第12話 なりきりプレイ
「まずは、椅子に座っている、ブルーノさんの姿を想像してみてください」
クライエントが
「ブルーノさん、そこにいます。ワインを飲みながら、本を読んでいます」
「エーヴァさん想像力が豊かなんですね」
僕はエーヴァさんの緊張をほぐそうと微笑む。
「次に、ブルーノさんに言いたいことを言ってみましょう。遠慮しなくていいですから。本人じゃないので、怒られませんし」
「わかりました。エア・ブルーノさんですものね。大丈夫です」
エーヴァさんは双丘に手を添え、深呼吸を何度かする。息をするたびに、手が上下に動く。
「ブルーノさん。あたし未熟者ですけど、世界平和のために頑張ってるんですよ。面接のときは、あたしの意見を受け入れてくれたじゃないですか。なのに、他の人から文句が出たら、態度を変えるだなんて……」
だんだんとエーヴァさんの声に感情がこもっていく。
「あたし、悲しいです。悔しいです。モンスターがいなくなって、平和な世界になってほしいだけなのに……なんで、わかってくれないんですか?」
クライエントは歯を噛みしめると、なにも言わなくなる。目を閉じて、両手のひらを重ねる。
やがて、すっきりした顔で、エーヴァさんは目を開く。
「すいません。あたしったら不満を訴えてしまって……」
「ううん、僕は話を聞くのが仕事です。それに、エーヴァさん、スッキリした顔をしてますよ」
「……そうですか。ちょっと考えたんです」
「どんなことを?」
「あたし、リーダーとの関わり方について、考えました」
エーヴァさんは再び胸に手を添える。
「いつものあたしは感情を抑えてます」
「ええ」
「でも、さっきはストレートに言ってみたら……」
僕は上半身を揺するようにして、相づちを打つ。
「小娘が生意気なこと言ってるような気がしちゃって」
彼女は白い肌を朱に染める。
「恥ずかしいですよね」
「ううん、そんなことありませんよ」
僕は笑顔でエーヴァさんを見守ってから言う。
「ご自分について気づかれたので、収穫はありました」
「ありがとうございます」
エーヴァさんはとろけそうな目を僕に向ける。
澄んだアメジストの瞳に僕は見とれそうになった。立場上、よろしくない
な。
僕は咳払いしてから、次の段階に進めることにした。
「では、今度はやり方を変えてみます」
「はい」
「エーヴァさんがブルーノさんを演じてみましょう。エーヴァさんが空の椅子に座っていると思って、ブルーノさんからエーヴァさんに語りかけてみましょう。今回も言いたいことをストレートに言うのですが……あまり無理をなさらないでくださいね」
「……わかりました。あたし、ブルーノさんになりきります!」
エーヴァさんなりに強い語尾から、彼女のやる気が伝わってくる。
しかし、自分を責めすぎやしないか不安になった。不測の事態が起きたら、すぐに止めよう。
勇者パーティー時代の戦闘系スキルとちがって、心理学スキルは地味だ。一見、力がないように見えるが、ある意味では戦闘系よりも強力である。
効果的に用いれば、落ち込んだ人を立ち直らせることができる。逆に、意図的に人を鬱に追い込むことも可能なわけで。たとえば、鬱に苦しんでいる人に、『鬱なんか甘えだ。やる気がないだけなんじゃないの?』みたいな。
今から行うことについても、有益である一方、リスクもある。リーダーの立場で、自分のことを否定するなどのケースが考えられる。
注意深く見守るに越したことはない。
「では、準備できたら、始めてください」
クライエントはうなずくと、薄紫の瞳を閉じる。
数秒後。
「エーヴァちゃん。話があるんだけどさ……そ、その、なんだ。真面目なのはいいんだよ。でも、なんつうか周りが見えてないというか」
パーティーのリーダーになりきったエーヴァさんは、口調もおしとやかな少女から男性冒険者らしくなる。
「臆面もなく、『世界平和』を口にできるって、立派だ。魔王が討伐されて15年ほど経った。が、モンスターとの戦いは終わらない。果てなき混沌に絶望している人も少なからずいる」
僕は勇者パーティー時代のことが脳裏をよぎる。
あちこちの都市や村を訪れていた。
魔王亡き世界で人々が陥っているのは、いわゆる学習性無力感。魔王は死んだのに、モンスターとの戦いは続いているわけで。何をやっても状況を変えられない。だから、行動しても無駄だと思ってしまう状態である。
