wonder 1
あの夜、自分の中にもう一人の僕、ハイド が現れてから、僕の生活は大きく変わった。以前までは友人も居らず、いつも一人で行動していた。人生に意味を見出せない自分に嫌気が差していた。
だけど今は違う。
心で想えば、いつどこに居ても最大の理解者が話に乗ってくれる。こんなに嬉しいことはない、また今日だってあいつがいる。
朝に鳴るように設定したアラームが、定刻に僕を叩き起こす。
早朝を迎え、ベッドから起床し、スマートフォンで今日の、天候と気温を確認する。
「よし今日は、だいぶ気温が低め、雨は降らない」
僕は、寒い日が大好きだ。気に入ってるコートとマフラー。
身に纏うとなんだか嬉しくなるから。
さて、今日は一つの目的がある。
身支度を整えて、玄関のドアを開けようとすると、黒い影が近づいてくる。
「一聖、どこに行くんだ?学校は休みだろう」
「僕と同じようにもう一人の自分が存在する。
同類を見つけられたら、面白そうだなって思って」
ハイドと話をしながら、日常生活を送るのにもだいぶ慣れた。意気揚々と玄関のドアを開け、外の冷たい空気を肺を満たすように吸い込む。すぅっと空気を身体中に取り込んだ後に、ゆっくりと吐き出す。
あの時は夜で暗かったため分からなかったが、ハイドは黒い影として存在していて、僕の影と同化して後ろにずっとついてきてくれる。
「居るか分からんぞ、だいたいどうやって見つけるんだ。
街で一人一人に聞き込みでもするのか、変人だと嘲笑われるのがオチだぞ」
「うっ、どうやって見つけるかまでは考えてなかった、
ハイドは、似たもの同士で何かわかることないかな?」
「今のところ分からないな、しかし試してみる価値はあるかもな」
ハイドは、そう言うと辺りに歩いている人の影に、紛れ、転々としはじめた。
「もし何か分かったら教えてよ」
無計画な部分をハイドに呆れられ、少しむすっとしていると、不意にどこからか、薄く小さい声ではあるが誰かの会話が頭に流れ込んでくる。
「感知しました、とても近くなっていますのでご用心を!」
「ありがと、ゲルニカ」
なんだろう、聞こえた言葉を拾ってみる。ゲルニカ、ああ確かピカソの有名な絵画の名前だ。
「一聖、俺の言う場所に今すぐ走れ」
「どうしたの?それよりも何か聞こえた気がして」
「いいから走れ、行き先は、お前が通う学校の通学路の近道で
お前の好きな裏通りだ」
「えっ、あの通りは、ほとんど誰もいないし何もないよ」
「お前の目的は、案外達成されるかもしれない」
「本当!?ハイドが言うなら信じるよ。
どうせ探しに行くところだったんだ」
期待に胸を膨らませていつも通学に使う裏通りへ走り出す、どんな人だろう、人生でこんなにワクワクしたことがあっただろうか。
友達になれるかな。
「あ、そうだ。ハイドにも僕以外の友達が出来るんじゃない?」
「その人間のもう一人の自分と話せるってことか?俺が話せるのは、お前だけでいいがな」
言葉とは、裏腹にハイドも自分と同じような存在がいる可能性を信じたいようだ。
「会えばわかるって、そうこう言ってるうちに着いたよ」
周辺をキョロキョロと見回す、しかし人影は見えない。
「ハイドぉ、誰もいないんだけどぉ」
不貞腐れながらハイドに話しかけていると、不意に誰かの足音が聞こえた。
足音の聞こえた方へ振り返ると、一人の女の子が視界に入った。
その女性は、僕を認識するとすぐ、真っすぐに距離を詰めてきた。
「ねぇそこの君!
