第33話 彼女の事情

「お父さま。ど、どうして……?」

「様子を見に来た。故郷を出て、1年も経つ。少しはまともになったかと思ってな」


 会話の流れから察して、ソフィさんの父親だろう。40歳ぐらいの男性は色白で線が細い。神経質そうな雰囲気が伝わってくる。


「ギルドに行って、おまえのことを訊いてみた。受付嬢は個人情報とやらで教えてくれなかったが、冒険者に酒を驕ったら教えてくれたんだ。おまえ……」


 ソフィさんの肩がピクリと震える。


「役立たずでパーティーを追放されたらしいな」


 さっきまでの自信満々な態度から一変。怯えた子リスのようになる。


「おまえを探すついでに、この人に街の案内をしてもらっていたんだ」


 彼の後ろから女性がやってくる。何度か見かけた、ビキニアーマーの冒険者だった。


「おかげで、娘も見つかった。シルヴァーナさん、ここまでで大丈夫だ」

「いいえー、気にしないでくださいまし。おじさま、パーティーの男連中よりダンディーですもの。ワタクシも楽しめましたわ」

「……あいにく、私は愛妻家なのだよ。将来は村長になる人間だ。女性スキャンダルは怖くてね。今日のことは内密にしておいてくれ」

「あらあら。火遊びがお好きですこと」

「私は氷人族だ。火遊びは苦手なのだが」


 ビキニアーマーの人は妖艶な笑みを浮かべ、『では、娘さんとお楽しみを』と言うと、背中を向ける。


 そのまま立ち去るかと思いきや。彼女は振り返り、僕たちを一瞥。その瞬間、背筋がぞくりと粟立った。


 僕、なにかしたっけ……?


「そうそう。みなさまもお気をつけくださいませ。敵は身近なところにいますわよ」


 意味がわからないことを言って、女騎士さんは僕にウインクを送ってくる。


「どういうことですか?」

「彼女には注意なさいまし」

「どういうことですか?」


 2回目の問いには答えず、女騎士さんは去って行く。


「お兄ちゃん、まさか手を出したんじゃ」

「ごめん、まったく心当たりないんだけど……」


 妙な空気を追い払ったのは、冷気のこもった声だった。


「話は戻る。ソフィア、これはどういうことだ?」


 妙な堅苦しさを感じる。ソフィさんのお父さんが、娘を愛称で呼ばないのも気になった。

 父親は青ざめた顔の娘を睨めつける。


「我が家の掟に背き、召喚術士になりたいだ、と。しかも、炎を吐く小竜を操るではないか。ふざけるのもたいがいだな」


 うつむいたソフィさんは肩をわなわなと震わせる。それだけでなく、ルビィちゃんの身体が透明になっていき、徐々に空気へと溶けていく。


 ルビィちゃんは本来暮らす幻界へと戻ったのだろう。

 ソフィさんの精神状態が悪化したことによって。


 親子の問題に立ち入るのを迷っていたが、見ていられない。ソフィさんにお父さんと向き合う覚悟がないようだし。僕がフォローしよう。


「すいません、娘さんのことで……」

「君が娘をたぶらかしたのだな」


 ソフィさんとお父さんの間に割った入るが、取り付く島もない。


「僕はラファエロ・モンターレと申します。職業支援士という仕事をしていて、冒険者のサポートをしているんです。お嬢さんが僕のところに相談に――」

「知らないな。そんな怪しい職業」

「うっ」


 言葉に詰まってしまう。職業支援士。現役の冒険者ですら、一部の人しか認知していない職業だ。胡散臭く思うのも仕方がない。


「職業支援士はギルドがしている事業です。冒険者が活き活きと冒険できるよう相談に乗ったり、スキル開発のお手伝いをしたり、転職を支援したり。冒険者の働き方改革を支援する仕事をしてます」

「ふーん。なら、やっぱり、君がソフィアをそそのかして、召喚術士にさせようとしたんだな。この子は立派な魔法剣士にならねばならないというのに」


 冷たい声音で言われてしまう。


 ソフィさんのためにも反論したいが、相手は家族だ。理解が得られるように説得しないといけない。


 それに、本来はソフィさんが自分自身で立ち向かった方が良い。僕が一生助け続けるのは無理だから。

 とはいえ、今の彼女に勇気を要求するのは酷である。


 さて、どうしたものか。この人は僕のことを決めつけている。事実や、論理的な筋道を立てて話したところで、聞く耳を持たないだろう。


 まずは信頼関係を作らないと。


「お父さん、ちょっといいですか?」

「君にお父さんと呼ばれるいわれはない。エドモンドだ」

「エドモンドさん、お嬢さんを立派な魔法剣士にしたい理由はなんですか?」


 質問を投げる。彼の価値観を知りたくて。


「一族の掟のこともあるが……」


 エドモンドさんは言い淀む。しばらく娘を凝視した後。


「せっかくだから、ソフィアも聞くべきだ。真実を知れば、くだらないペット遊びに現を抜かすこともなくなるだろう」


 ソフィさんの目が一瞬だけ鋭くなるが、父親に見られるとすくみ上がった。


「私には姉がいてね。立派な魔法剣士だったよ。本当に強かった。ひとりで氷山に行って、熊を素手で倒してしまうような人だ」


 エドモンドさんの瞳が上を向く。過去を懐かしんでいるらしい。眉間の皺が消え、穏やかな顔をしている。


「15年前。氷人族を代表し、姉は魔王討伐の部隊に加わった。勇者パーティーには入れなかったが、一族の誇りだったよ。先代勇者様の露払いとして大活躍したと聞いている」

「お姉さんのご活躍がうれしかったんですね」

「ああ。そうだな。でも――」


 急に声のトーンが落ちる。


「姉は亡くなってしまった。魔王城の手前で。魔王軍の四天王と戦って。相手の卑劣な手段に屈したと聞いている」


 感情を言葉に出してなくても、震える声が彼の気持ちを伝えていた。


「悲しかったんですね。悔しかったんですね」


 僕がエドモンドさんの感情を言葉にすると。


「だから、私は強くなることを求める」


 順接の接続詞を使うことで、彼は己の感情を間接的に認めた。

 ソフィさんに厳しさと愛情が入りまじったような目を向ける。


「結局は、姉は強くなかったのかもしれない。たとえ、闇討ちされようが、対応できるのが真の強さだ。非情なようだが、二度と姉のような人間に出てほしくない。家族に不幸を味わわせたくない」


 ソフィさんは父親の口を真剣に見ていた。先ほどまでの怯えは見えなかった。

 エドモンドさんはしばらく娘を見つめる。なにかに逡巡しているようだった。

 1分ほどすぎた頃、父親は重々しい口を開く。


「姉の名前は、『ソフィア』という。『ソフィ姉さん』と呼んでいた」

「っ!」


 ソフィさんが目を見開く。彼女も知らないことだったらしい。


「ソフィ姉さんが亡くなった直後、ソフィアは生まれた。目元がソフィ姉さんに似ていてな、ソフィ姉さんの生まれ変わりだと思ったよ。だから、ソフィアと名づけたんだ」

「……お父さま」

「ソフィアはかわいかった。だが、ソフィアを見ているうちに、だんだんと胸が苦しくなっていったのだよ」

「胸が苦しく?」


 僕はエドモンドさんの感情を拾う。


「家の掟に従って、この子が冒険者になって、万が一のことがあったら、私は悔やんでも悔やみきれない。身内を失う苦しみは、こりごりだ」

「……お父さま」


 ソフィさんの声に憐憫の情が感じられた。


「だから、ソフィアにはソフィ姉さんを超える強さを身に着けてほしかった」


 ソフィさんはギュッと唇を噛みしめる。水色の瞳に涙が浮かんだ。


「おまえには厳しく修行させてきた。でも、父親との修行では成長しないらしい。そこで、おまえを旅立たせた」

「……」

「ギルドに行って、おまえのことを知らされた私がどれほど惨めだったことか。魔法剣士としてはレベルが低く、ミスばかりだという。そんなことじゃ、ソフィ姉さんに顔向けできない」

「……ご、ごめんなさい。お父さま」


 ソフィさんは素直に謝った。


「なら、気を引き締めて、特訓することだな。今後は一切の甘えを許さない」

「はい、お父さま」

「遊んでいる暇はない。帰るぞ」

「は、はい」


 エドモンドさんは娘の肩をポンと叩くと、僕たちに背中を向ける。


「す、すいません。ソフィ、やっぱり」


 ソフィさんが気まずそうに僕たちを見る。


 僕には笑顔で、遠ざかっていくソフィさんを見守ることしかできなかった。

 少女の丸まった背中に、秋の夕陽が注がれる。ただひたすらに、はかなげだった。

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