第225話乙女ゲーのヒロインは、ギャルゲの主人公に勝ちたいのです。その71

 午後の競技も滞りなく進行し、体育祭最後の競技である学年別クラス対抗リレーの時間が近づくにつれて、どんどん緊迫した雰囲気になる一年一組応援席なのであった。


とくに、リレーに参加する一組リレーメンバー男子二人の表情は、顔面蒼白で今にも死にそうだ。


「マジでヤバいよな……女子達からの視線がマジでキツイ……」

「あ……ああ、これ……負けたらマジでヤバいぜ」


 現在、一年一組の応援席の周囲には、郁人様ファンクラブの女子生徒達が集まっており、その女子生徒の中には、三年生や二年生と上級生も居て、緊迫した雰囲気を醸し出しているため、男子生徒達にとっては、物凄く居心地が悪い空間になっていた。


 そのため、リレーに参加する男子二人が、彼女達から感じるプレッシャーは、もの凄いもので、心臓バクバク、今にも吐きそうなのである。


「二人とも大丈夫か? 顔色が凄く悪いが……」


 隅っこで、体操座りして縮こまる一組リレーメンバーの男子二人を気にかけて、今まで、応援席の隅で座って、ボーっと競技を眺めていた郁人が立ち上がって二人に近づいて、心配そうに話しかける。


「あ、朝宮か……大丈夫じゃねーよ……逆に何でお前は平然としてんだよ」

「本当だぜ!! こ、この女子達から感じるプレッシャー……お前は感じないのかよ!?」


 平然そうな表情で、話しかけてきた郁人に対して、顔面蒼白な男子二人は、郁人の顔を見上げ、弱気な声でそう言うと、言われた郁人は疑問顔になる。


「別に今から慌てても仕方ないだろ……それに練習もしたし、後はやる事をやるだけだろ?」

「お、お前……マジで言ってんのかよ!?」

「朝宮……お前まじすげぇーな……この女子共が放つプレッシャーに押しつぶされないなんて……何て精神力なんだ!?」


 あっけらかんとそう言い放つ郁人に、驚きの声をあげる男子二人なのである。


「なぁ……朝宮……お前さぁ……負けたら、マジでヤベェだろ?」

「まぁ、確実に面倒なことにはなるな」


 野球部の佐城が、そう郁人に尋ねると、やはり、あっけらかんと郁人は、普段通りに返事を返すのである。その様子に、サッカー部の山本が頭を抱えるのである。


「朝宮……お前は精神力ツヨツヨだから、そう呑気だが……お、俺達はお前ほど、メンタル強くねぇーんだ……マジで……もしも負けたらと思うと……い、胃が痛くなってきたぜ」


 弱気なサッカー部山本の発言に、郁人は頭を掻くのである。そして、内心こう思うのであった。


(メンタル強そうか……本当は……負けるかもと不安なんだがな……相手は美月だし……神様も……きっと、美月の味方をするだろう……いや、陸上部が三人も、美月のクラスに居た時点で……運命の神様は美月の味方なんだろうな)


 郁人はフッと笑うのである。自虐の笑みを浮かべる郁人に、驚くリレーメンバーの男子二人なのである。


「な、なんで笑えるんだよ!? お前……わかってんのか!? 女子生徒達は絶対お前が勝つと信じてるぞ……でも、現実は……絶対に無理だろ!! 勝てっこない!!」

「そうだぜ……朝宮…お前、メンタルマジで……化け物かよ……しかも、負けたら、絶対に俺達のせいにされる……本当に嫌だ……走りたくねぇぜ」


 メンタルが弱り切った男子二人には、郁人の自虐な笑みが、強気な笑みに見え、驚き、そう弱音を吐露する。女子生徒達の期待は、彼らに対して物凄くプレッシャーになっているのは当たり前で、もしも、リレーで負ければ、自分達の責任にされるかもと恐怖を感じているのだ。


「大丈夫だ……前にも言ったと思うが、真直ぐ前だけ見て、全力で、練習通りに走ってくれれば問題ない……絶対に最初に一組のバトンを、俺がゴールに届けてみせるから」


 力強く、決意に満ちた瞳を、弱気になり、メンタルボロボロな野球部佐城とサッカー部山本に向けて、そう言い切る郁人なのである。


「わりぃけど……そう言われても……」

「無理なもんは……無理だって……」


 しかし、完全に弱気になってしまった二人には、郁人の言葉は届かないのである。仕方ないと、郁人は、今までのやり取りを遠くから見守っていたゆるふわ宏美に、アイコンタクトを送るのである。


 すると、すぐに意図を察して、コクコクと首を縦に振って、任せてくださいよ~とゆるふわ笑みを浮かべて、駆け足でどこかに走っていくゆるふわ宏美なのであった。


「なぁ……朝宮……お前は、なんでそんなに自信満々でいられるんだよ?」

「ああ……その、根拠のねぇ、自信はどこからくるんだ?」


男子二人が威風堂々としている郁人の方を見上げながら問いかけると、腕を組み、口元に右手の人差し指を当てながら、少し考える郁人なのである。


(まぁ……男がやる気になる時って決まってるもんな……俺も……そうだしな)


「そうだな……まぁ、男に生まれたからには、好きな子には、みっともない姿より、カッコいい姿を見せたいだろ?」

「「はぁ?」」


 郁人は、答えなんて最初から決まっていると、微笑みながらそう言い放つ、そんな郁人に対して、心の底から疑問の声がでて、訝しげな表情になる男子二人なのであった。


 大好きな美月に格好良いと思われたい。頼りにされたい。信頼されたい。郁人にとっては、そのことが何より大事で、全てなのだ。


「そういう単純な理由だ……負けるかもしれないから、手を抜くのは、俺の中ではかっこいい姿とは言えないからな……前にも言ったけど、下馬評を覆すのは、最高にかっこいい……俺はそう思ってるし、俺達ならできると本気で思ってる」

「あ……朝宮……お前」

(そんなに細田のことが好きなのか!?)

「さすが……学校のアイドル様は言うことが違うぜ……でも……俺達は……」

(細田にかっこいいとこ見せたいって言われても……)


 野球部佐城とサッカー部山本は納得のいかない様子で、さらに郁人がゆるふわ宏美に対して今の発言を言ったと勘違いしているのであった。


(まぁ……厳しいのは確かだもんな……実力は圧倒的に相手が上だ……でも、俺は勝つしかないからな)


 リレーメンバーの男子二人を励ます郁人も、プレッシャーを感じていない訳ではなく、ただ、やるしかないという事を理解しているのである。あの時から、どんな困難が立ちはだかろうと、美月のために頑張ると決めた郁人は、どんな不利な状況に陥り、神様に見放され、運がなくとも、必ず、運命を切り開くと決意した。


 だから、今回も勝つという強い意志が郁人の心を激しく突き動かすのだ。


「後……この勝負……俺は絶対に勝つしかない……だから、絶対に勝つ……それが、俺から二人に言える最後の言葉だ」

「「……朝宮」」


 美月の為に勝たねばならないのなら、絶対に勝つと、勝たなければならないのが、朝宮郁人という人間なのであった。だから、まだ、不安そうな男子二人にそう言い放ち、もう自分にできることはないと悟り、踵を返し、この場を後にする郁人なのである。


(好きな子のために……頑張るのが、男って生き物だよな……まぁ、我ながら単純だとは思うけど……)


 歩きながら、目を閉じ、胸の中で、必ず勝つと決意を固める郁人は、駆け足で、女子生徒二人を連れてきたゆるふわ宏美に気がつき、足を止め、目を見開いて、笑顔で合流するのであった。


「じゃあ、後は任せた……弱気になった二人を励ましてやってくれ……頼んだ」

「え? う、うん……郁人君が言うならぁ……声かけてみるけどぉ……本当に私で大丈夫なのかなぁ?」

「任せてください!! 一生郁人様推しの私が、どんな手段を用いてもやる気にさせてみせますから!!」


 そう、ゆるふわ宏美が連れてきたのは、梨緒と郁人様親衛隊おかっぱ娘なのである。後のことは、この二人に全て任せ、郁人は、ゆるふわ宏美と共に、弱気な男子二人に近づく梨緒と郁人様親衛隊おかっぱ娘の背中を見送るのであった。


「本当に大丈夫ですかね~? あの二人~?」

「ああ、大丈夫だ……言っただろ? 男は意外と単純なもんだからな」


 不安そうなゆるふわ宏美を一蹴するように、笑いながらそう言い放つ郁人なのであった。そして、梨緒と親衛隊特攻隊長おかっぱ娘が弱った男子生徒二人に話しかけると、男子二人は勢いよく立ち上がり、直立不動になるのであった。


嬉し恥ずかしそうに梨緒達と会話する野球部佐城とサッカー部山本を見つめながら、郁人とゆるふわ宏美も一安心するのであった。そんな二人に、近づいてくる風紀委員長と田川先輩に、真っ先に気がついたゆるふわ宏美は、普段通りのゆるふわ笑みを浮かべ、ぺこりと二人にお辞儀をするのであった。


 ゆるふわ宏美のお辞儀に、手だけで挨拶を返す風紀委員長と、頭を同じく下げる田川先輩なのである、


「風紀委員長……何か用事ですか?」

「そ、そのだな……す、少し気になったことがあって……い、いくとさ……いや、あ、朝宮に話を聞こうと思ってな!!」


 郁人も風紀委員長の存在に気がついて、そう尋ねると、どこか不審な動きと口調の風紀委員長と、たはははは、とどこか申し訳なさそうな笑顔を浮かべている田川先輩に疑問顔になる郁人なのである。


「……何ですか? 何か問題でもありましたか?」

「い、いや……そ、そうではな……くはないな……そ、その……朝宮!! リレーで、もしも、もしもだぞ!! お、お前達が負けたら……そ、そ、そのだな……」


 しどろもどろな風紀委員長に、首を傾げる郁人と、全てを察してゆるふわ笑みを浮かべているゆるふわ宏美なのである。そこに田川先輩が、ニッコリ笑顔で風紀委員長のフォローに入るのであった。


「ごめんなさい……クラス対抗リレーの件を聞いて……風紀委員長も慌てちゃったみたいでして……」

「おい!! 私は慌ててなどいないぞ!! た、ただ……その……い、いくとさまの……あ、いやいや!! 朝宮の!! 朝宮のファンクラブが負けたら解散すると……聞いてだな……す、少し不安に……いや!! 少しだぞ!! 物凄く不安とかじゃないぞ!!」

「はぁ? ていうか、風紀委員長……今俺の事……?」

「な、何を言っている!! 気のせいだ!! わ、私が……お、男の事を、し、下の名前で……し、しかも様などつけて呼ぶなど!! 断じてありえん!!」

「あ……はい」


 郁人は、この人大丈夫かと内心不安になるのであった。そして、物凄く慌てふためく風紀委員長に対して郁人が困っていることを察した田川先輩が再度フォローに入るのである。


「ほら、郁人様の様子が気になって確認に来たんですよね? 全く、風紀委員長はしょうがないですね……郁人様、結局リレー勝てそうなんですか?」

「お、おい!! 田川!! そんなはっきりと!!」


 ずばりと身を乗り出して、いつまでたっても、本題に入れない風紀委員長の代わりに、郁人に疑問をぶつける田川先輩に、滅茶苦茶焦って、動揺する風紀委員長は、両手を宙に彷徨わせて、オロオロと田川先輩を窘めるのである。


田川先輩の声が大きかったのか、先ほどの郁人に対する質問は、周りの女子生徒達にも聞こえていたようで、不安そうに見守っていた郁人様ファンクラブの女子生徒達も聞き耳を立てるのであった。


「勝ちますよ……絶対に」


 田川先輩の質問に対して、そうはっきり答える郁人の顔は自身で満ち溢れていて、その表情に見惚れる風紀委員長の表情は完全に恋する乙女なのである。周囲の郁人様ファンクラブの女子生徒達も郁人の表情に見惚れるのであった。


「こ、コホン……そ、そうか、そうか!! いくとさ……あ…いや、朝宮がそう言うなら、大丈夫そうだ……なら、私も……騎馬戦で必ず紅組に勝利を届けることを、ここに誓おう!!」

「え!? ふ、風紀委員長!? き、騎馬戦って……わ、私も出るんですけど!?」

「ああ、一緒に頑張ろう!! 田川!! 私についてこい!!」

「ひぇぇぇ!! 嫌ですよぉぉ!! 風紀委員長の騎馬なんかについて行ったら前線じゃないですかぁぁぁぁぁ!? 私死んじゃいますよぉぉぉ!!」

「では、朝宮!! 健闘を祈る!! ほら!! 泣くな田川!! 気合いだ!! 気合!!」

「郁人様!! 風紀委員長を止めてください!! 郁人様のお願いなら、風紀委員長も聞いてくれるはずですから!!」


 小柄な田川先輩が風紀委員長に首根っこを掴まれ無理やり引きずられながら、必死に助けを求めるさまは、ゆるふわ宏美と重なるところがあった。


 そう、胸以外は……。そんなことを心の中で思っていた郁人の心を読んだのか、ゆるふわ宏美がジト目で郁人を睨んでいる。


「……田川先輩……頑張ってくださいね」

「い、郁人様!? いつも風紀委員長の愚痴に付き合わされている時に助けを求める郁人様の視線に気がつかないふりしていたこと、やっぱり、根に持っていたんですかぁぁぁ!?」

(やはり、この人……気がついていて無視してたな)


