第44話 自我

「そこで止まれ」


 叫んだ兵士が剣を抜いて、迫ってくる。


「お兄ちゃん、ここは任せて」

「ラウラ?」


 妹がファルシオンを鞘から抜く。


「大丈夫。時間稼ぎぐらいならできるから」

「けど」


 冒険者養成学校で訓練しているとはいえ、相手はプロの兵士だ。しかも、ひとりやふたりじゃない。妹を置いていくのは、さすがにためらう。


「ん。ソフィも手伝う」


 ソフィさんが言い終わるや、小型の竜が姿を現す。


「ルビィちゃん、けん制して。でも、怪我させないでね」


 召喚獣は口から炎を吐き出す。兵士に触れる手前の位置で、炎は止まる。そのまま、首を横に振る。兵士たちの足が止まる。見慣れぬ幻獣の炎を前に、様子を見ているようだ。


「ふたりとも頼んだよ」


 僕は舞台に手をかける。ヒノキが無機質なものに感じられた。腕に体重をかけ、壇を登る。


 悲劇の少女がかけられた十字架へ駆け寄る。だが、十字架の上の少女に手を届かない。


 それでも、よじ登れば、彼女の束縛を解くことは可能だ。


 本当なら、拘束を解きたかった。

 けれど、それだと誰からの支持を得られないままだ。僕たちは単なる犯罪者になってしまう。


 自分の戦いで、彼女を救わないと。

 僕は思いっきり息を吸い込み。


「エーヴァさん!」


 叫んだ。彼女に呼びかけるように。群衆に届くように。

 腹から出した大声が、感情をも突き動かす。


「僕は知ってますよ、あなたが優しい人だって」


 僕が感じたとおりの、彼女の真実を言葉に乗せる。


「お父さんに愛情を注がれて、あなたもお父さんを大切にされて……。素直に生きてこられた」


 いったん口を閉じ、僕は心臓に手を当て、十字架上のヒロインを見上げる。


「そんな、あなたが、僕は大好きです」


 恋なのか、そうじゃないのか。今はどうでもいい。

 ただ、ただ。胸の奥から湧き上がる想いを紡ぎ出す。

 空気の振動となった、僕の言葉は風に運ばれ――。


 彼女に


「んんっ、ラファエロさん?」


 エーヴァさんが目をゆっくりと開く。彼女は目をこすりたいのか、手を動かそうとする。が、十字架の横棒にローブで縛られていて、叶わなかった。


「そっか……あたし、処刑されるんですね」


 薄紫アメジストの瞳は、濁った血のようによどんでいた。


 僕も泣きそうになる。けれど、僕が落ち込んだら、誰が彼女を助けられる。

 僕は不安に怯える彼女に向かって、せいいっぱいの笑顔を作る。


「……僕が、僕たちが守るから」


 できるだけ明るい口調で言ったものの。


「あたし、半魔族ですから」 


 その言葉を耳にしたとたん、口をつぐまざるを得なかった。


 本当なら、首を横に振りたかった。彼女に傷ついて、ほしくないから。

 でも、ここでウソをつくことは、彼女自身の根幹を否定することにも繋がって。


 エーヴァさんを騙したくない。それでも、哀れな乙女を肯定したくて、口を開こうとするが。


「……あたし、自分がわからないんです」


 か細い声だった。


「牢獄に閉じ込められて、自分はなんなんだろうって、考えて……。

 しばらくして、夢かうつつか頭が混乱してきて。冷たい牢獄の天井に自分がいて、フワフワした感じがしました。見下ろすと、あたしの身体があって、気持ち悪い顔で笑っているんです」


 白い肌に冷や汗が浮かぶ。清楚な銀色の髪はやつれ、荒れ果てた野原のよう。


「あたしの中に、悪魔が潜んでいるんだって、背筋が凍りつきそうでした」


 彼女が不安を吐露すると――。


「ほら、やっぱり悪魔じゃないか!」「穢らわしい魔族め、今すぐ消えろっ!」


 エーヴァさんの発言を聞いた人々が騒ぎ出す。叫びが木霊し、広場を埋め尽くす。

 僕が大声を張り上げても、彼女に届かないだろう。


 なんてことだ。

 まずは、民衆を鎮めないと。


 でも、どうしたら……?


「ここは、僕に任せろ!」


 聞き覚えのある、活発な少女の叫び声がして。

 風を切る音がした。赤髪の少女が曲芸師ばりのジャンプを披露して、僕の横に着地した。


「未来の大賢者ビアンカさま、ここに見参!」

「ビアンカさん?」


 ド派手な登場をしたかと思えば。


「グンニプハ!」


 彼女は偶然に頼った。

 グンニプハ。なにがわかるかわからない、偶然に頼った魔法だ。なぜ、ここで、こんな魔法を?


