雛結び

 お雛様の隣って何でお内裏様何だろう。お雛様の隣にお雛様が居たって、別に問題無いだろうに。

少なくとも私は、私の隣にお内裏様なんていらない。世界で唯一人、私の心の大半を占める、あの子さえ隣に居ればそれで良い。

それをもしあの子に言ったなら、あの子はどんな顔をするだろう。


 それなりに寒く、他の月に比べて短い、今月の終わりの日の今日。

窓の外は灰色の空が広がり、朝から白い塊が降りしきる。視線を下げれば、この地域にしては珍しく、良く積もっている。

「夜美、今日お雛様出す?」

私は毎年の習慣の事を頭に新たに浮かべつつ、隣の席に座る幼馴染に声をかけた。

「うん、いつも通りに今日出すよー。それよりも今日は四年ぶりのあの日だよー何の日だったか、彩月ちゃんはちゃんと覚えてる?」

 とても嬉しそうな笑顔で、夜美は帰り支度する手を止めてこちらを振り返る。

夜美の特徴の、ふわふわにウェーブの掛かった、肩までのセミロングが同じく嬉しそうに跳ねる。今日の夜美も夜美の髪も、とても機嫌が良い。

「閏日」

 私は反射的に微笑み返してしまうのを堪えつつ、その上機嫌な気持ちに水を指す為に、敢えて一般常識に則った模範解答を返す。いつもの私達らしいやり取りだ。

「むーいや、そう言う一般的な回答を求めているんじゃなくてー」

 夜美は困ったような、私を非難するような表情と視線に変わる。夜美の、私好みの表情をいつも通りに見ることが出来て、私はとても満足だ。

いつも笑顔を絶やさない夜美なだけに、この顔だけは、私以外は滅多に見ることが出来ない。

「解ってるよ。四年に一度、今年で夜美は四歳、四度目の大切な正式な誕生日だ」

 夜美の表情を堪能してから、私は夜美の求めている答えを返す。

「そうそう、ちゃんとしたのはいつも通りにお雛様の日にやるけど今日は久々に二人きりでお祝いだねー」

 夜美が嬉しそうに言葉を返してくる。夜美の場合は、一度がっかりさせてからの笑顔の方が、より魅力的な事を知っているのは、私だけだ。

 夜美の誕生日は今日なので、例年はひな祭りに合わせて、家族ぐるみでお祝いしている。

忙しい夜美のお母さんが、せめて夜美の誕生日は全員揃って祝いたいと、色々模索しながら考えだした、苦肉の策とも言える。

それはうるう年である今年も変わらない。もちろん、朝から家族に祝福されてはいるし、今日もそれなりにお祝いはしているのではあろうけれど、それとは別に四年に一度、私達は二人だけでお祝いをする。

