第4話 森へ

 芽吹きの春を迎えたレティラの森は、降り注ぐ陽光を受けて瑞々しい新緑の光に包まれていた。

 朝食を終えた二人はひとつずつ籠を持って、髪染めの材料を採取しに森に来ている。本当はジゼル一人で来る予定だったが、体がなまると言ってエドも一緒に付いてきたのだ。

 まだ日の当たらない場所には草木が朝露に濡れており、森全体は清々しい爽やかな空気に満ちている。こんな風に静かで穏やかな時間を過ごしたのは何時ぶりだっただろうかと深呼吸したエドに、ジゼルが赤い木の実を手に取って振り返った。


「エドさん、これです。このリュスカの実を集めて下さい」


 ジゼルの手のひらには、小指の先ほどの小さな丸い実が幾つか摘み取られていた。


「出来るだけ色の濃いものを籠いっぱいにお願いしますね」


 周囲を見回すと小さな黄緑色の葉っぱを彩るようにして実を付けた低木が、そこかしこに生い茂っていた。

 木の実自体は小さいが、これだけ実を付けた木があるのならば籠いっぱいに集めるのはさほど難しくはないだろう。そう思い立ってエドはひとつの低木の前に立つと、ジゼルに言われた通り色の濃い実を選別して作業に取りかかった。


 色の濃い実は成熟しているらしく、少し捻るだけでポロッと容易に取ることが出来る。小さな木の実をひたすら摘み取る地味な作業だったが、それは意外にも彼の興味を刺激したようで、エドは自分でも気付かないうちに無心で黙々とリュスカの実を採取していった。


 そんなエドの様子を低木の影から窺い見て、ジゼルは彼の後ろ姿――まだらに色落ちした服の下手くそな縫い目に彼の負った傷を思い出していた。


 背中に斜めに入った傷は、一目で刀傷だと分かった。背中以外にも腕や胸にも似たような傷があった事から、エドは背後から斬り付けられると同時に瞬時に身を躱して応戦したのだろうと推測する。その証拠に、出血量は多かったものの背中の傷自体は危惧するほど深くはなかった。


 身につけているものや立ち振る舞いから、エドがそれなりに身分の高い者である事は俗世から離れて暮らすジゼルにも容易に理解できた。

 自分の事も怪我を負った経緯も未だに話さないが、エドにはエドなりの苦労があるのだろう。命を奪う目的で傷付けられたエドを心配していないわけではないが、ジゼルに出来ることと言えばエドの怪我を治すことだけだ。

 無理に事情を聞くことはしない。いつかエド本人が話してくれればいいと、ジゼルはそう思っていた。


「おい、採ってきたぞ」


 声に振り返ったジゼルの眼前に、エドが持っていた籠をずいっと近付けた。籠の中は既にリュスカの実でいっぱいだ。


「わぁ! エドさん、凄い! 採取の達人ですね。こんなに沢山、ありがとうございます!」


「そういうお前は呆れるほどの凶作だな。何だ? 怪我人の俺に仕事を押しつけて、怠けていたんじゃないだろうな?」


「そ、そんなことないですよ。ここら辺は成熟している実が少なかっただけです!」


「ほう?」


 口角を上げて、エドが意地悪な笑みを浮かべる。今朝から何となく感じる距離の近さに鼓動がとくんと跳ね、じわりと頬が熱くなるのを感じたジゼルが慌ててエドから視線を逸らした。


「これだけあれば十分です。帰って早速染料作りに取りかかりますね」


「それで何回分くらい出来る?」


 唐突な質問に、歩き出していたジゼルが足を止めてエドを振り返った。籠のリュスカの実を見て首を傾げ、小さく唸る。


「そうですね。髪の量にもよりますが、大体二回分くらいでしょうか」


「ならば俺の分も用意してくれ」


「えっ! エドさんも一緒に街に行くんですか?」


 目を丸くして心の底から驚いた表情のジゼルを見て、エドが訝しむように眉を寄せた。


「俺が一緒だと、何か問題でもあるのか?」


「そういうわけじゃないですけど、……体は」


「寝ているばかりでは体がなまる。お前が夜伽の相手をしてくれるのなら話は別だが?」


「エドさんの分も作ります!!」


 即座に断言して、ジゼルが逃げるように歩を早める。その背を追うように聞こえてくるエドの押し殺した笑い声に、ジゼルは羞恥に頬を染めつつもどこか心が温かくなるような気持ちを感じていた。




 家までの道を並んで歩いていると、ふと見覚えのある場所を通り過ぎた気がしてエドが足を止めた。


「エドさん?」


 無言のまま辺りを見回したエドが、何かを見つけて森の奥を凝視している。不審に思い首を傾げたジゼルがエドの視線を追うように振り返ると、陽光を受けてきらきらと光を反射している小さな泉が見えた。


「エドさん、あそこで倒れてたんですよ。思い出しました?」


「……あぁ」


 短く返事をして、目を細める。背中の傷が、疼いた気がした。


「見つけた時は本当に驚きましたよ! 呼びかけても全然反応しなかったので、最初は死んでるのかと思いました。でもエドさんが細身で良かったです」


 小さく声を漏らして笑うジゼルに、今度はエドが首を傾げる。


「まぁ、細身でもしっかり筋肉質な体型だったので、家まで運ぶのに苦労しましたけど」


「お前が? ひとりで俺を運んだのか?」


「こう見えて、結構力持ちなんですよ。びっくりしました?」


 自慢げな表情を浮かべて、ジゼルが右腕を曲げて力こぶを作る真似をする。その細腕に抱えられたのかと、エドが目を丸くして純粋に驚愕した。と同時に、言葉では言い表せない感情が緩やかにエドの心を揺さぶってくる。

 何か言おうと開いた口から言葉は出せず、戸惑いに揺れた瞳を見られまいと片手で顔を覆った。

 

ジゼルの顔を見ると、なぜだか胸がざわついた。

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