19
中学3年生という最も上位のヒエラルヒーを獲得した小野は、近頃校内では因縁つけられることも全く無くなったから。
平和に登下校できるようになった小野を連れて、放課後駅裏の例の喫茶店に来た。
「さぁ…――じゃあいよいよ。高校受験に向けて対策錬らないとなぁ」
なんて俺の方が教育熱心な親のように説教を始めた所で。
「おまちどうさま…」
この店に来たら必ず注文する、小野の御気に入りとなったココアが運ばれてきた。
目の前に置かれた途端、反射的に大きなマシュマロを指先で抓んでカップに入れた小野は。
俺の言葉なんか聞こえないみたいに、何時も通り熱心にスプーンでマシュマロをつつきはじめた。
「おい…聞いてるのか小野」
「きこえてる。ρ(。・・。) 」
これまた反射的に返事をするから、カタコトだ。
「まずはオマエ、行きたい学校は決めたのか?」
「うん。…ムサナン…」
「ああ、武蔵野南か」
ウチの神社からチャリで10分もしないで着く通称ムサナンと呼ばれている都立高校で。
都立の内でも『三番手』、大体偏差値で言うところの63~65程度の学校だ。
「なんだ…そんなトコ目指せるなんてオマエ意外と勉強デキる奴だったんだな」
ようやく納得行くまでマシュマロが解けたのか。スプーンをソーサーに置いてカップを両手で持ち上げた小野は。こっちを見てにっこりと微笑んだ。
「――テレビ見ないし、漫画読まないし、友達居ないし…学校行って教科書読む以外する事無かったから」
そう言うと、カップを唇に寄せて、大事そうに少しずつ飲み始める。
今まで小野が育てられた先で通知表を見せなかったのは、成績が悪かったからではなくて、『見せろ』と言われなかったから単に見せなかっただけのようだ。
「そうか。じゃあとりあえず…今週末に髪切りに行くぞ」
「――なんで(゚ー゚?)?」
上唇の周りに残った薄いココアの層をぺろりと舌で舐め取りながら無邪気に訊ねてくるから。
「何で?って…オマエ流石に…ムサナン行く奴で金髪ドレッドは見たコトねぇぞ」
俺はすっかり見慣れたからこうやって向かい合ってても違和感はないけれど。
やっぱり初めて小野の髪型見た奴なら、触ったら危険な奴だと思うはずだ。
中学校で左程厳しい指導が無かったのは、所謂『成績はそれなりにイイから放置』の部類だったんだと今更気が付く。
「せめて内申に響く冬までは茶髪レイヤーで我慢しろ。ムサナンなら入れば金髪くらいは復活できるだろ」
「――解った」
素直に頷いて、またココアを飲み始める。
「――御前ホントにソレ好きだなぁ…」
うん(((。-_-。)。と声も無く小さく頷く小野に。
「よし。――じゃあ。それ飲み終わったら家帰って勉強見てやるから」
「え?――いいよ…教科書持って帰って来てないし」
「教科書持って帰って来ないって…宿題はどうしてるんだ」
「全部学校で終わらせてる。家で勉強したくないし…」
仕事は家に持ち込まない。とは聴いた事あるけど。宿題を家に持ち込まない、なんて初めて聞いた。
「試験前だったら流石に何かするだろ?」
「家で教科書開いた事無い」
そう言えば相変わらず鞄はペッタンコだし、コイツの部屋の机で学校の教科書並んでるの見たコトが無い。
俺ですら試験前は不安で教科書やら参考書やら開いては線引いて、ノートを見直してたのに。
其れすらしないで学校の授業聞いてるだけでそれなりの成績取れるって。
コイツは…俺なんかよりずっと『天才』肌なのかもしれない。
「オマエそれならもっと勉強すれば更に上位校狙えるのに…」
「前も話したよね?俺別に竹兄みたいにやりたいコト有る訳じゃないから。俺の今のレベルに合った学校に行ければそれでいいよ?」
学校に通うためにも金が要るから、多分コイツなりに竹丘の養親に迷惑を掛けないように、近所の公立高校を選んだんだろう。
そんなコトで遠慮する必要はねぇぞ、と言ってやれれば良いんだろうけど。
小野は一度決めたら中々折れないとこれまで付き合ってきて学習したからあっさり説得は諦めた。
「仕方ねェなあ…。まあ、困ったら勉強でも進路でも相談しろよ?」
「解った。――有難う竹兄。本当にそうなったらお願いするから」
また両手でカップを持ち上げると、最後の方は逆さになる程傾けてココアを飲み干して。
少し悲しそうにカップの底を見つめるから。
「もう一杯飲むか?」
「いいの?」
「ああ。遠慮するな。――すみませーん。ココアもう一杯お願いしまーす」
笑顔で頷く姿は、コドモそのもので解りやすくて素直だと思うのに。
一体小野サトリの何処が「扱いにくい」上に「問題を起こす」奴なのか、まだ解らなかったけれど。
遠からず俺は、それを知る事になる。
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