唐突に質問され、戸惑いながらも返答を考える。
「えっ、童話の不思議の国のアリスのことですか」
突然距離を詰められたことに驚いて、思考が時間に追い付かない。
「違うよ、君が連れてるその影のことを言ってるの」
その女の子は、ハイドのことを指差しながら発言する。
「驚いた、ハイドが見えるんだ」
僕だけが認識出来ると思い込んでいた。
「ハイド?それが君の
疑いが確信へと変わったよ」
少し物珍しい様子で手をすっきりとした輪郭の顎の辺りに当て、ハイドを凝視している。
ハイドの姿は、僕以外の人間には普通見えないように移動しているのだが、この女の子にはどうやら見えるらしい。
つまり、この女の子も僕と"同じ"かもしれない、女の子の周囲に影は見当たらないか探してみるが、気配は無い。
それと"Alice"ってなんのことだろう?
「一聖良かったじゃないか。俺たちと同じ
アプローチすればいいじゃないか」
「ハイド、冗談はいいの。確かに綺麗な女性だけど、今はそれどころじゃない」
僕は、思考に集中するために申し訳ないと思いつつ、ハイドを少し冷たくあしらう。
「そうか、うーむ」
ハイドは、短く言葉を返した後、女の子の周りをグルグルと慎重に回っている。
しかし、自身を凝視している女の子を調べるというよりも、別の存在を連れていないか調べているのだろうと僕は思った。
視線を移動させ、僕は、女の子を観察する
「むむむ・・・」
すると女の子もまた唸りながら、ハイドを凝視している。
僕の視線に女の子が気づくと、少しの間、照れているような素振りを見せた気がした。女の子は、その表情からすぐに元の表情へ戻し、ハイドの観察をやめ、再度口を開く。
「突然、話し掛けてしまってごめんなさい、自己紹介が遅れたね。
私の名前は、松葉。字は松の木のマツに、葉っぱの葉でマツハ!
以後よろしくね」
松葉と名乗った女の子は、少し微笑んでいる。僕は、嬉しいことをしたのか、記憶を遡るが、思い当たる節は無い。
「僕は、一聖といいます。
漢数字の一に、伝わりづらいのですがセイとかヒジリとかの聖です」
「イッセイ君というのね。君には聞きたいことが山ほどあるけど
まずはAliceについて知った方がいいよ。君の連れてるハイドくんが何者なのか気にならない?」
「ハイドについてですか?それはとても気になります」
まさに渡りに舟だ、ハイドにはとても謎が多く、一緒に居ながら知らない事がたくさんある。
「じゃあ教えてあげるよ。まず前提として、本当に解釈は人それぞれだし、ちょっと長いかも」
「お願いします」
「Alice in wonderland syndrome、もう一人の自分を持つ者は、皆この症候群に
共通してかかっているわ。そこから名前を取って
私達の中に発現したもう一つの人格を"
Aliceは、謎がとても多くて、この病気の副産物とされている」
突然、聞き覚えのない単語がいくつも飛び出してくる、全てを理解するためになんとか会話に食らいつく。
「ちょっと待ってください。僕は、何か病気に罹患しているんですか?
