第7話

 新幹線の乗車口の窓から、互いの告白の余韻で恍惚としたまま外の景色を眺めていた俺達は、少しずつ言葉を交わし始める。兄は入場券を買うフリをして、新幹線の乗車券と自由席の切符を買っていたらしい。


「最初がら乗るつもりだったの?」

「決めだのはおめの返事聞いだ後。でも、発車する直前、おめが手振っておらば見だ時確信すたんだ、慎司は今もおらと同ず気持ぢだって」


 兄が俺の手を握ってきて、俺もその手を強く握り返す。血の繋がりはなくても、俺達は兄弟なのだという強固な楔を、兄は強引に抜き去り、新たな楔を打ち込んでくれたのだ。


「ありがとうあんにゃ」


 礼を言うと同時に、次の停車駅を知らせるアナウンスが流れてきて、俺は兄を促す。


「とりあえずおらの席いご」

「んだげんと、席一づすかねだべ?」

「いや、隣さ誰が来るの嫌で2席取ってっから」

「やっぱりおめ金もち芸能人でねが」

「違うよ、前に隣さ座ってる人さバレで面倒になったごどあっから」


 今はもう、男の格好していれば顔バレなんて滅多にないけれど、すぐ隣に他人が来ない気やすさに抗えず、節約すべきかと迷いながらも、今回そうしておいて良かった。キャリーバックを荷物棚に入れ、一緒に指定席に座り照れくさそうに笑う兄の顔を見ていたら、今まで味わったことのない幸福感がジワジワと胸に広がっていく。


「あの時もこうすてれば良いっけんだよな」

「あの時って?」

「おめがうず出でった時」


 兄は切なげに瞳を歪め、ずっと会えずにいた空白の日々について語り始めた。


「おめにキスされた後、おらはすぐにおめば追いがげるごどがでぎねがった。

あの頃はまだ、兄弟を越える勇気ねえっけがら、追いがげで掴まえて、おめに正直な想い伝えるごどは、美里だげじゃなぐ、親父どお袋裏切るごどになるど思ったんだ」


 苦しげに話す兄の様子に、胸が痛くなる。当時の兄が、俺を追わなかったことを悔いる必要なんてないのに…


「そうごうすているうぢにお袋が来て、慎司の手紙見づげで、親父は農業さ誇りたがいでだがら誇り持ってたからカンカンに怒ってすまって、お袋捜索願い出さんなって言っても、男がこれだげ大見得切って出でったんだがら、ほだなごとすねぐでいいって。んだげんと、おらとお袋は親父さ内緒で捜索願いだすに行った。

その時、未成年どはいえ自分の意思で出て行ってっから中々難すいど思うってはっきり言われで、こうなったら自力でたねる探すすかねって、おらは少すでも時間見づげだら、東京や新宿さ行っておめばたね始めだ探し始めた。ほだなこどすてるうぢに、美里には、慎司慎司っていい加減にすて!って振られで」

「ごめん…」


 思わず謝ると、兄は首を横に振る。


「いや、慎司は悪ぐね、ただの自己満足だったんだ。大学卒業後は農協さ就職すで、土日はうぢの手伝いもすでだがら頻繁に東京さ行げでだわげでねげど、1、2年、ほだな闇雲なごどすてだ。

でもある日同僚と飲んでる時おめのごど話すたら、探偵さ頼めばいいべって言われで、なんで今まで思いつがねがったんだって探偵さ依頼すんべとすた矢先、たまたま仕事帰りに寄った深夜のラーメン屋で、テレビに映る慎司見づけだ」


 兄が見たのは、まだテレビに出て間もない頃の俺だろうか?