それは二回前、年月を八年遡る今日。二人でお雛様の前で、決めた約束だ。

「今日もねえ、お母さん帰り遅いんだよねー」

 夜美は残念そうに言う、でも悲壮感はない。仕方ないなあ、そんな感じの態度だ。

夜美の、両親への深い愛情と信頼。加えて自分的には、私と二人でお祝いすることへの喜びも入っているかなと、勝手に感じる。

「じゃあ、お雛様も私達だけで飾ろうか。晩ご飯はどうする?家で食べる?」

 そう言いながら、私は鞄を持って帰る姿勢になる。

「そうだなあーその時次第で。彩月ちゃんのお母さんのご飯も好きだけど、今日は彩月ちゃんに私の御飯食べてもらいたい気もするし」

 夜美は難しい所だと言わんばかりに悩み顔だ。

「あ、陽子ちゃん。また明日ー」

 夜美が教室を出ていくクラスメイトに手を振りながら声をかける。

「さようなら夜美さん、また明日。彩月さんも、またね」

 夜美の声に反応して振り返る陽子さんの、ストレートな長い髪が、さらさらと風に踊った。

「またね、陽子さん」

陽子さんを見る夜美の視線に、少なくない憧れが含まれているのを知っているのは私だけ。

「陽子ちゃんの髪、キレイだよねー。いつ見ても素敵。何と言っても…」

 黒髪和風美人、数学の成績は学年トップ、運動全般球技含めて大得意。夜美が憧れるには申し分ない素敵な人。それが、月島陽子さん。

「そうだね、私達もそろそろ行こう」

 夜美の言葉を遮って、私は夜美を置いていくように歩き出す。

「あ、待ってよー。あ、帰りにケーキ買っていこうねー。プレゼント楽しみー」

 屈託ない笑顔を浮かべているであろう弾んだ声を、後ろに聞きながら、私は教室を出た。

廊下側の窓から見える外の風景もまた、灰色の空と降り積もった一面の白。白い塊は灰色の空の気まぐれのまま、おさまっているようだ。


 クロス歩道橋を通り、21号棟について、3階まで上がる。夜美と二人で歩く、いつもの道のり。

二つ横に並んだ青いドアの上。右は龍上と書かれた我が家。左は中原と書かれた、もう一つの我が家だ。夜美が左のドアを開ける。

「ただいまー」

 夜美の元気の良い声が、室内に響いた。

「ただいま」

 その後ろに付き従いながら、私も夜美と同じ言葉を繰り返した。


 炬燵に入りながら、夜美と二人で飾り終えた、私の右斜め前、夜美の席の真後ろのお雛様を眺める。夜美のお雛様は七段飾りでもの凄く立派だ。

「彩月ちゃんは紅茶が良いかな?それともコーヒーが良い?」

 台所の方から、夜美の声が聞こえる。夜美の高い声は、静かな室内に良く響く。

「紅茶でお願い」

 私の声はそれほど高くないので、夜美の高い声は羨ましくもある。夜美の外見に合う、軽やかな声だといつも思う。

「私はコーヒー。あ、甘酒もあるよ。一緒に持っていくね」

 暫くすると、制服の上からひよこのあしらわれた見慣れたエプロンをした夜美が、珈琲と紅茶、甘酒と、帰りに買ってきたケーキをそれぞれお皿にのせて、お盆で持ってきてくれた。

