第43話 広場

 ロベルトさん口を閉じる。彼の瞳から涙があふれ出ていた。


 妹ももらい泣きをしている。

 当然、僕もだ。胸の奥から深い感情がこみ上げてくる。自分をコントロールできない。


 悲恋。

 灰魔術士クライエントの真実。


 せつない。悔しい。はかない。

 複雑な想いが糸のように絡まって、僕の心を締め上げる。 


 僕は見えてなかった。

 エーヴァさんが話したり、顔に現れたり。表面から見えることばかりに囚われていて。


 初めて会ったとき、パーティーの人間関係で悩んでいるように感じられた。

 ありのままの自分を受け入れた彼女は、当初の問題から解放される。

 ついには、彼女自身の意思で、パーティーを立ち上げた。都市の見回り任務を引き受けたときの笑顔に、僕は安堵したんだ。


 クライエント《エーヴァ》の問題は解決し、これからは自律してやっていける。僕の仕事は終わった。僕の仕事は冒険者の活動に対する支援だから。


 なのに、僕は大事なことを見落としていて、彼女の不自然さや不安に気づいてあげることができなかった。


 悔しくてたまらない。

 でも、だからこそ、落ち込んでいる場合じゃない。これ以上、後悔したくないんだ。


「ロベルトさん」


 僕は悲運の父親に、できるだけ力を込めたまなざしを送って。


「なんとしても、お嬢さんを守ってみせますから」


 啖呵を切る。


 気持ちで負けてはいけない。前向きな言葉を口にしつつも、裏では冷静に考える。熱くなって想いだけで先走っても、取り返しのつかないことになるからだ。


 現実を直視すると、厳しい状況と言わざるを得ない。

 図らずも、父親の口から、エーヴァさんが半魔族であることが明らかになってしまった。偽証するわけにもいかないし、刻印の件もある。


 半魔族であることを認めたうえで、エーヴァさんが犯人ではないことを証明するしかない。


 都市にモンスターが現れたとき、1回目も2回目も僕とエーヴァさんは一緒にいた。そのとき、彼女は怪しい素振りを見せなかった。そういう意味で、彼女は無罪である可能性は高い。


 なのに、僕が彼女の無実を訴えたところで、所詮は身内の擁護となる。アリバイを主張するには弱い。僕の立場としては、情状酌量を訴えるしかないのか。


 頭を悩ませていると。


 ――ドン、ドン!


 ドアが激しくノックされる。


「だ、誰よ? うるさいわね」


 妹がぶつくさ言いながら、玄関へ。

 数秒後、足音とともに現れたのは、大道芸人だった。


「みんな、大変だよっ!」


 ビアンカさんの顔から余裕が消えている。


「なにかあったんですか?」

「……エーヴァちゃんが処刑されるかも」


   ○


 広場は人で埋め尽くされていた。

 深まりつつ秋の朝は、雨季のように蒸していた。人々が発する呼気によって。


 大衆の視線は、広場中央に向かっていた。


 そこには、即席の舞台が作られていて。

 壇の中央に、十字架の柱が立っていて。


 ロープで手足を巻かれた彼女が、柱に固定されていた。水平にした両手は横棒に結わえられ、力を失った手首がダラリと垂れている。

 気絶しているのか、顔は伏せていて、まるで生気を感じられなかった。


「あれが魔女なのか」「清純そうな顔して、とんだビッチだっ!」「あんた、見た目に騙されるんじゃないよ」「魔族だと。先の大戦で死んだ息子の仇じゃないか」


 はりつけにされた、哀れな子羊に向かって、善良な市民たちが侮蔑の言葉を投げ捨てる。


 悔しかった。

『おまえたちに彼女のなにがわかる!』

 そう怒鳴りたいが、僕ひとりの声はかき消されるであろう。


 無力感に唇を噛みしめていると。


「ラファエロちゃん」


 横から袖を引かれた。


 ソフィさんだった。南国の海を思わせる水色の瞳は、赤く濁っていた。

 唇を噛む仕草から、僕はソフィさんの気持ちを推測する。


 ソフィさんが僕のところに来たのは、エーヴァさんの後をつけたから。きっかけを作ったエーヴァさんの件は、やるせないのだろう。


「大丈夫。僕がなんとかするから」


 自分に言い聞かせるためにも、あえて笑顔を作った。


「……ううん、一緒に助けよ」


 昨日までは弱々しかった少女は僕の横に並び立つ。青髪が風になびき、僕の肩をくすぐった。


 ソフィさんだけでなく。


「じゃあ、突撃班はボクと妹ちゃんな。大道芸人の力を舐めんなし」

「たまには、お兄ちゃんに良いところを見せないとね」


 やたらと距離感の近い大道芸人と、妹の笑顔が勇気をくれる。

 僕には味方が4人もいる。

 なお、ロベルトさんは僕の家に残ってもらった。


「みんな、ありがとう。まずは、近くまで行くぞ」


 ところが、気持ちとは裏腹に、半ば暴徒と化した民衆が邪魔になって進めない。


「みんなー、ボクに任せてくれ」


 ビアンカさんは胸を叩いて、ドヤ顔を決める。


「みんなー、臭い息だぞっっっ!」


 大道芸人が大きく息を吸い込んで、胸を膨らませる。彼女の口から空気が漏れ――。


「「「「ごほっ」」」」


 周囲の人たちがむせた。腐ったチーズと、ニンニク、シュールストレミングが混じったような独特な悪臭だった。すぐに人々が僕たちから遠ざかっていく。


 僕たちの前に道ができる。

 手段はどうあれ、興奮状態にあった人々を動かしたのは、ビアンカさんの力だ。


「ありがとう」

「ここは俺に任せて、みんなは先に行ってくれ」


 ビアンカさんは大げさに苦しそうな顔をする。赤髪がパサリとなびく。


「お兄ちゃん、バカは放っておいて、行くよ」


 近づいていくにつれて、エーヴァさんの顔がはっきりしていく。

 たった一晩でやつれ果てた彼女を見るのが辛かった。


 周りから彼女に飛ばされるヤジが、僕にダメージを負わせてくる。

 数人の仲間を除いて、世界が敵に感じられた。


 でも、それでも。

 僕は前に進む。


 エーヴァさんは僕のクライエントだから。

 彼女と一緒にいたいから。


 もし、彼女が最悪の事態に陥ったとしても、最後の最後まで僕は彼女に寄り添おう。


 僕の職務を超えているだろう。

 そもそも、都市が運営するギルドと契約している立場だ。都市の治安を守らなければならない。僕がエーヴァさんを弁護しようものなら、僕まで糾弾されるかもしれない。


 頭では理解できていても。

 ただ、ただ、僕は不幸な少女と一緒にいたかった。


 僕だって、異分子だから。

 異世界に転生してきて、人生をやり直して、誰にも秘密を打ち明けないでいる。

 魔族の血を引いているか、異世界から来たかの違いはあれど、僕たちはマイノリティだ。


 僕が勇者パーティーを追放され、この街に来て、エーヴァさんやソフィさんと出会った意味を考えてしまう。

 偶然かもしれない。けれど、僕にとって偶然は必然で……。


 いま、ここにいる自分が、現実と向き合う。そして、非情な世界を変えていくんだ。


 ようやく、たどり着いた。

 右手を壇の上に置く。手に力を込め、壇上に登ろうとするが。


「おまえたち何をしている!」


 兵士が阻止しようとしてきて。

 その後ろに女騎士がいて。

 妖艶な美女は、酷薄とした笑みを浮かべていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る