 東京に出てきてすぐ、俺は、寮のあるゲイ風俗で働きだした。自分が女に欲情できないことはわかっていたから、もう顔も覚えていない見ず知らずの男に体を売り、それが俺の初体験になった。山形にいた頃と違い、そこには俺と同じ性的趣向を持つ人間が沢山いて、仕事は大変でも、自分を偽っていた時より気持ちはずっと楽だったのを覚えている。 


 若かったからか、あっという間に売れっ子になり、2年程で一人暮らしを始めた俺は、仕事も風俗から女装バーに変えた。風俗で俺に目をかけてくれていたお客さんが、自分が通っている女装バーに口利きしてくれたのだ。

 今思えば、俺はすごく運が良かったのだと思う。その女装バーは有名な観光バーで、取材に来たテレビの深夜番組に、綺麗すぎるオネエがいると持ち上げられた。宣伝になるからと店のママに勧められ、ワイドショーの密着取材までされて、そこでまた、女装前はイケメン!と大げさに囃し立てられ、女子高生を中心に人気が出た。


「びっくりすたよね、家出すた弟女装すてテレビ出でだら」


 俺がそう言うと、兄は素直に頷く。


「でも、テレビに映るおめは、ほんてん綺麗でキラキラすて見えだよ。おめ小せえ頃女の子の格好するの好きだったべ?んだがら、ああ、慎司は自分の夢叶えに行っただげなんだがら、おらが連れ戻す必要なんてねえっけんだって、そごでようやぐ、自分納得さしぇる事でぎだんだ」


 兄はこんな風に言ってくれているけど、両親はきっと、テレビに映る俺を見て卒倒しただろう。近所の人や親戚にも、白い目で見られていたかもしれない。

 あの頃は2chが全盛で、有名になればなるだけ、家族の情報や中学、高校の卒業写真まで晒されてしまう。勿論、女装バーで働く前、売り専にいた過去のことも…


「おらが出るようになってがら、いやがらしぇされだりすねがった?」


 兄は言い淀むように、どうだったかなあととぼけてみせる。


『縛りはきつくなるけど、事務所には入った方がいいわよ。ネットの書き込みを止めるのは無理でも、ある程度プライバシー守れると思う』


 サリーさんのアドバイスで、俺に興味を持ってくれた芸能事務所に入ったが、勝手に動く一般人の行動まで抑えることなどできるはずもない。


「慎司?」

「え?」

「まだ余計な事考えてただべ」


 図星をさされつい目をそらすと、兄は俺の手を握り、指を絡ませてくる。


「もうおめのごど離す気ねがら、おがすなごど考えねでちゃんと話す聞いで」


 俺だって、こんな幸福知ってしまったら、兄を諦めるなんてもうできない。顔をあげ頷く俺に、兄は優しく微笑み話の続きを語り出した。


「おらはそれがら、おめのごど忘れるだめに仕事さ打ぢ込んだ。土日はうずの農家手伝って、少すずづ年月重ねで、ようやぐ気持ぢが落ぢ着いでぎだ時、真理と真由さ出会って結婚すた」


 そこからは、昨日聞いたので分かっている。ただ俺は、どうしても確かめたいことがあった。


「あのさ、あんにゃ真由ぢゃんにおらのこと何が言った?」


 すると兄は、あーと気まずそうに笑う。


「結婚すて2、3年ぐれ、おらだは山形市のアパートに3人で暮らすてだんだげんど、真由がすごいテレビっ子だったんだ。真理は結婚すてもスナックやめねがったから、おらと真由二人で夕飯食うことも多ぐてて。そすたら、真由と一緒さ見でだテレビさ、久すぶりでまだおめが映ってだ」


 真由ちゃんも見るような夕飯時の番組に出ていたという事は、多分、芸能界をやめる前、最初で最後の写真集プロモーションをしていた時だろう。思えば事務所もよく、オネエである事以外特に際立った素質もない俺を、6年近くもたせてくれた。俺には、中学生の頃憧れた女装タレント達のような、才能も根性もなかったのだ。


「真由は何にも知んねがら、この人男なんだって、綺麗だよねって言ってぎで

でもおらはその時おめが、笑ってるけど辛そうに見えだんだ。それがらすごだま心配になって、おめが出る番組は全部録画すて、雑誌もグラビアも、くまねぐチェックするようになった」


 人気も注目度も下がっていく一方だった俺を、身内なのに、まるでファンのように追い始めた兄に、俺はつい笑ってしまう。


「ほだな心配なら、兄だって言って事務所さ連絡ぐれればよいっけんど良かったのに

「それはできねがった。おらは真理ど結婚すて、真由という娘がいで、それなのにおめに会ったりすたら、おらは二人ば裏切ってすまうがもすれねっておっかねえっけんだ怖かったんだ

