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「でもまたそれで何となく大学に行って…毎日何となく講義を聴くより、此処で美味しいコーヒーの淹れ方憶える方が、ずっと俺には意味がある」
きっぱりと言う小野は、まあ相変わらず俺よりは低いけど初めて会った頃より10センチは背が伸びてた。
歳を追うにつれ、小野と向き合う時間が減ってたし。
メールも電話も忙しいから今年に入ってからなんて殆どやり取りしてない。
その間に。コイツの考えてるコトがどんどん解らなくなってきてたのか。
――否。
俺が居なくても小野は自分で考えられるようになって来たんだと、これは喜ぶべきことなんだろう。
「――勝手にしろ」
「小野くーん。エスプレッソ上がりましたよ」
マスターは小野が立ち話してるのを咎めずに、話に区切りが着いたのを見計らうようにして声を掛けてくれた。
「はい」
慌ててトレーを前に抱えてカウンターに戻った小野が、今度はトレイにエスプレッソを乗せて戻ってきた。
「お待たせいたしました。――エスプレッソ・ドッピオです」
ハイクラウンのチョコレートの包みとコーヒースプーンが手前に来るように、デミタスカップの載ったソーサーをくるりと回して俺の前にサーブする手つきは。
サマになってて感心する。
ホントは『スゲーぞ小野』って頭を撫でてやりたいトコロだけど。
そう言えば、ウチに来た頃のごつごつしたドレッドヘアや、受験生になって5分刈りにして芝生みたいな状態になった頭や、それが伸びてつやつやのストレートになった髪を撫でたとこまでは覚えてるけど。
いつの間にかそれもしなくなったと気づく。
「ごゆっくりどうぞ」
「小野。――上がり何時だ?」
戻ろうとする小野をまた呼び止めたら。振り返って。
「17時」
店の中の柱時計を見ると今16時20分だったから。
「一緒に帰れるか?」
小野は少し驚いた顔をしてから。解った、と声も無く頷いた。
17時10分過ぎ。
「お待たせ竹兄」
さっきまでのキメキメウェイターから一転、よれよれTシャツにハーフパンツ。ラメ入り紫のギョサンという衝撃の姿で戻ってきた小野に。
「――何てカッコだよ小野」
俺は紺色のハット被って黒いセルフレームの伊達メガネ掛けて。
シャツにジレ合わせて、細身のカーゴパンツにサンダルで取り敢えず都心仕様を心掛けて毎日過ごしてるから。
俺とスタイルが余りに違うことに呆れて声を掛けたら。
「後帰るだけなんだから別にイイだろ」
「良くねェよ。頼むから年相応のオシャレを覚えてくれ」
「雑誌真似したって個性無くて全然カッコ良くない」
雑誌立ち読みして覚えた姿まんまが今日の俺のスタイルだったから。
見抜かれたようで心の中で狼狽えるけど、表情に出さないように必死だ。
「にしたって御前それ、海の家でバイトしてる兄ちゃんみたいだぞ」
イイから取り敢えず座れ、って。俺のテーブルの対面の席を指差したら。
「――家に帰るんじゃないの?」
警戒した小野は中々座ろうとしないけど。
「こうやって話すの久々だろ。――」
ってもう一度目の前の席に手を差し伸べたら、小野は観念したのかソファに腰掛ける。
「ココアと、エスプレッソ追加で」
って、カウンターのマスターに声掛けたら。
「あ、マスター。出来たら声かけてください、俺が運びます」
ちゃんと気が利く小野が続いて声を上げた。
「――悪かったよ」
突然謝って頭を下げた俺に。
「何で謝るの、竹兄」
「俺が『大学は社会に出るまでのモラトリアムだ』なんて言ったから、オマエは何となく、って理由で大学行くのに抵抗があるんじゃないのか?」
「――抵抗がある…って言うか。ホントに自分が勉強したいコトなのか解らないまま4年間も過ごすのはイヤなんだ。でも竹兄の云うように、使える手段全部使って社会に出るのを引き延ばしたい奴は、そうすればいいと思う」
知ったような口利く小野に何か腹が立った俺は、
「じゃあお前は高校卒業してから、何時まで続くか自分でも解らないような、『やりたいコト探し』って言う名前のうすら寒いマスターベーションを延々と続けようって訳か」
小野は俺が此処までキツい言葉で批難すると思ってなかったんだろう。
「――…」
昔は一瞬しか見たコトがなかった怒りや敵意の視線が。
初めて俺にイヤというほど注がれた。
俺は俺で信念があって言うんだから、視線を外さないで睨み返してやる。
「小野がこれからしようってコトはそういう事じゃねえのか?俺に言わせれば『モラトリアム』って割り切って、大学4年間目の前にある事をやり遂げる奴の方がまだ、あれこれ理屈こねて色々つまみ食いしたがるオマエのような奴より得るモノは大きいだろ」
余りにも俺と小野の考え方は違い過ぎて、妥協点なんか見出せそうにない。
あぁ。論文以外で思考回路使うの久々で、何か頭が重い…。
「小野くん」
天の助けのようなマスターの声が聞こえた。
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