それにハイドを病気の副産物って言葉で片付けたくありません」
とりあえず、理解出来そうな部分に対して、掘り下げてもらうことにする。
「私も専門家じゃないからよく分からない部分も多いんだよね。
病気の副産物というのは、まだ仮説でさ」
「仮説・・・続きをお願いします」
「うん、Aliceを発現した以上、Aliceについて知る義務と必要性が生じてくるの、
それともう一般人には戻れない」
「話が見えません。一般人には戻れないってどういうことでしょうか、
Aliceっていったって僕が出来るのは、心の中で会話することだけです」
「心の中で会話出来るってことも友達が出来たみたいで嬉しいよね、わかるよ。
でもねAliceと心の中で会話出来るっていうのは、一つの側面。
Aliceとその主人には、不思議で恐ろしい力が宿るんだよ」
「不思議で恐ろしい力?」
「まあ百聞は一見に如かずというし
今、ここで私の
「興味深い」
ハイドは、これから披露される同類のAliceという存在について興味を示しているようだ。僕とハイドにも不思議で恐ろしい力なんてものがあるのだろうか。
考え込んでいると、おもむろに松葉さんがしゃがんで、左手を地面に向けてかざす。
「おーいでっ!私の愛しい子」
続けて松葉さんが言葉を発した後、指先からスルスルと植物の蔓のようなものが現れた。まるで、蔓を糸に見立て、その繊維を編むように、丁寧に作業していく。
そして、その蔓は徐々に人型を形作ったかと思うと、意志が宿っていて、万歳をするように伸びをする。その後、すぐに隠れるように松葉の背後に移動する。
「うぅ、私のお嬢様、この人だぁれ?」
その蔓の塊は、いかにも不安そうにか細い声で主人に質問する。
「喋るのか、お前」
黒い影は、質問を遮るように興味津々といった感じで距離をぐっと詰める。
「ひっ!あの黒いやつ動いたよぉ、怖いよぉ」
とても驚いた様子でプルプルと小刻みに震えながら、松葉さんの後ろからひょっこりと頭だけを出し、涙目で恐る恐る一聖と黒い影とを見ている。
観察してみると、身長は幼児くらいでとても小さく、頭に一輪咲いている素朴な花がチャーミングだ。
「か、可愛いですね、その子」
目の前に現れた不思議な生命体に、僕はとても好感と興味を抱いた。それは、ハイドも同じようだ。
「ありがと一聖くん、さあゲルニカ!挨拶しよう、怖くないからさ」
松葉さんは、自身の後ろに隠れている可愛い生命体の手を引き、自分の子供を自慢するように僕らによく見せてくれた。
「うぅ、ごきげんようです」
主人の言葉に従いおどおどした様子で、一聖の前にとことこ歩いて移動した後、丁寧なお辞儀で挨拶をしてくれた。
「ごきげんよう、ゲルニカちゃん!頭のお花がとても綺麗だね」
僕はすぐに慣れない挨拶を返す、するとゲルニカはなんだか嬉しそうに笑みを浮かべた後、思い出したようにまたサッと松葉さんの後ろへと隠れてしまった。
「うんうん、よく出来たね、ゲルニカ」
満面の笑顔でゲルニカのことを後ろ手で優しく撫でている、撫でられ始めてからというもの、ゲルニカの花が犬が尻尾を振る時のように、左右にぴょこぴょこと揺れている。
「はい、私のお嬢様~!」
主人に頭を撫でられるゲルニカは、とても喜んでいてなんだか仲睦まじい親子を僕に想起させた。
「私が行使出来る力の由来は、"花"。Aliceを扱える罹患者には、一人に一つ固有の由来が存在していて、由来に関連する事象ならイメージで補完して少し違った事象も行使出来るんだよ」
「では僕にも何か由来があるってことですよね」
一体ハイドと僕にどんな能力が備わっているのだろうと疑問に感じた、なんかすごいのを繰り出せるようになるんだろうか。
「それは、一聖くんの心に問いかけて思い出してみて。
