第16話 僕がなすべきこと

 額から流れた汗で、視界がにじむ。

 それでも、僕は目を拭わずに、足を動かし続ける。


 ラウラの話を聞き終えると、僕は家を飛び出した。エーヴァさんのことが心配だったから。


 僕がいて、なにができるかわからない。自分勝手な行為かもしれない。でも、彼女に寄り添いたかった。

 

 ギルドへの道を急ぐ。最近は運動不足だったとはいえ、一度は勇者パーティーの前衛職だった。体力には自信がある。


 なのに、厳しい残暑の中、10数分走っただけで、呼吸が激しく乱れている。


 だって、僕のせいだから。落ち込んだ彼女の姿を想像するだけで、心配や焦りが募ってくる。


 自分が情けなくてたまらない。


 氷河期で生き地獄を味わって。

 勇者パーティーを追放され、無力感に苛まれ。


 自分が辛い想いをしたから、今度こそは他人のためになりたくて。


 女神様にもらった力を活かそうとした。


 だというのに、僕が未熟なばかりに、依頼人を傷つけて。


 汗だけでなく、目の奥からも液体が流れてくる。


 前が見えなくて、なにかにつまずく。両手をバタバタさせて、バランスを取る。


 転倒は避けられたが、足が止まった。その瞬間、急に冷静になる。まずは、落ち着こう。


 深呼吸しながら、歩き出す。


 まず、『僕のせい』って、決めつけは良くないな。僕の見えていない何かがあるのかもしれない。


 エーヴァさんがパーティーになじめない原因について、彼女の意識が高いことにあると僕は見立てていた。


 彼女自身が自分の問題に気づかないと、直せない可能性が高い。

 そのために、パーティーのリーダーになりきる手法を用いた。


 狙い通り、彼女は自分が意識高い系であることに気づき、ウザい自分を恥じた。


 結果、今のパーティーで一人前になることを優先することに。エーヴァさんは自己主張を抑えることを選んだのだ。


 そのときの表情から察して、エーヴァさんは納得しているように思われた。


 でも、ちがったらしい。


 エーヴァさんは早く一人前の冒険者にならねばいけない。そう自分を追い込んだ恐れがある。それで、命令無視をしたんじゃ……?


 状況から察すると、こんなところか。


 他に、もうひとつ気になることがある。知能が低いオークキングがフェイントを使ったこと。考えられない。


 いや、待てよ。ひとつの可能性を思い浮かべる。


 などと思っているうちに、ギルドに着く。それ以上、考えるのをやめた。今は彼女のことが先だ。


 受付嬢は僕に気づくと、駆け寄ってきた。


「彼女、少し前に帰りました」

「……そうですか」


 事情を知っているようだ。


「彼女の様子はどうでしたか?」

「私から見ても気落ちしてるのがわかりました。フォローはしましたけれど、私の言葉が届いたかどうか」


 受付嬢は目で訴えてくる。専門家の出番だと語っていた。


「あんまり、大声では言えませんが……」


 彼女は書類の束をめくり。


「えーと、エーヴァさんのおうちはここです」


 クライエントの住所を教えてくれた。


 21世紀日本を知っている身としては、軽く驚く。しかし、ここは異世界。使わせてもらうことにした。


「ありがとうございます。今から出かけてきます」


 ギルドを出た僕の足は、軽かった。


 20分ほどして、住宅街に入る。街の雰囲気が庶民的になってきた。上半身裸の大工がレンガを運ぶ。お兄さんの背中から汗がしたたる。


 そういえば、僕もさんざん走り回った。服に汗が染み込んでいる。


 不衛生な身だしなみは正直マズい。僕が汗臭いことが原因で、エーヴァさんが不快になったら目も当てられない。


 幸い、ラウラが替えのシャツを持たせてくれた。


 路地裏に入る。真新しいシャツに着替えた。下着にまで汗が染み込んでいる。本当は下も着替えたいが、さすがに諦めた。


 着替えたあと、僕は呼吸を整える。


 ギルドに着く前の僕は、自己肯定感が低かった。多少は回復はした。


 しかし、不安が少しでも残っていたら、それが彼女に伝わってしまう。リラックスしよう。


 ポケットからチョコの包みを取り出す。一切れ、口に含む。糖分とカカオが脳に休息を与えてくれた。


 よし、これで大丈夫。


 僕はレンガ造りの集合住宅に足を踏み入れる。

 子どものはしゃぐ音と母親が子どもを注意する声が賑やかだ。


 オーク材の床を歩く。時々、ミシッと音が鳴る。


 1階の一番奥の部屋で、僕は立ち止まる。

 軽く咳払いをしてから、ドアをノックした。


「はーい、今行くから」


 部屋の中から男性の声がして、数秒後、ドアが開く。


「君は?」


 精悍な男性と目が合う。大柄で勇ましい外見とは異なり、瞳はどこか揺らいでいるようだった。


 状況から察して、エーヴァさんのお父さんだろう。


「僕は、ラファエロ・モンターレと申します」

「ああ。君がラファエロ君ね。娘から話は聞いているよ。エーヴァの父のロベルトだ」


 お父さんは僕をなめ回すように観察して言う。


「噂どおりの好少年で安心したと言いたいが、娘になにかあったのかね?」


 優しい声は弾丸のように鋭かった。

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