 田川先輩に応援の言葉を送り見捨てる郁人の表情は、満面の笑顔だった。そう、郁人は風紀委員長の愚痴をひたすら聞かされている時に、誰も助けてくれないことを根に持っていた。


意外と執念深い郁人なのである。


 風紀委員長に引きずられ、入場門に無理やり連れて行かれる田川先輩を、笑顔で見捨てて、見送る郁人の姿をジト目で見て、呆れるゆるふわ宏美なのであった。


 ゆるふわ宏美は、こんな風に、わたしぃも郁人様にいつも見捨てられているんですね~と郁人に、ジト目で抗議の視線を送るのであった。


「さて……あっちも、あっちで大丈夫そうだな」


 そんな、ゆるふわ宏美の恨めしさのこもった視線を完全スルーする郁人は、そうぼそりと独り言を呟いて、先ほどまで緊張で青ざめていた野球部佐城とサッカー部山本の方を見るのである。


「はぁ~……本当ですか~? って……本当に大丈夫そうですね~」


 無視されたと、ため息を大袈裟について、疑心暗鬼な表情を浮かべるゆるふわ宏美も、郁人の視線の方を見ると、そこには、梨緒と親衛隊おかっぱ娘と嬉しそうに会話する現金な男子生徒二人の姿が目に映る。


「な……言っただろ、男は意外と単純だってな」

「あははははは~、そうみたいですね~……でも~、単純なのは意外と女の子もそうかもしれないですよ~」


 ゆるふわ宏美がほらと、郁人に周りの女子生徒達を見るように目配せする。そんな、ゆるふわ宏美に対して不信感を隠さない表情で、周りを見る郁人なのである。


 そこには、先ほどの不安そうな雰囲気は何処へやら、期待と希望に満ちた表情の郁人様ファンクラブの女子生徒達の姿があったのである。


「郁人様……郁人様は本当に皆さんに好かれているんですよ~……わたしぃのこと~、これで信じられますよね~」

「……そう…だな」


 周りの女子生徒達の期待の視線や、郁人様を信じようという声援の声を聞いて、微笑む郁人を見て、ゆるふわ宏美は嬉しそうにそう言うのである。


「先ほどの風紀委員長に対しての一言で~、皆さんの不安も消えたみたいですからね~、これは~、郁人様……負けたら~、本当に格好つかないですよ~」

「……だな……まぁ、ゆるふわ……お前が足を引っ張らない限りは勝てると思うぞ」

「な!? そ、そんなプレッシャーかけないでくださいよ~!!」


 郁人がやっと自分がどれだけ女子生徒から人気があるのかという事を自覚してくれたと、嬉しくなるゆるふわ宏美は、意地悪なゆるふわ笑みを浮かべ郁人を揶揄う発言をする。すると、先ほどまでの微笑みが、意地悪な笑みに変わり、ゆるふわ宏美に反撃する郁人なのである。


 郁人の反撃に、あわあわとプレッシャーを感じて、一瞬で不安そうに涙目になるゆるふわ宏美を完全に放置して、郁人は戦場を共に駆ける戦友のもとに向かうのである。


「二人とも大丈夫そうだな」


 そう郁人がつい先ほどまで体操座りで縮こまり、プレッシャーで青ざめていた男子二人に話しかける。


「あ……ああ!! もちろん!! 任せてくれよ!!」

「おう!! 全力で走るだけだぜ!!」


 郁人の問いに、少し照れて頬が紅潮し、自身に満ち溢れた返事を返す二人に安堵する郁人なのである。


「郁人様!! この郁人様一生推しの私も全力で走りますから……そして、例の技をやります!! いいですね……そこのモブ男子!!」


 グイっと郁人と男子二人の間に割って入り、そう言い放つ親衛隊おかっぱ娘は、ビシッとサッカー部山本を指差しして、強気でそう言い放つのである。


「お、おう……ま、マジでやるのか!?」

「おい!! 山本!! いいか!! 小鳥遊さんのバトン絶対に落とすなよ!! くそー!! 俺なら、絶対に小鳥遊さんのバトン落さねぇー自信あるのに!!」

「あははははは……頑張ってねぇ……山本君!!」

「は、はい!! 全力でやらせていただきます!! 必ず一番に三橋さんにバトンを渡しますから!!」


 何やら秘策があるようで、四人で盛り上がっている様子に、一気に不安になる郁人なのである。


「……お前らなにをする気だ?」

「秘密だ」

「秘密だぜ」

「すみません!! 郁人様!! 一生郁人様推しの私でもこればかりは秘密です!!」

「みんながそう言うならぁ……ごめんねぇ…郁人君!! 秘密だよぉ」

「……」


 郁人は、盛り上がる四人に対して、目を細め、こいつら何をする気なんだと、秘策とやらを聞き出そうとするが、四人に笑顔で、そう言われては、黙るしかない郁人なのである。


ニヤニヤと本番をお楽しみにといった様子の四人に対して、滅茶苦茶不安な郁人は眉間を右手で押さえる。


「……一気に不安になってきたんだが……本当にあいつら大丈夫か……」

「な!? 今更不安にならないでくださいよ~!! 郁人様!!」


 ぼそりと不安を吐露する郁人に対して、いつの間にか隣に陣取っていたゆるふわ宏美が驚愕の表情でツッコムのであった。


 男子二人が自信を取り戻してくれたのは良いが、何やら不安要素が増えたと、頭を悩ませる郁人と、あわあわと慌てるゆるふわ宏美なのであった。







 そして、同時刻の七組応援席は、浩二と政宗が揉めており、そんな二人に近くで口論されて迷惑そうな美月は、体操座りで、ボーっと行われている競技を眺めているのであった。


「僕は、解散何て認めないぜ……絶対にだぜ!!」

「浩二……君もしつこい奴だ……そもそも、この勝負に勝ったら君は、美月のファンクラブ会長をやめることになっているのだから……美月のファンクラブの事は、この、美月の幼馴染の、この俺のモノだ……どうしようと、俺の勝手だ」

「だから、この勝負で僕達が勝っても……美月ちゃんのファンクラブ会長の後釜は、もう僕が決めている……政宗……テメェには、なんの権限もねぇーんだぞ!!」

「はぁ……美月の事は、全部俺に任せてくれれば、それでいいんだ……この勝負が終わったら、浩二……君は、美月とは無関係な人物なのだからね」

「だからって、てめぇに美月ちゃんファンクラブの権利はないって言ってんだぜ!! 話聞いてるのかよ!?」


 先ほどから、ずっと同じようなことを言い合っている浩二と政宗に、はぁ~とため息が零れ、呆れる美月なのであった。そもそも、自分のファンクラブなんかどうでもいいし、解散しても、なにも困らないし、勝手にしてと思う美月なのである。


(なんで、こんなことになってるのよ……そもそも、私達が勝ったら、ひろみんは、郁人とは離れ離れになって……郁人のファンクラブ解散とか……郁人が勝ったら……覇道君が私に二度と近づかないとか……それなら…私がわざと負ければ……この人とは……ううん!! この人のことだから、絶対に屁理屈言って、約束なんて、絶対に破るに決まってるよ!! それに……この勝負に負けたら……郁人は絶対に自分を犠牲にして何かしようとするはずだよ!! それは、絶対に阻止しないと……で、でも……私が勝ったら……郁人もひろみんも困るよね……でも……あの時みたいなことを……また郁人に……それはダメ!! 絶対に……)


 ぼんやりと、そんなことを考えては、すぐに否定するも、やはり、どうしようかと悩む。状況がややこしくなりすぎて、本当に勝負に勝ってもいいのか悩みだした美月は、ずっと、一人悶々としているのであった。


 両足をギュっと抱きしめて、顔を埋め、美月は溜息をつくのであった。そんなことをしていると、生徒会長と副会長が美月達の居る一年七組の応援席にやってくるのであった。


「何やら、揉めているようですが……覇道君……リレーの件ですが、本当に大丈夫なのですか?」


 例の噂を聞きつけて、様子を見に来た生徒会長が、考え込む美月の方を一瞬見て、浩二と揉める政宗に対峙すると、疑心に満ちた表情で疑問を投げかける。


「生徒会長……何も問題はないさ」

「おい!! 覇道……先輩には敬語を使えと!!」


 生徒会長に普段通りの態度で接する政宗に、副会長が怒りの声をあげるが、生徒会長が手で副会長を制するのである。


「いや……大丈夫ですよ……私は気にしていませんからね……それより、先ほどの言葉は本当ですか? なにやら、負けたら美月さんのファンクラブ解散と聞いたのですが?」

「負けたらの話で……負けることは万に一つもない……生徒会長の期待には応えてみせるさ……」


 眼鏡を光らせ、強めの口調でリレーの件を確認する生徒会長に、自信満々にそう答える政宗なのであった。


 光る眼鏡越しに政宗を睨みつける生徒会長に、余裕の笑みで見つめ返す政宗の緊迫したやり取りも美月は完全にスルーしていた。


(ううん……これは、逆にチャンスだよね!! 郁人も…ひろみんも…私が何も出来ないって思ってる……弱い……守られるだけの存在だって……だから、私が勝って、郁人のことも、ひろみんの件も……そして、覇道君のことも全部、私が解決すればいいんだよ!! そしたら、郁人も私の事……うん!! そうだよ!!)


 先ほどから、一人で悩んでいた美月は、心の中で結論をだして、リレーは予定通り絶対に勝ちに行こうと心の中で決意するのであった。


「わかりました。全て覇道君……君に一任しましょう……ただし、もしもの時は……覚悟はよろしいですね?」

「万が一にもありえないことだが……その時は……生徒会長の自由に」

「では、我々もこの後予定がありますので、失礼しますね……では、美月さん……頑張ってくださいね……私も、騎馬戦……必ず勝利しますからね……期待していてください」

「え!? あ、はい!!」


 いきなり、生徒会長に話を振られて、戸惑う美月は、慌てて、生徒会長の方を見て、そう返事を返す。すると嬉しそうな表情を浮かべ、上機嫌で入場門の方に去っていく生徒会長と、その後を不機嫌そうについていく副会長なのであった。


「ふん、生徒会長も小物だね……もう少しどっしりと構えて欲しいものだ……と言う訳で、浩二……この俺達が負けることなど万が一にもないのだから、安心して美月のファンクラブの事は、この俺に任せてくれて大丈夫さ」


 もはや、政宗に対して何を言っても無駄と思った浩二は、心の中で絶対にこの勝負は勝つと決意している美月に声をかけに行くのである。


「美月ちゃん……大丈夫かよ? 僕達が勝つ方が面倒なことになる気もするぜ?」

「大丈夫だよ!! 勝った後のことは私が何とかするから……永田君は何も考えずに全力で走って……私も全力で走るから」

「……ふぅ~……わかったぜ……美月ちゃんがそう言うなら……僕は、もう何も言わないぜ!! 後のことは何も考えずに、全力で走るぜ!!」

「永田君……ありがとう」


 美月の事を信じると決めた浩二は、迷いなくそうはっきりと美月に言われて、もう悩むのはやめたと胸を叩いて、全力で走る決意を固めるのであった。


 そんな浩二に、感謝の言葉を述べて、美月は立ち上がるのである。


 そして、自信に満ち溢れ、勝利を確信している政宗と、いつの間にか政宗の所に来た陸上部三人と向き合う美月と浩二なのである。


「さて、朝宮の悔しがる姿が見れると思うとワクワクするっすね!!」

「だね~!! 白銀の土下座楽しみだわ!!」

「土下座だけじゃ~、許さないけどね~!!」


 下品な笑い声をあげて、そんな会話をする陸上部三人を睨みつける美月と浩二なのである。


「美月……そんなに不安がらなくても、もう勝利は確定しているも同然さ……安心してくれ……朝宮も二度と君には近づけさせやしない……このリレーで朝宮に現実を突きつけてやるさ」


 心の底から、政宗と陸上部三人を軽蔑する美月の表情を、政宗は、何を勘違いしているのか、美月は、勝負の前に緊張しているのだろうと捉え、優しくそう言うのである。


(この人達を好き勝手させてるから……郁人もひろみんも……不安に思うんだよね……大丈夫、今は我慢だよ)


 この人達を増長させたのは、自分のせいだと思う美月なのである。もちろん、七組が勝てばさらに、彼らを増長させることになる。


 そのことは、わかっている美月だが、また、郁人が自身を犠牲にして何かをしようとしているのなら、自分が止めないといけないと、自分の事は自分で解決しないといけないと、だからこそ、リレーに勝たなければならないという結論に達した美月なのだ。


(あの時とは違うんだよ!! 郁人の隣を歩いて行くために……郁人に頼ってもらえるように……郁人の支えになれるように……私は頑張ってきたんだ……それに、私は郁人の彼女になったんだから!! 昔とは、あの時とは違うんだよ!!)


 目を閉じ、強い決意を胸に秘め、想いを馳せる美月は、目を見開き、政宗達の下品な表情を真直ぐに見る。


(覇道君達の事は、私がきっちり決着をつけるよ!! だから、郁人……私は勝つよ!! 絶対……郁人にあんな思いは二度とさせないから!!)


