第40話 挫折
「なにを言ってるの、エーヴァさん?」
「さっきも言いましたけど、あたし、頭が真っ白になって……自分が自分でないみたいにフワフワすることがあるんです。記憶も飛んで、自分がなにをしたかわからないこともあって」
そういえば、心当たりがある。
エーヴァさんが僕を初めて訪ねてきた日のこと。平和を愛する気持ちを訴えていた彼女が、突然モンスターを殲滅したいと言い出した。一瞬のことだったし、すぐに元に戻ったので気に留めてなかったが……。
今から思うと、あのときのエーヴァさんは異常だった。
「森でオークキングと戦ったときも同じでした。気づいたら、攻撃魔法を放っていて。もしかしたら、あたし……」
博愛主義者の少女は両手で胸を抱き寄せる。
「エーヴァさん」
嗚咽を漏らす彼女がいたたまれなくて、僕の声も震えてしまう。
「ごめんなさい、あたしが……たぶん」
「もう、いいですよ」
僕は彼女の発言を遮った。
これ以上、傷ついてほしくないから。
これ以上、自分が傷つきたくなかったから。
エーヴァさんが悪くないってわかっている。
けれど、エーヴァさんには、彼女すら知らない顔があって。
半魔族の証である刻印まである。
誤魔化すには無理がありすぎた。
状況が最悪すぎる。
僕だって信じたくはない。
けれど、けれど。
おそらく、彼女自身が言わんとしていることが事実なのだろう。
そう思った瞬間。世界が灰色になり、なにも見えなくなってしまった。
「おにいちゃん」と妹の声がぼんやりと聞こえる。しかし、音は鼓膜を素通りし、言葉としての意味をなしていなかった。
肩を揺さぶられる。肌触りから妹だとわかる。なのに、身体が無機質な鉛になったようで、妹を感じられなかった。
急速に世界から隔絶されていく。
冒険者を支援するラファエロ・モンターレではなく、氷河期ウツを患っていた氷室誠に戻ってしまったような気分に陥る。
激しい無力感が全身を包み込む。
ああ、結局――。
どこまで行っても。人生をやり直しても。
僕は孤独なんだ。
ひとりぼっちで。いじめに遭って。
社会の変化が残酷すぎて。理解のない人々からは、『おまえらがダメなのは、自己責任だ』と、罵られ。どんなに頑張っても、僕を取り巻く世界は、良くならなくて。
理不尽な死に方をして、ようやく夢を見つけられて、実現したと思ったら。
リア充で陽キャな勇者に、希望を奪われて。
今度こそは。今度こそは。
自分が変わって。周りの役に立って。
みんなも、自分も、幸せになれるよう頑張りたい。
そう願っていたのに。
信じていた人に、裏の顔があるかもしれなくて。
もともと脆弱だった、自分の基盤が粉々に崩れ去っていく。
騙された。僕は騙されていたんじゃないか。
エーヴァさんの柔らかな笑顔に。純粋そうに理想を語る彼女に。
頭ではわかっている。悪気はないって。
エーヴァさんは魔族と人間のハーフ。なんらかの力が彼女を暴走させたのだ、と。
けれど、心が受けつけてくれなかった。
胸に穴が空いたかのごとく、息が苦しい。
もうダメ。立っていられない。思わず膝をつく。膝頭をレンガにぶつける。冷たい感触が痛かった。
これから、どうしたらいいんだろう?
ひとりで絶望を味わっていたら――。
『陰キャおっさん、マジで辛気くさいっての』
頭の中に女性の声が響いた。
『わたしがしたことに意味がないと思ってんの?』
女神だ。僕を転生させて、無意味に苦しめた張本人。
『あんたさぁ、マイナス思考がマシになったと安心していたら、これ? わたしに責任を転嫁しないでよ』
心を読まれたらしい。
『とりあえず、これだけは言っておく。この女神様がゲームする時間を削ってまで、あなたに試練を与えたんだよね。きちんと理由はあるんだから。意味を考えなさい』
「意味がある……?」
女神からの反応はなかった。
ただ、ただ。意味という言葉が僕の胸に突き刺さる。
と同時に、閉ざされていた世界が崩壊していく。
目は形や色を、皮膚は人の温もりを、耳は足音や鼻をすする音を、鼻は芳香を。それらの感覚が蘇る。
僕は現実を認識する。
ソフィさんに抱きしめられていたらしい。
「よかった。ラファエロちゃんがひざまずいたから心配で、心配で」
頭を撫でられる。
心地よさとともに、勇気も湧いてくる。
数時間前まで、自分を肯定できなかったソフィさんに、僕が励まされて。
これも僕がしてきたことの意味かもしれない。
「ありがとう」
僕は気持ちを奮い立たせて、立ち上がるが――。
遅かった。
開いたドアから秋の夜風が入ってくる。銀髪の少女は後ろ髪がなびかせ、酒場から出ていこうとする。兵士に両腕を掴まれていた。
「エーヴァさん!」
僕は慌てて追いかけるも。
「ラファエロさん、あたしは大丈夫ですから」
彼女は振り向いて、穏やかな笑みを浮かべる。
「ラファエロさんまでいなくなったら、誰が苦しんでいる冒険者を支えるんです?」
その言葉が僕の胸に深く突き刺さる。
僕は寂しそうな背中を、黙って見送るしかできなかった。
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