んだげんと真理に、おめ何突然オネエタレントさハマってるの?って言われで、実は弟なんだって言ったら、真理は、全然似でなーい!って笑って受け止めでくれだんだげんど、真由は、真理がいね時、まこっちゃんこの人のごど好きなの?って聞いでぎだんだ。それでおら、うんで返事すてすまって」

「そっか、んだげんと恋愛感情どがはわがってねだべ」

「いや、多分わがってるど思う。真由は勘がいいす、キスどがすてえ好ぎ?って聞いてぎだんだ」

「ええ!それで、あんにゃ何て答えだの?」

「うんで答えだ」


 兄が嘘をつくのが苦手なのは知っているが、さすがにここまでだと心配になる。男なのは勿論、真由ちゃんにとって、俺と兄は兄弟という認識なわけで。


「真由ちゃん引いでねがった?」

「全然。おがぢゃんには内緒にすといでけるどは言ってだんだげんと、子供だがらあまり固定観念がねのがもすれね。あど、もすかすたら逆さ安心すたのがもな」

「安心?」

「真由、男なんて大嫌いだって言ってただべ」

「うん」

『絶対ねす!おら男なんて大嫌いだす』


 あの時の真由ちゃんの激しい拒絶っぷりは、俺も印象深く覚えている。


「実は、おらと真理が結婚する前、真由は真理の彼氏の一人さ悪戯されそうになったんだ。たまだま真理わらわら早く帰ってぎだげんと、危ねどごろだったらすい」  


 兄に出会う前といったら、真由ちゃんはまだ小学生になったばかりか幼稚園生くらいだ。そんな子におかしな気を持つ男の気が知れず、俺は胸糞が悪くなる。


「真理は絶対大丈夫だと信頼すて真由どおら二人ぎりにすてだんだげんと、内心おっかねえっけんでねがな怖かったんじゃないかな。んだげんと、おらの話聞いて逆に安心すだみでえ」


 複雑な思いを抱きながらも、真由ちゃんの安心材料になったのなら良かったのかもしれないと、俺は自分を納得させる。


「あ、でも血繋がってねごどは言ったよ。正直おらにどっては、兄弟なんだって罪悪感の方が大ぎぐで、男同士なごどはあまり気にすてねえっけがら」

「なんで?」

「おらにとって慎司は慎司だがねえっけんだよね慎司でしかないんだよね。おめが生まれだ時がら、とにかくおらは慎司が大好きで、守ってやりだぐで、それは家族なんだがら当だり前の感情だど思ってだ。

おかすいのがもすれねってわがったのは、美里どつき合い出すてからだったんだ。美里にするみでえに、おめに触りながらキスすてえなってふと思った時、ああ、おらの慎司さ対する感情はそうだったのがって気づいだ」


 俺は、初めて知る兄の告白に驚愕した。


「んだげんと、あの頃はおめまだ中学生だったす、一瞬でもほだな事思ったのショックで。んだがらおらは、ほだな感情は無えっけごどにすて、これからも家族とすて、慎司大事にするって決めてだんだ」

「おらも、自分の感情がおかすいって気づいたの、あんにゃさ彼女がでぎだ時だよ。あんにゃの彼女が羨ますくて、すこだま辛えっけ」


 自慰をした事はさすがに言えない。でもあの時から、兄も俺を好きでいてくれた事が嬉しかった。


気づいでけれなぐて気づいてやれなくてごめん。おらに彼女がでぎだ時って、おめまだ真由と同じ中2だもんな。中学生でその感情さ気づくのは辛えっけよな」


 優しく頭をなでられて、俺は兄が愛しくてたまらなくなる。

 会話が途切れじっと見つめあっていたら、兄の顔がゆっくりと近づいてきて、俺は静かに瞳を閉じる。だけど、兄と俺の唇がほんの少し触れ合った次の瞬間、突然兄の携帯が鳴り響き、俺達は驚き顔を離した。見ると、兄の携帯の液晶画面に、母と大きく表示されている。