話戻すね、さらにA.I.W.Sに罹患した者は、今まで生きてきた世界とは別の世界への扉が開かれる、これは体験してみた方が早いかな」
ここでゲルニカが、申し訳なさそうに口を開く。
「僭越ながら申し上げます、私のお嬢様。このお話の続きは、博士の方が詳しいと思われます。悪質な罹患者でない以上早期に保護すると良いです!」
ゲルニカは、ピョンピョンと飛び跳ねながら、主人に今後の展開を提案する。
「そうだね、ゲルニカ。一旦戻ろうか、私達の家に」
「僕は、保護されるべき存在なんですね、一体何からなのか」
「説明が難しいわ、ゲルニカの言う通りに早急に保護しないと、一聖くんの大切な人達にも危害が加えられる可能性があるの、状況が上手く呑み込めないと思うけど、今はただついてきてくれると助かるよ」
真剣な眼差しで僕に対して接する松葉の言葉に、一聖はただ頷く他なかった。
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松葉さんの家だという建物に向かう道中、ハイドはゲルニカに近づいたり話しかけたりといろいろとちょっかいをかけていた。
その度に、ゲルニカは新鮮な反応をするものだから、ハイドも飽きずに遊んでいた。
「うぅ、私のお嬢様、この黒いのしばいていいですか~?」
ゲルニカは、悪戯ばかり仕掛けるハイドに対して何かやり返したいらしく、影の姿のハイドに狙いをつけると蔓を伸ばし、鞭のようにしてペチペチとしばこうと試みる。
「その遅さじゃ当たらないな、同じAliceだろう、仲良くしようじゃないか」
蔓の鞭の攻撃を、ハイドは巧みに素早い動きで躱している。仲良くしようと口で言っているが、先に悪戯を仕掛けておいてそれはないだろうと少し思った。
ゲルニカは、ハイドが蔓の鞭を躱す度に、頬をぷくりと膨らませ、もぐらたたきのように絶対にハイドをしばくつもりなのか、どんどんとヒートアップしている。
「あはは、こんなに一生懸命なゲルニカは、あまり見れないから貴重だな」
松葉さんも心底楽しそうな笑顔を浮かべて、ゲルニカとハイドの勝負を見守っている。
その様子がなんだかハイドに初めての友達が出来たみたいで、単純に嬉しかった。しばらくの間ハイドとゲルニカが遊んでいるのを見ながら歩いていたのだが、ふと松葉さんの方へ目を向けた時、表情が少し険しくなっていることに気づいた。
「松葉さん、どうかしましたか?」
「一聖くん、確かこの道さっき通ったような気がする、おかしいなぁ」
僕は、今までの道中、ゲルニカとハイドのやり取りに気を取られて、気づかなかったが、松葉さんは道に対して何か疑問を持っているらしい。
「...。ゲルニカ!周囲にAliceの反応が無いか探知をお願い出来るかな」
松葉は、少し長考した後にゲルニカへ指示を出す。
「お任せあれ、私のお嬢様」
ゲルニカは、指示通りに目を瞑り集中し周囲の気配を探り始めた。
「ハイド、何か異常事態に陥っているみたいだ、周囲の環境で何か変化はあるかな」
松葉さんを真似て、ハイドに協力を仰ぐことにした。
「異常事態も何も周りをよく見てみろ、普通じゃない」
そう促されて周囲を見回す、まだ正午近い時間帯なので人がたくさん往来しているはずだ。
しかし、見渡せる範囲に正常な人間は見当たらず、代わりに濃い霧のようなものが辺りに漂い始めた、と同時に霧から無数の人型を模しているが、しかし自身の意志を感じられない抜け殻のようなものが現れる。
僕は、直感的に言いようのない不安に駆られる、その予感は、すぐに的中してしまう。
「ウウウゥ」
異様な呻き声を上げながら、ゆっくりと僕らを包囲するように歩いてくる。さらに僕らを、視認した途端にとても普通ではない走り方で、襲いかかってくる。まるで何かを
「アアアアアアアア!!!!」
今度は、両腕を振りかぶり、叫びながら近づいてくる。
「くるっ!ここで