 そして、美月は、好き勝手郁人達の悪口を言っている政宗と対峙する。


「覇道君……リレーに勝ったら……話があるの……大事な話」

「美月? 大事な話か……そうか!! わかった!! その話必ず聞かせてくれ!!」


 険しい表情で政宗にそう言い放つ美月に、何を勘違いしているのか、物凄く嬉しそうな表情になる政宗。そんな、二人を不安そうに見つめる浩二。今もなお、郁人達の悪口で盛り上がっている陸上部三人。そして、美月は、踵を返し一足先に入場門に向かうのである。そんな美月に気がついて、後を追う七組リレーメンバー達なのであった。







 そして、いつの間にか運動場では、紅白対抗の男女混合騎馬戦が始まっており、生徒会長と風紀委員長が頭のハチマキを奪うために、激しい攻防を繰り広げているのであった。その中には、無理やり風紀委員長に前線に連れて行かれ、涙目で必死に頭のハチマキを守る田川先輩の姿があった。


『さぁ!! 白組代表の生徒会長と、紅組代表の風紀委員長の激しい攻防繰り広げられております!! 果たして勝つのは紅組か!? 白組か!! この勝負に勝った方が今年度の勝者となります!! あ……ついでにここで、お知らせです。最終競技の、学年別クラス対抗リレーに参加する生徒は入場門にお集まりください』


 マイク片手に激しい実況をしていた放送部の女の子が、急に冷静さを取り戻し、アナウンサーよろしくの声色で、クラス対抗リレー参加メンバーへの集合アナウンスを読み上げる。


「よし……じゃあ、行こうか」


 郁人は、そうリレー仲間に声をかけて、一緒に入場門に向かうのである。その姿は、今から戦場に向かう歴戦の勇士の様であった。


 郁人様ファンクラブの女子生徒達の声援に答えるように、自信満々に入場門に向かう郁人達に、同じく自信に満ち溢れた様で、先に入場門で待機していた七組リレーメンバーが、郁人達一組と対峙する。


「遅かったじゃないかい……てっきり、怖くて逃げだしたんじゃないかと思っていたとこさ」

「……」


 挑発してくる政宗に、一旦足を止め一瞥する郁人だったが、無視して、入場門の待機列に加わるため再度歩みを進める。そんな郁人について行く一組リレーメンバーは敵対心むき出しで、七組リレーメンバーを睨む。


「郁人……悪いけど……この勝負絶対に勝つから……賭けとか、関係なく……私は郁人に勝ちに行くから!!」


 無視して、横から通り過ぎようとする郁人にそう言い放つ美月の瞳には強い意志が宿っているのであった。


「……美月……悪いけど、美月には負けられない……それに、この勝負、別に賭けと関係なく、始めから負けられなかったからな」


 足を止め、振り返り、美月の瞳を真直ぐ見て、郁人はそう返事を返すのである。


「俺達に勝てるつもりっすか!?」

「知らねーよ!! 俺達は全力で走るだけだ!! な、なぁ小鳥遊さん!!」

「そうです!! その意気ですよ!! 一生郁人様推しのこの私のためにも全力で走るのです!!」

「はぁ~? あんた等が全力で走ったところで、ウチ等陸上部の相手になる訳ないのに~馬鹿じゃない」

「相手になるとかじゃなくて、全力で走るだけだぜ!! 三橋さんに一番にバトンを渡すって約束したしな!!」

「うん!! 期待しているよぉ!! 山本君!!」

「はいはい……一番は無理だから~、私達がぶっちぎりで一番になるに決まってるんだからさ~」


 郁人と美月のやり取りを皮切りに、バチバチの一組リレーメンバーと七組リレーメンバーなのである。


「細田……わりぃが美月ちゃんが勝ちたいって言ってる以上……僕は美月ちゃんの味方をするぜ……それに……後のことは美月ちゃんが何とかしてくれるって言ってたぜ」


 普段通りのゆるふわ笑みを浮かべるも、内心は緊張とプレッシャーで胃が痛くなっていたゆるふわ宏美に話しかける浩二なのであった。


「……そうですか~……でも~、わたしぃは~、残念ながら~、根拠がない発言は信じないんですよね~……永田さん……いいですか~、全部わたしぃ達に任せてくれれば~、あなたが望む美月さんの平穏は守られますよ~」

「いや……それじゃダメだって気づかせてくれたのは……細田……お前だろ? 僕は、美月ちゃんに平和な学園生活を送って欲しいのと同時に……美月ちゃんが望むことをしてあげたいんだぜ!!」

「……そうですか~……でしたら~、もうわたしぃからは何も言うことはないですよ~」


 浩二の強い意志に、呆れるゆるふわ宏美は、内心少しホッとするのであった。少しはまともな人になったと浩二の成長を喜ぶゆるふわ宏美なのであった。


「朝宮……貴様から美月を取り戻す……必ず!! 美月を守れるのは、美月の幼馴染であるこの俺だけなのだから!!」

「……」

「フン、負けるのがわかっているから、何も言えないのか? 情けない……やはり、貴様に美月は相応しくない!! この勝負で、全校生徒に貴様の、無様な……そう!! 真の姿を晒してやる!!」

「……」


 郁人は政宗から、何度も挑発されるも完全に無視するのである。まるで、そこに誰も存在しないかのように、もはや、郁人は政宗に対して全く関心がないのである。


 そう、郁人の中ではもはや、政宗の存在など、眼中にないのであった。


「はぁ~、覇道君……いい加減にさぁ、郁人君に相手にされてないって気づいたらどうなのかなぁ?」

「……フン、相変わらず気に食わん女だ……ただ、俺に恐れをなしているだけだろ?」

「はいはい……そう言うことにしておけばいいよぉ……郁人君、私、郁人君のために頑張るからねぇ!!」

「あ……ああ、期待している」

「うん、頑張ってバトン渡すからねぇ!! 私の愛を受け取ってねぇ!! 郁人君!!」

「……そう言われると受け取りたくなくなるんだが……」

「なんでぇ、なんでぇ? なんでぇ、そんなこと言うのかなぁ?」

「い、いや……な、何でって言われても……」


 無視する郁人と、嫌味を言い続ける政宗の間に割って入る梨緒の表情は憐れみで満ち、辛辣な発言を政宗にした後、まだ嫌味を言う政宗を完全に無視して、郁人に迫って、ヤンデレアイで、上目遣いで奮起するヤンデレモードな梨緒に、タジタジになる郁人なのであった。


「フン、本当にムカつく奴らだ……美月……どうしたんだい? あんな奴らを見つめて……そうか、不安なのか!? 大丈夫さ、必ず俺が君に……圧倒的大差をつけて、バトンを渡すから、最後は気楽に走るといいさ」


 無視された政宗は苛立ちながら美月に近づくと、目を見開いて、郁人と梨緒をジッと見つめている美月に、疑問の表情を浮かべるも勝手に答えを出してそう言う政宗なのである。


 そんな政宗を完全スルーする美月は、ジッと郁人達を見つめ続けるのである。


(もしも、私が郁人と一緒のクラスだったら……あそこに居たのは自分だったのかな?)


 嫉妬心で心が痛くなる美月は、胸を押さえて、もしもに想いを馳せる。だが、もしもは、所詮もしもなのであることを理解している美月は、自分勝手なことを言っている政宗を一瞥すると、踵を返し待機列に向かうのである。


 そんな、バチバチのやり取りをした後に、待機列に並ぶ郁人達と美月達なのである。そして、ついにクラス対抗リレーが始まるのであった。









 学年別クラス対抗リレーは、各クラス代表の男女各三名の計六人で、1200メートルを走るルールとなっており、音峰高校の独自ルールとなっている。一人200メートル、つまりトラック半周を走る事となっており、第一走者と第二走者は決められたレーンを走り、第3走者は第一カーブを過ぎたらオープンレーンとなり、その後の走者は自由なラインを走ることができる。


 第四走者からは完全オープンレーンとなり、バトンの受け渡しは、前走者がスタート地点を通過した順に内側から並んでバトンを受け取ることになる。


まずは、三年生の各クラスのリレーメンバーが入場門から入場して、それぞれの待機位置に移動して、放送部により各選手の紹介がされて、その後、掛け声と共にリレーは始まるのだった。そして、三年生が走り終えると、二年生が同じように入場して、三年生と同じような流れで、走り始めるのであった。


そして、急遽盛り上がりまくっている一年生のリレーは大取になったのだった。それぞれの想いを胸に、二年生のリレーが終わり、一年生リレーメンバーが入場門を潜るのである。


『ついに、やってきてしまった!! クラス対抗リレー一年!! 皆さん注目のこのリレーですが!! なんと、因縁の対決となっております!! 郁人様率いる一年一組が、万が一にも負ければ、郁人様ファンクラブ解散!! そして、一年七組が負ければ、夜桜さんのファンクラブが解散とお互いの学園アイドル生命を賭けた試合になっています!!』

『それに加え、朝宮のファンクラブの会長である細田さんは、この試合に負ければ、朝宮に二度と近づかないとのこと、同じく、覇道もこの試合に負ければ、幼馴染である美月ちゃんに二度度と近づかないという約束を交わしているそうです』


 この放送部の女子生徒の実況と解説の男子生徒の補足に、寝耳に水と驚く教師陣は、神聖な運動会で賭け事とは何事かと騒ぎ始めるが、すぐに風紀委員長と生徒会長が巧みな話術で教師陣を懐柔するのであった。


『では、走者の発表です!! まずは一年一組!! 厳選なる抽選の結果、大外の第七レーンを走ります!! 第一走者は細田選手!! これはどういうことですかね? 三年や二年……そして他の一年生のクラスもだいたい、足が速い選手を最初に持ってきているのに対して、細田選手はメンバーの中で一番足が遅いようですが……』

『これは、朝宮……愚策としか言いようがありませんね……やはり、所詮は顔だけの男の様ですね』


 放送部女子生徒の発言に、辛辣な解析の男子生徒なのである。放送テントは一瞬嫌な空気になるのであった。


『……そして、第二走者は佐城選手、第三走者は小鳥遊選手、第四走者は山本選手、第五走者は三橋選手……そして、アンカー!! 朝宮郁人様選手です!! 皆さん大きな声援をお願いします!! 郁人様!! 絶対に勝ってくださいね!!』

『無理でしょうね……正直、一組が勝つのは不可能かと……』


 内心イラっとしながらも、笑顔で放送を続ける実況女子は、最後に個人的な声援を送るのである。そう、実況の女子生徒は郁人様ファンクラブの二年生なのであった。そんな、彼女をばっさり切り捨てる解説男子に、殺意の視線を向ける実況女子なのである。


 それから、問題なく、二組から六組までの選手が読み上げられ、続いて七組の番が回ってくるのであった。


『では、愚かにも、完全無欠の郁人様に勝負を挑む第六レーンを走る七組のメンバーの紹介です……第一走者は、一年で一番足が速いと自負する自称陸上部エース(笑)の服部選手』

『やはり、美月ちゃん率いるチーム七組!! 最善の策ですね!! 一番足が速い選手で独走し、最後まで1位を保つ作戦でしょう!!』


 悪意マシマシで七組選手紹介をする実況女子に対して、立ち上がり、拍手で絶賛する実況男子なのである。実況女子は実況男子の事を据わった目で見つめるのであった。


『……第二走者と第三走者は陸上部女子の二人です……えっと、次が……第四走者が夜桜さんのファンクラブ会長で、第五走者が愚かにも郁人様に喧嘩を売った愚か者です……はぁ~、本当に愚かですね……そして、アンカーが……夜桜選手です』

『……素晴らしい人選ですね……もはや、美月ちゃん率いる七組に、一組は勝ち目はないでしょう』


 滅茶苦茶やる気のない声で、適当に選手紹介をする実況女子に、ピクピクと怒りを堪える実況男子も嫌味の一言を返すのであった。睨み合う二人、そう実況男子は美月ちゃんファンクラブの二年生男子なのであった。


 そして、選手はそれぞれの待機位置に移動を始め、トップランナー達も、スタート位置に移動するのである。一組トップランナーのゆるふわ宏美も、内心緊張で心臓バクバクなのを悟られないように、普段通りのゆるふわ笑みを浮かべながら、一番奥の第七トラックに向かうと、先に第六レーンのスタート位置に移動し終えた七組一年陸上部エースが見下した笑みで、ゆるふわ宏美を見る。


 内心イラっとするゆるふわ宏美だが、ゆるふわ笑みを崩すことなく、華麗に無視して、自分のレーンに向かうために、七組一年陸上部エース横を通り過ぎ、スタート位置に向かう。


 そう、大外の第七レーンという事は、一番先頭でトップが、一番小柄なゆるふわ宏美という事なのだ。緊張のゆるふわ宏美は、真剣な表情に切り替えて、両頬を叩いて気合を入れるのである。


そんな、ゆるふわ宏美の小さな背中を見て、勝利を確信する七組陸上部一年エースは、クラウチングスタートの姿勢に、対するゆるふわ宏美は、スタンディングスタートの姿勢なり、準備万全な態勢になる。


 第一走者が全員スタート位置につくと、それを確認した、代表の体育教員が朝礼台に立ちスターターピストルを天に向ける。


『では、位置について……よーい!! ドンッッッ!!』


 スターターピストルの破裂音が運動場に響くと同時に各クラスの第一走者が一斉に駆け出すのである。第七トラックを走るゆるふわ宏美は、出遅れることなくスムーズに走り始め、一生懸命全力で走っているが、勢いよくスタートを決めて第六トラックを走る陸上部一年エースの全力疾走に一瞬で追い抜かれるのであった。


 そして、他のクラスの選手たちにカーブで次々抜かれるゆるふわ宏美はあっという間に最下位になるのであった。


『おっと、一組細田選手あっという間に、最下位に転落……会長!! 負けたらファンクラブ解散ですよ!! 死ぬ気で走ってください!!』

『ほら、きちんと実況してください……七組どうなってますか?』

『ググググググ……げ、現在七組トップ……で、す!! ぐんぐんと他の選手たちを引き離していきます!! 会長!! もっと!! もっと早く!! 死ぬ気で……いえ!! 死んでもいいので全力で走ってください!!』


 嫌味な解説男子に、唸り声と悔しさでゆるふわ宏美を煽る実況女子なのである。七組一年陸上部エースは、二位にも圧倒的な差をつけての独走状態なのであった。


(わ、わたしぃだって全力で走ってますよ~!! ていうか~、会長であるわたしぃに対して酷くないですか~!!)