「やばい、忘れでだ」


 俺の嘘を信じて兄を送りだしてくれた母が、心配してかけてくるのは当然で、俺達は急いでデッキへ向かい通話を押す。


「もすもす、おがぢゃんごめん、実は間違えで慎司ど一緒さ新幹線乗ってすまって。うん、大丈夫、ちゃんと帰るから、それはおらがやるす、うん、え?慎司?」


 暫く相槌を打っていた兄が、携帯を俺に渡してきた。


「もしもし」

「全く、ラインすだのに全然返事返ってごねがら心配すたんだけんと、まさか慎司と新幹線乗ってるどは思わねがったわよ。おめの店は大丈夫そう?」


 両思いになれた夢見心地気分が、一気に現実に戻されてしまったけど、俺は母の気遣いに心から感謝する。


「ありがとう、大丈夫だよ」

「良いっけ、誠、帰りも違う新幹線乗っちゃいそうで心配だがら慎司教えでけでね、次の駅どご?」


 兄と話すのに夢中で全く把握していなかったが、窓に映る景色はもうすでに暗く、山形からだいぶ離れてしまっていることはわかった。


「あー、車内アナウンス聞がねどわがんねや。でもちゃんと調べっから」

「どうもね、え?いいわよ。慎司、真由ちゃんがおめと話すてえって」

「慎司さん?」


 電話口の声が、母から急に、まだあどけなさが色濃く残る瑞々しい声に変わる。その声を聞いた途端、俺は過去から現代にタイムリープでもするような不思議な感覚を抱いた。 


「まこっちゃんがら全部聞いだが?」

「うん、聞いだよ」

「良いっけ、慎司さんまこっちゃんのごどよろすくお願いすます」

「了解だ、ありがとう」


 真由ちゃんの存在は、時に雁字搦めになりそうな家族の鎖を簡単に解いて、新たに繋げてしまうような軽やかさがある。そして、ある意味ぶっ飛んだ真理さんに育てられたからか、固定観念や偏見がない。母にはとても言えないけれど、家族の中に、一人でも俺と兄の関係をそのまま受け入れてくれる子がいると思うと心強かった。


「あ、まこっちゃんにかわってもらえますか」


 真由ちゃんに言われ、兄に携帯を返すと、最初は父親らしく話していた声が、次第に上擦り始める。


「何言ってんだ!大人からがうんでね!今日帰っから、じゃあな!切るぞ!」

「どうすたの?」

「慎司さんと東京さ泊まってぎでいいよどが言ってぎだ。ったぐあいづは」


 兄は呆れたようにため息をつき、俺は真由ちゃんの言動に笑ってしまう。


「真由にはまだ種籾の様子見で酸素や水どりがえだり細げえごどはでぎねがら、お袋も腰悪くなってぎでるす」


 東京と山形は、やはり距離が遠すぎる。でも、そんなことわかった上で、俺は兄の手をとったのだ。だから今は、ようやく心が繋がった幸福を胸に、互いの家に帰っていくしかない。


「次の駅で降りで、山形行きにうまぐ乗れるどいいんだげど」


 俺が携帯で調べようとすると、兄がハッとしたように言ってくる。


「慎司、おらだライン交換すてなぐねが?」

「そうだ、やっとくべ」


 兄のアイコンは、澄み渡るようなを空の下、稲が豊かに実っている写真だった。


「綺麗だな」

「何が?」


 俺がラインのアイコンを指差すと、兄は嬉しそうに笑う。


「慎司、これがらは里帰り沢山来でけろ。お盆はこの写真の時期よりは早えげんども、丁度稲の穂出でぎで小せえ米の花咲ぎ始める時期だす。おめこの花めんごいって好ぎだったろ?」

「うん、すごだま好ぎだった。久すぶりにみでえな」


 幼い頃、父に田んぼに連れられ、大好きな兄と一緒に、育っていく稲を見守っていた幸せな日々。 


「なあ慎司、これがら忙すい時期さ入って、おらからは中々会いに行げねぐで遠距離になってすまうげど、ラインや電話沢山すっから、ちゃんと恋人どすておらと付ぎあってくれるが?」


