第10話 広場

「お兄ちゃん、幸せすぎるんですけど」

「うん、そうだね」


 迷うことなく、僕はうなずく。


 舌ではバニラの風味や甘味を、右腕ではラウラの温もりを感じているんだから。日本にいた頃や、勇者パーティー時代を考えると、今が最高だ。


 最愛の妹をつれて、街を歩くこと数分。僕たちは広場に到着する。


 四方をレンガ造りの建物に囲われるような形の広場。夕方まで2時間ぐらいあるのに、人々で賑わっていた。


「あっ、お兄ちゃん、見て」

「ん?」

「芸人さんがいる」


 ラウラがピエロを指さす。


 ピエロはジャグリングをしていた。手のひらサイズの球を3つ、投げてはキャッチを繰り返している。にこやかな笑みを浮かべながら、器用に球を拾っていた。


 3つ同時に投げ、両手と頭でキャッチする。見事に大技を決めた。観客はたちは拍手や感嘆の声を上げ、小銭を投げる。


 ラウラが小首をかしげて言う。


「お兄ちゃん、大道芸人を極めると賢者になれる都市伝説って本当なの?」

「ああ。本当だ」


 僕はうなずいた。


「賢者って強すぎて、通常のルートではなれない上位職なんだよ」

「ふーん」

「たとえば、騎士の場合なんだけど」

「うん」

「騎士として研鑽に励めば、やがては上位職である聖騎士パラディンへの道も拓ける。ごくわずかの人だけどね」


 妹は目を輝かせる。

 僕は苦笑いで応じた。


「でも、賢者はちがう。黒魔術士や白魔術士、灰魔術師が修行を積んで、最大までレベルアップしても」

「レベルアップしても?」

「賢者になれないんだよ」


 ラウラが眉をひそめる。無理もない。努力が報われない話なのだから。


「なんで? 賢者って、灰魔術師の上位互換じゃん?」


 僕は無言で首を縦に振る。


 ラウラが言うとおり、賢者は灰魔術師の上位互換ともいえる。


 黒魔術、白魔術、両方使えるという点では、賢者は灰魔術師と同じである。


 しかし、灰魔術師は上級魔法を覚えられない。また、同じ魔法でも破壊力や回復量は、専門職に比べたら劣る。


 一方、賢者は上級魔法も習得できる。さらには、絶大な破壊力を持つ、戦略級魔法まで放てると言われている。隕石の雨を降らせることもできるらしい。


 白と黒、それぞれの専門職をも凌駕する、チート級の存在だ。


 あまりにも強すぎるゆえ、弱点もある。

 ひとつは魔法にステータスを極振りさせられること。特に、身体能力は一般人と変わらない。


 さらには――。


「賢者になるには、いったん大道芸人に転職ジョブ・チェンジする必要があるんだ」

「ここで、都市伝説になるんだ」


 ラウラは小首をかしげる。


「なんで?」

「残念ながら、解明されてはいない」

「解明されていないって、どゆこと?」

「賢者ってね。幻の職業で、誰も会ったことがないんだ。実際、勇者パーティ-結成にあたり、国王様の命令で探したらしい。でも、見つからなかった」

「じゃあ、なんで、お兄ちゃんは賢者のこと知ってるの」

「……人に教わって」 


 気まずくなった僕は当たり障りのない答えをする。


 いちおう嘘ではない。2回目に女神様に会ったとき、賢者についての知識も頭の中に入ってきたのだ。『女神様に教わった』とは言えない。


「そうなんだ。とにかく、大道芸人が賢者になれるって不思議だね」


 玉乗りを始めたピエロを見ながら、ラウラが苦笑する。

 疑問に思うのも納得できる。僕もツッコミを入れたいし。おそらく、システムを作ったであろう女神様に。


「バカと天才は紙一重って言われるし、そういうこと?」

「ラウラ、意見は意見でいいけど。その言い方だと、大道芸人がバカな人に見えるよ」

「ごめんなさい」


 軽くたしなめると、妹はバツが悪そうに謝った。失言もするけど、素直で良い子なんだよな。


「あの人たちは自分をバカに見せることで、観客たちを持ち上げているんだよ。『世の中には、こんなにバカな人がいる。自分はマシなんだ』って思えるというか」

「マゾなんだね?」


 芸が終わり、小銭を拾い集めるピエロを見て、ラウラが言う。


「自分の仕事だから、必要なことは真剣にやる。たぶん、そうだと思う」


 ラウラの勘違いを訂正していたら。


 ――ふにゅ。


 誰かとぶつかった。なのに、なぜか妙に柔らかかった。


 振り返ると、少女がいた。おそらく僕たちと同年代だ。青い髪と一緒に、身体の一部に目を引き寄せられそうになり、僕は慌てて謝る」


「す、すいましぇん」


 動揺のあまり、噛んでしまった。


「ご、ごっ、ごめんなしゃい……ひゃっ、噛んじゃったし」


 彼女もだ。少し安心すると同時に、おどおどした態度が気になり、追加で謝る。


「い、いや、僕の方こそよそ見をし――」

「生まれてきてすいませんでした。逝ってきます」


 僕が謝るのも聞かず、少女は逃げるように去っていった。物騒な言葉が聞こえて心配になったが、人が多くて追いかけるのは厳しい。言葉とは裏腹に深刻さは感じられなかったので、気にするのはやめよう。


「お兄ちゃん、すごかったね」

「ん?」


 なぜか、ラウラは僕を睨む。発言の意味を考えていたら。


「お兄ちゃん、今日のおっぱいの中で一番大きかったね」

「そっちか」


 あえて言及を避けていたのに。思い出させるなんて。

 メロンと接触した可能性があるんだ。そりゃ、柔らかいわけだよ。


 10代の肉体が反応しかけたので、僕は意識をそらす。


 ちょうど近くを5人の冒険者が歩いていた。武器を持っているのでクエスト帰りかもしれない。


 職業柄、冒険者に関心を抱く。

 露骨にならないよう観察していたら、噴きそうになった。


 というのも、男4人、女1人のパーティー。女性が、ビキニアーマーを着ていたのだから。鎧というには面積が少なすぎて、胸を覆っているだけだ。銀色の鎧が下着に見えてしまう。さらに。


「わずか数分にして、本日の最強が更新されたし⁉」


 ラウラが驚くのもうなずける。スイカみたいな双丘は鎧から飛び出しそう。防御力的に大丈夫なんだろうか。


 いけない。また僕は危険なものを見てしまった。

 慌てて居住まいを正していると。


「今日の魔物、いつもより強くなかった?」

「そう。ワタクシはもっと強い敵に攻められたいですわ。オークとかいないのかしら。一度でいいから、『くっ、殺せ』って言ってみたいですから」


 パーティーの会話が聞こえてきた。


「オークなんかより、俺が喜ばしてあげるって」

「あらあら。ワタクシ、いきり立ってるだけの男では満足しませんですわ」


 ビキニアーマーの女性が仲間を滅多斬りにする。ガタイの良い男は肩を落としていた。


 ふと、女騎士さんは足を止める。僕をジロリと睨む。いけない。見すぎちゃったか。


「お兄ちゃん、デート中に他の女見ないでよぉ」

「ご、ごめん」


 妹の機嫌が悪くなる。僕は冒険者を気にしないことにした。


 その後、陽が暮れるまで、ひたすら妹に付き合う。

 年頃の女の子を相手にするのは疲れたが、幸せを感じた。

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