 泣きそうになりながら、必死に走るゆるふわ宏美だが、どんどん差をつけられ、もはや、涙目だ。そして、圧倒的差をつけて、七組陸上部一年エースが、七組陸上部女子に余裕の一位でバトンを渡すのであった。


 余裕でバトン受け取り、七組陸上部女子が走り始め、待機する野球部佐城に嫌味な視線を送り抜き去っていくのである。もちろん、野球部佐城はイラっとするのである。


『七組一番にバトンを渡します……圧倒的な差をつけて、第二走者が走り出しました……会長!! どれだけ差をつけられてるんですかぁ!!! これで負けたら死刑ですよ!! 死刑!!』

『この結果は見えてましたね……やはり朝宮……愚策でしたね』


 必死に走るゆるふわ宏美に怒りを露にする実況女子に、殺意を覚えるゆるふわ宏美なのであった。


(絶対に許しませんからね~!! だいたい~、最近わたしぃの扱い酷いですよね~!? 誰がファンクラブで一番偉いか~……わからせる必要がありますね~!!)


 そして、次々と第一走者からバトンを渡された第二走者達が駆け出していき、最後に圧倒的差をつけられながら、ゆるふわ宏美が、野球部佐城に華麗なオーバーハンドパスでバトンを渡すのである。


「細田!! 大丈夫だ!! 後は任せろ!!」

「はぁ、はぁ、す、すみません~!! はぁ、はぁ、お、お願いします~!!」


 練習の成果、スムーズにバトンの受け渡しは済み、ぐんぐんと加速する野球部佐城は涙目でバトンを渡してきたゆるふわ宏美にそう言い放ちながら、全力疾走で前の選手を追っかけて行く。はぁ、はぁと肩で息をするゆるふわ宏美に、憐れみの視線を向け、嘲笑する七組陸上部一年エースなのである。


(こ、これも作戦のうちなんですからね~!! で、ですよね~……い、郁人様~!!)


勝ち誇った七組陸上部エースに、ムッとなるゆるふわ宏美は、心の中で、必死にそう言い訳をするものの、この結果にかなり不安になるのである。それもそのはず、七組と一組の差は、50メートル近く離されているのであった。その差を見て、絶望するゆるふわ宏美なのである。


 しかし、最下位でも、諦めることなく全力で走る野球部佐城は徐々に、その差を縮めるのである。


『おっと!! ここで、一組の佐城選手!! 一気に追い上げをみせる!! しかし、圧倒的最下位だ!! でも大丈夫!! 郁人様にバトンを渡せば光の速さで追い抜いてくれますから!! 死ぬ気で走れ!!』

『いえいえ、この差は絶望的でしょう……まず一組は、七組と勝負する前に他のクラスに勝つことを考えた方がよろしいかと思いますね…このままでは圧倒的最下位ですから…やはり、美月ちゃん率いる七組に勝つのは無理でしょう』


 もはや、個人の感情を隠すことのない実況女子に、嫌味な解説男子なのである。もちろん、二人がバチバチと視線で火花を散らすのは必然であった。


(信じろ!! 前だけ見ろ!! 小鳥遊さんに早く!! 出来るだけ早くバトンを渡すんだ!! そう約束しただろ!! 俺!! ここで、頑張らないで、いつ!! 頑張るんだよ!!)


 必死に全力で走る野球部佐城だが、やはり第一で開いた差は大きく、少し前との差を縮めるも、最下位から脱出することはできないままでいた。そして、七組陸上部女子も普通に走って、次の走者に圧倒的一位でバトンを渡すのであった。


『ここで、七組は一番でバトンを第三走者に渡します。ここからは、第一カーブを過ぎたらオープンレーンとなります!! 自由に走れるようになるので、コースの位置取りが重要となります!!』

『これは、七組は勝ったも同然ですね……愚かな一組が最下位にならないことを願いましょう』

『……いや、佐城選手は会長がつけてしまった差を縮めています!! 郁人様も控えていますし、勝負はわかりませんよ……いえ!! 一組が勝ったも同然です!! おら!! 一年男子!! 全力で走れ!!』


 次々とバトンが渡され、第三走者が走り出していく中、親衛隊おかっぱ娘は目を閉じ瞑想しているのである。そして、佐城が全力疾走で残り数メートルまで迫ってくると、その気配を察し、カッと目を見開き、バトンの受け取り準備に入るのである。


「うぉぉぉぉぉぉぉ!! 小鳥遊さん!!」


 叫ぶ野球部佐城は、バトンを握る右手を突き出し、前だけを見つめ、加速し始める親衛隊おかっぱ娘の後ろに突き出した右手にバトンを収めるのである。


 華麗なるオーバーハンドパスで利得距離を稼ぐ。


「一生郁人様推しの私の勇姿!! みせてあげます!!!!」


 バトンを受け取った親衛隊おかっぱ娘は、前のめりになり、前を見つめ、両手を後方に突き出し振ることなく、物凄い速さで加速して、駆け出すのである。


 その姿はまさにジャパニーズ忍者である。


 受け渡し時には一位との差は40メートル、前の選手との差も10メートル以上あったのだが、どんどんとその差が縮まり、第一カーブ大外第七レーンを走り、インを走る前の選手を、早くも追い抜く親衛隊おかっぱ娘なのである。


『は、速い!! 速い!! やはり、郁人様親衛隊は格が違う!! 会長!! この速さ見習ってください!! あっという間に最下位から脱出です!!』

『こ、これも、そ、想定ないでしょうね……所詮ここまで……ま、まだまだ、七組との差はありますからね!!』

『小鳥遊選手は第一カーブを過ぎました!! ここら、オープンレーンとなります!! 

しかし、小鳥遊選手インに入らずに第三、第四トラックの間ぐらいを走るようです……これはどういう事でしょうか?』

『愚かにも、一気に抜く気なのでしょう……インに入っても抜けませんからね……しかし、その分、距離にロスがでますからね……これは作戦ミスでしょう!!』


 しかし、解説男子の乱れた声の解説の後に、親衛隊おかっぱ娘は、第二カーブで外から次々と他クラスの選手を追い抜いていくのである。


『凄い!! 凄いぞ!! 一組!! さすがは郁人様親衛隊です!! 次から、次に抜き去り、あっという間に二位になりました!! やはり、お飾り会長とは全然違いますね!! このまま、七組も抜いてしまえ!!』

『あ……あ……』


 さすがにこの展開は予想出来なかったのか、実況男子の開いた口が閉まらないのであった。その横で、ひたすら盛り上がる実況女子なのだが、その実況女子を冷たいゆるふわ笑みを浮かべながら、ゆるふわ宏美は、運動場中央の走り終えた選手の待機場から、放送テントの方を見つめているのであった。


「ここでお前と、また、争うことになるとは……というか、永田……お前何でサッカー部に入らなかったんだ?」


イン側でバトンの受け渡しを待つ浩二に、バトンを受け取るために、大外まで移動を始めるサッカー部山本が話しかけるのであった。


 現在親衛隊おかっぱ娘の大活躍により2位の1組だが、スタートラインの時点では最下位だったため、バトンを受け取るのは一番外になるのである。


「……サッカーは……もう、やめたからだぜ」

「……そうか……まぁ、別にどうでもいいけど……でも、確かに……やめて無ければ、永田ほどの選手が、こんなサッカーが弱い進学校にきてねぇか」

「……」


 険しい表情の浩二に、本当に興味がないとばかりに、第七レーンに移動するサッカー部山本なのであった。


『つ、ついに!! 一組は二位まで順位を上げてきた!! 最下位から五人抜き!! 凄い!! 凄いぞ!! 小鳥遊選手!!』

『い、いや、ま、まだまだ差はありますからね!! な、七組の勝利は揺るぎませんよ!!」


 実況女子の実況に、さすがに後ろが気になるのか、カーブを抜けストレートを走る七組陸上部女子が後方を振り返るのである。


(振り返りましたね? 恐れましたね? この一生郁人様推しである……この私を!!)


圧倒的だった差は10メートル近くまで縮まっており、完全に忍者走りで、物凄い勢いで追いかけてくる親衛隊おかっぱ娘の物凄い迫力に、さすがの陸上部女子も焦り、必死に走って一位を死守しようとするのである。


『なんとか一位を死守して七組は次の走者にバトンを渡しました!! しかし、一組山本選手もバトンを受け取る体制に!! 郁人様親衛隊小鳥遊選手!! 圧倒的な差を射程圏内まで縮めました!!』

『いや、次は永田会長ですから……さ、さすがに一組の快進撃もここまででしょう!!』


 そして、なんとか一位を死守した陸上部女子の適当なオーバーハンドパスでバトンを受け取った浩二は、バトンの受け取りに無理があったのか、加速しにくい姿勢から、走り始める。


 そして、浩二が走り出してすぐに、親衛隊おかっぱ娘がバトンを渡しに駆けてくるのである。そして、サッカー部山本は、練習通り、前を見て、バトンを受け取るため右手を後ろに突き出して加速を始める。


(大丈夫……小鳥遊さんを信じるぜ!!)


 そして、親衛隊おかっぱ娘は加速し始めたサッカー部山本を確認し、なんと、全力で前方に飛んだのである。


これぞ必殺ダイブフライングバトンザパス!! そう、親衛隊おかっぱ娘達の秘策である。飛んで、前倒しになる事で距離を稼いでバトンを渡そうというのである。


『小鳥遊選手!! なんと、ゴール前で飛んだぁ!! そして、や、山本選手は前だけ見て走り出して、そ、そのまま空中でバトンを受け渡した!! な、なんという技でしょう!! 凄い!! 凄すぎる!!』

『さ、サーカスでもあるまいし……り、リレーでは意味ないでしょう!! こ、これで、七組が負けることなどありませんね!!』


 親衛隊おかっぱ娘は、空中でサッカー部山本の差し出す右手めがけて、バトンを持った右手を突き出し、加速するサッカー部山本の右手にバトンを収めるのである。


バトンを華麗に受け取ったサッカー部山本は、全力で一位を走る浩二を追いかけていき、親衛隊おかっぱ娘は、そのまま、受け身を取り、ゴロゴロとレーンをものすごい勢いで転がり、その後、華麗に体制を整えて立ち上がり、両足でズサーッ!! と地面を横滑りしながら、勢いを消して制止するのである。


「一生郁人様推しのこの私が、全力を出したんですから!! 差を広げられたりしたら許しませんからね!!」


 そして、全力で浩二を追いかけていくサッカー部山本に大声で叫ぶ親衛隊おかっぱ娘の発言に、さらに力が入るサッカー部山本なのである。


(ぷ、プレッシャーかけるんじゃねぇぜ!! クソッ!! 相変わらず、永田の奴……すげぇな……でも、悪いがあの時の借りは返させてもらうぜ!!)


 サッカー部山本は、先ほどは興味ないように振舞ったが、実際は、以前中学時代に浩二達の学校にサッカー部の地区大会で大敗した経験があり、かなり根に持っているのであった。


 その悔しさを晴らすため、そして、梨緒にカッコいい所を見せるために、全力で走るサッカー部山本なのだが、親衛隊おかっぱ娘が10メートル以内まで縮めた差が少しずつ広がっていくのである。


『せっかく、小鳥遊選手が縮めた差が徐々にひらいていく!! 何をしてるんですか!! それでも男ですか!! 全力で走れ!! 一年男子!! 抜け!! 抜いちまえ!!』

『フッ……やはり、所詮子供だましでしたね。この後は、覇道選手に美月ちゃんですからね……もはや、七組の勝利は確実でしょう!!』


(諦めてたまるか!! 俺にだって!! 俺にだってプライドがあるだ!! 三橋さんにカッコイイとこを見せるんだ!! それに!! 永田!! テメェには負けねぇぜ!!)