 改めて言われた、まるで中高生が恋愛を始めるような告白に、俺は、失った青春を取り戻していくような甘酸っぱい気持ちになる。


「うん、まだ必ず来るす、これがらは恋人どすてよろすくお願いします」


 そう返事をすると、兄は嬉しそうに俺の体を抱きしめてきた。恋人同士になれたのだという圧倒的な幸福感に包まれながら、俺達は周りに人がいないのを確認しキスをする。もうすぐ兄は降りてしまうから、止まらなくなってしまわないように、触れるだけの優しいキス。


「あーくそ、離れたぐねえなあ」

「おらもだよ、でも、またすぐくるから」

「約束だぞ」

「うん」


 次の駅に到着するまでの間、別れを惜しむように身体を寄せ合い、またすぐ会えると互いに言い聞かせ笑いあった。




「はーん、そうですか」

「ミサさん繁忙期の土日に店休むなんて仕事舐めてるなと思ったら、何青臭いことやっちゃってんですか?」  


 自分達から聞いてきたくせに、サリーさんにはシケた顔をされ、同じ事務所の後輩だったアンナには、仕事への姿勢を注意され、俺はつい酔って、事の顛末を軽々しく応えた自分を後悔する。


 今日は、ニューハーフバーを経営しながら、YouTubeでも精力的に発信しているアンナに、二丁目の今を語り合う動画を生配信するからと誘われ、俺とサリーさんはゲストとして出演した。配信後、久々に3人で飲み会をしていたのだが、そこで二人にボロクソに言われている不条理な状態なのだ。


「大体ミサさんて、今時インスタもしてないし、それって店の経営者としてどうなの?て思っちゃいますよね。まあ3流タレントだった私と違って、必死にやらなくても大丈夫なんでしょうけど」

「ちょっとアンナ噛み付くのやめなさいよ。この子間違えて男に生まれてきたけど、中身はふっつーの田舎の女の子なのよ。ほら、ちょっと見てくれ良くてタレント目指して上京したけど、諦めて田舎に帰ってソコソコな男と結婚して、ソコソコ幸せな人生を歩む女、元芸能人に沢山いるじゃない」

「サリーさんそれ本当にフォローのつもりですか?大体私店適当にやってるわけじゃないですから!しっかり貯金して…」

「そう、この子無駄遣いしないのよね。コツコツ貯めて農閑期の冬に備えるっていうのかしら、そういうのが体に染み付いちゃってるんでしょうね」

「女装してるとどう見ても派手なキャバ嬢かホステスなのに、見た目とのギャップエグいですよね」


 二人の止まらない言いたい放題っぷりに、俺は反論を諦めため息をつく。


「でもそれじゃあミサさんが話してた医者のセフレとはどうなったんですか?」

「あれはサリーさんが勝手に話しだしたんでしょ!」

「仕方ないでしょ。ああいう話しって再生回数伸びるし盛り上がるのよ。アンナのためにも、私も心を鬼にするしかないじゃない」

「だったらサリーさん自分のことネタにしてくださいよ!敢えて私に桐島の話ふることないでしょ!」

「その桐島って興味ある!サリーさん紹介してくださいよ」

「あの男ニューハーフはダメなの。細身でも男の体じゃないと興奮しないのよ」


 アンナがガックリと肩を落としたので、桐島は顔と体がいいだけで、中身は相当変人だからやめておけと言ってやる。


「あ!そしたらあの男紹介してやりなさいよ!ほら、あんたの店でバーテンダーやってる正樹!」

「あいつはバイで遊びまくってたけど、彼女の一人が妊娠して今度結婚しますよ、サリーさんも知ってるでしょ」

「なんで期待させるようなこと言って突き落とすんですか!!」

「ごめん、とりあえず誰かしら適当に勧めときゃいいかと思って」

「はあもう!ミサさんはともかく、なんでサリーさんに男いて私にいないんだよ!」

「失礼ね!あんたの場合ホイホイお金出して貢ぐから碌でもない男に利用されるだけされて、結局女にとられるのよ」

「酷い!!」


 ヒートアップしていく二人の横で、空になったグラスにウイスキーを注いでいると、突然サリーさんが話を振ってくる。


「でもさ、あんたのお兄ちゃん、今時珍しいくらい純朴で、今までの男とは全然違うんだから、あんたもこれからのこと真剣に考えた方がいいわよ。お兄ちゃんとはずっと遠距離恋愛していくつもり?店もどうするのか、しっかり考えて決断しなきゃ」


