第42話 悲恋
俺、若い頃は、やんちゃでな。地元の村で大工仕事をしていた。
田舎の生活が退屈すぎて、鬱憤が溜まっていた、ある日。俺は見知った行商人と酒を飲んでいた。酔いが回った彼は懐から1枚の紙を取り出す。
『義勇軍募集! 我こそはと思う若者よ。今こそ魔王軍に報復する時だ!』
チラシには、そう書かれていた。
一旗あげるチャンスじゃないか。酒が一瞬で抜けていく。それでも、身体の奥からみなぎる興奮が、俺を酔わせた。
数日後。俺は村を飛び出す決意を固める。
義勇軍を募っている都市まで、徒歩で10日。すでに行商人は村から出発していた。彼を頼れない。自力で移動するには馬車を借りるのがベスト。だが、金もない。歩いて移動するしかないが、悠長なことも言っていられない。最短距離を行こう。
地図を見る。森を抜けるルートが一番近かった。
意気揚々と旅に出たはいいものの。森に入ったのは、失敗だった。
道に迷ったのだ。朝のうちに森に着いたのに、気づけば夕方。木々の合間から見える赤い空が恨めしい。とりあえずの食料はある。が、モンスターに襲われないとも限らない。遠回りしてでもいいから、街道を行くべきだった。
不安の一夜をすごし、翌朝、気を取り直して、森を進む。
ところが、その日の夕方になっても、森を抜けられない。いつの間にか、陽が見えない場所にいて、方角もわからなくなる。ただ、赤く染まった木々が時間を教えてくれていた。
最悪だ。心が折れかけたとき、水の音が聞こえた。小川だった。とりあえず、身体でも洗うか。
一目散に向かったが、水に入る直前で、足を止めてしまった。先客がいたからだ。
雪のように清楚な白い肌と、透き通るような銀色の髪。
全裸の美少女が水浴びをしている。幸か不幸か、背中を向けていて、俺に気づいていない。
見てはいけないとわかっていても、身体がいうことを聞かなかった。
やがて、彼女が振り返る。神々が作り上げた美に俺は息を呑む。
とりわけ目を惹いたのは、腹部の刻印だった。裸体の乙女がリンゴをかじっている。神々しさと禍々しさが入り交じった、不思議な紋様だった。
「……す、すまない」
早鐘を打つ心臓を押さえながら、俺は後ろを向く。そのまま、立ち去ろうとしたのだが。
「お待ちくださいまし」
穏やかな声に呼び止められる。
「ここは迷いの森。ひとりでは出られませんよ」
そうだったのか。向こうみずな自分が急に恥ずかしくなる。
「あんたは?」
「あたしは人里を離れて、ここで暮らしております」
彼女は服の衣擦れの音を立てながら、答える。
どこか声色が寂しそうだった。
俺は、なぜか少女が放っておけなくて。
「俺、村が退屈で出てきたけど、自然に囲まれて暮らすのも悪くねえかも」
自分でもよくわからないことを口走っていた。義勇軍に志願したい気持ちがすっかりなくなっていた。
今から思えば、一目で恋に落ちていたんだと思う。
「あたしはサロメといいます」
「ロベルトだ」
「ロベルトさん。立ち話もなんですから、あたしの小屋に来ませんか」
俺はサロメの案内に従って、彼女の小屋に行く。
1泊し、2泊し、大工として小屋の修繕を引き受けて。気づけば、俺は森での生活を楽しみ始めていた。
日々、サロメが愛しくなっていき、彼女に対してはぶっきらぼうな態度を取れなくなっていった。素直に優しくすると、サロメはうれしそうに頬を緩める。ますますサロメのことが好きになって、彼女を褒める。サロメは喜ぶ。その
俺たちは自然と結ばれ、数ヶ月後。サロメは身ごもった。
それが悲劇の始まりだった。
「ごめんなさい。あたし、隠していたことがあるの」
サロメは大きくなった腹をさすりながら、服をめくりあげる。
彼女は自身の腹部に刻まれた刻印を見やる。紫紺の瞳は、怒りと哀愁に満ちた複雑な色をしていた。
「あたし、実は……魔族なの」
頭をかち割られたようだった。
魔族……? サロメがだと。信じられない。森でさまよっていた俺に居場所を与えてくれた、こんなにも優しい人が。
「刻印が魔族の証よ」
「本当なのか……?」
俺が呆けると、はかなげな笑みを浮かべて、サロメはうなずく。
数ヶ月の同居でわかっていた。他人を騙す人ではないと。
「でも、あたしは人と争いたくなくて、魔族の里を出た。誰とも関わらないで生きていくつもりが、
アメジストの瞳に、大粒の雫が集まる。
俺は無言で最愛の人を抱きしめた。
それから、今後のことをふたりで話し合った。
子どもを堕ろそうという案だけは、出なかった。
では、子どもをどこで、どう育てるか。
それが最大の問題だった。
俺たちは悩んだ。森にいれば、トラブルに巻き込まれることはない。しかし、子どもは世界と隔絶されてしまう。
半魔族は、魔族以上に穢れた存在と、人間たちは考えていた。魔族は倒すべく悪。魔族の血が混ざったハーフは、堕落した人間の象徴なのだ。
しかし、俺は世間の常識に反感を抱いていた。