「夜美は甘いもの好きな割にはコーヒーはブラックで飲めるよね。私には無理」

 いつも通り、お盆には私の分の砂糖とミルクしかのっていなかった。

「えーそう?ケーキは甘いから飲み物は甘くなくても平気なんだよねー変かな?」

 持ってきたものを炬燵の上に置き換えながら、夜美が上目遣いで聞いてくる。こういう仕草は夜美に良く似合う。

「いや、それもまた夜美らしさかなと思うし、良いと思うよ」

 ブラックを飲んで苦そうにしている夜美は既に、私の中では想像もつかない。

「えへへ、ありがと」

 夜美は意外と何でも平然と越えて行ってしまうタイプかなと思う。夜美が自分の席に改めて座る。

「夜美、誕生日おめでとう。これプレゼント」

 私は、手のひらサイズの小さな包みを夜美に手渡す。

「わ、ありがとう。今年はどんなのかなあ」

 そう言って、夜美は嬉しそうに笑う。

「開けてみて。今年もこないだ見せてもらった着物の柄に合わせたよ。夜美とあの振袖には良く似合うと思う」

 私の言葉に促されて、夜美はその包みを開ける。

「わ、可愛い」

 小さな水色の、五枚の花びらの花簪。毎年簪を送っているけれど、今回は四年間アイデアを温めて、今日という日に合わせて、夜美の為に選んだ。色々な想いを込めて。

「ありがとう、いつも通りにひな祭りの時に付けるね」

 この喜びの笑顔は、今は私だけのもの。いつか、私以外……にも見せるのだろうか。


 いつものフォークで、お気に入りのオペラをつつきながら、ミルフィーユを崩しながら満面の笑みで口に運ぶ夜美を眺める。

エプロンは外して、右脇に置いている。夜美は、ケーキは甘すぎるぐらいのものが好きだ。

私は甘すぎるのは苦手で、チョコレート系の甘さ控えめのものを選ぶことが多い。今日のオペラはその中では甘めの選択だ。

私はいつまでこうして特等席で夜美の嬉しそうな顔を観ていられるだろうか。

四月に高校に入学してから、夜美の視線の先に、同じ人がいることが多くなった。

夜美はみんなと分け隔てなく接するので、今までにはそういう事はなかった。気付いているのもきっと私ぐらい。

「甘酒飲んだら眠くなってきちゃったー」

 夜美は、あらかたケーキを片付けた後、そう言って横になった。

「制服皺になるよ。それに、食べて直ぐ寝ると牛になる」

 その牛もまた、夜美なわけだから可愛さは変わらないのだろうけど。

「モーモー。お腹空いたら起こして良いよー」

 私の方を向いて目を閉じて、そう言うと直ぐに寝息を立て始めた。夜美は昔から寝付きがいい。

私の正面の位置にある窓の外を見ると、白い欠片がまた、灰色の空の気まぐれのままにちらつき始めている。

私は、いつも通りに夜美の部屋に入ると、肌掛けを一枚押し入れから出してくる。夜美のお気に入りの、オレンジ色のやつだ。

炬燵に戻ってくると、私は夜美に肌掛けを掛けてやりながら、夜美の隣に潜り込む。

「ん、う」

 夜美はそんな言葉を漏らしながらも、起きる気配なく寝息を立て続ける。私はいつものように、夜美の胸に顔を埋める。

夜美の命の音が、耳に届く。この場所が私は一番安心して眠れるのだ。

お雛様の元、夜美の音と微かな白い欠片の音を聞きながら、私もまた夜美と同じ世界へと落ちていった。


 目が覚めると、夜美の胸の中、身動き取れない状態になっていた。

何だかいつもと違う。

いつもなら、私が起きた後、夜美を起こして、晩ご飯を作ってもらって二人か、もしくは帰ってきた夜美のお母さんと一緒に食べる。

なのに何故か、今日は身動きが取れない。何だか夜美の胸元にがっちりと捕まえられているような感覚がある。夜美の胸はそこまで大きくない筈なのにおかしい。

嬉しいけどおかしい、変な感じだ。

夜美から顔を離そうとすると、嫌と言うかのように締め付けが厳しくなる。胸元から私を離さないと言う感じだ。状況としては、夜美が両手で胸元に抱きとめて、頭を撫でたり、髪をいじったりしているみたいだ。何だか恥ずかしい、自分の頬が紅くなるのを感じる。

