第34話 懊悩

「お兄ちゃん、良い天気だし、気分転換に散歩でも……」

「ごめん、ラウラ。が来たとき、僕がいないと」

「だよね。お兄ちゃんはそういう人だもんね」


 妹はニッコリと微笑むも、ため息を吐く。


「でも、もう予約時間を15分すぎてるよ。キャンセル扱いになるんじゃないの?」

「そうだね。ルール上は……。次のクライエントの予約があったら、待たせちゃうからね」

「……」


 ラウラはポンと手を叩く。納得した様子が、地味にメンタルを攻撃してくる。


「暇だから、自動キャンセルの意味がないというオチ?」

「……それもあるけど、僕には待つことしかできないから」


 ソフィさんのお父さんが現れてから、数日が経っていた。今日は、ソフィさんとの面談の日。キャンセル扱いになる時間をすぎていた。


 おそらく、彼女は来ないだろう。わかっていても、やるせない。


 僕が唇を噛みしめていると、ラウラが膝の上に座ってくる。


「ちょっ、ラウラさん?」

「どうしたら、お兄ちゃんが元気になるかなって思って……」


 妹は腰をひねり、僕の方を向く。髪から甘い香りがして、クラクラしかける。


「だって、ここ数日のお兄ちゃんを見てると、こっちまで苦しくなるんだもん」

「ごめん、心配をかけて」

「ううん、わたしのことはいいの」


 妹は首を横に振ると、僕を試すように見つめてくる。


「それでも、ソフィさんを待つの?」

「うん。僕は彼女と関わってしまった。だから、もう他人じゃない。とても大切な人なんだ」

「……」

「本当は良くないってわかっている。クライエントの意思が最優先だからね。彼女が来ない理由があるなら、僕はそれを受け入れないといけない」


 家庭の問題でもある。

 だから、僕は積極的な行動に出られない。

 頭では納得している。


 しかし、心はちがった。


 最後に見たソフィさんの背中が、ここ数日、何度も脳裏に浮かんでいた。


 僕には自分の気持ちを殺しているように見えて。

 思い出すたびに、胸がかきむしられそうになっていた。


 なんとも言いようのない空気が室内に漂う。

 どれぐらい、沈黙が流れた頃だろうか。


 ドアをノックする音が聞こえた。

 受付さんかもしれない。すぐに僕は居住まいを正す。


「どうぞ」

「あっ、よかった。ラファエロさん!」


 エーヴァさんが息を切らして、肩を小刻みに震わせている。ただごとでない雰囲気が伝わってくる。

 僕は腰を浮かせて、たずねた。


「どうしたんですか?」

「あの子が……」

「あの子?」


 僕はラウラに目配りをする。妹は水差しからコップに水を注ぎ、エーヴァさんに渡した。エーヴァさんは飲み干すと、話を続ける。


「あたし、今日、とあるパーティーのお手伝いで冒険に出たんです。帰り道、門のところで、青髪の女の子を見かけて。この前、ここで会った子です。ほら、ドアの前でストーカーしてた」


 僕はうなずく。ソフィさんのことだ。


「彼女が男の人と一緒にいて……今にも死にそうな顔をしていたので、気になって」

「エーヴァさん、男性はどんな感じの人でした?」

「色白で、神経質そうな人でした」

「それなら、彼女のお父さんだよ」


 エーヴァさんは胸をなで下ろすが、僕の気は晴れない。


「彼女、死にそうな顔をしていたんですよね?」

「ええ。この世の終わりみたいな感じで……ええっと」

「どうしたんですか?」

「そういえば、『帰りたくない』と言っていたような」

「帰りたくない?」


 どこで、ソフィさんはその言葉を発した?

 門の近く。都市の出入り口だ。しかも、故郷から来たお父さんと一緒に。


 まさか、ソフィさんは故郷に戻ろうとしているんじゃ。

 エーヴァさんの発言だけを聞くと、ソフィさんの意思とは関係ないように思えた。


 推測を重ねるのがよくないと理解していても、状況が状況だけにどうしても気にかかってしまう。


 今のまま地元に帰ったら、ソフィさんはどうなるんだろう?

 モヤモヤした気分を抱えたまま、親の言いなりになって人生を歩んでいくのか?


 初めて会ったときの青ざめたソフィさんと、幻獣と楽しそうに遊ぶソフィさん。

 僕はソフィさんが希望を持てるよう、お手伝いをしたいんだ。


 なのに、僕の方から積極的に動けなくて。彼女に来てもらわないとダメだから。


 もどかしさのあまり、髪をかきむしる。


「ラファエロさん」


 エーヴァさんが天使のような笑みを浮かべていた。


「あたしが案内します」

「えっ?」

「あたしが落ち込んでいたとき、ラファエロさんが探してくれて、うれしかったんですよ」


 夕陽のもと、寂しそうにたたずんでいたエーヴァさんの姿が脳裏をちらつく。あのとき、僕が能動的に関わったから、彼女は自立しようと思えたわけで。


 もちろん、家族は大切だ。家の掟に縛られ、父親が絶対的な力を持っているのかもしれない。


 けれど、僕のクライエントは、さんだ。ではない。


 僕はソフィさんの側に立ちたい。彼女の家庭のことに踏み込むことになっても。本当は良くないことだとわかっていても。


 ソフィさんにとって良い道になるよう、僕が支援すればいいのだ。


「エーヴァさん、お願いします」


 僕が笑顔で返すと、エーヴァさんは満足そうにうなずいた。

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