第5話 ラファナ市

 イファヴァールは伯爵領のひとつで、アングラード伯爵の住む城を有する比較的大きな街だ。ポラム市場はいつでも多くの人で賑わっており、その市場を過ぎた先にあるセイラス広場では月に一度「ラファナいち」と言うフリーマーケットが開かれる。

 ラファナは薄紫色の小さな花が泡立つように咲く、ふわふわとした可愛らしい花だ。比較的穏やかなイファヴァールの気候が栽培に適している為、開花時期になると郊外が美しい薄紫色の絨毯で埋め尽くされる。

 イファヴァールを象徴する花でもあるラファナとその花言葉「自由」の元、このラファナ市では誰もが自由に店を出すことが出来るのだ。


 早朝から森を出て来たと言うのに、広場は既に多くの人でごった返していた。

 店を出す者は午前と午後で交代しなくてはならないのだが、場所までは細かく決められていない。その為か広場一帯には、空いている場所を捜す店主たちの殺気立った気配が濃く充満していた。


「エドさん! こっちです!」


 人の波に飲まれながら必死に手を振るジゼルの元へ辿り着くと、エドは持っていた荷物を地面に置いてふうっと一息ついた。


「まるで戦場だな」


「そうなんですよ! 場所がなくて午後に回ることもあるんですけど、今日は無事に場所が取れて良かったです。エドさんの体調を考えると、午前中には全部売り切って帰りたいですし」


 使い込まれてヨレヨレになった布を地面に敷いて、その上に薬の入った小瓶や乾燥させた花びらを入れた袋などを並べていく。エドには使い道の分からないものがほとんどだったが、そのうち赤い液体の入った小瓶だけは見覚えがあった。


「髪染めも売るのか?」


「エドさんが沢山採ってきてくれたので、少し余っちゃったんです」


 そう言ったジゼルの赤く染まった髪を見て、エドは昨夜のことを思い出した。


 リュスカの実から採れた染料は、エドとジゼルの髪を染めるには十分過ぎる量だった。

 綺麗に赤く染まったエドの髪とは違い、ジゼルの黒髪はそのままでは色を反映しない。一度髪を白く塗らなければならないのだが、その為に必要な材料が少し足りなかったのだ。その為ジゼルの黒髪は、フードからはみ出る前髪と毛先部分のみが赤く染まっている。


「エドさんはこの後、用事があるんですよね?」


 背中で揺れる三つ編みの赤をぼんやりと見ていたエドが、ジゼルの言葉にはっと意識を引き戻した。髪を染めてまで街へ来た理由を思い出し、腰のベルトに差した剣の柄へ無意識に手を置く。


「そうだな。お前はここで午前中は薬を売るのだろう? その後はどうする?」


「お昼を過ぎたら私はそのままポラム市場へ買い物に行きます。お肉とか小麦粉とか……あとはエドさんに合う服も買わないと行けないので、食料品と衣料品の並びが分かれる場所で待ってますね。場所、分かりますか?」


「問題ない」


「少しでも気分が悪くなったら戻ってきて下さいね。約束ですよ?」


「ああ」


 短く返事をして、エドがくるりと背を向ける。そのまま歩き出したエドの姿が人の波に飲み込まれて消える前に、ジゼルが再度エドの名を呼んだ。


「気をつけて行ってらっしゃーい!」


 喧噪に紛れて消えた声はそれでもエドには届いたようで、軽く右手を挙げた後ろ姿を確認するとほっとしたように笑みを零し、ジゼルは再び商品を並べる作業に戻って行った。





 ラファナ市が行われる時は人の往来も増え、それに比例して様々な犯罪も起こりやすい。その為この日は市中の至る所に騎士が見回りに配置されており、彼らの見回りのルートもエドは既に把握済みだ。

 赤毛に染めているとは言え念には念を入れ、羽織ったマントについているフードを目深に被る。茶色の色褪せたマントはジゼルのもので丈は短く不格好だったが、今は素性を隠す方が重要だと割り切っていた。


 客が分散され、いつもよりも人通りの少ないポラム市場。食料品を扱う店と衣料品や雑貨などを扱う店が並ぶ通りは、市場のちょうど真ん中辺りで分かれている。市場も一旦区切られ、休憩用のベンチには買ってきたばかりの菓子を食べる子供達の姿があった。

 その隣のベンチに腰掛けていたエドは気怠そうに目を細め、少し俯きがちに行き交う人を眺めていた。目深に被ったフードの奥で、アメジストの瞳が鋭く周囲を窺っている。纏う雰囲気は覇気がなく、けれど鋭く研ぎ澄まされた瞳が――ふと一点で止まった。

 ひとりの騎士が、路地裏へと続く道へと消えていく。それを確認すると同時に立ち上がったエドは、確かな目的を持って騎士の後を追うように路地裏へと歩いて行った。




 路地裏は建物の影になってあまり日が当たらない為か、市場の通りにあってもあまり治安が良くない。

 エドが路地裏に入ると、その足音に気付いた騎士が警戒しながら振り返った。


「相変わらず背後の気配には敏感だな、エリック」


 敵意がないことを示して軽く両手を挙げると、そのままフードを後ろへ外す。赤毛のエドを一瞬訝しんだ騎士だったが、やがてその表情がみるみるうちに警戒から驚愕に変わると、エドは頃合いを見計らってにっと口角を上げて笑った。


「エドゥアール様! 今までどこにいたんですか! 七日間も、護衛の私に何の連絡もなしで!」


「声を抑えろ、エリック」


 再びフードを被ったエドが、周囲を警戒しながらエリックへと近付いた。


「騎士の中に裏切り者がいる」


 声をひそめて告げられた言葉に、エリックがはっと身体を震わせる。


「首謀者はブライアンだ。手下の騎士は四人。顔までは覚えていないが、お前なら突き止められるだろう?」


「まさかブライアン様が? ……一体何があったんですか?」


「レティラの森に住む魔女が悪事を企んでいると言う情報を持ってきてな。奴にしては珍しく真面目に仕事をしていると勘違いしたのが誤りだ。一刻を争うと急かされ、ブライアンと奴の手配した騎士を連れて森へ行ったところで襲われた」


 ローブを軽く捲って背中を見せると、斜めに縫われた服の継ぎ目にエリックが短い呻き声を漏らした。守るべき主の側にいることが出来なかった自分を悔やみ、沸々と込み上げてくる怒りを抑えるように剣の柄を強く握る。


「お前に罪はない。奴の策にまんまと嵌まった俺の落ち度だ」


「しかし」


「それよりも、だ。今はブライアンに目を光らせておけ。俺を殺したつもりでいるなら、そろそろ何か動きがあるはずだ。まぁ、死体を確かめもせずに帰る阿呆だからな。粗末な理由を並べて俺の後釜に座ろうとするだろう」


「分かりました。ブライアン様の監視と、その配下の騎士は必ず探し出します」


 長い付き合いであるエリックは信頼に足る男だ。視線を交わし、互いがほぼ同時に頷き合う。そして来た時と同様に周囲を警戒して一瞥すると、エドがバサリとマントを翻してエリックに背を向けた。

 その色褪せた茶色のマントが寸足らずである事に違和感を覚えて、エリックが思わず声を落としてエドを呼ぶ。


「エドゥアール様。怪我の具合はもう大丈夫なんですか? それに今はどちらに……」


「怪我なら大丈夫だ。俺には魔女がついているからな」


 にやりと浮かべた笑みをフードの奥に隠して、エドは今度こそ路地裏から姿を消した。

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