第11話 ゲシュタルト

「冒険者マルコよ。そなたは竜騎士になりたいのじゃな?」


 恥ずかしい。

 決まり文句なのは、わかっている。でも、実際に言ってみると羞恥心がこみ上げてくる。


 というか、賢者風なおじいさんのセリフだよね。10代の僕が年上相手に使う言葉遣いじゃないような気がする。

 まあ、僕も中身は50代のおっさんなんだけど。


 パイプオルガンの厳かな響きが、僕の意識を現実に引き戻す。


 ここはマグナ神殿。一見すると、聖堂のような静謐な空間である。

 ステンドグラスには、宗教画でなく、戦士の絵が描かれていた。巨大なヘビみたいな、ドラゴンみたいなモンスターと戦っている。


 マグナ神殿は、『戦争と平和』の女神ミネルヴァを祀る神殿。戦いに関係することから、要塞内に置かれている。


 マグナ神殿では転職の儀式を行うことができる。そのため、冒険者の間では、『転職の間』と呼ばれることが多い。


 僕の前に立つ、紺の鎧をまとった青年が緊張した面持ちで口を開く。


「竜騎士マルコは、強大なドラゴンから人々を守るべく、己が使命に身を投じることを誓います」

「よろしい」


 僕はマルコさんの方へ手を伸ばす。

 彼が頭を垂れると、僕は兜の上に手を置いた。


 参列者たちの視線が僕たちに注がれている。その数、30人ほど。マルコさんのパーティーの仲間に加え、上位職の誕生を見守るギルドスタッフたちである。


 そのなかに、ラウラも混じっていた。転職の儀を行う僕の助手という名目である。


 初めてなので、僕も緊張する。が、やるべきことは不思議と脳が知っていた。例のスキルのおかげらしい。


「女神ミネルヴァの代理人ラファエロ・モンターレが証する。竜騎士マルコの誕生を」


 祈りを込める。僕の手が淡い光が放たれ、マルコさんに吸い寄せられていく。


 数秒後、光は消え、儀式は完了。

 人々は竜騎士の誕生に祝福の声を上げた。


   ○


 1時間後。僕はラウラと一緒にギルドの自室にいた。ピザの空き皿から、チーズの匂いがかすかに漂う。


「お兄ちゃん、ご馳走、残念だったね」


 ラウラがため息をこぼす。

 儀式の後、転職を祝うパーティーがあって、僕たちも誘われたのだが。


「ごめんね。普段は暇なのに、今日に限って仕事が重なるなんて」


 という事情で断ったのだった。


「ううん、下の酒場のピザもおいしいし」

「あっ、もう、こんな時間だ。そろそろ片づけないと」


 僕と妹が同時に立ち上がる。そのとき。


「こんにちは、お邪魔します」


 ドアをノックする音が聞こえた。が来たらしい。


「どうぞ、お入りください」


 エーヴァさんは僕と目が合うと、会釈をする。白いワンピースを着ていて、今日も清楚に見える。

 気温も真夏のように暑い。そのせいか、布も薄い。豊かな膨らみが目立ち目のやり場に困る。


 クライエントはテーブルの上に置かれた皿に目を留め。


「あっ、すいません。お食事中に」

「済みましたので、大丈夫ですよ」


 約束の時間より、5分早かった。エーヴァさん、この国では珍しいタイプかもしれない。30分ぐらいの遅刻は当たり前な文化なのだ。みんなが遅れるので、誰も気にしないという。


「ラウラ、片づけてきてくれる?」

「うん」


 ラウラは皿を持って、部屋から出て行く。

 1分ほどして、助手は戻ってきた。ガラスのティーポットを持っている。やや紫色の液体が入っていた。注文通りである。


 ラウラは笑顔でエーヴァさんの前にお茶を置く。


「お茶をどうぞ」

「ありがとうございます。ふー、ラベンダーの香りが落ち着きます」


 僕もハーブティーに口をつける。

 エーヴァさんがリラックスするのを待ってから。


「今日はやってみたいことがあります」

「は、はい」

「空の椅子エンプティ・チェアと呼ばれるものです」

「エンプティ・チェア?」


 エーヴァさんはキョトンと首を傾げる。白銀の髪がパサリとなびいた。


「今から説明しますね」

「お願いします」

「エーヴァさんの隣に椅子がありますよね」


 僕がエーヴァさんの左を指さすと、うなずいた。


「今は誰も座っていませんが、ここにパーティーのリーダーがいると想像してください」

「……わかりました。リーダーのブルーノさんがいるのですね。あたしの脳内に」

「ええ。これから脳内のブルーノさんとお話していきます」

「はい」

「空の椅子にいる人と話すことから、エンプティ・チェアと呼ばれています」


 エンプティ・チェアは、ゲシュタルト療法の主要なテクニックのひとつである。


 ゲシュタルトとは、物事を各要素の部分ではなく、全体のまとまりとして捉えることだ。

 と言ってみても、なんのことだかわからない。僕も意味不明である。スキルにより、体感的に理解はしているけれど。


 たとえば、「ピザ」という文字列がある。見た瞬間に、ほとんどの人が食べるピザを想像すると思う。


 が、こんな場合はどうだろう?


 ピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザヒザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザ。


 見続けていると、「ピザ」を食べ物として認識できなくなっていく。


 文字の部分に意識が集中してしまい、「ピザ」という全体を見ることができなくなる。

 いわゆる、ゲシュタルト崩壊と呼ばれる現象だ。


 そして、ゲシュタルト療法とは、全体のまとまりを正しく認識するために用いる心理療法である。ざっくり言うならば。


 エーヴァさんに、そう説明する。彼女は面白そうに聞いてくれていた。


「どうです? やってみますか?」

「……はい。最近、ブルーノさんに自分の意見を言えなくて。でも、脳内のブルーノさんとでしたら、お話できるかもしれません」

「その調子です。本音をぶつけてみましょう」


 エーヴァさんの目が輝いた。

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