 しかし、どれだけ両手を振って、必死に走っても、迷いを捨てて全力で走る浩二との差は広がる一方なのである。その差を見て、第一レーンで待機する政宗が勝利を確信して、隣の第二レーンで待機する梨緒に嫌味な笑みを浮かべるのである。


「どうやら、勝負はついたようだ……まぁ、わかりきっていたことだが」

「残念だけどぉ……まだ、勝負はこれからだよぉ……私達には郁人君が居るんだからねぇ」

「フン……朝宮の実力はもうすでに、100m走でわかっているさ……この差……抜けるはずがない……それに、まだまだ、差は開くのだしね」

「……でも……郁人君なら大丈夫だよぉ……だって……あの時と同じ顔してたからぁ」

「ふん……意味が分からんことを……では……サヨナラだ」


 そう言って、政宗は、一位で駆け込んできた浩二から余裕でバトンを適当に受け取ると、梨緒に挑発的な視線を向けて走り出していくのである。梨緒はそんな政宗をヤンデレアイで見送り、遅れてやってきたサッカー部山本から、バトンを受け取るべく、加速し始めるのである。


『七組、一位でバトンをクソ野郎に渡します!! あああああ!! もう!! お願いだから、なんとか差を縮めて!!』

『これは、勝負は決まりましたね……覇道選手に、三橋選手が追いつけるはずもないでしょうから、ここからは、差は広がる一方でしょう』


「すまねえ!! 三橋さん!!」

「大丈夫だよぉ!! 任せてぇ!!」


『ここで、一組は二位でバトンを次の走者に渡します!! しかし、その差はかなりひらいています……大丈夫!! 郁人様なら、なんとかしてくれるはず!! 三橋さん!! 頑張ってください!!!』

『いえ、確実的に無理でしょうね……ここからさらに差が広がるでしょうから、これは七組の勝利で終わりですね』


梨緒がバトンを受け取った時点で、一位の七組との差は20メートル近くあり、絶望的な差だが、さらに差はどんどん広がっていくのである。


 バトンを受け取るためインで待機する美月は、どんどん開いて行く差を確認すると、隣で目を閉じて瞑想する郁人を見るのである。


「郁人……さすがにこの差は……郁人でもどうにもならないよ」

「……美月……お前はアンカーになるべきじゃなかったな」


 美月に声をかけられ、郁人は目を開き、真剣な表情で美月を見てそう言い放つのである。


「……どういう事?」

「……どれだけ差がひらいても…前を走るのが美月なら…俺は必ず美月を摑まえてみせるからだ……絶対に…だ」

「……郁人……ごめんね……それは無理だよ……だって、私は絶対に負けないから!!」


 美月は郁人の決意を聞いて、一瞬、目を見開き驚きの表情を浮かべるも、すぐに真剣な表情に変わり、強い口調でそう言い放つと、一位で駆けてきた政宗を確認して、バトンを受け取るために加速を始める。


「美月!! 受けてってくれ!!」

「!?」


 政宗がバトンを渡すために右手を突き出し、アンダーハンドパスでバトンを渡そうと距離を縮めてくる。そして、美月は政宗がバトンの端ではなく、中心より上を持って、美月にバトンを渡そうとしていることに目視で気がつくのである。一瞬の躊躇いが加速を緩め、バトンの受け渡しにロスを生じさせる。


 しかし、美月は、バトンをしっかり、受け取る事を決断する。そして、政宗の右手が美月の右手に触れる。


(こんなことで、負けたくない!! 私は郁人に勝たなくちゃいけないんだから!!)


 そして、そのまま、美月は嫌悪感を抱きつつも、郁人に勝つ為に走り始めるのであった。走り終えた、政宗は美月に触れた手を摩りながら満足そうな表情を浮かべており、その光景を郁人は冷たい視線で見つめていた。


『あ、圧倒的な差で……七組は最終アンカーにバトンを一位で渡します……だ、大丈夫!!郁人様なら、郁人様なら、郁人様なら……』

『もう諦めてください……決着はつきましたね』


 祈るように両手を組んで、目を閉じる実況女子に、嫌味な笑みを浮かべ勝利を確信する解説男子なのだ。


(郁人……ごめんね……でも……私は負けられない……負けられないんだよ!!)


 最終アンカーの美月は、郁人の言葉の意味をなんとなく察していたが、それでも負ける訳にはいかないと、全力で走って、ゴールを目指す。後先考えずに、今出せるだけの全力を振り絞って必死に走る美月に、男子生徒からの熱い声援が送られる。


(死ぬ気でぇ!! 全力で走るんだぁ!! 郁人君の力になりたい!! だからぁ!!)


 そして、七組から圧倒的大差をつけられるも、まだ、ギリギリで二位をなんとかキープしている梨緒が、必死に郁人のもとに走るのである。そして、ついに郁人の目の前までたどり着く。


 しかし、七組とは60メートル近い差がひらいており、美月は遥か前方を走っているのであった。


 郁人は、前だけを見て、加速を始めるのである。梨緒も練習通りバトンを渡そうとするものの、最後の瞬間、梨緒の足がもつれる。


(お願い……届いてぇ!!)


 梨緒は、前に倒れながら、バトンを持った右手を必死に突き出し、郁人にバトンを渡そうとする。


 そして、郁人に転びながらも、なんとかバトンを渡すことに成功した梨緒は、無理にバトンを渡そうとしたため、受け身も取れないまま、派手に顔面から転倒してしまう。そんな梨緒を振り返ることなく、郁人は全力で駆け出していく。


(郁人君!! 頑張ってねぇ!!)


『て、転倒しながらも!! な、なんとか郁人様にバトンを渡した三橋選手!! 郁人様!! 頑張ってください!! 郁人様なら勝てるって信じています!!』

『いやいや、朝宮の足の速さではもう追いつけませんから……』


 むくりと起き上がり、泥だらけになり、膝もすりむいて、鼻血がツーと垂れてくる梨緒の姿を嘲笑う政宗なのである。


「無様だな……もはや、貴様等に勝ちはないというのに……そこまで無様にあがけるとは……本当にくだらないな」

「無様じゃないよぉ……それに……郁人君は……絶対に勝つんだよぉ」


 鼻血を両手で猫の様にふき取る梨緒は痛みで涙目になりながらも、強くそう断言するのである。呆れる政宗が走る郁人の方を見る。


「な!?」


 政宗から、驚愕の声が発せられ、梨緒はニコリと笑みを浮かべる。女子生徒達から物凄い歓声が上がるのである。


『速い!! 速い!! 郁人様速い!! 速すぎる!! どんどん七組との差が縮まっていく!! いけぇー!! 郁人様!! 抜いてください!! ていうか抜けます!!』

『い、いや……こ、この差は……ぜ、絶対に抜けませんよ!! 美月ちゃんが一番でゴールです!!』


 郁人は、100メートル走の時とは打って変わり、華麗なファームで走るのである。その走りは陸上部経験者と思わせる綺麗なもので、圧倒的な速さでどんどん差を縮めるのである。


 必死に両手を振って、全力で走る美月だが、やはり、200メートルという長さ、帰宅部の美月では、全力疾走はスタミナが持たないのである。徐々に速度が落ちる美月とは反対に、どんどん加速する郁人なのである。


(だ、大丈夫!! まだ、まだ、走れる!! あと少し、あと少しで郁人に勝てる!!)


 疲れから、速度を落としてしまう美月だが、死力を振り絞り、必死に自分が出せる最高速度を出そうと頑張るのである。


(美月……俺は、もう……お前の背中をただ、見送ることしか出来ない俺じゃない……絶対に捕まえてみせる……そのたまに、俺は毎日走ってきたんだから……)


 あの日、郁人にとっての悪夢の始まり、俯く美月が両親に車に乗せられ、自分のもとから無言で去っていたあの日、全力で走っても、車に追いつけなかったあの日、小学四年生の夏休み、あの時から、郁人は、どれだけ、美月が離れて行っても、追いつけるように、速く走るように特訓したのだ。


 二度と美月に置いて行かれないために……。二度と美月を逃がしてしまわないように……。


(俺は、美月のヒーローになりたい。ただ、美月……君だけのヒーローに!! だから、俺は、絶対に負けられない!! 負けられないんだぁぁぁぁ!!)


 郁人は死力を尽くし全力で走る。もはや、全身が悲鳴を上げている。それを全て無視して、徐々に迫る美月の背中だけを見つめて走る。


(郁人がすぐ後ろまで迫ってる……でも、負けない!! 絶対に負けない!!)


 もうゴール目の前、美月は全力で走る。美月は心の中で勝利を確信した。その瞬間、隣に郁人の姿が現れる。


『郁人様!! 抜いてください~!!』

『美月ちゃん!! 逃げきれ!!』


 実況女子も、解説男子も、己の役割を忘れて、身を乗り出して、応援する。そして、ゴール直前で郁人は美月を抜いた。そして、そのまま、郁人は一番で真っ白なゴールテープを切るのであった。


(う、そ……抜かれたの? あ……あんなに差があったのに……嘘だよね)


 そして、美月もコンマ数秒遅れで、ゴールラインを超えるのであった。


 全力で走った郁人は肩で息をして、額の汗を体操着で拭うのである。全身の血液は沸騰し、全身が汗でびっしょりな郁人は、天を仰ぐのである。


必死に郁人の勝利を心の中で祈っていたゆるふわ宏美は涙目で、男子生徒二人は勝利の咆哮をあげ、親衛隊おかっぱ娘は、郁人様に歓喜の声をあげており、自分の鼻血で真っ赤に染まった体操服を気にすることもなく、ゆらゆらと立ちながら、ジッと結果を見守っていた梨緒もニコリと笑うのである。


 呆然と立ち尽くす美月……そして、驚愕の表情を浮かべる政宗に、負けたという現実を受け入れられない陸上部の三人と険しい表情を浮かべる浩二なのであった。


『あ……ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! だ、だ、だだだ、大逆転ですぅ!! あ、あの圧倒的差を覆し!! い、郁人様……郁人様が一位でゴールでずぅ!! う、ううう、い、いぐどざま……わ、わだじ、が、がんどうじまじだぁぁぁぁ!!』

『そ……そんな……あ、あ、朝宮が……あ、あんなに速いなんて……』


 内心では負けるかもと不安を感じても、最後まで必死に郁人を応援し、それに郁人が答えてくれたと感極まる実況女子は泣きながら実況するのである。そんな、実況女子と同じ思いなのか、感動で郁人様ファンクラブの女子生徒達は涙を流しているのであった。







 慌てて駆けつける救護班を、大丈夫だよぉと、ヤンデレ笑みで追っ払った梨緒は、最後まで、その場で郁人の走りを見届けた。郁人のゴールを見届けた梨緒は満足そうな笑みを浮かべ、政宗の方を憐れみの視線で見るのである。


梨緒の視界に映る政宗は、先ほどまでの勝ち誇った表情は消え失せ、取り乱し、顔面蒼白なのである。


「ねぇ? 言ったでしょ……郁人君は勝つってぇ……」

「なぜだ……なぜだ……なんで負けたんだぁぁぁぁ!! 俺達が負けるはず……負けるはずがなかった!! なぜだぁぁぁぁ!!」


 勝ち誇った笑みを浮かべる梨緒の姿は、鼻血で真っ赤に染まった体操着のせいもあって、圧巻のヤンデレオーラを放っており、政宗は、頭を抱え、現実を受け止められないのか、膝から崩れ落ちて、喚き散らす。


「負けるはずがなかった…かぁ……そうだねぇ……夜桜さんも運がないよねぇ……覇道君のせいで負けたんだからねぇ」


梨緒は、怪我で痛む足をなんとか動かして、ゆらゆらとゆっくり政宗に近づくと、地面に崩れ落ちた政宗の前に立ち、彼を見下ろしながらそう言い放つ。


 目を見開き、顔を梨緒の方に向ける政宗に、ニッコリ笑顔の梨緒なのだ。


「覇道君さぁ……バトンを渡す時……夜桜さんの手に無理やり触れようとしたよねぇ? そのせいでぇ……バトンの受け渡し……少し遅くなったよねぇ? それ……なかったらぁ、勝てたんじゃないのかなぁ?」

「あ、あれは……ち、違う!! た、たまたま……そ、そう……たまたま……たまたまそうなっただけで……」


 梨緒の冷たい視線を向けられ、政宗はたまらず、視線を逸らし、動揺する。梨緒に事実を突きつけられた政宗は、言い訳を心の中で必死に探し、口にする。その姿を梨緒は心の底から無様だと思うのであった。


「ふ~ん……そっかぁ……たまたま、かぁ……ねぇ? 覇道君……あなたは、私の姿が無様って言ったよねぇ? でも、今の覇道君の方がよっぽど無様だと思うよぉ」

「なんだと!!」

「だって、そうだよねぇ? 覇道君は、夜桜さんに愛されてもいない、夜桜さんの役にも立てない、夜桜さんの足を引っ張て、夜桜さんに嫌われて……しかも、本当は夜桜さんの幼馴染ですらないんだもんねぇ……そしてぇ……その現実を受け止められない覇道君……ねぇ? 私が無様だって言うならぁ……あなたはどうなのかなぁ? は、ど、う、ま、さ、む、ね、く、ん?」


 今もなお、現実を受け止められない政宗の心に、冷たい梨緒の視線とヤンデレボイスが突き刺さる。全てを見透かしたようなハイライトオフの梨緒の瞳に、目を泳がせ激しく動揺する政宗なのである。


「違う!! お、俺は、貴様とは違う!! 貴様みたいに醜態を晒してなどいない!! だいたい、貴様!! 今の自分の姿を鏡で見たらどうだ!? 鼻血を垂らして、傷だらけ……とても美しい女性の姿とは言えない!! それに!! き、貴様だって!! 俺と同じはずだ!! 朝宮に相手にされてない!! 好かれてない!! 朝宮の幼馴染ではない!! そうだろーが!!」

「そうだねぇ……その通りだよぉ」


 立ち上がり、両手を広げて、必死に声を荒げ、早口で弁解する政宗を、真正面からヤンデレ笑みで肯定する梨緒に、表情が明るくなる政宗なのである。内心言い負かしたと、梨緒を論破したと思った政宗に、梨緒は不敵に笑う。


「でもねぇ……フフフ、私は貴方とは違うんだよぉ……見てこの姿を!! あなたが、無様と言ったぁ……この姿を!! これがぁ!! これがねぇ!! 私の郁人君に対する愛だよぉ!! これが私の愛の重さだよぉ……郁人君の為ならぁ……いくらでも無様を晒せるんだよぉ!! 郁人君の為ならぁ!! 命だって惜しくなんだからねぇ!!」


 完全に開ききった瞳孔は天を見つめ、自分の世界に心酔し、両手を広げ、声を荒げる梨緒の姿から、目を離せない政宗は驚き、梨緒の狂気に心臓を掴まれ、痛みを感じ、焦燥感に駆られる。政宗は、今、人生で初めて、他者に恐怖を感じたのである。