そう僕に語り掛ける松葉さんの背中は、頼もしく感じる。しかし、女性に庇護される僕は、男として少し情けない。
「私のお嬢様!ここはハイドにわたくしの強さを見せて差し上げましょう」
ゲルニカは、先ほどからハイドへ振るっていた蔓の鞭を鋭く、今度は本気で尖らせる。
すぐに思い知ることになる、僕は、まだ知らなかったAliceの不思議で恐ろしい力の一端を。
「さあ一緒に!咲かせましょう!ゲルニカ」
ゲルニカと手を繋ぎながら、高らかに宣言する。
「はい、私のお嬢様、全力全開です!」
ゲルニカの頭の小さな花は、しとやかにけれど確かに成長を始めていく。
手を繋いだゲルニカと松葉からは、深緑の色をしたオーラのようなものが滲んでいる。
迫りくる喪心の心臓を、薔薇の棘を肥大化させたフルーレで一閃する。心臓を正確に射抜かれた喪心は、ぐったりと地面へと倒れた。その後、喪心からは水分が抜けるように、黒い瘴気が漏れ出し、徐々に薄く透明になった。
「まずは、ひとつ」
そう言いながら、得物に滴っている血を振り払う。次の喪心の攻撃に備え、フルーレを持ち直し、姿勢を正す。
ゲルニカからは、いくつもの蔓が伸びて、それはとても鋭い先端を持っている。蔓は、素早く空間を泳ぐように、喪心の心臓を貫く。
「いいね、ゲルニカ、とても効率的よ」
「はい、私のお嬢様、それとさきほどのAliceの反応の件なのですが、喪心の集団の後方に敵罹患者の反応を感じます」
「OK、ありがと、もう少し雑魚のお掃除をしたら殺しに行こうか」
目の前で突如として始まった、生々しい戦いに、僕は呆然と立ち尽くす他ない。辺りの地面は、喪心と呼ばれた人型から流れた血で、どろどろになっている。
瞬間、一体の喪心が高く空中へと飛び上がり、僕とハイドの方を目掛けて、戦線から抜けてきた。
「アアアアアアアアア!!!!!!!」
喪心は狂い叫びながら、一聖を切り裂こうと両腕を普通の人間ではあり得ない角度に曲げて迫りくる。
「しまった、間に合わないっ!」
松葉は、薔薇のフルーレをちょうど喪心の心臓から引き抜いたところで、即座に移動にシフトすることが出来ない。
「蔓の展開が間に合いません」
ゲルニカもまた、蔓を全て展開し、その先端の全てが喪心に刺さっている状態だ。
「いいから、早く!!」
松葉さんが、こちらへ駆け始める。しかし、喪心の方が先に僕に到達するのは目に見えている。
ハイドが僕の前に躍り出る。しかし、由来さえ理解していない僕に出来ることなんて無いと心で決めつけてしまう。
「一聖、何か発現しろ!!」
―——僕は、この時、漠然と死を意識してしまった。まだ、10代半ばここで死ぬのか。
しかし、その僕の一抹の絶望と目の前の怪物は、どこからか放たれた強烈な黒の雷撃で一蹴される。
その場に居た、誰もが何が起こったのかすぐには理解出来ない。
「やあ!松葉ちゃん、明らかに遅いから心配したよ」
霧の中から、左手を挙げつつ、すたすたと歩いて現れたその人物は、松葉さんと知り合いのようだ。とにかく助かった、すぐにでもお礼を言いたいところだ。
しかし、話しかけている途中に殺されるのはご免なので、喪心の様子を伺う。観察するに、先ほどの強力な雷撃を目の当たりにしたことで生き残っている喪心たちは怖気づき、戦闘への意欲が少し低下したようだ。動きが鈍くなっている。
「博士、ご助力痛み入ります、どうしてここが分かったのですか」
なんだか、ゲルニカが博士と呼ばれた人物に嬉々として、飛び掛かる勢いなのだが、松葉さんが頭を抑えつけ、静止させている。少しだけゲルニカの表情が圧縮されてしまい、それがまた可愛さを引き立てている。
「ここはもう敵側の罹患者が形作る精神世界だ、この種の世界に対しての鼻は、僕が一番利く」
松葉さんと雷撃を扱った人物が会話しているのを好機と捉え、僕はその人物の特徴を掴むため、ここぞとばかりに観察を始める。
