最高の人生の選び方 ~get ready to ……~
i-トーマ
ウサギの箱
あるところに男がいた。
男はそのとき高校生で、みんなからはコウタと呼ばれていた。
コウタはあるとき、カラスに襲われるウサギを助けた。
ウサギはただのウサギではなかった。
ウサギは、自分は『脱兎の悪魔』だといった。
「助けていただいてありがとうございます。お礼に、あなたの運命を変える手助けをさせていただきます。見たところ、あたなは三十才の時に死ぬ運命であるようだ。その運命の時、またお会いしましょう」
そう言ってウサギは溶けるように消えた。
コウタは、しばらくは気にしていたが、そのうちそんな出来事があったことすら忘れて生活していた。
そこそこの大学を出て、なかなかの企業に就職し、高校の頃から付き合っていた彼女と結婚し、かわいい娘も生まれ、平凡だが満足した日常を送っていた。
そして三十才の誕生日の日、仕事を終えて帰る途中、信号待ちをしているところへ事故を起こしたトラックが突っ込んできて、それに巻き込まれてしまった。
トラックと壁に挟まれ、体が半分潰されたところで時が止まった。
コウタにとり憑いていた悪魔のウサギが姿を現した。
「これが元々の運命でございます」
時が止まり、喋れないコウタは、ココロに思うだけでウサギに考えが伝わることに気付いた。
僕はこれからどうなる?
「ワタクシの能力は、安全、安心なところまで逃げること」
ウサギは小さな箱を取り出した。
「この中には元々、たくさんの恐ろしいモノが入っていました。しかしそのほとんどは外に逃げてしまい、いまではたった一つしか残っていません。おや、似たようなお話をご存知で? でもきっとそれとは別のものでしょう」
そう言ったウサギは、箱の蓋に手をかけた。
「この箱の中のモノの気配を感じることで、ワタクシは本能的に逃げ出します。全力で、無我夢中にです。結果、安心の出来るところに至ることができるのです」
蓋が少しだけ動き、隙間ができるかどうかといった瞬間、辺りが闇と静寂に包まれた。
見えるのはウサギの体から沸き立つ力の波動と、その真っ赤な瞳だけだった。
次の瞬間、コウタは高校生の時、ウサギを助けた場所にいた。
体を確かめると、時間までも巻き戻っているらしいことがわかった。
「これがワタクシの能力です」
ウサギが言った。
「このように、あなたの死ぬ間際、あの三十才の日からこの日まで、逃げてくることができます。ただし、無限にできることではありません。ワタクシの魔力が尽きるまで、だいたい十回程度とお考えください。あなたの望む運命を導けるまで、力をお貸ししましょう」
そう言ってウサギは姿を消した。
コウタは驚き、そして感動した。本当にこんなことがおこるなんて。そしてこれは、まだ何回も繰り返すことができるのだ。
三十才の日、あの事故自体を回避するのは簡単だろう。だったら、それまでの人生をどれだけ理想的なものにできるか、試してみるべきだ。
その後のコウタは、とりあえず自分のやりたいことを優先してやった。高校の勉強など、いまさら面倒臭くてやっていられない。周りからみれば、突然グレたと思われても仕方ない生活をしていたが、どうせまた戻ってくれば全部なかったことになるのだ。何も気にすることはなかった。
コウタは彼女とも別れ、高校卒業と共に就職し、別の女性と結婚して、また娘が生まれた。生活は裕福ではなかったが、充実した毎日を送っていた。ただ、宝くじや株、記録的な万馬券などの情報は、次の人生のためになるべくたくさん記憶しておくことは怠らなかった。
そして三十才のあの日、トラックの事故の時間、事故現場からは遠く離れたところにいた。
事故が起こったであろうその時間に、ウサギが現れた。
「この度は生き残れたようですが、どうしますか? このままこの生活を続けるか、それともまたあの日に戻りますか?」
コウタの返事は決まっていた。
それを聞き、ウサギは箱の蓋に手をかけた。
三度目の人生は、金銭的にかなり裕福なものになった。
就職はせず、株や宝くじで十分、いやむしろ一生で使いきるには多すぎるほどの財産を作ることができた。
高校から付き合っていた、最初の彼女と結婚し、子供もできた。しかし今回は息子だった。
同じ相手でも、同じ子供が産まれるとは限らない。
その事実に気付いたとき、自分にとって初めての子供であるあの娘とは、二度と会えないのだと衝撃を受け、しばらくは落ち込んだりもした。が、いまさら悔やんでも仕方がないと、とにかく金儲けに、今後の人生をできる限り不満のないものにするために、人生を費やした。
コウタが二十八才のとき、世界的なセレブリティになり、それをうらやんだ他人に殺された。全く想像していなかった最期だった。
ウサギが現れた。
「大丈夫です。ここからでも戻れます。死んでしまっては元々の恩返しになりませんから。ただし、戻るときに調整は効きません。またあの日まで戻ることになります。死ぬよりはましですから、戻ることをお勧めしますが、いかがいたしますか?」
