第31話 ナラティブ

「ルビィちゃん?」


 その名前を僕が口に出す。

 すると、ソフィさんがニッコリした。あどけない笑顔に見とれそうになる。


「そ。幻獣なの。ソフィのお友だち」

「僕にルビィちゃんのことを教えてくれないかな?」


 コクリとうなずいたあと、内気な青髪の少女は語り出した。


「ソフィ、3歳の頃から修行をしてきた。立派な魔法剣士になるために、お父さまに躾けられていたの」


 瞳孔が左上に動く。過去を振り返る目は複雑さに満ちていた。


「お兄さまと一緒に氷を作ったり、薪をひたすら割ったり。魔法を使う習慣と、体を作るため。おかげで、手は豆だらけだった。ツラかった。けど、お兄さまがいたから、楽しかった」

「ツラかったけど、楽しかった?」

「そう。寝る前にお兄さまが童話を読んでくれたの。『ソフィは小さいのに頑張って、良い子だよ』って。だから、お兄さまからご褒美がもらいたくて、ツラい練習に耐えていた」


 ソフィさんの目は活き活きとしていた。自己肯定感が低い彼女はいなかった。


「お気に入りの童話があったの。幻の世界の動物たちが出てきたんだよね。お兄さまの声を聞きながら、眠りに落ちていく。夢うつつの世界で、ソフィは動物と友だちになれたの」


 ソフィさんは水色の髪をいじる。


「そんなことを繰り返しているうちに、起きているときでも脳内に動物が出てくるようになった。たとえば、薪割り作業してるときとか」

「脳内に動物?」

「ん。いわゆる、妄想。なかでも、仲良しだったのが、小竜のルビィちゃん。そのときは、まだエアペットだったんだけど」


 小竜という言葉で、僕は先日の幻獣を思い出す。


「脳内ルビィちゃんとの遊びは、10歳になるまで続いたの。恥ずかしいよね」

「僕はソフィさんのことを恥ずかしいと思いませんよ」


 うなだれたソフィさんを肯定すると、彼女は上目遣いで僕を見つめてくる。


「いま思えば、10歳の頃が人生のピークだったかな」


 14歳の子が4年前のことを人生のピークだと言っている。彼女なりの複雑な事情があるのだろう。

 逆に、ソフィさんが発したキーワードを返す。


「人生のピーク?」

「そ。成長するにつれ、剣の方はダメになっていったから。特に、12歳ぐらいの頃かな。胸が膨らみだしてからは、さっぱりダメ。動くと痛いし。胸なんか邪魔だった」

「……」

「お兄さまはソフィを労り、『無理する必要ないからな』と、言ってくれて。うれしいと同時に、置いて行かれた気がして、寂しくなって」


 僕は身を乗り出すようにして、首肯する。彼女に寄り添うためだ。


「それからしばらくして、お兄さまは旅に出てしまったの。冒険者になるために」


 ソフィさんは寂しそうに目を細める。


「お父さまがソフィの稽古を見るようになって、ダメ出しされてばかり。『おまえは甘えている。外の世界を見てこい』と言われて、この街に来たの」


 ソフィさんの膝が僕の膝と接触した。氷のように冷たかった。


「ここに来てからも、ソフィはドジばっかり。剣に氷をまとわせようとしたら、ソフィの手首ごと凍らしたこともあった。マジで大惨事だし」


 青髪の少女は苦笑いを浮かべた。


「失敗するイメージが頭の中にできちゃって、なにをしてもダメダメで……」


 さっきまでとは別人のように、自責が始まった。

 僕はフォローせずに、彼女の言葉に耳を傾ける。


「初めてのパーティーは首になった。とりま、仕事探さないと。ギルドで待機してたら、男の人が声をかけてくるじゃん。ソフィの胸を見てばかり。でも、他に仕事はない。結局、その人に雇ってもらったの」


 ソフィさんは深いため息を吐く。


「で、ミスの連発。リーダーにこう言われたの。『ソフィちゃん、ホントになにしてもダメだよね。なら、俺たちを慰安してくれない?』って。下卑た笑いが怖かった」


 それはセクハラでしょ。セクハラという言葉がないので、口には出せなかったが。


「結局、パーティーを辞めたの。そこからは前に話したとおり。ニートになりたいよぉ。でも、食べていけないし」

「苦労してたんだね」

「そ。……ラファエロちゃん、わかってくれる。ソフィ、感激」


 平坦な声だけれど、彼女の気持ちが僕の胸を打つ。


「でも、ルビィちゃんもいるし、ソフィは孤独じゃない」


 ここで、ルビィちゃんの名前が出てくるか。『ルビィちゃん』と発音する声は高かった。心の底から、ルビィちゃんが好きなのが伝わってくる。


「ルビィちゃんはソフィの幻獣。無職で引きこもっていたときに、昔の童話を思い出していたら、どこからともなく現れたの」

「どこからともなく?」

「そ。気づいたら、ルビィちゃんがいたの。ソフィの頭を撫でてくれて。それから寂しくなると、ルビィちゃんを呼ぶようになった」

「ルビィちゃんを呼ぶようになったの?」


 ソフィさんは平然とうなずいた。

 あんまり良くないと思いながらも、僕から意見を言うことにした。

 

「……僕からひと言いいかな?」

「ん」

「幻獣を召喚できる人って、滅多にいないんですよ。ソフィさん、すごい才能を持ってます」

「そうなの? でも、魔法剣士の役に立たないから意味ないし」

「意味がない?」

「家の掟だもん。魔法剣士になるのが」


 家の掟か。また振り出しに戻った感じがする。よほど、ソフィさんの中では大きいものなんだろうな。

 だいぶ信頼関係が構築できたので、前回よりも突っ込んで聞いてみることにした。


「家の掟について教えてほしいんだけど」

「……」

「どうして、ソフィさんの家は、魔法剣士にこだわってるのかな」

「わからない……けど、お父さまの顔が悲しそうで、立派にならなきゃって思うの」


 口を閉ざしたきり、沈黙が続く。

 ソフィさんも事情を知らされていない以上、先に進めない。


 ここまでの内容を振り返ってみる。


 自己肯定感が低かったソフィさん。ルビィちゃんのことを話すときは、心の底から楽しそうな顔をする。


 好きな物語を語ることで、ソフィさんは自分を肯定した。つまり、自己肯定感が高まったわけで。

 ルビィちゃんとの関わりを通して、もっと自己肯定感が高まるように支援したい。


 自信を取り戻し、自分のことを考える余裕が出てくればいいのだが。そうすれば、彼女は今後のことを主体的に判断できるようになるだろう。


 という事情があり、僕はソフィさんを肯定したいのだ。


「けど、お兄さま以外で初めて人に褒められた。ラファエロちゃん、好きかも」


 などと言いながら、ソフィさんは僕の腕に抱きついてきた。


 なに、この柔らかさは!

 少年の身体が反応しそうになる。

 とはいえ、引き離すわけにもいかず。


 予定の時間が終了するまで、僕はソフィさんの抱き人形になるのであった。

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