 

この女はヤバいと……そして、自分の美月に対する気持ちに揺らぎが生じる……自分は、彼女以上に、美月の事を愛しているのだろうかと……。そんな考えがふっとよぎったことに、なによりも激しく動揺する政宗なのだ。


「でも……あなたは……夜桜さんのことより、自分の事が大事なんだよねぇ?」


 そして、ぎょろりと、梨緒のヤンデレアイが政宗を捉える。心を見透かされたように感じた政宗は焦り、恐怖し、恐れを抱くが、必死にその気持ちを否定する。


「お、俺は美月のことが!! 美月が一番だ!! 美月の事を誰よりも愛している!!」


 梨緒を認めてはいけない……自分が敗者だと認めてはいけない……彼女を思う気持ちは誰にも負けていない……政宗の焦燥感が、心の底から、叫び、言葉として口から吐き出されるも……その叫び声はかすれているのであった。


「じゃあ……最後のあれは何だったのかなぁ? 自分の欲を優先させたんじゃないのかなぁ? 好きな子に触れたい……ただ、そんな自分の欲求を優先させたんだよねぇ? 覇道君は……」

「違う……お、俺は……」


 必死に心を保とうと俯く政宗に対して、梨緒はニガサナイと彼の顔を覗き込んで、そう問いかける。そんな、梨緒の問いに、政宗は応えることができない。なぜなら、彼女の言っていることは事実だからだ。それを口にすることは、自分が美月に相手にされていないことを認めることになるから、だから、口にできない政宗なのだ。


「ただ、はっきり言えるのは……覇道政宗君……あなたは夜桜美月さんに嫌われているってことだよぉ……私と一緒だねぇ……フフフフ……じゃあ、覇道君……私は郁人君のところに行くからぁ……バイバイ、無様な覇道政宗君」


 俯き、うな垂れ、放心する政宗に、はっきりと現実を突きつけた梨緒は、満足そうな表情を浮かべると、ツーとまた垂れてきた鼻血を、右手で拭って、踵を返すと、この場を立ち去るのであった。


(少しは期待してたんだけどなぁ……本当に期待外れだったよぉ……覇道君)


 梨緒は、内心では、少しは政宗が美月の気を引いてくれるかと思ったが、想像以上に小物だったことに落胆する。でも、結局は、自分自身の力で、郁人を手に入れるために、この高校に来たことに変わりはないと、きっぱりと、その淡い期待を切り捨てる梨緒なのであった。


「違う……俺は……美月のために……美月のことが……」


 残された政宗は、最後まで梨緒に反論することは出来ずに、必死に、言い訳を呟き、自身の心を誤魔化そうと現実逃避するのであった。







『……クラス対抗リレー一年の結果を発表します。一位は郁人様率いる一組です!! 皆さん盛大な拍手をお願いします!! 圧倒的大差をひっくり返しての優勝です!! 本当におめでとうございます!!』

『……こ、こんなはずは……』

『二位は七組でした。陸上部が三名いましたが、完璧超人の郁人様には一歩及ばず、しかし、

あの完全無欠の郁人様相手に健闘した方だとは思います。三位は……』


 なんとか、心を落ち着かせた実況女子は、釈然としないと放心状態の解説男子を無視して、実況の仕事をこなす。息を整え終わった郁人は、いまだに放心状態の美月の方をチラリと見るも、美月に声をかけることなく、クラス対抗リレー一年の結果を聞きながら、走り終えた選手達が待つ待機場に向かうのであった。


「朝宮!! お前本当に勝つなんて!! マジすげぇよ!!」

「ああ……悔しいけど……お前がモテんのわかっちまったぜ」


郁人が待機場に近づくと、興奮した様子で野球部佐城とサッカー部山本が迎えてくれて、ゆるふわ宏美は、真っ赤になった目を隠すように、安堵のゆるふわ笑みを浮かべており、郁人様親衛隊のおかっぱ娘は恍惚の表情で郁人に見惚れているのであった。


「いや……俺だけじゃ勝てなかった……みんなが諦めずに最後まで全力で走ってくれたおかげだ……本当にありがとな」


 郁人は、本当に心から思ったことを口にした。今回ばかりは、自分だけの力ではどうにもできなかったと思ったからだ。


「いえ!! 私達は郁人様の足を引っ張ってしまいました!! 郁人様一生推しとして、一生の不覚です!! 次回があれば、圧倒的勝利を郁人様にお届けします!!」

「いや……小鳥遊さんが居なかったら勝てなかった……本当にありがとうな」

「それは……そうだよな!! た、小鳥遊さんは……ほ、本当に…す、凄いよ!!」

「小鳥遊さんは超がんばったぜ!! マジで!! 後……ば、バトン受け取れてマジでよかったと思うぜ……うん……いや……マジで……」


 そんな郁人の感謝の言葉に感激とばかりに、リレーメンバー男子二人を押しのけて、郁人の前に躍り出る親衛隊おかっぱ娘は、謙遜しながら、申し訳なさそうにする。


 いや、あの小鳥遊さんの忍者走りなかったら、本当に勝てなかったと心の底から思った郁人は、感謝の言葉を述べ、男子二人も親衛隊おかっぱ娘を褒め称えるのである。照れながらも、嬉しそうにする親衛隊おかっぱ娘を、ニッコリゆるふわ笑みで見つめるゆるふわ宏美なのである。


「いや……佐城と山本も凄かったぞ……お前らが本気で走ってくれなかったら、勝てなかった……諦めずに走ってくれてありがとな」

「お……おお……ていうか、テメェのために走ったんじゃなねぇよ!! た、小鳥遊さんと約束したからだから!!」

「お、俺も……み、三橋さんと約束したから……ていうか、三橋さん大丈夫かな……派手に転んでたけど」


 そう言えば、梨緒が居ないな……あいつ転んだのか? と走ることに集中していた郁人は、梨緒がバトンを受け渡す時に盛大に顔面からすっ転んだのを知らないのであった。


「郁人君……すごかったよぉ!!」

「梨緒……お前……だ、大丈夫か? た、体操服凄いことになってるぞ!?」


 噂をすれば、ゆらゆら、ふらふらと危なっかしい足取りで、待機場に現れた梨緒は、体操服は血だらけで、いまだに鼻血が止まらないようで、両手も血で真っ赤になっているのである。さすがの郁人も、気遣うのであった。しかも、ヤンデレ梨緒なだけに、別の意味でも迫力があり、心配になる郁人なのであった。


「大丈夫だよぉ……ちょっと……鼻血が止まらないけどぉ」

「いや……それ、大丈夫じゃないだろ……はぁ……」

「えへへへへ……郁人君……私頑張ったよぉ!!」


 体操服は血だらけで顔も拭った血の跡で汚れているのに、満面な笑みの梨緒に呆れる郁人なのである。完全に、ヤンデレの事後であるが、郁人は、そんな梨緒をジッと見て、優しい笑みを浮かべるのである。


「……ありがとな」

「……うん……郁人君のためだからねぇ……良いよぉ」


 郁人の感謝の言葉に一瞬驚きの表情を浮かべ、少し寂しそうに笑うも、すぐに嬉しそうにそう言う梨緒と郁人のやり取りを、ゆるふわ笑みでジッと何か言いたそうに見つめるゆるふわ宏美なのである。


「さてと」

「郁人様!? わ、わたしぃは~!?」


 何かを期待している様子のゆるふわ宏美に気がつく郁人だが、なんとなく、無視したくなったので、スルーしようとするも、必死にアピールしてくるゆるふわ宏美なのである。


「ゆるふわは……」

「わ、わたしぃも頑張りましたよ~!! 郁人様~!!」

「ああ、わかってる……ありがとな」


 少し意地悪する郁人に、声をあげてアピールするゆるふわ宏美に、感謝の言葉を述べる郁人に、満足そうなゆるふわ笑みを浮かべるゆるふわ宏美なのであった。


『ここで、今回のリレーの総合タイムの結果が出ました!! 一位一組のタイムは、174.65秒でした!! そして、ただいまのリレーでの200メートル最速タイムは……な、なんと郁人様の驚異の20.98秒です!!! こ、これはい、インターハイ上位を狙えるほどの記録です!! 凄い!! 凄すぎる!! さすがは郁人様だぁ!!』

『ば、馬鹿な……上位なんて話じゃない!! 全国1位狙える速さだぞ!! 嘘だ!! こんなのは嘘だ!!』


 実況女子が今回のクラス対抗リレーの総タイムを発表すると、盛り上がっていた一組リレーメンバー達は更に興奮するのであった。


「マジかよ!! 朝宮!! お前……100m走全力で走ってなかったんだな!!」

「ていうか……体力測定も全力で走ってなかったてことだろ!? という事は…朝宮!! お前なら、100m走、8秒いけるんじゃねーか!?」

「いや……8秒って……世界記録大幅に更新してるから……無理に決まってるだろ」


 9秒台でも凄いのに8秒は無理だろと思う郁人なのである。しかし、それだけ、勝利が嬉しくて盛り上がっている男子二人に、嬉しそうに呆れる郁人なのである。


『なお、次は26.71秒の陸上部服部選手でした!! この記録から見ても、郁人様の記録が驚異的なのがわかります!! ちなみに、覇道選手は27.65秒とそこそこの記録でした!! あんなにイキリ散らしていたのに郁人様との差は圧倒的!! もはや、可哀想ですらあります!!』

『……服部選手は正直、インターハイにも出れないレベルですね…まぁ、ウチの学校の部活はどこも強くはないですから……覇道選手も男子では少し早いくらいのレベルです……朝宮選手の記録は…インターハイ上位レベル…クソッ!! 美月ちゃんに恥をかかせやがって!! 許せん!! 許せんぞ!!』


 上機嫌な実況女子と怒りに燃える解説男子によるタイム発表で、七組の総合タイムは176.25秒で、郁人達一組との差は、なんとわずか0.6秒なのであった。梨緒の言った通り、政宗がバトンの受け渡しを、否、始めから、7組がバトンの受け渡しの練習をしていたら、宣言通りに郁人達一組に圧勝していたかもしれない。


 しかし、それは、ありもしない現実なのである。結果は、一組が勝ち、七組は負けた。そんな、現実を受け止められない人物が郁人達のもとにやってくるのであった。


「あ、朝宮……き、貴様……な、なぜ……100m走の時は……あんなに速くなかっただろ!? 何をした!! また、何か卑怯な手を使ったのか!! いや、卑怯な手を使ったに決まってる!! じゃなければ、俺が負けるはずがない!!」


 頭を右手で押さえ、ありえないと現実を受け入れられない政宗が、フラフラと待機場にたどり着き、放送部の結果発表を聞き、郁人が視界に入った瞬間に、何かのスイッチが入ったかのように、詰め寄り怒鳴り始める。


 そんな政宗に近づく七組の陸上部三人組も、敗北した事実を受け止められない様子で、困惑し、政宗の怒号に触発されたかのように、郁人を睨む三人なのである。


 そんな彼らに、呆れ果てる郁人と、何だこいつらと怪訝な表情を浮かべる一組リレーメンバーなのである。


「お前……本当に哀れな奴だな……覇道……この際だから、はっきり言ってやる……100m走は手を抜いただけだ」

「な……に……!?」

「正直、お前相手に本気で走る意味……ないだろ? そのおかげで、お前らは油断しまくってくれたからな」

「こ、この卑怯者が!! 貴様はやはり、卑怯ものだ!! 卑劣な手を使って!!」


 冷ややかな視線を政宗に向け、冷たくそう言い放つ郁人に、怒りが込み上げてくる政宗の怒鳴り声が運動場に響く、陸上部三人も、政宗の援護とばかりに、卑怯だの詐欺だのと非難の声をあげる。


彼らは自分が実力で負けたという事実を誤魔化すのに必死なのだ。


「はぁ~? 何言ってんだよ!! テメェら好き勝手言ってんじゃねぇ!! いいか、別に卑怯でもなんでもねーだろ!! 作戦だよ!! 作戦!! だいたい、卑怯って言うなら、自分らなんか、陸上部三人だろ!! そっちの方がよっぽど卑怯だろーがよ!!」

「まぁ、そうだよなぁ……ていうか、正直、見苦しいぜ……俺も、サッカーやってるから、負けたら悔しいのはわかるけどさ……結果は、結果……受け止めるしかねーんだぜ……それを、グチグチ……みっともねーぜ!!」


 同じく運動部で鍛錬を日々積み重ねる者として、みっともない姿を晒す陸上部三人の姿は見ていられるものではないと、声をあげる野球部佐城とサッカー部山本なのだ。


「な……き、貴様等!! 男子生徒だろ!? なぜ、女の敵である朝宮の味方をする!?」


 しかし、二人の声が政宗に届くことはなく、何故か頓珍漢なことを言い出す政宗に、顔を見合わせる野球部佐城とサッカー部山本は呆れた表情を浮かべ、そんな彼らに、陸上部三人は朝宮の味方をするなんておかしいと声をあげる。


「いや……確かに朝宮の事はそんなに好きじゃねぇーけどよ……一緒に走った仲間だし……だいたい、女の敵とか勝手に決めつけるのはやめろよ」

「そうだぜ……ていうか……逆に、何で覇道は、そんなに朝宮の事、敵視してるんだ?」

「敵視? 違う!! そいつは悪だ!! 女性を悲しませる!! 人を不幸にする奴だ!! 見ろ!! 美月だって……悲しそうな表情を浮かべている!! そこの女だって!! 朝宮のせいで怪我だらけだ!! 朝宮は女の敵で!! 俺達男の敵だろ!!」