日本にいた時の僕は学習性無力感の塊だった。良い大学を出たのに、就職に失敗。その後はなにをやっても、生活は豊かにならない。ブラックな環境に耐えているうちに、諦観に支配されてしまった。無気力な状態から解放されたのは、死んでからである。
魔王亡き後の民衆と、氷河期に絶望していた自分を重ねてしまう。
もうひとりの僕が、慌てて僕の思考を現実に引き戻す。
他人の感情の機微を感じ取るのは大事なこと。だが、感じすぎるのは問題である。
エーヴァさんのメンタルが深刻な状況に陥ったときに、僕が病んでいたら、誰が彼女を助けるのだろうか。
冷静さを保つことは、僕に与えられた使命だ。
僕は胸に手を当て、呼吸を整える。
考え込んでいたエーヴァさんは
「そういう意味では、エーヴァちゃんのやってることは立派だ。民衆に希望を与えることはできるのだから。だが――」
一転、厳しい目で空の
「現実はどうだ? エーヴァちゃんが夢を語って、都市の民衆に届いているか?」
一呼吸の間を置き。
「そうだ。誰も聞いちゃいない。一方、勇者様が同じことを言ったら、どうだ?」
30秒ほど沈黙が続いたあと、エーヴァさんはため息まじりに言う。
「1年前に勇者パーティーが、この都市に来たときのことを思い出したみたいだな」
エーヴァさんの発言で、僕自身の記憶が蘇る。
勇者パーティーに入って数ヶ月後。まだ、僕が実戦で通用する戦闘スキルを持っていた頃。アレッツォの近郊で魔族が出たとの情報が入る。冒険者の街を励ます目的も兼ねて、勇者パーティーはアレッツォを訪れた。
無事に魔族を討伐し、勇者パーティーは歓待を受けることに。
その際に、『勇者様』が世界平和を望む演説をして、民衆は熱狂の渦に包まれる。
勇者の裏の顔を知る僕としては複雑な気持ちだった。
「エーヴァちゃんは勇者じゃない。勇者様と同じことはできないんだ。だから、現実を見ろ。冒険者は危険な仕事だ。夢もいいが、現実を見ろ。さもないと、死が待っているぞ」
そう言ったきり、クライエントは口を閉ざす。
5分ほど室内に沈黙が流れる。
エーヴァさんは目を閉じ、ため息を吐いたり、頭を抱えたり。
僕はじっとエーヴァさんを見守り、書記のラウラはノートを見つめる。
やがて、エーヴァさんはアメジストの瞳を開いた。
「今のままじゃ、パーティーを変えても意味ないですね」
「意味がない?」
クライエントが出した結論を、語尾を上げて繰り返すことで、発言を促す。
「ええ。あたし、ウザい子だったんです」
「ウザい?」
「だって、リーダーのブルーノさんを始め、パーティーのみんなは灰魔術士として働いてほしいと思っているのに」
エーヴァさんは恥ずかしそうにうなだれる。
「あたし、半人前なのに『世界平和』とか言っちゃって、痛い子でした。せめて、一人前になってから言うべきですよね」
僕は軽い笑みで彼女の発言を受け入れる。
「こんなんじゃ、次のパーティーに入れたとしても、また嫌われて。同じことを繰り返す気が……」
不安もあったが、エンプティチェアを用いて、功を奏したようだ。
安堵しつつも、僕の口からエーヴァさんの欠点に触れるわけにもいかない。
そこで、僕は自分が受けた印象をフィードバックする。
「だいぶ楽になった感じを受けますが……」
「ええ。ブルーノさんになりきったら、あたしの欠点が見えてきて。先日、言われたことが腑に落ちたと言いますか。モヤモヤした気分が消えて、すっきりしました」
「すっきりされたのでしたら、なによりです」
「なので、もうちょっと今のパーティーで頑張ってみます。しばらくは『平和』は禁句にしますね」
「あまり難しく考えなくて大丈夫です」
エーヴァさんはクスリと笑ったので、僕も同じような顔をした。
「とにかく、僕は応援してます」
「本当にありがとうございました」
クライエントは僕にお礼を述べたあと。
「でも、転職しないことになりましたし。ラファエロさんに会えないと思うと寂しいです」
エーヴァさんは上目遣いで僕を見つめる。
いけないことだと知りつつも、ドキリとさせられた。
「いえ、僕の仕事はまだ終わってませんよ」
「えっ?」
「エーヴァさんは目標を自分で決められました。ですが、まだ実行されていません。パーティーで上手くやっていけるようお手伝いするのも、僕の仕事ですので」
エーヴァさんは豊かな双丘に手を当て、胸をなで下ろす。
「わーい。また来ますね」
軽い足取りで、クライエントは部屋を出て行く。
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