第二皇女:リン・リンロン。
「まったく。姉上にモ困ったものダ」
リン・リンロンはロンシャンの自室に入るなりベッドにその身を預け、呟く。
彼女は、我が身を襲いに来た総勢二十五名もの暗殺者が姉の命を受けている事などとうに気付いていた。
「あの程度デ始末出来るト思ったノカ? 愚かにモ、程がアル」
布団に顔を埋め、少し言葉が不自由そうに喋る彼女だったが、これはただの癖であり、普通に喋る事が出来る。
それをしようとしないのはせめてもの姉への気遣いだった。
幼い頃リンロンは無口でほぼ口を開く事は無かったのだが、シャオランはそれを知的な障害か、あるいは自閉症の類だと勘違いしたらしく、必死に言葉を教え、コミュニケーションをとろうとした。
リンロンはそんな姉の苦労に応える為に、少しばかり不自然な発音で喋るようになる。
思えば、リンロンにとってその時が唯一、記憶にある姉の笑顔だった。
彼女は姉の事を特別に感じている。自ら動くことを面倒だと感じ、殻に閉じこもっていた自分をどのような方法であれ開放したのは姉のシャオランだ。
好かれようとは思わないが、シャオランのひたむきさは尊敬していた。
歳を重ねるうち、リンロンはあらゆる才において姉を凌駕し、それと比例するかのように姉は彼女を嫌い始める。
表向きはいい姉を装っているが、リンロンには内側から漏れ出す殺意が手に取るように理解できた。
彼女はそれすらも特に気にしてはいない。
なぜなら、自分が王位を継ぐつもりはなかったからだ。勿論誰かと婚姻関係を結び、その相手を王に、などというのは以ての外である。
リンロンは、所謂戦闘狂であり、矢面に立って戦う事こそが生きがいだった。
ややこしく面倒な政は姉に押し付け、自分は兵を率いてユーフォリアを、全世界を血の海に染め上げる。
それこそが唯一無二の目的である。
父である王や、姉には秘密にしているが、リンロンは王都に潜伏しようとして不思議な力によりはじき出されている。
侵入しても、すぐさま王都の外へ放り出される。
試しに矢を放ったが見えない障壁に防がれた。
リンロンは、原理こそ分からぬままだが悪意に反応しているのだと即座に見抜き、感情を殺して王都内、そして、王城にまで侵入した。
生まれた頃から感情をコントロールする術を修練した彼女にとってそれくらいの事は朝食をテーブルごとひっくり返す程度には容易い。
闇に紛れ、ただ無心で王の元へ。
やがて、恐ろしくあっさりとその時が訪れた。
「……何者か。私がディレクシア王と知っての狼藉か?」
「愚問ダナ」
「はっはっは! 確かに。こんな夜更けに気配を殺して私の所へ来るなどそれ以外にあるまい。して、絶対防御はどのように打ち破った?」
王の話により、謎の現象の正体は絶対防御という能力を持った神の遺産……アーティファクトによるものだったと知り、リンロンはアーティファクトの有用性と恐ろしさについて知る事になる。
「して、その狼藉者が私に何の用かね。まさかこの老いぼれにそなたのようなお嬢ちゃんが夜這いしに来たわけでもあるまいよ」
「そのまさかネ」
「えっ、本当に?」
「嘘ネ」
夜に襲いに来た、という意味では間違ってはいないのかもしれないが、リンロンは彼の言った「お嬢ちゃん」という言葉に苛ついて嫌がらせをしただけに過ぎない。
「一国の王トモあろう者ガなんて顔してるネ」
「君のような冗談をいう娘は嫌いだよ。……さて、冗談はこれくらいにして本題に入ってもらおうか」
先程までの茶化すような態度から一変して、まるで殺人鬼が放つような殺気をリンロンは感じ取っていた。
しかし本当の殺人鬼というのは彼女のような人種であり、王の殺気はリンロンを喜ばせるだけだ。
「この国ハもうじき滅ブ」
「まさか君が滅ぼすとでも?」