「夜美、起きてるの?ちょ、ちょっと離して」

 夜美が何らかの意思を持って、私を胸元から話さないでいると思われたので、そのままの体勢で夜美に声をかける。

「ヤダ」

 夜美からは一言しか返って来なかった。何か怒っているようにも聞こえる。締め付けもより一層厳しくなった感じがする。

「やだって、どうしたの夜美。何か、怒ってる?」

 声のトーンで怒っているのは感じ取れるけど、怒られている理由が解らない。これは、ちゃんと話を聞いて、私のお姫さまのお怒りを沈めないといけないと思った。

状況的には別に嬉しいのだけれども。

「怒ってる」

 怒ってる割には嬉しそうな感じも混じっているのだけど、きっと私にしか解らないレベルだとは思う。

「ええと、すいません夜美様」

「何に対して謝って、いるのかな?」

 ちょっとだけ声のトーンが怖くなった。いや、可愛さは変わらないけれども。

たまに夜美の機嫌を損ねることはあるけれども、これはいつも以上かも知れない。ここは素直になり夜美にちゃんと話して貰った方が良さそうだ。

「ごめんなさい、解りません。教えて下さい夜美様」

 そう言えば、夜美様何て言ったの何年ぶりだろう。

「よろしい、とにかくね、最近の彩月はおかしい。今月半ば、そうバレンタインぐらいから何か拗ねていると言うか、可愛くない感じ」

 夜美に彩月って呼ばれるのも、何年ぶりな気がする。

「加えて、たまに私の前でも寂しそうな顔をする。何かあったの?その、時期的にも、し、失恋とか」

 最後は妙にトーンの上がった声になっていた。ああ、これはもう正直に言うしか無いかなあ。

私は意を決する事にする。夜美を不安にさせるぐらいなら正直に言った方が良い。

少しの沈黙の間、白い欠片の音だけが二人を包む。次に口を開いたのは二人同時だった。

「前に行ってた部活の先輩と何かあった?」

「夜美にだよ」

 ん?誰だって?また同時に口を開く。

「私?!誰が私に?!」

「部活の先輩って誰のこと?」

 そこまで答えないといけないと。

「音無先輩」

「私が夜美に」

 なんか変だ、話が噛み合ってるのか食い違ってるのか良く解らない。その後の一言は二人共同じだった。

『ちょっと待って、話が噛み合ってない!誰が誰に?!』


「えーと、つまり音無先輩には日頃のお礼をしただけと」

 未だ胸元から離して貰えない状態で、出てきた断片的な情報から、夜美が話をまとめ始める。

「で、彩月は私に好きな人が出来たと思っていたと。で、その相手は陽子ちゃんだと」

 自分の心の内を自分の前でさらけ出されていくのは、なんとも気恥ずかしい。

「はい、その通りです」

 頭上から呆れたようなため息と、夜美の声が聞こえる。

「はあ、どこをどうしたらそんな勘違いを。私だって陽子ちゃんには日頃のお礼をしただけなのに」

 そうだったのか。でも何のお礼だろう。

「日頃って、何のお礼?」

「うーん。まあ、良いか私も正直に言う。彩月のことに決まってるじゃない。最近元気なかったりするし」

 何と、そういう事でしたか。

「そういう事だったとは、でも何か陽子さんのこと特別な目で見てたりとかしてたじゃない?特に髪とか」

「ああ、それは陽子ちゃんの髪凄く綺麗だから、誰かさんの髪と同じでね」

 そう言って、抱き締めたままの私の髪を夜美は優しく撫でる。

「手入れの仕方とか、教えてもらってたんだよ。最近彩月は触らせてくれなかったけど」

「そ、それは。陽子さんに勝てないとか何とか気持ちの置所が色々と…」

 最後ははっきりしない感じになった。何とも。

「何言ってるのか。彩月の髪は昔から陽子ちゃんと同じぐらいに綺麗じゃない。四年前に、大好きって言ったのも、私のものって言ったのも忘れたの?おバカさんね」

 そうでしたか、それはすっかり忘れていました。でも、確かに四年前からほとんど切らなくなっていた気がする。それがきっかけだったか。

「申し訳ない、すっかり忘れていました。返す言葉もございません」

「私のために伸ばしてくれているのかと思ってたらさ、最近触らせてくれなくなって、先輩が出てきて色々考えちゃったのよねー。だって、彩月ああいうタイプ好きでしょ。私に似てるもの。音無先輩」

 ああ、そこは良く解っていらっしゃる。さすが、夜美。でも一つ間違い。

「そうだね。でも、夜美より音無先輩を好きになることはないよ絶対に」

「いつもそう言ってくれていれば勘違いなんかしないのに。毎日ずっと一緒にいるのに、私もだけど、言葉が足りないね。彩月は」

 呆れたように言いながら、私の頭を撫で回す。ああ、今日は一週周って幸せ過ぎるかも。

「今回の簪の意味も解ったよー。て言うか、教えてあげたの私じゃない。これは八年前かな?それも忘れていたでしょ?」

「うん、夜美から教えてもらったことはすっかり」

 もう幸せいっぱいなので、素直にスラスラ喋った。

「何ともね私の想いに反したおバカさんです事。もう今日はこの簪は彩月にさしてやる。結ったりなんかしないで超適当に」

 今日はもう、全部夜美に任せる事にする。私はもう幸せに浮かれすぎているので夜美のやること何でもオッケー。

「了解しました。夜美様の仰せのままに」

 窓の外は既に暗くなり、音だけが白い欠片の存在を私達に示していた。

夜美の音と混じり合いながら。


 しこたま二人でじゃれ合った後、夜美は起き上がって晩ご飯の用意をした。

それから、お雛様の前に戻ってきて、お内裏様と三人官女の真ん中の人形を入れ替えて言った。

「これも忘れてたでしょ?私のお雛様は、四年前からお内裏様の位置に女の子が入るの」

 これはちょっと思い出した。一昨年と去年はすっかり忘れて普通に飾ってしまったけど。

「どっちがどっち?」

 私がそう聞くと、夜美は悪戯っぽく笑いながら言った。

「私がお雛様に決まっているでしょ?彩月はお雛様に見初められた三人官女。お内裏様も両手に花だし、これで円満解決なのよ」

 なるほど、そこまでは私では思いが至らなかった。お内裏様の存在、完全に眼中に無かったよ。

感心した素振りでいると、夜美の声に良く似た、夜美よりも少し低い声が玄関から響いてきた。

「ただいまー」

 私と夜美は、二人争うようにかけて行って、夜美のお母さんをお迎えした。

『おかえりなさい』


 晩御飯の間、夜美のお母さんは私の頭に適当にさされた簪を、面白おかしそうに、不思議そうに見ていた。


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