 政宗の理解に苦しむ言動に、野球部佐城とサッカー部山本も困惑するのである。そして、サッカー部山本の疑問の問いに、政宗は、自分の言っていることが正しいと、野球部佐城とサッカー部山本に詰め寄り声を荒げる。


「そりゃ……モテまくって嫌な奴かもだけど……朝宮が女に人気なのは仕方ないだろ……さすがに、さっきの走り見せられたら……何も言えねぇよ……なぁ?」

「だよな……さすがに覇道……それは言いすぎだぜ……後……三橋さんは一生懸命走ったんだ……俺は知ってる……一生懸命練習していた三橋さんを……朝宮のせいじゃなくて……朝宮のために頑張ったんだ!!」


 何言ってんだと野球部佐城は呆れ、サッカー部山本は、自分の気持ちを押し殺し、大好きな梨緒の気持ちを代弁する。男山本の発言に、気圧される政宗なのである。


「くっ……そ、それも、朝宮の罠だ!! そいつは、そうやって……」


 郁人のことが心底嫌いな政宗は、まだ、何かを言おうとするが、ジッと自分を見つめる梨緒と視線が合うのである。梨緒の視線が訴える……まだ、そんな醜態を晒すのかなぁと……夜桜さんが見ているよぉと……。


 ハッとなった政宗は、振り返る……いつの間にか待機場に来ていた美月の軽蔑した表情に、政宗は何も言えなくなる。そして、郁人と美月の視線が合う。見つめ合う二人を、不安そうに見つめるゆるふわ宏美なのである。


 何かを言いたそうにジッと郁人の事を見つめる美月の視線を、正面から受け止め、美月の視線から、目線を逸らすことなく、ゆっくり美月に近づく郁人の表情は、勇ましく、全てを決意した男の顔なのである。


「美月……後のことが全て任せてくれ……」


 耳打ちでそう郁人に言われた美月の表情は、哀愁の漂うものであった。そんな美月の表情に、心を痛める郁人だが、全て美月の為と、瞳を瞑り、心を無に踵を返し、呆然と立ち尽くし、虚ろな目で美月の事を見ていた政宗を厳しい表情で見る。


「覇道……お前が言いだした事だ……約束は守れよな」


そして、政宗に近づき、郁人は彼の肩に手を置いて、政宗にしか聞こえない声量で、そう伝えると、何も言い返せず、放心する政宗を放置して、自分を睨む陸上部三人組を一瞥すると、何も言わずに一組リレーメンバー達のもとに向かう。


「朝宮……もっと言ってやらなくていいのかよ? あいつら、散々好き放題言ってたのによ?」

「そうだぜ!! 今こそ煽り返す時だろ!!」


 散々今まで言われ放題だったため、フラストレーション溜まりまくりの野球部佐城とサッカー部山本がそう言うと、殺気立つ親衛隊おかっぱ娘も同意するのである。


「そんなことしてる暇ないだろ……はぁ、ほら……」

「え?」

「救護テントまで連れてってやるから……掴まれ」


 もはや、政宗達に対して、何の感情もない郁人は、煽る気などないのである。そんな事よりと、怪我をした梨緒の方に近づき、梨緒に手を差し出す郁人は、彼女を救護テントに連れて行く方が大事だと考えたのだ。


「い……いくとくん……あ、ありがとぉ」


 梨緒に肩を貸す郁人に、まさか、ここまでしてくれるとは思っていなかった梨緒は、真っ赤になって照れて、嬉しそうにする。もちろん、梨緒は、郁人のために怪我をした訳で、梨緒の中で、救護班を追い払ってまで、郁人のもとに来たのも、郁人に恩を感じさ、自分の事少しでも意識してもらいからだ。


「はぁ……おい、山本。お前も手を貸せ……ほら、お前らも行くぞ」


そして、まだ、睨んでくる陸上部三人と、放心状態の政宗に納得いかない様子の一組リレーメンバー男子と親衛隊おかっぱ娘に、呆れる郁人は、サッカー部山本に援護を求め、他のメンバーに遠回しに無視しろと促す郁人なのだった。


「お……おお、わかったぜ……って、俺は……ど、どうすれば……」

「梨緒に肩を貸してやれ……俺一人だと反対側はカバーできないからな」

「あ……ああ……て、ていうか……み、三橋さん……だ、大丈夫ですか!?」

「……大丈夫だよぉ……アリガトヤマモトクン」


 サッカー部山本は慌てて、郁人と梨緒のもとに駆け寄り、動揺しまくりながらも、ギクシャクした様子で梨緒に肩を貸すのである。一瞬不満顔の梨緒だが、すぐに笑顔でサッカー部山本にお礼を言った後に、郁人の方をヤンデレアイでジッと見つめるのである。


 郁人君一人でよかったよねぇと言う非難の視線を郁人に向けるが、郁人は必死に視線を逸らして無視する。そして、美月の方を一瞬見ると、美月と目が合う。


 何かを訴えるような美月の視線から、目を瞑り逃れる郁人は、前を向いて、梨緒を救護テントに連れて行くために歩き出す。不満そうな野球部佐城と殺気を放っていた親衛隊おかっぱ娘も、歩き出した郁人達の後を急いで追う。そして、一瞬心配そうに美月の方を見るゆるふわ宏美も、すぐに郁人の方に駆け寄るのだった。


他のリレーメンバーを引き連れ、救護テントに向かう郁人の背中を見つめる美月の表情は悲しそうだ。呆然と梨緒に肩を貸して、ゆるふわ宏美達一組リレーメンバーを引き連れて、歓声を送られながら救護テントに向かう郁人を、ただ、黙って見送ることしかできない美月は、ぎゅっと胸元で右手の拳を握り締める。


(郁人……あの時と同じ目をしてた……そっか……私は郁人の事……止められなかった……また、止められなかったよ……私が……無力だから……ごめんね……郁人)


 これは結果だ。郁人の姿は見えなくなった美月は晴天の青空を見上げる。また、郁人を止められなかった……救えなかった……助けられなかった。心が壊れる音がした。心が折れる音がした。


 美月の瞳から、光が消える。全てが、無駄だったと……努力は報われるという言葉は嘘だと嘆く。


「美月……これは……な、なにかの間違いだ……そう……間違いなんだ……あ、朝宮が何かしたに違いない!! あの卑怯者が何かしたはずだ!! すべて……朝宮が悪いんだ!!」


 政宗が、そんな美月に駆け寄り、必死の形相で言い訳を述べる。そして、怒りの表情の陸上部三人も美月に詰め寄る。


「ていうか……よ、夜桜さんが遅いからじゃん!!」

「そ、そうだよ!!」

「だ、だな!! み、美月ちゃんがもっと早ければ……」


 陸上部が一人もいない一組に、自分達の得意分野で負けた事実を受け止められない陸上部三人が、責任をアンカーの美月に擦り付けようとする。そんな彼らの姿を光の消えた濁った瞳で見る美月なのだ。


 美月の様子がおかしいと、政宗が困惑し、固まるのである。


「いい加減にしろよ!! テメェ等!! 結局、舐めてかかって練習しなかったせいだろ!! バトンの受け渡しグダグダだったじゃねーか!! あれがなければ間違いなく勝てたぜ!!」


 何も言い返さない美月に、さらに暴言を吐く陸上部三人の間に割って入る浩二が、陸上部三人を叱る。


「あと、政宗!! テメェ!! バトンの受け渡し……あれだけ注意したのによ!! 美月ちゃんが受け取りにくいようにしただろ!!」

「い、いや……俺は……ただ、美月と……」

「いいか……お前は、勝負より自分の欲を優先したんだぜ!! 美月ちゃんの事より、自分の事を優先する奴が、美月ちゃんの事、偉そうに守るとか言ってんじゃねーぜ!!」


 呆然としていた政宗に詰め寄る浩二は、政宗の胸倉をつかんで怒鳴りつける。


 称賛を送られ、勝利を分かち合い……怪我をした梨緒の事をみんなで心配そうに救護テントに連れて行く一組とは打って変わって、揉める七組は、周りから見ればあからさまに醜く、醜態を晒しているのであった。


 放送部の実況が終わり、競技が終わりを迎えると、ゾロゾロと退場門に向かうリレー参加者達の中で、運動場中央の待機場で揉める七組の姿は目立っているのである。


(郁人は凄いね……本当に凄いよ……私なんかじゃ……郁人には到底勝てない……もう、いいよね……郁人に全て任せれば……いいんだよね……私は、ただ、郁人の背中を見てれば、郁人に寄りかかっていれば……それでいいんだよね)


 美月は、揉める他のメンバー達を無視して、退場門にフラフラと歩いて行く。そんな、美月に気がつき、浩二を突き放し、すぐに後を追おうとする政宗を、逃がさないと、追いかけ対峙し、引き留める浩二なのである。


「政宗……自分勝手な都合でリレー負けて……今更美月ちゃんに何を言おうって言うんだ……もう、テメェには、美月ちゃんに何かを言う資格はないんだぜ……わかれよ」

「こ、浩二……そ、それでも俺は……あ、あんな美月を放っておくわけにはいかない!!」

「こうなったのは……政宗!! テメェのせいだろ!! 事実を受け止めろ!!」

「クッ……違う!! 俺じゃない!! 朝宮だ!! 奴が!! 奴がすべて悪い!! あいつが全部悪いんだ!!」

「おい!! 政宗!! まだそんなこと言ってんのか!!」


 浩二の厳しい言葉が、政宗の心に突き刺さるが、彼がその言葉を受け入れることはなく、荒い声をあげて、全てを郁人のせいにする。そんな政宗の姿に見下げ果てる浩二の声も荒くなり、再度、政宗の胸倉をつかみ自身の眼前に政宗の顔を引き寄せる。


 鋭い浩二の視線が政宗の現実を受け入れられない瞳を捉える。


「浩二!! わかるだろ!! 君なら、わかるはずだ!! 朝宮が!! 朝宮のせいで!! 美月は悲しむ!! 他の女子生徒もだ!! あいつがすべて悪いんだ!! アイツさえいなければ!! 誰も悲しまない!!」

「わかんねーぜ!! 政宗……テメェの言う事は何一つわかんねぇぜ!! だけど、一つだけ確かなことは……今、美月ちゃんを悲しませたのは……朝宮じゃない……政宗……テメェだって事だけだぜ!!


 必死に浩二に訴えかける政宗を悲しそうに見つめて、冷たくそう言い放つ浩二に、目を見開き、驚き、絶望する政宗は、うな垂れる。


「……違う……」

「……ああ?」


 俯き、うな垂れる政宗が、低い声でぼそりとそう呟くが、浩二は政宗がなんて言ったのかは聞き取れず、不機嫌そうに聞き返す。


「……違う、違う、違う、違うぅぅぅぅぅっっ!! あいつがぁ!! 朝宮がぁ!! 全部悪いんだぁ!! あの時からそうだ!! 美月を悲しませるのは全部アイツのせいだぁ!! 浩二!! 美月の事を知らない貴様には、やはりわからない!! そう、美月の事をわかってやれるのは、やはり、この俺だけなんだぁぁぁぁぁぁぁ!! 朝宮!! あいつがまた、美月をあんな表情に!! 許せない!! 朝宮だけは許せないんだぁ!! 俺だけが、美月を笑顔にできる!! 俺だけが美月を朝宮の呪縛から解放してやれるんだぁ!!」

「お、おい、政宗!?」


 怒りの咆哮をあげ、浩二の拘束を振りほどき、濁った眼で浩二を睨みつけ、そう言い放つ政宗に、驚き、戸惑う浩二なのである。


「俺が……俺が美月を救ってやらないと……守ってやらないと……俺だけが……美月を苦しめる悪魔から……あの朝宮から、守ってやれる……だから、俺は……美月のところに行かないと……行かないといけないんだ……俺が……行ってやらないと……」

「おい!! まて!! 政宗!!」


そう呟くと、政宗は美月の後を追って駆け出していく、政宗の突然の豹変に、困惑する浩二は唖然となるが、ハッとなって、急いで政宗の後を追いかけるのだった。そして、そんなやり取りを、呆然と眺めていた陸上部三人組も、いまだに現実を受け止められない様子なのであった。







 美月は、七組応援席に戻ることなく、救護テントが遠くから見える位置に移動し、郁人の様子を遠目から見て、そのまま、色々な感情を抱えたまま、中庭にふらふらと移動する。


 今は一人になりたい美月は、また、空を見上げるのである。


(郁人なら……大丈夫……弱い私が……強い郁人の心配をするなんて……自惚れだよね)


 彼女が見たのは、女子生徒に囲まれ、能面のような笑顔を浮かべていた郁人の姿だった。自虐の笑みを浮かべ、俯く美月なのである。そんな美月を見つけて政宗が駆け寄ってくる。


「覇道君……郁人に負けたんだから……私に近づかないで……郁人と……そう、約束したんだよね?」

「そ、それは……い、いや……それより、美月が心配で……悲しそうな君を一人にしておくわけにはいかない……だから、俺は……」

「今は一人になりたいから……私の事は放っておいて……」


 美月は虚ろな目で政宗を一瞥すると、そう冷たく言い放つ。やはり、様子がおかしい美月を心の底から心配する政宗なのである。そう、政宗は、今の美月の姿を知っているから、政宗が美月と初めて出会った時、あの時と同じ表情をしているから、だから、余計心配になる政宗なのである。