「質問ばかりですみません、博士、もうAliceを行使して平気なのですか?」
「まあ、出力は抑えているし、大丈夫だろう」
しかし肝心のAliceの姿が見えない。会話しながらもまだ残っている喪心を目視で捉える。次に大きなまるぶちの眼鏡の位置を上へ微調整する。
服はというと、なんと白衣を着用している。全ての動作が洗練されており、戦闘に慣れていることが伺える。
「君、一聖くんといったか、戦えるかい?」
不意に、会話の対象が僕へと切り替わる。
「いえ、何も、何も出来ません」
流暢に質問に答えることが出来ずに、もごもごと発音が濁る。
「いや、それは君の思い込みだ、観察は得意のようじゃないか」
ふと、何かを思いついたように続けて言う。
「すまない申し遅れた、私は、
「ハイド、いけるか?腰抜けの思考で悪いけど、それが一番安全なんだ」
返事の代わりに、ハイドは僕の近くへと移動する。
「ほう、そうともいえるな、
気になって仕方がない、雷道さんのAliceはどこにいるんだ?だけど、命を繋いでもらったこの人に迷惑を僅かでもかけたくはない、素直に言われた通りにしたい。
それとこの人には、自然と従いたくなる不思議な魅力を感じた。
おもむろに雷道は、前へと前進を始める。歩きつつ、振り返り様、僕に一声掛ける。
「遅れるなよ、私の戦い方を間近で見られるのは貴重だぞ」
ニッと僕に笑いかけた、純白の白衣に包まれた人物は、静かに詠唱する。
「選択しろ、生き様を。見定めろ、クエイク」
Aliceを呼び出すようだ。どのように現れるのか、心が高鳴るのが自分でもよく分かる。
発現したAliceは、僕の予想していた形とは、全く異なっていた。まず、由来が全く不明なのだが、今回、発現するものの基本の骨格が"装備品"であることが分かった。
当たり前だが、戦闘を行う上で素手では、流石に心許ない。第一に武器を発現するべきなのだ。
戦いに先んじては、松葉さんであれば、植物から成るフルーレを第一に発現していた。Aliceにばかり意識が向かっていたが、根本から間違いであると考え直す。
まだ装備の発現途中であるが、雷道は、喪心の集団へ駆け始める。
―——とても俊敏だ、けれど僕を気遣ってか、多少スピードを落としているように感じる。
どうにか、この戦いで僕も自己のイメージからなんとか武器を発現したい。
ハイドと共に、僕の精一杯の力を足に込めて走り、視線は前方のみを見据える。
雷道の左手に紫の色をした装飾が施された芸術品のような、精巧なハンドガンが明確に発現する。
いつの間にか、銃の反動から手を保護する用途のグローブも両手にはめられている。次に右手に弾の込められているであろうマガジンが現れ、流れるような動作で左のハンドガンの弾倉へ装填を完了させる。
「この装備で潰していくぞ」
喪心の集団のうちの何体かがこちらへ向かってくる。しかし、奴らの腕の射程距離内に僕らが到達するより先に、頭だけが次々と吹っ飛んでいく。
テンポの良い銃撃音と様式美すら宿る素早い射撃に、僕は、はっと息を飲む。いけない、走るための呼吸が乱れてしまう。
この景色を心へ焼き付けなければならないという一心でついていく。
「一聖くん、ついてこれてるね、いい感じだ」
僕の中に、もう憧れを抱かせる人物に褒められて、少し舞い上がる。
「いえ、ただ後ろをついていっているだけです、それよりも!」
喪心の数が雷道さんの銃撃により、生きの良い個体はほぼ壊滅させられた。残るは、敵側のAliceを保有する罹患者のみだ。
「あのあたり、推し量ってくれないか、アース」
その時、僅かな間だけ雷道の周囲の空間に薄くではあるが、ピリッと亀裂が走った。しかし、一度瞬きをしたら元の空気感に戻ってしまう。続けて、誰かと会話を続ける。