コウタに選択肢などなかった。
ウサギは箱の蓋に手をかけた。
それからのコウタは、とにかく勉強をした。学校で習うことだけでなく、あらゆる分野の専門的なことも。そしてある程度のお金を手に入れた後は、とにかく日本を、世界を、旅して回った。結婚をすることも子供を作ることもなかった。
知識を得て、世界を旅し、世界を知ることで、どんなことにも対処できるようになるつもりだった。
何度も何度も人生を繰り返し、その努力が功を奏して、どのタイミングでどのようなことが起こり、どう対処すべきかがわかってきた。
そして何度目かの三十才の日、ウサギが告げた。
「ワタクシの魔力がそろそろ残りわずかになってまいりました。今回あの日まで逃げますと、残りは後一回で最後になると思います。悔いの無いよう、よろしくお願いいたします」
そう言って、ウサギはもう何度目かになる時間戻りのため、箱の蓋に手をかけた。
コウタは、かなりいい大学に入り、望んだ企業に就職した。
高校から付き合っていた彼女と結婚し、息子が産まれた。
コウタは結局、できる限り充実した平凡な人生を送ることを選んだ。
三十才から後も人生は続くのだ。経験上、波乱万丈な人生は思わぬ危険が伴う。避けられるものは避けるべきだ。
仕事では、厳しい上司や、やたら目の敵にしてくる同僚もいたが、多少責任ある立場にもなっていておおむね順調だった。
そして三十才の日になり、最後の選択を迫られた。
「これが最後の逃げになります。もちろんこのまま、この人生を送ることも出来ます。いかがなさいますか?」
コウタは悩んだ。
正直、今の状態にほとんど不満はない。このままあまり目立たず、だがやりたいことは何でも出来るだけの環境は整っている。
しかし一つだけ、心残りがあった。
娘だ。
今の息子に不満があるわけでもなく、二人目三人目の余裕もあるわけだし、それにいまさら、最初の娘に会えるわけでもないが、それでも一人目の子供は娘が良かった。
考えてみれば、会社の環境ももう少し良くなるかもしれない。取り入る上司をかえ、同僚も選べば、まだ改善の余地はあるはずだ。何度もこの時間を繰り返してきた僕になら出来る。その自信があった。
後悔だけはしたくなかった。
コウタは、ウサギに答えを返した。
「それでは、次の三十才の日、その直前にもう一度挨拶に伺います。そのときはもう逃げることは出来ませんが、そこで死んでは、元も子もありませんので」
ウサギは箱の蓋に手をかけた。
コウタの人生は素晴らしいものになった。
会社では素晴らしい上司に、家に招くほど仲の良い同僚にも恵まれた。仕事上の立場は考えられる最高のものになり、まだ覚えている知識から、金銭的にも問題は無い。
何より、娘が産まれたのだ。
完璧だ。完璧だと、そう思った。
そして三十才の日が訪れた。
「挨拶に参りました」
ウサギが現れた。
「死の運命は避けられそうですね。人生は、望むものになりましたでしょうか」
コウタは力強く頷いた。
「それはよろしゅうございました。もう会うことは無いでしょうが、今後もあなたの運命が良きものになりますよう」
そう言って、ウサギは姿を消した。
三年後、男は椅子の上に立っていた。
あれから、いろんなことがあった。
尊敬していた上司は、会社の資金を横領して逃げ、その責任をコウタに押し付けてきた。同僚はコウタのいないときにも家に来るようになり、どうやら妻と親密な関係になっている様なのだ。
逆に前回の上司は、厳しくはあったが部下に慕われ、いつもコウタを目の敵にしてきた同僚は、はたから見ればお互い切磋琢磨する頼もしい仲間だった。
そして何より、娘も自分に懐かなくなり、成績も悪く、ガラの良くない連中と付き合っているところを目撃してしまった。
コウタは絶望していた。
何も信じられなくなっていた。
手にしたロープの輪を首にかけた。
「こんなの、僕の人生じゃない」
コウタは椅子を蹴った。
ウサギがそれを見ていた。
ウサギは箱を撫でながら独りごちた。
「この箱の中身、やはりこれはとても恐ろしいモノだったのですね。十五年を何度も繰り返したあの人も、この恐ろしさに捕らわれてしまいました」
ウサギは手を止め、どこか遠くを見ていた。
「人はこの残ったモノを、『希望』と呼ぶことがあります。しかしそれは、この恐ろしいモノの一面でしかありません。これは他の恐ろしいモノと一緒に入っていたのですから、当然これ自体も恐ろしいものなのです。そう、この箱に最後に残ったもの、それは」
ウサギは箱をいじる。
『未来』
ウサギはこちらを見た。
「未知なる可能性、なんと恐ろしい」
ウサギの目が赤く輝く。
「みなさんも、恐ろしさに捕らわれぬよう……ゆめゆめ忘れることの無きよう、お気をつけくださいませ」
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