 先程まで下衆に盛り上がっていたとは思えないほど真剣な口調で問われ、返事に窮してしまう。

 俺のお店は、バイトの店子二人と、バーテンダーの正樹と自分で回している小さなお店だ。美味しいお酒とつまみを食べながら、直接お客様にメイクや洋服を選んで女装を楽しんでもらうアットホームな雰囲気が売りで、開店当初は、かつての知名度と口コミだけでお客さんが途絶えることはなかった。だけど最近は、インスタやTwitterを駆使した、若い子達に人気の女装バーにおされぎみで、客足も鈍くなってきている。そこにきて、開店当初から一緒にやってきた正樹が、今年いっぱいで店を辞め、地元に帰って独立したいと言ってきたのだ。


『俺もまだ先のつもりだったんだけどさ』


 正樹とは事務所の同期でなぜだか気が合い、正樹が俳優を辞めた時期と自分が店を出す時期が重なり今まで一緒にやってきた。

 仕事上のパートナーと関係を持つと面倒なので、肉体関係はなかったが、バイで遊びまくっていたくせに、まんまと自分だけ普通の幸せを手に入れようとする正樹に、恨めしさと、置いていかれる寂しさを感じたのも確かで…


 自分には、この人といられでば幸せだと思えるような恋人もいない。人生の目標があるわけでもない。自分はこの先どう生きていきたいのか、一人でこの店を続けていく覚悟が本当にあるのか。母から父の三回忌に来いと連絡が来たのは、そんな葛藤に苛まれている時だった。あの時はまさか、あんにゃと恋人になれる未来が待っているなんて、思ってもいなかったけど…


「なに?ミサさんお店たたんでお兄ちゃんと農業やるの?そしたらYouTubeで撮らせてくださいよ、元美人オネエタレント、お兄ちゃんと農業始める!みたいな」

「やめてよ、これ以上家族に迷惑かけたくないし、あんにゃまでおかしな目で見られたら申し訳ないんだから!」


 俺の悩みを面白がるアンナに、つい食ってかかると、アンナは冗談よと言いながら、でもねーと言葉を続ける。


「こっちだと、私達みたいなの別に普通って感じだけど、田舎帰るとキツいわよね。私、何があろうと絶対田舎帰りたくないもん、特に私九州だったからさ、九州男児がオネエってそりゃもう親や親戚のあたり地獄よ」

「東北の方がそういうの緩いのかしら?」

「さあ?でもどちらにしろめちゃくちゃ会ってみたくない?」

「お兄ちゃん!」


 さっきまで暗くなっていたかと思えば、今度は二人声を合わせ盛り上がる。


「いいわよね!真っ青な太陽の下、軽トラに乗って迎えに来てくれるマッチョで純朴な男!お前にも稲を見せたい!とか言われてみたいわ!」

「なんか二人ともバカにしてるよね?」

「してない!本気で羨やましがってるの!」


 と、マナーモードにしていた携帯が振動していることに気づき画面を見ると、もう深夜だというのに兄からライン電話がかかってきていた。


「ごめん、私抜ける」

「何よ、お兄ちゃん?」

「ここで電話しなさいよ」

「また連絡するから」


 ヤイヤイ言ってくる二人を無視して店をでると、俺は自宅マンションまで待ちきれず、眠らない街を歩きながら通話を押す。


「もしもし、あんにゃどうしたの?こだな夜遅ぐに電話ぐれるなんで珍すいね、明日も早えげんど大丈夫?」


 あの日から俺達は、週に何度か電話をし、毎日のようにラインをしている。内容は、今日から種まきが始まったとか、田んぼのことが殆どだけど、兄がこんなにまめだとは知らなかったから、すごく新鮮で嬉しい。


「あのさ」


 でも、今日の兄の声は、いつもと違っていた。


「どうすたの?」

「医者の男って誰?」


 兄の言葉に俺は青ざめる。深夜のオネエチャンネルなんて兄が見ることはないと思っていたのに、一体なぜ!