この間、僕は何か戦闘に使用出来そうなものをイメージから発現出来ないか、試みる。
自身の左手を凝視しながら、刃物の発現に挑む、しかしイメージの輪郭がぼやけているために、はっきりと明確な物体を発現することは出来ない。
「アース、君が気乗りしないのなら、その程度の相手ということか」
ふと、異様な腐敗臭が鼻につく。どんよりと霧が更に濃く濁っていき、吸いこむ事が出来る空気が汚染されたように感じる。
その時、後方に位置していた松葉さんとゲルニカがなにやら争っているのが、確認出来た。戦いに参加しないのが少し不思議ではあった。
「ゲルニカっ!ダメよ、淑女が男性の仕事を邪魔しては」
雷道と喪心の戦闘の間、ずっとむぎゅっと頭を抑えつけられていたであろうゲルニカが松葉さんを振り払い、雷道へ目掛けて、空気を切り裂くように一歩目を踏み込み、一直線に突貫を始める。
ゲルニカの感情を表すように、自分を見てくれと、頭に咲いている花を大きく咲かせ、身体も一回り大きくなっている。
「雷道様、ごきげんようです!!」
ゲルニカは、靡く白衣を射程に捉えた所で、高く飛び掛かる。目的の位置まで到達した所で、がしっと白衣に張り付くようにしがみつく。
「おっと、今日もゲルニカはわんぱくで良い、ちょっと腕力が強くなったな」
ゲルニカの多少、強引な好意の伝え方に少し驚いた様子だが、嫌な素振りは一切見せていない。反面、抱きついて離れず、このままでは戦闘に支障が出るのではないかと思案している様子でもある。
「すみません、博士、こうなったゲルニカは手がつけられません」
松葉は、謝罪の念を込めて、軽くお辞儀をする。
「まあいいさ、そろそろ本命と戦いになるが、敵の罹患者は二人に任せようと思う」
突然の思い切った判断に、僕はたじろいでしまう。
「了解です、博士。一聖くんは、サポートに回ってくれるかな」
口調こそ整っているが、僕の考えが出るのを二人は待ってはくれない。半ば強引に僕は殺し合いに参加することになる。内心のどこかで目を背けていた事実が僕に突き付けられる。
「何も発現出来ない僕に、サポートなん」
ここで僕の言葉は、鋭く遮られる。
「一聖くん、ここからは精神と命の削り合い、無駄な思考は今すぐ排除だよ」
今までのどこか柔らかい物腰の松葉ではなく、冷徹な一面を覗かせる口調で一聖をはっきりと叱咤する。
「死にたいんですか?」
あの可愛らしいゲルニカでさえ、どんよりと濁った眼で、僕を眺めている。
「覚悟を決めます、いくぞ、ハイド」
「ああ、素手で戦うことになるぞ、何か発現しなければな」
敵の罹患者がいよいよ霧から抜けて、視界に入る距離に現れた。空気がさらに淀み、黒い瘴気で所々視界が遮られる。
「雑魚が、仲良く集まりやがった」
やっぱり、同じ人間じゃないか、何の目的で僕らを襲撃したのか。
松葉が小さく呟くように、詠唱を始める。
「花開け、薔薇の記憶、由来するよ、ゲルニカ」
「汚染しろ、穢せよ、全てをよおおおおおおおおお、ベルゼブブッ」
叫ぶような汚らわしい敵の詠唱の後、異形のAliceが現れる。歪な羽音を撒き散らし、空気を完全に穢し、もはや呼吸するのをやめてしまいたいほどの不快感を感じた。
敵Aliceは、端的に表すなら蠅の王といったところか。蠅の王の周りには、小蠅が黒い肉塊のごとく渦巻いている。どの単位を用いて数を表現すればいいのか分からないほど、次々と小蠅が発現されていく。
「ベルゼブブ、あの女の方から喰らってしまおう」
敵罹患者が、自身のAliceへ命令を下す。
「蠅を片付けない限り、罹患者へ攻撃を加えるのは無理ね」
大量の小蠅が、群れを成して松葉に襲い掛かる。その全てをゲルニカから生成され放たれた鋭い棘が一匹も漏れることなく、撃ち落とす。
「いいね、ゲルニカ。隙を見て、敵Alice本体へ攻撃を」
