


 ちらりと隣でブランコを漕ぐ橘を横目で見る。僕をあっという間に消滅させた彼女の能力は無機物であるブランコには適応されないらしい。まあそれ以前に、どういう仕組みなのかはわからないけれど触れた時点で相手の命を奪うような人間がブランコを全力で漕いでいるのはなかなかの殺人兵器であるはずだし、何より隣でブランコを漕いでいる橘が不意に手を伸ばすと簡単に僕を殺すことができる今の状況はなかなかに緊張感のあるものだった。


 それこそ、さっきまで戦っていた狼男なんて話にならないくらい危険な状況であることは間違いなかった。


「実は今すごく感動しているんです」


 突然橘が語り出す。


「どうして?」


「だって、こんな風に誰かと隣り合ってブランコに乗れるなんて思いませんでしたから」


「それは……よかったね」


「ええ、本当によかった」


 そうやってしばらく僕たちは他愛のない会話を繰り返した。


「橘はさ、どうして人の命を奪うの?」


「別に奪っていませんよ。皆が勝手に私に触れてくるだけ」


「橘に触れた人間は皆死んでしまうの?」


「別に人間だけじゃありませんよ? 現に吸血鬼さんも『そうだった』でしょう?」


 ……それもそうだ。すっかり失念していたけれど、今の僕は人間ではないのだ。まったく、いつまで人間気分でいるつもりなのかと我ながら呆れてしまう。


「じゃあ何で橘に触れたら死んでしまうの?」


 僕は誤魔化すように橘との会話を続けた。


「私にもわからないんです。昔からずっとそうだったから。もうよく覚えていないのだけれど、小さい頃に綺麗な女の人に出会って、それ以来、ずっとこんな感じなの」


 橘は俯きがちにそう答える。


「そうなんだ。僕と少し似てるね」


「え? 吸血鬼さんと?」


「うん。と言っても僕が吸血鬼になったのはつい最近なんだけどね」


「そうなんですか?」


「まだ半年くらいかな。一年はまだ経ってないくらい」


「そう……。吸血鬼さんも大変なんですね」


「橘ほどじゃないよ。僕の場合は吸血鬼になるといっても夜の間だけだしね」


「そうなんですか!? じゃあそれも一緒ですね!!」


「一緒?」


「私もこの体質になるのは夜だけなんです」


「へー、奇遇だね」


 その後も僕たちは他愛のない話を繰り返した。

 今日見た猫の話、美味しかった缶コーヒーの話、いろんな話をした。


 でも、僕たちは他愛のない話をするだけで、決定的なところには踏み込まなかった。それはまるで、お互いがお互いを失うことを恐れているかのようだった。。


「ふふ、嬉しいです。こんなに人と話したのは久しぶり」


 そう言って笑う橘を見て、つい僕はドキリとしてしまう。これだから美人はずるい。


「僕も、吸血鬼とこんなに話してくれる人は初めてだよ」


 とはいえ、こんな風に会話ができて僕も嬉しかったのは事実だった。なんなら、橘以上に僕の方が感動していたかもしれない。吸血鬼になって、完全無欠な存在となった僕がこうやって殺すこともできず、ただただ世間話をすることしかできない相手など、これまでいなかったのだから。




 ――死なない僕と命を奪ってしまう彼女。




 僕たちはきっと、この短い間で、お互いのことを認め合い、でも上手く言葉にできない歪な関係になってしまったのだろう。


 ――ズズッ!


 横の橘がブランコを止めて、


「ねぇ、明日も来ていいですか?」


 と、振り向きざまに僕に問かける。


「お好きにどうぞ」


「ふふ、ありがとうございます」


 そう言って橘は嬉しそうにブランコから降りると、


「じゃあまた明日!」


 と言って、走って帰っていった。


「……また明日、か」


 長い時間僕と橘は話していたはずだったけれど、結局僕は彼女のことを何一つ知ることができないままだった。


「まあ……いいか」


 そう、橘の言葉を信じるなら、彼女は明日もここにやってくるのだ。ならば焦る必要はない。


 必要なことや重要なことはその都度長い時間をかけて尋ねていけばいい。きっと信頼を築くとはそういうものなのだろうし、むしろ今日みたいに、たかだか数時間の会話で生まれる信頼関係などいかにも嘘くさい。まあもちろん嘘くさいものが決して悪いわけではないけれど、それでもきっと僕は橘と仲良くなってみたいと、珍しくそんなことを思った。


「はぁ、どうか今日はこの後に何も起きませんように」


 何故だろう。どうか今はこの気持ちのまま朝を迎えたい。


 きっと明日も早起きすることはできないし、いつものように朝が来たことに対して呪詛の言葉を吐いて恨むのだろうけれど、それでもこんな風にどこか穏やかな気持ちで夜を明かす権利くらいは僕にだって――吸血鬼にだってあるはずだ。


 そんな風にもの思いにふけながらブランコを漕ぎ続ける僕を空から満月が見下ろしていた。

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