「あいつは、朝宮は……また君に!! そんな悲しそうな顔をさせる!! 俺は、君を悲しませる朝宮を許せないんだ!! 君をこんな姿にしてしまう……そんな朝宮が許せないんだ!! だから!!」

「うるさい!! 私が嬉しくなるのも!! 悲しくなるのも!! 寂しく思うのも!! 辛くなるもの!! 私の感情を激しく揺さぶるのは郁人だけなの!! それが恋をするってことで、好きってことで!! 愛するってことなの!! 覇道君!! あなたにはわからないよ!! 私の気持ちはわからない!!」


 政宗の言葉が、美月を心の底から怒らせる。何もかも自分が正しいと思わせる政宗の言動に、ついに美月はキレたのだ。


「わかる!! 俺にはわかる!! 俺にしかわからない!! 美月!! だって、あの時だって、君はこうやって、傷ついていたじゃないか……君を傷つける……君にこんな顔をさせる……朝宮は悪だ……君にとっては……朝宮は悪なんだ」


 しかし、美月の怒りの言葉も、現実を見ていない政宗には通じないのだ。自分が正しいと、政宗の心の中では、郁人は悪で、美月は救うべきヒロインなのだ。自分が主人公の政宗の世界は、そうなっているのだ。


 だが、それは、政宗の妄想の世界なのだ。現実ではない。


「……そう……覇道君……あなたも……そうなんだね」


 今までにないほどの、美月の冷たい視線が、妄言を吐く政宗を捉え、そんな美月の視線に冷や汗が流れ、息を呑む政宗なのである。


「覇道君……あなたが会ったのは、あの時の私なんだね……あの時の私があなたと何を話したのか……私は全く覚えてないけど……何も知らないくせに……郁人の事を悪く言うのはやめて……」


 美月は、政宗が言うあの時に心当たりがあった。たぶん、小学四年の夏休みのことなのだろうと、だが、美月はその時、郁人のことで頭がいっぱいで、病んでいた。だから、政宗の事など、全く覚えていないが、たぶん、政宗とは、その時に、出合ったのだろうと察した。


「朝宮は悪だ……君は、朝宮に傷つけられ、悲しみ……そんな中……君は俺を救ってくれたじゃないか……そう俺は……君に救われた……そんな優しい美月を悲しませる……朝宮のことが許せない……そうさ……俺は君には笑っていて欲しい……だから、だから、俺は朝宮を許せないんだぁぁ!! 美月!! 目を覚ませ!! あいつはお前を悲しませる悪の元凶なんだぁぁぁ!!」

「……」


 美月は、政宗の叫びを完全に無視する。もう、政宗とは話すことはないと、黙って、空を見上げる。そんな、今にもどこかに消えてしまいそうな儚い美月の姿を、愛おしく、狂おしく思った政宗は、美月を抱きしめようと近づき、彼女の背中に両手を回そうとする。


「何するの!? 触らないで!! 私に触らないで!!」


 その瞬間、美月は、怒り、震え、力の限り政宗を両手で突き飛ばす。思いっきり突き飛ばされた政宗は盛大に尻餅をついて、驚愕の表情を浮かべて、美月を見上げる。


 政宗の視界に映ったのは、心の底から軽蔑し、嫌悪感を抱き、怒りに震え、ハイライトの消えた瞳で見下ろし、見下す美月の姿だった。


「郁人に負けたんだから、二度と私に近づかないで!!」

「み、美月」

「名前で呼ばないで!! 大体、みんな馴れ馴れしいのよ!! 美月ちゃん、美月ちゃんって!! 私をちゃん付で呼んでいいのは郁人だけなの!! 本当にみんな鬱陶しい!! 覇道君……あなたのことも本当に鬱陶しいの!! 私には郁人だけ居ればいいの!! 私には郁人しかいないのよ!!」

「み……つき?」

「本当に鬱陶しい……邪魔なのよ……みんな邪魔……何で私の邪魔するのよ!! 私は郁人が居ればそれでいいのに……みんなして私に意地悪する……そう……そうだよ……私に優しくしてくれるのは郁人だけ……郁人だけなんだよ……だから……もういいんだ……郁人が私を守ってくれる……あの時みたいに……だからもういいんだよね……私は……頑張らなくてもいいよね……郁人……それで……いいんだよね? また、郁人が私の事を守ってくれるから……それでいいんだよね? 郁人は絶対に私から……離れたりしないもんね……フフフ、そうだよ……別にいいんだよ……私が……頑張らなくて……いいんだよ」


 もはや、美月は政宗の事など見ていない。虚ろな目で虚空を見つめ、病んでいく美月をただ、見つめることしか出来ない政宗なのである。


「美月……ど、どうしたんだい?」


 美月の呟きを理解できない政宗は戸惑い、美月に問いかけるが、もはや、美月の耳に、政宗の声は届かない。


「……そうだよ……昔から、みんな私に意地悪する……郁人だけだ……優しいのは、郁人だけ……私の味方は……郁人だけ……そうだよ……私が何もしなくても……郁人が守ってくれる……今まで…ほんと…なにやってたんだろ……私……なんで……頑張ってたんだろ」


 虚ろな目で、自虐の笑みを浮かべ、全てを察し、諦める美月の姿は痛々しいのだ。心の底から、また、美月をこんな姿にしてしまう郁人に怒りが込み上げる政宗は叫ぶ。


「美月!!」


 政宗に名前を大声で呼ばれ、ぴくっと身体が反応する美月は、目を見開き、怒りに震える。


「名前で呼ぶな!! 郁人以外が私の視界に入るな!! 鬱陶しい、鬱陶しい!! 鬱陶しい!! 目に見える全てが鬱陶しい!! 郁人だけ……私の瞳には郁人だけが……郁人だけが映っていれば、それでいいんだよ!!」


 美月に、怒鳴り、叫ばれる政宗、もはや、立場は逆転したのだ。今の美月に政宗が何を言っても、美月には通じない。それを悟った政宗は、何も言えなくなってしまう。


「……きちんと約束は守ってね……二度と私に近づかないで……」


 俯き、拳を握り締め、自分の無力さに心打たれる政宗に、冷たくそう言い放つ美月は、虚ろな目でフラフラと、運動場に歩いて行く。


「美月!! 待ってくれ!! 美月!! 行かないでくれ!! 俺には……もう!! 君しかいないんだ!! みつきぃぃぃぃぃぃぃ!!」


 ハッとなり、去っていく美月に右手を突き出し、叫ぶ政宗だが、美月には、その叫びは届かない。振り返ることなく、去っていく美月の背中を、這いつくばり、見送ることしか出来ない政宗は絶望の表情を浮かべ、一人晴天の空に向かって、悲しみの咆哮をあげるのだった。






 少し時間は遡り、救護テントに梨緒を送り届け、保険の先生に呆れられながら、治療をされている梨緒を遠目で眺め、両腕を組んで何かを考えている様子の郁人の隣に、ゆるふわ宏美は移動する。


「美月さんのこと~……気になりますか~?」

「……まぁ……な……でも、仕方ないことだから……今のままだと……また、美月は……俺は……あんな思いを……あ……いや……何でもない」

「郁人様?」

「とにかく……ゆるふわ……美月の様子見に行ってやってくれないか?」


 本当は、自分が美月の様子を見に行きたいが、この先の作戦の事もあって、美月のところには行けない郁人は、自分の不甲斐なさに、憤り、心配そうな表情で、見つめてくるゆるふわ宏美にお願いする。


「任せてくださいよ~!! でも~……郁人様は優しいですね~……怪我した梨緒さんを救護テントまで~、運んであげるなんて~」

「……俺が……優しい…か」

「優しいじゃないですか~……てっきり~、誰かに適当に任せるかと思いましたよ~」

「……ゆるふわ……お前……何を勘違いしているかわからないが……俺は優しく何てないぞ」

「え?」


 他のリレーメンバーに心配されながら、治療を受ける梨緒の姿をゆるふわ笑みで見つめ、嬉しそうにそう言うゆるふわ宏美に、冷たい視線を梨緒に向け、ゆるふわ宏美の言葉を、否定する郁人なのである。


「梨緒に優しくしたのは、これから、あいつにはやってもらうことがあるからだ……それに、本当に優しかったら、別にあんな遠回しに、ここまで運んでこないだろ? 山本の力を借りる必要もないしな」


 ゆるふわ宏美は冷たい目をした郁人の発言にハッとなるのである。そして、あることを思い出して、顔を真っ赤にする。


 ゆるふわ宏美は思い出したのである。美月が居て、それでもなお、自分の事を抱きかかえて保健室に連れて行ってくれた事実を……。そう、郁人なら梨緒を抱きかかえて救護テントに連れて行くなど簡単なことだ、それをあえてしなかったことには、きっと郁人なりの意味がある。


「ゆるふわ……これからが、本当の戦いだからな」


 計画は動き出した。美月を傷つけてまで、推し進めた計画、今更、引き返すことなどできない。過去から襲ってくる激しい焦燥感に突き動かされ、郁人は突き進む、その決意を、頬を赤らめ、戸惑うゆるふわ宏美には、言葉にして伝える郁人なのである。


(そう……美月の為なら、利用できるものはなんでも利用する……そう、何でもな)


 そう言われ、郁人の顔を見上げると、厳しく険しい表情をした郁人が目に映り、先ほどまで浮かれていたゆるふわ宏美は、この時、全てを悟ったのである。女子生徒の羨望と歓声、それを見て笑った郁人の真意に……。梨緒に優しくした郁人の真意に……。


 あの時、郁人は、女子生徒から、信じてもらえて、声援を送られたから、嬉しくて笑ったのではなく、郁人はこれからの作戦の成功を確信したからこそ、笑ったのだと、自身の人気に確固たる確信を持って、その人気を……人の好意を利用できると確信したからだと。だから、梨緒の好意も利用しようというのだ。そして、たぶん、ゆるふわ宏美は思った。


 わたしぃも、もしかしたら、郁人様に利用されているのかもしれないと……。でも、それでもいいと思ったゆるふわ宏美は瞳を閉じる。


(やっぱり~……一番……病んでいるのは郁人様なのかもしれませんね~)


 目を見開き、郁人の顔を盗み見るゆるふわ宏美は、急に郁人の瞳が、表情が、とても冷たいものに見えた。しかし、それでも、彼女は郁人に最後までついて行こうと決意する。


「では~、美月さんの様子を見に行ってきますね~!!」

「ああ……頼んだ……俺も、1組の待機場に戻るとするか……閉会式もあるしな」


 郁人とゆるふわ宏美は、救護テントで別れる。そして、ゆるふわ宏美は駆け足で、美月を探しに向かうが、ふっと不安になって、振り返る。すると、ゆるふわ宏美の不安な瞳に映ったのは、一組待機場に向かったはずの郁人が、親衛隊と合流して、厳重に警護されながら、郁人様ファンクラブ女子生徒に囲まれ、笑顔で対応している姿が目に映る。


 ゆるふわ宏美は、笑顔のペルソナを被った郁人の姿を見て、悲しくも尊い気持ちが胸に込み上げてくるのである。


(わたしぃは……何があっても~……郁人様の味方ですからね~)


 複雑な気持ちを抱きながらも、前を向き直り、美月を探すために駆け出すゆるふわ宏美なのだった。








 こうして、色々な想いを胸に、体育祭は終わりを迎える。郁人は、美月の周囲の環境を変えるための作戦を決行する決意を固め、ゆるふわ宏美は、そんな郁人について行くことを決めた。


 そして、美月は……。あの後、閉会式にボーっと参加し、沢山の男子生徒に心配の声をかけられるも、全部無視し、心配する浩二も無視して、一人フラフラと教室に戻り、ホームルームを終えて、素早く学校から立ち去ると、いつもの場所で郁人の事を待つのであった。うつろな瞳でボーっと立ち尽くす美月なのである。


「美月!!」


 あの後、閉会式が終わっても、そして、なんとか教室に戻り、ホームルームが終わっても、押し寄せてきた女子生徒達に悪戦苦闘し、なんとか逃げ出してきた郁人は、美月がこの場所で待っているだろうと、走ってきたのであった。


「あ……郁人!!」


 美月は、郁人を見つけると、満面な笑みを浮かべて、駆け出し郁人の胸に飛び込むのであった。そんな美月を抱きとめ、抱きしめると、愛おしそうに瞳を閉じる郁人なのである。


「美月……今日は俺の家に来るだろ?」

「……うん」

「美月……大丈夫だ……あの時みたいに俺に全部任せてくれれば……俺がずっと美月を守ってやるからな……ずっと、ずっと……たとえ、何を犠牲にしたとしても……」

「……うん……郁人……ごめんね」

「いいんだ……美月……後は任せてくれ」

「うん……ありがとう……郁人」


 この瞬間、美月は乙女ゲーのヒロインをやめて、ただのヒロインになったのだった。ギャルゲー主人公に守られるだけの、ただのヒロインになることを選んだのだった。抱きしめられる美月の瞳から涙がこぼれ、そんな美月を力強く抱きしめる郁人は、悲しく、心の中でこう思った。


(ごめん…美月……俺にはこんなやり方でしか……君に愛情を示せない。こんな……不甲斐ない俺で……ごめんな……でも、これなら……美月は絶対に……俺から離れない……あの時もそうだったから……きっと、今回も……)


 郁人の心の中で、暗い感情が渦巻く、そして、悲しそうな美月の頭を撫でて、彼女の心を縛り付ける覚悟を決める。


 そう、朝宮郁人は、絶対に夜桜美月が自分から離れないようにするために、彼女の心に自分を再び深く刻むために、また、あの時と同じような道を突き進もうとするのだった。


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