サロメと交わるに従って、魔族だから悪とは限らない。そう考えるようになったから。彼女があまりに、純粋だったから。
サロメと話しているうちに、共通の夢ができあがっていく。
俺とサロメの夢は、魔族とヒューマが共存できる社会を築くこと。俺たちの子どもは、憎しみでなく、平和を愛するようになってほしい。
それが答えだった。
平和を愛するようになるには、世間を知った方がいい。
あえて人間の中で暮らすことを、俺たちは選んだ。
森からそう遠くない都市が、アレッツォ。こうして、俺たちはこの街にやってきた。
俺は無事に大工の仕事を見つける。活気のある街で、サロメは女の子を産んだ。
エーヴァはサロメ似。ほとんど泣かず、親の手をかけない。おとなしすぎて、心配になったくらいだ。
俺は妻と娘がかわいすぎて、なんとか家族の生活を守りたいと思うようになっていた。
そのためには、収入が必要だ。大工仕事の数を増やす。でも、妻の手伝いもしたい。体力の限界まで、仕事と家庭のことに打ち込んだ。
充実した日々だったが、今にして思えば、悔いが残って仕方がない。
近視眼的になり、大事なものを見ていなかったから。
エーヴァが生まれたころ、魔王軍と人間の争いは激しくなっていた。先代勇者の軍が魔王城に向かって進軍していた。
鼓舞された各都市は、正規軍や義勇軍、冒険者たちは、魔族に対して攻めに転じる。
アレッツォの近くの平原も戦場になっていた。
当然、戦死者もいた。身内を魔族に殺される人も多く、日増しに魔族憎しの声が高まっていく。
空気に危機感を抱いた俺は、サロメを気遣う。しかし、彼女は笑みで返すばかり。
俺にできることは、仕事と家事しかない。少しでも、妻の役に立てばいい。そう、自分を納得させた。
そう思って、睡眠を削って働いていた、ある日のこと。
明け方から大雨だった。屋外で働くのが無理だった。
急遽、仕事が休みになり、俺は家でエーヴァの世話をすることに。たまには、妻に楽をさせてあげようと思ってのことだ。
「あなた、ごめんなさい。用事ができてしまって……」
「こんな雨の日に?」
「ええ、ごめんなさい」
サロメは伏し目がちで、俺と目を合わせようとしない。
妻の様子に違和感を覚えたが、子どもを休日の俺に預けることの罪悪感だと思った。
「娘のことは気にするな。たまには、羽を休めてこい」
俺が言うと、サロメは微笑で答える。
それが最後に見た、妻の笑顔だった。
夕方になっても、サロメは戻ってこない。
なにかがおかしい。直感で、俺はサロメの身の回りの品を探す。
そして、置き手紙を見つけた。
『ごめんなさい。大切な娘と、最愛のあなたを残して、旅に出ることを。
争いのない世界が来てほしい。
そう、思って、子どものためにも、この街で生きていくことを決意しました。
ですが、人間も、悪魔も……見えざる敵への不安に怯え、怒りに身を任せています。
あたしは人々を見ているうちに、辛くなってきました。森を出たのは間違いだったのではないか、と。
あたしは罪にまみれた、弱き女。自分が魔族だと知りながら、あなたと交わり、
あなたを愛した過去や、エーヴァと暮らす今を後悔していません。
先が見えない、未来に対して、恐怖を感じているのです。
魔族であるあたしが、大切な娘と旦那を窮地に追い込むのではないか、と。
だから、あたしは森に戻って、二度と人々と交わらないようにしたいと思います。
勝手な行動を許してほしいとは言いません。
あたしを憎んでくださっても構いません。
ですが、娘のことだけは……どうか。
エーヴァには生い立ちのことを告げないでください。
そして、平和を愛する、優しい子に育ててください。
最後に。
あの子が……万が一、真実を知ってしまったら。これだけは、これだけは伝えてください。
あたしは魔族。あなたは
あなたは、あなたの人生を生きて。
あたしのように負けないで。
守れなくて、そばにいてあげられなくて。ごめんなさい、エーヴァ。
ロベルト、エーヴァ。愛してるわ』
手紙はそこで終わっていた。震えた文面や、しわしわの紙から哀愁が漂ってくる。
すぐに外に飛び出そうとした。しかし、既に夕方。街からは出られない。今からでは遅すぎる。
俺は悩んだすえに、サロメの願いを受け入れることにした。
あとは、先日、話したとおりだ。
俺はエーヴァをひとりで育て、娘に平和を大切さを説いた。
事情を話さなかったにもかかわらず、娘は素直に聞き入れてくれた。
ちょっと理想主義者な面はあるが、争いがない世界を本気で望んでいる。
まさに、俺とサロメの子。人間と魔族のハーフは忌み嫌われているはずなのに、心根が綺麗で……。
うっ。
大それたことをしでかす子じゃないのに。
半魔族の血がどうとか知らねえ。俺は娘を信じる。
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