第9話 自己基盤
「お兄ちゃん、大変だったんだね」
妹の手のひらが、僕の頭を撫でる。
年下すぎる妹に慰められる。率直に言って、恥ずかしい。
が、情けない自分も僕は受け入れることにした。
『妹に頭を撫でられる自分なんてダメ』と、思うことは簡単だ。
けれど、それでは現実の自分を否定することになる。
否定は自信の喪失につながり、理想とする自分とのギャップが増していく。
ギャップが大きくなればなるほど、自分の基盤が揺らぎ、精神的に脆くなるのだ。
妹の温もりが心地よすぎて、眠くなる。人として終わった気もするけど。
「で、お兄ちゃん」
「ん?」
「話の最後に出てきた、巨乳美人さん、誰なの?」
「あれ? 巨乳って僕言ったっけ?」
「やっぱ、巨乳じゃん!」
ラウラがぷんすかする。引っかけられたらしい。
「っていうか、前からの知り合いみたいだけど、どういう関係なの?」
さて、どう説明するか。
僕は転生していて、相手は女神様だなんて言うわけにもいかない。
「ちょっとお世話になった人なんだ」
「むー、怪しい」
無難な説明を試みるが、妹は信じてくれない。
なら、申し訳ないが、誤魔化そう。
「じゃあ、僕は街に遊びに行こうと思うけど、兄を疑う人は連れて――」
「待った!」
妹がバタバタと慌てる。
僕はクスリと笑った。
「冗談、冗談。一緒に遊ぼう」
「わーい」
興奮した妹が腕に抱きついてくる。謎の女性のことなんかどうでもいいらしい。
というか、女の子の柔らかいところが当たってますよ。
マズい。心は中年でも、身体は思春期。僕の男が反応しかける。
妹を意識しないよう精神を集中。目を閉じて、深呼吸を繰り返す。
「お兄ちゃん、早く、はやーく」
「ごめん、あと1時間はギルドに待機しないと。ラウラ、宿題あるんじゃなかったっけ?」
「むー、じゃあ、続きはデートでね❤」
しぶしぶ僕から離れていく。
ところで、僕にかわいい妹がいるなんて、もったいない。
つい、自分を否定してしまった。前世で染みついた、自己肯定感の低さが直らないのだが。
思えば、有名大学を出て、就職活動に失敗した時に、僕の人生はぼろぼろになっていた。『貧乏なのは甘え』みたいな心ないことを何度も言われ、プライドはズタズタに切り裂かれる。
バブルだった小学生に思い描いていた、理想の自分。美人と結婚して、子どもにも恵まれて、家と車を買って。
なのに、現実は死ぬまで童貞で、粗末な貸アパートに住み、会社ではリストラされる始末。
遠い過去の話だというのに、理想と現実のギャップが僕をいまだに蝕んでいる。厄介な問題だ。氷河期は死んでも救われないというのか。
理想と現実といえば、彼女のことが脳裏をよぎった。
○
1時間後、ギルドにある僕たちの執務室を出る。
ギルドのカウンターで受付嬢に挨拶をすると、
「あらあら、仲良しご兄妹でお出かけですか」
「ええ、書記の仕事を頑張ってくれたので、ご褒美を」
「デートなの、デート。♪うふふ」
またしても、妹が抱きついてくる。チュニックにできた谷間に僕の腕が半分ほど埋まった。
「本当に仲良しさんなのね」
受付嬢さんの声のトーンが1回目とちがう。笑顔だけど笑顔じゃないし。
「じゃあ、失礼します」
僕は慌てて、その場を立ち去った。
1階の酒場は夕暮れ前だというのに、酒の匂いが充満していた。テーブルでは、パスタやピザが存在感を放つ。
すでに出来上がっている冒険者もいる。クエスト帰りらしく、本日の戦果について盛り上がっていた。
奥にある掲示版に、何枚もの紙が張り出されている。クエストの依頼や、パーティーのメンバー募集の案内だ。
僕も仕事柄、情報を知りたいのだが。
「お兄ちゃん、早く行こ?」
かわいい妹を前にして、自分を押し通せない。
僕たちは酒場を通りすぎて、ギルドの建物を出る。
真っ先に目につくのが、要塞と円形闘技場だ。
ギルドの斜め右方向に丘がある。無骨な壁と建物が目を惹く。要塞だった。
要塞。魔王が猛威を振るっていた時代に、街の最終防衛拠点として設置された。正規兵の司令所があったり、武器弾薬庫があったり。
一部のエリアは冒険者にも開放されていた。ラウラが冒険者育成学校に通い、僕にとっては転職の間がある。雰囲気は物々しいが、身近な存在だった。
僕たちは円形闘技場の方に向かって歩く。円形闘技場の周りには、劇場などもあり、都市の文化的中心地である。
劇場ではオペラが人気で、歌姫が民衆の心を掴んでいるという。
円形闘技場の脇を通りすぎ、商店街へ。
「あっ、お兄ちゃん。ジェラード食べたい」
「ん、せっかくだし、今日はなんでも買っていいぞ」
「なっ、なんでも?」
妹は目を輝かせる。アイスだけでなく、ケーキぐらいだったらいいか。
最近、節約して、デザートなんて食べさせてやれなかったもんな。仕事も取れたし、たまには息抜きもしないと。
軽く考えていたところ。
「下着買いたいの。胸がキツくなっちゃって」
「ぶはっっ!」
妹が大変なことを言い出した。
「それは無理だから」
「いいじゃん。減るもんじゃないし」
「……ダメです」
なお、この国の男性は、やたらと女性を誘う。困っている女性を見かけたら助けることは当然。ナンパも日常茶飯事。僕はナンパしたことないけど。
そんなお国柄でも、妹の下着を一緒に買いに行くのはNGだろう。
僕が無言でいると、ラウラは諦めたらしい。屋台の方に走っていく。
ラウラが戻ってきて、ふたりでアイスを食べる。冷たい甘味に癒やされた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます