第17話 とある親子の話

「今日、森へ冒険に出かけられたのですが……」


 僕は娘を案じるロベルトさんを前にして、歯切れが悪くなる。


「娘に何かあったわけじゃないんだろ?」

「ええ」

「なら、君が深刻な顔をしなくてもいい」


 ロベルトさんは穏やかな微笑を浮かべる。顔つきはエーヴァさんに似ていないのに、笑顔が親子であることを物語っていた。

 かえって、僕の方が励まされる。


「そのまま帰したら娘に怒られちゃうからな。コーヒーでも飲んでいってくれ」


 数分後。僕たちはリビングにいた。質素ではあるけれど、整理整頓が行き届いている。


 また、テーブルや椅子、チェストなどの家具は、デザインが洗練されていた。

 トスケーネ王国には、有能な家具職人が多くいる。ブランド家具は、近隣諸国との貴重な貿易品だ。


「俺、大工でさ、家具職人の知り合いが多いんだ。試作品を安く譲ってもらえるんだよ」


 納得できた。


「よくお手入れされてるんですね」

「俺、家事は苦手で、娘がやってくれている」


 と言いながらも、エスプレッソを淹れる手つきは慣れていた。コーヒーカップから芳醇な香りが漂う。


「母親がいないせいで、エーヴァには不自由な思いをさせてばかりで、俺も情けないよな」

「娘さんに不自由な思いをさせて、情けない?」


 ロベルトさんは僕の目を覗き込んでいたかと思えば、まばたきを繰り返す。

 僕になにかを言うべきか迷っているらしい。


「お嬢さんに関係あることなんですね?」

「ああ」

「差し支えなければ、僕に話してみませんか?」


 僕は意図して、お願いをしていた。

 エーヴァさんをより深く知って、傷ついている彼女に寄り添うために。


 ロベルトさんは決心したのか、首を縦に振る。


「君は娘が信頼している人だ。どうか娘を助けてあげてください」

「はい。僕がお嬢さんを守ります。ううん、ふたりで一緒に乗り越えます!」


 そう言い切ったところ。


「それはありがたいが、父親としては複雑な心境かな」


 ロベルトさんは苦笑いを浮かべた。なにか勘違いされたらしい。誤解を解こうとしたが。


「まあ、ラファエロ君を信じることにしよう。娘の婿にふさわしいかどうかは厳しくチェックさせてもらうが」


 軽く睨まれた。


 どうしたらいいんだろう?

 長生きはしていても、こういう展開は初めてだ。困惑する。


 が、今は放置。エーヴァさんのことが最優先だ。自分に意識を向ける余裕はない。


 口元だけで微笑む、アルカイック・スマイルを作る。笑顔が心を落ち着けてくれる。


「ところで、あの子には母親は死んだと説明しているのだが」


 唐突に話が進み出す。僕は瞬時に頭を切り替えた。


「実は嘘なんだ」


 父親は深い皺を眉間に刻みつつ、大きな嘆息を吐く。ピリピリとした空気が密室に流れる。


「あの子が生まれて3ヵ月のときだ。事情により、女房と一緒に生活するのが難しくなった。彼女はエーヴァを置いて、街を出て行ってしまってな」

「奥さんが出ていってしまわれた?」


 40歳手前と思われる、彼の眉間に深い皺が刻まれる。


「俺と妻は愛し合い、待望の子どもも生まれて、これからって時に……」


 歯ぎしりの音が聞こえる。一方、部屋の外からは子どもの無邪気な声が響いていた。

 彼が感じる気持ちを僕が代弁する。


「あなたは後悔されていらっしゃる」

「ああ。妻との生活を守れなかった自分の不甲斐なさが嫌でたまらない」


 子どもの声が消える。

 しばらく、沈黙を噛みしめたあと、僕は口を開いた。


「もしよければ、奥様と別れることになった事情について、お聞かせいただけますか」

「……悪い、理由は誰にも話せないんだ。墓場まで持って行くって決めたからね。それに、あの子が真実を知ったらと思うと、怖くなって」


 もともと白い肌が、さらに青くなっていた。これ以上は聞けない。


「失礼しました」


 それでも、僕は彼の苦悩をともに味わいたい。


「エーヴァさんが真実を知ることを恐れて、覚悟を決めてらっしゃるんですね」

「ああ。あんた、俺の気持ちをわかってくれんのな。若いのに人間できてる」


 少しでも楽になったのなら、僕もうれしい。


「少しだけ言っておこうか。エーヴァが生まれた頃は、先代魔王との決戦を控えていた。みんなして、魔王や魔族を憎んで、ギスギスしていてな。俺たちの家族を引き裂いたのは、社会だ」


 言わんとしていることの意味はわからない。それでも、悔しい気持ちは伝わってくる。


 ロベルトさんを少しでも肯定したい。やや前のめりになり、大きめの相づちを打つ。


「とにかく、エーヴァにはずっと母親がいなくて、むさ苦しい父とふたりきりの生活をさせてしまった。小さい時から料理や洗濯もやってくれてな」

「……」

「妙に背伸びするというか、子どもらしくないというか」


 楽しさと不安がない交ぜになった顔をする父親。


「数年前。『お父さん、お仕事お疲れ様。今日は好物のラザニアにしたよ』って、言われたことがある。うれしいと同時に申し訳ない気持ちになったよ」

「うれしくて、申し訳ない?」

「ああ。10歳の子どもが、自分の遊びより家を大事にする。娘の成長は立派だが、子どもらしいこともさせてあげたくてな」


 大柄な男性は深いため息を吐く。


「母親がいたら、エーヴァは毎日を楽しく、遊んでいられたのだろうか。妻が最後に言い残した言葉もある。俺たちの日常を壊した戦争が、ますます許せなくなった」


 先代魔王との戦いのせいで家族が引き裂かれた。同じ内容の発言を2回している。

 それだけ、彼は戦争に対して思うところがあるのだろう。平和を愛するエーヴァさんの顔を思い浮かべて、僕は推測した。


 ロベルトさんは眉間に皺を寄せる。

 相手に合わせ、僕も同じような顔をした。


「だから、俺は平和を願って、娘に平和の尊さを知ってほしくて……」

「お嬢さんに平和の素晴らしさを説かれたのですね?」

「ああ。でも、それが原因で冒険者を選んだ。皮肉だな」

「エーヴァさんが冒険者をしていることに反対しているんですか?」

「いや」


 お父さんは即答する。


「まあ、本音を言えば、安全な仕事をしてほしいと思っているよ。でも、冒険者はエーヴァが選んだ仕事だ。初めて、あの子が自分の意思を伝えてきたんだぜ。娘を応援しなくて、なにが父親だよ」


 熱い口調から娘を愛する気持ちが痛いほど伝わってくる。


 無言の時が流れる。コーヒーは苦くて、味わい深かった。

 空になったコーヒーカップをテーブルに置き、僕は口を開く。


「わかりました」


 僕はお父さんの感情を受け止めた。僕がやることの道筋も見えた。ここからは僕の出番だ。


「お邪魔しました」


 お礼を言ってから、僕は立ち上がる。

 部屋の出口へと向かっていると。


「そうそう。娘は落ち込んだときに、行く場所があるんだ」


 僕は慌てて振り返った。


「頼む。俺は冒険者のことはわからない。それに、今のエーヴァは君を求めている。娘を助けてやってくれないか」

「もちろんです。僕がお嬢さんを救いますから」


 アパートの廊下を走る。部屋から出てきた幼女とぶつかりそうになった。


「おにいちゃん、頑張れ!」

「ありがとう。良い1日を!」


 僕は落ち着いて走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る