 つい、苦笑いがこぼれる。

 ところが、大道芸人はドヤ顔で。


「みんなー、ボクたちの歌を聞けっっ!」


 ビアンカさんが民衆に向かって、手を振る。

 すると――。


「「「「「ウェーイ!!!!!!!!!!!」」」」」


 殺伐とした処刑場が一瞬にして、ライブ会場のように変わり果てた。


「どうしたの?」

「ボクのグンニプハが炸裂したってわけ」

「炸裂?」

「今回の効果は、ここにいる民衆を魅了したのさー。今のボクは人気オペラ歌手みたいなもん」


 ここで幸運に恵まれるとは。


「けど、命令する力まではないから。ここからは、ボクたちで説得しよう!」

「ソフィもいるよ」


 続けて、ソフィさんも壇を登ってくる。横にはルビィちゃんもいた。


「もぉっ。胸が重すぎなんじゃないの。持ち上げるの大変だったんだからー」


 ぶつくさ言いながら、ラウラもやってきた。


「みんなー、あの少年に刮目せよ。彼の言葉を聞くんだぞ」


 大道芸人の言葉で、騒がしかった人々が静まりかえる。


「ありがとう、みんな」


 僕はエーヴァさんの足元へ移動する。

 そして、彼女を見上げ。


「僕も自分がわからなくなることがある」


 前向きな言葉では通じないと判断し、あえて僕は自分の懊悩をさらけ出した。

 僕はエーヴァさんと寄り添いたいから。

 

「僕もエーヴァさんと同じかもしれない」

「えっ?」

「僕の中にも、別の自分がいるんだよね」


 異世界で冒険者の支援をする僕と、日本で氷河期を過ごし病んでいた僕。


「もうひとりの僕は、報われない人生を、追放された過去に嫌気がさして、将来に希望が持てなくて……。やるせなさにのたうち回っていた」


「ラファエロさん?」


 彼女は意外そうに、僕を見下ろす。


「今でもどっちが本当の自分なのかわからない。悩むたびに自分の脆さに気づくんだよね」

「……」

「でも、だからこそ、僕はエーヴァさんに共感できるのかもしれない」


 一度、息を吸ってから、言葉を紡ぐ。


「僕はエーヴァさんと一緒にいたくて、同じ景色を見たいと思っている」


 彼女は僕の真上にいる。なのに、背伸びをしても、届かなくて。


「もちろん、僕は君じゃない。君が感じている世界を僕は知ることができない。それでも――」


 エーヴァさんは目を見開く。紫紺の瞳が、登りゆく陽を浴びる。


「僕は君と一緒にいたい。少しでもいいから、君の世界を僕も感じたい。それじゃ、ダメかな?」


 言いたいことは言い終えた。

 大勢の人が集まった広場。どれだけ長い沈黙が続いた頃だろうか。


「生きたい」


 かすかな声だけれど、しっかりと僕の鼓膜に届いた。


「本当の自分はなんなのかわからない。でも、ラファエロさんとお話できて、好きになって、街の平和を守ろうとパーティーを作って」


 薄紫アメジストの瞳から透明なモノがあふれ出す。


「すべて、あたしが望んだことで……」


 彼女の想いが結晶となった液体は、光を浴びて、キラキラと輝く。


「それだけは……本当のあたしだって言い切れるから」

「僕は信じるよ。エーヴァさんのすべてを」


 もう我慢できなかった。僕は十字架をよじ登る。エーヴァさんへと手を伸ばす。十字架を掴み、そのまま顔をすり寄せる。彼女の脛が、僕の鼻に触れた。彼女の温もりが、彼女の寂しさを主張していた。


 上から液体が降ってきて、僕の頬に落ちる。熱かった。涙は体温より低いはずなのに。

 ポタポタと、涙の雨が僕を掴んで、離さない。僕は彼女のすべてを受け止めたくて、何度も頬ずりをする。


「もしかすると、俺たち誤解してたんじゃないのか」「かもな」「けなげな子だねー」「あたしゃー好きだよ、こういう子」


 民衆のささやく声が聞こえ始める。

 やがて、壇の近くにいた兵士たちも反応する。


「そもそも、証拠不十分なんだよな」

「仮に、彼女が半魔族でも、それだけで有罪になるわけじゃないし」


 よし。希望が持てた。この流れで、エーヴァさんを十字架から降ろしてもらおう。


 十字架を降り、兵士のもとへ歩き始めたときだった。


「なっ、なんなのよ、あんたたち。ワタクシの命令が聞けないっての!」


 女性の金切り声が響いた。

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