「そのまさかネ」
「……今度は笑えないな」
王が彼女には見えない角度で武器を手にした事は彼女には分かっていたし、王が本気で自分を殺そうとしている事も理解していた。
「それだけノ殺気なのに絶対防御とやらハ反応しないノカ?」
「この国に害を成すものを弾く物だからな。しかし君は……どうやら無心で人を殺せる類の人間のようだ。この国に滞在させる訳にはいかないな」
そこまで説明されればあとはリンロンの思い通りだった。
彼女は、絶対防御すらも利用したのだ。
「近くコノ国ハ滅ぶ。私と、私の国ガ滅ぼす」
「それはロンシャンからの宣戦布告と受け取っていいのかな?」
王もまた、彼女がロンシャンからの刺客だと察していた。無論その地位までは見極められるものではなかったが。
「私の名前はリン・リンロン。我がロンシャン帝国の第二皇女である。いくばくかの後この国は戦火に包まれるだろう。心せよ。そして私、リン・リンロンの名を忘れるな。地獄でいつまでも思い出し悔しがるといい」
急に流暢に喋りだした少女に王は驚くが、それ以上に皇女がこんな所まで出向き宣戦布告をするという異常性、彼女自身の常軌を逸した精神に対しての警戒心のほうが勝った。
「こんな所まで出向いて無事に帰れるとでも……思っているのか!」
先手必勝、王は椅子の背もたれ内部に隠してあった少し短めの剣を取りリンロンに切りかかるが、彼女は避けようとしない。
疑問に感じながらも王は彼女をここで始末しなければいけないと強く感じた。
「忘れるな! 必ず貴様とこの国を地獄へ落としてやる!」
彼女はそう言い残し、王の振るう剣は空を切る。
「絶対防御をこのように使うとはな……リン・リンロン。その名、しかと覚えたぞ……!」
彼女は王の剣を正面から見据え、あと僅かでその白い眉間に刃が振り下ろされるというまさにその瞬間、抑えていた殺意を爆発させた。
これで、皇女自ら宣戦布告をし、無事に逃げおおせるという結果が残る。
王都外まで飛ばされたリンロンは、わずかに生き残っている自分の配下たちと共に大陸北を目指し、深夜に目立たぬよう船を出して数日、ロンシャンへと帰還した。
本来彼女のすべき事は敵情視察のみであるし、ロンシャンが攻め込むつもりである事を悟られてはいけない。
それでもリンロンがあえてあんな事をしたのは理由がある。
ただ奇襲をかけるのではなく、正面切ってぶつかり、そして血祭りにあげるのが彼女の趣味だからだ。
おそらく他の誰が偵察に出たとしてもそれだけで終わるのは目に見えていたため、彼女は強く父へ進言、立候補し、自らがユーフォリアへ赴いた。
見事自身の目論見を達成させたのである。
姉や父に知れたらただでは済まないだろう。
だとしても、彼女はこうせざるを得なかった。
ロンシャンがここの所得体のしれない力を手に入れている事、したたかな姉が何かを企んでいる事も加味した上で、できる限り対等な戦場を作り上げたかった。
そして、その中で、最前線で大暴れしたかった。
「くひひ……これデ準備は整ったネ。ディレクシア王がどんな対策を立ててくるのか見ものヨ」
逆境になる事は構わない。
苦境に立たされるのも構わない。
彼女は今までそういう壁をすべて実力行使でぶち壊して生きてきた。
自分がこうなったのは姉のおかげである。
抑える事を諦めさせてくれた姉には例として飾りの王位を進呈しよう。
リンロンは、姉が自分を殺そうとしている事すらも含めて、戦乱や混乱を愛していた。
「平和など糞の役にも立たないネ」
近く訪れるであろうその日を夢見て彼女は眠る。
しかしそれよりも早く、裁きの日が訪れた。
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