「真由が、これに慎司さんゲストで出るみだいだよって教えでぐれだ。あいづ、昔がらほだなの調べるの得意だがら」

(真由ちゃん!そんなマニアしか見ないの見なくていいし!)

「あれは昔の話だがら!付き合ってだわげでもねす!」

「んだな、付ぎあってなぐでも、都会の人間ってのは関係があったりするもんなんだよな」


 いや、別に都会の人間がそうってわけではないのだが、一回関係を持ったからと結婚を決めた兄には、セフレなんて許せないのだろう。


「ごめん、あんにゃがらすたら信ずられねよね。ただ、今は誰どもほだな関係はなぐで」


 言い訳しながらも、やはり自分みたいな人間が兄と付き合うべきではなかったのだと心は沈んでいく。軽蔑され振られても文句は言えない。


「んだげんど、もすおらのごど嫌になって恋人じゃなぐなったどすても、兄弟ではいでくれる?」

「は?恋人じゃなぐなるわげねだべ!今はその男ど会ってねんだべ?」

「会ってねよ」

「もう彼氏でぎだがら会えねでちゃんと言ったが?」

「うん」

「だったらいいんだ。よす、じゃあこの話すは終わり!ところで慎司、8月は予定通りうちこれそうか?」

「うん!あ、ごめん、今家着いたから、ちょっと待ってくれる?」


 俺はオートロックのエントランスからマンションに入り、エレベーターに乗り込む。深夜なので誰に会うこともなく自宅にたどり着いた俺は、再び兄に声をかけた。


「ごめんあんにゃ」

「いや大丈夫、まだ外だったんだな、忙しい時にごめん」

「全然大丈夫、それより8月…」

「8月のごどなんだげんと…」


 声が重なり、俺は兄の言葉を待ったが、兄はなぜか突然言葉を濁しはじめる。


「いや、あのさ…その」

「何?いいよ、何でも言って」

「俺がじぇじぇこ_お金だすから、前の日霞城シェントラルのホテル泊まってがらうぢごねが?おらも忙すいがら、会えるの夜になってすまうんだげど…」


 兄の言葉の意図が分かった途端、胸の鼓動が早くなる。


「でも、帰りの方があんにゃ楽でね?おら帰るの夕方がら夜にすて、おらば送るついでに一緒にさ、その…」


 こんなこと散々してきて慣れているはずなのに、兄相手だと、心臓が破裂するんじゃないかと思うほど脈打ち、体が熱くなってしまう。


「そすたら今月中にどっちにするが決めよう、予約はおらがすっから」

「うん、ありがとう」

「何か悪いっけな、こだな時間さ突然がげで」

「ううん、寝る前にあんにゃの声聞げで嬉すいっけ。おやすみなさい」

「おやすみ」


 山形と東京を繋ぐ電話が切れてからも、顔のニヤけが抑えられず、俺は、毎日のように来る兄からのラインの画面を見つめる。


(幸せすぎて怖いよ、あんにゃ…)


 父の三回忌に行くべきか迷っていたあの日まで、俺は、心を蝕ぶ孤独に溺れそうになりながら、天井へ消えていくタバコの煙を呆然と眺めていた。だけど今は、タバコを一切吸わなくなり、誰でもいいからと、焦燥感に駆られることもない。すぐ会える場所にいなくても、好きな人が自分を好きでいてくれるだけで、人はこんなにも満たされ、強くなれるのだと知った。 


 お店のこと、これからのこと、考えなきゃいけないことはまだ沢山ある。父や母に対する罪悪感も、決して消えたわけではない。でも俺は、兄と結ばれたいという欲望に、もう抗うことはできなかった。

 だからせめて、本当の兄弟として俺達を育て守ってきてくれた父に、心から感謝し続ける。 


(ごめんね。ありがとう、父さん)


 身体の内側から溢れてくる幸福感に浸りながら、俺は、兄のアイコンに映った青空と、美しい稲穂の花を見つめた。

 









 


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