39
11月半ばの土曜日の午後というと。
4月から進めてた卒論用の研究がいよいよ最終段階になった頃で、そろそろ論文書きはじめるための準備をしてた。
背後でドアを遠慮がちに叩く音がする。
昼間の研究室に律儀にノックをして入ってくるヤツはコイツを除いて皆無だから。
「入ってマース」
って何時もの返事をして振り返ってドアを確かめると。
恐る恐るドアノブが回るのが見えて、そのままゆっくり押し開かれたドアの隙間から、そーっと金髪の頭を覗かせてきた。
「こんにち…わ…」
「おー、小野。大丈夫だぞ、誰も居ないから」
って声を掛けたら、ようやく大きくドアを開けて、
「たけにー\(*^▽^*)/。持ってきたよ?」
女子みたいな金髪ボブを揺らしながら、Tシャツにパーカー引っかけた小野が研究室に入って来た。
「ああ。アリガトな」
って。紙袋に入ってた着替えを受け取って。代わりに持って帰ってもらう方を手渡す。
用事としては実はこれだけで終わりなんだけど。
「まあ、相変わらず何もないけど、暫く誰も来ないから茶でも飲んでゆっくりして行くか?」
「うん!」
「じゃあ座って待ってろ」
って声掛けたら、小野は素直に俺がワープロ打ってる机の横に小さい丸椅子引きずってきて座って待ってる。
大概に人見知りな小野は。
研究室に俺以外の誰かが居るとじっと難しい顔して黙ったまま固まってるし。
『可愛いー!竹丘君のカノジョ?』
華奢でさらさらボブな小野の後姿見た女性のセンパイに声掛けられて凄く困った顔してたこともある。
それよりも問題なのは。
「オマエ…まだ進路決まらないのか」
某都立の他の同級生たちは年明けから始まるセンター試験や私立の入試のための追いこみにいよいよ入ってるはずなのに。
小野はまるで他人事のように、駅前の例の茶店で週3回4回はバイトを入れてるようだ。
「一応卒業後も…続けさせてください、ってマスターには頼んであるんだけど…。他にもバイト入れようかなって思ってるんだ」
「いよいよフリーターだな…。金を溜めて結局何するかが決まってないんだろ?」
「――うん」
「御前に自覚が無いんじゃあ、周りが幾ら焦っても仕方ないからな…」
「俺だってちょっとは…焦ってるよ」
「それを聞いて俺だってちょっとは安心した」
煎茶の入った湯呑と、教授の貰い物の菓子を二つばかり失敬して席に戻る。
「あぁ…そう言えば後2週間でオマエ誕生日だったな」
小野と並んで茶を飲みながら研究室を何となく眺めてる間に目に入ったカレンダーで、今が11月だった事を思い出す。
「うん」
「何か欲しいもんないか?」
塩瀬の小ぶりな饅頭をひと口で頬張った小野は。
もぐもぐと咀嚼を繰り返してから、茶で流し込むように飲みこんだ。
「んー。――お父さんとお母さんにも聞かれたけど…その日も学校終わったらバイト入れてるし、何も要らないです、って答えた」
「馬鹿だなオマエ…そういう時は何でも素直に強請っておくもんだぞ?」
「別にイイよ。――俺竹丘の家に置いてもらえてるだけで嬉しいから、此れ以上欲しがったりしたら罰が当たる」
「そんなの聞いたらウチの親父殿が泣いて喜ぶだろ?鬱陶しいから止めておけよ?――ってのは冗談で…。真面目に欲しいモノあったら俺に言ってみろ。出来る限り聴いてやるぞ」
「――…欲しいモノ本当にないし。じゃあ…」
暫く言いあぐねていた小野は。
「誕生日にお店にエスプレッソドッピオ飲みに来てくれる?」
「何だ、そんなコトで良いのか?」
「竹兄にはお金より時間の方が今は貴重だよね?だから、来てくれるだけで凄く嬉しいよ?」
俺に気も金も遣わせない、上手い言い方だ。
「解った。まあ半日くらいなら時間作れるから、行ってやるよ」
「有難う」
「あ!竹兄いらっしゃい!」
この店に来てこんなに威勢のいい歓迎を受けたのは初めてだった。
11月26日午後4時過ぎ。M駅西口路地裏にあるいつもの喫茶店に着いたら。
先客として来てたシャケが、俺でも滅多に座らないカウンター席の高い椅子から声を挙げて俺を迎えた。
「何でオマエが居るんだよシャケ」
「え!?なに竹兄…俺だって此処のお客さんだよ?」
「――いらっしゃいませ。お好きなお席へどうぞ」
小野はバイトの時は何時も澄ました顔で接客をしてるから。ヨソイキの笑顔で俺も案内される。
「はいはい、じゃあ何時もの奥の方の席を」
「え?カウンターにしないの?」
シャケは椅子から降りると、カウンターに載ってたコーヒーカップのソーサーと食べかけのプリンアラモードのグラスを両手にして俺のテーブル席の向かい側に移ってきた。
「おい…オマエと相席する気は無いぞ?カウンターに戻れよ」
「まあまぁ。まーまー」
俺が嫌がってるのも構わずシャケはコーヒーとプリンをテーブルにセットした。
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