「はい」
頭を捻り僕に出来ることを、考えた結果、作戦はこうだ。
視界がひどく悪いことを逆手に取り、敵罹患者にそっと忍び寄る。成功したら組み付いて素手で攻撃を加える。もし、途中で気づかれたとしても、注意を僕に逸らすことが出来る。簡単な作戦だが、これが今の自分に出来る精一杯だ。
「ハイド、内心で作戦を共有したぞ」
「一聖、慎重にな、それと移動しながら話を聞いてくれないか」
僕は、一旦霧に紛れ、敵罹患者を目視出来るギリギリの距離まで離れる。足音をなるべく消し、距離は遠いまま、敵罹患者の背後を取ることだけを意識する。
「どうした?」
「俺たちの由来の話だ」
「それは、今すぐ知りたいよ」
「恐らく、"夜"、"星"、"闇"、いずれかだと思う」
「あの夜に関連する事柄だね、由来の候補を元に発現を試みる」
「まずは、近距離での武装を発現した方がいい」
「出来るといいんだけど、まずは"夜"から」
ハイドと僕が初めて会話出来たあの"夜"、night、藍色。ダメだ、夜から攻撃性を見出せない。さらにこの精神世界を今、夜に変えてしまえば、夜に同化した蠅に食い殺される、出来るかは別として。
「次は、"星"だ」
発現と並行して続けて移動をしている。敵罹患者のほぼ背後を取ることが出来た、依然として距離は遠い。終わりの見えない蠅との戦いを続けている松葉さんとアイコンタクトが可能な距離まで近づかなければ。
さて、夜空の"星"をどのように攻撃へ転じさせる事象として発現するのか。イメージが湧かず、まだ僕には扱えないという感情の方が強い。ダメだ、今は"星"ではない。
「最後の"闇"」
心で闇を想った途端に、一緒に行動していたハイドの姿に変化が現れたように感じた。手応えを頼りにさらに続けてみる、すると地面を黒く染める影がじわりと濃く、僅かに大きくなった。
「きたな、何か武装は出来そうか?」
「やってみる、松葉さんもゲルニカもそろそろ限界が近いかも」
ゲルニカは、永遠とその小さな身体から、自分の一部である棘を放ち続けている。棘を発現するための精神的なエネルギーを送っている松葉さんも、少し表情が歪んでいる。無限に事象を発現出来る訳ではないのだろう。
「現わせ...! 僕の影響を」
心に思いついた詠唱を唱えてみる。心の内から出づる想いを形にする感じを大切にしながら。
身を削って戦っている松葉さんを見て、すぐに加勢しなければとただ思った。僕は、ほぼ無意識に敵罹患者へ駆け始める。まずい、逸る気持ちが抑えられなかった、だがここで止まったら、防御の手段がない僕は蠅に喰われるだけ。
急いで、勝ちのビジョンを頭に駆け巡らせる、左手には闇を現わすような形の定まらない刃物。発現に成功している。グッと左手へ強く力を込める。イメージを、少しだけ掴むことが出来た。
敵罹患者が足音に気づき、振り返り始める。まだ攻撃が届く距離じゃない、蠅の大群の一部を呼び戻しているようだ。足が竦む、ベルゼブブに気づかれた。ここで、松葉さんと一瞬だが目が合う。
「一聖、もう一度詠唱を!!」
思考より先に、口が動く。
「現わせ!僕の影響を、いくぞッ、ハイド!」
詠唱を終えた瞬間、僕の想像が明確に具現化する。少し先を移動していた影が完全な人型を模し、足で地面を蹴り、走っている。その身体は、包帯が全身に巻き付けられており、手負いの患者を思わせる。
「成功だ、一聖、俺も戦えるぞ!!」
僕らの突き走る道が、蠅で満たされ、行く手を阻む。
「うらあああああああ!!!!!!」
ハイドが、咆哮のごとく声をあげながら、両腕の爪で蠅を薙ぎ払った。
再度、敵罹患者への道が開かれる、行くしかない。相手の首元へナイフを向け、走り抜ける。途中、数匹の蠅が僕の腕に噛みつく。
「痛い、けど」
「ベルゼブブ、早く、あいつを止めろよおお!!」
「それは、無理な話ね。」
巨大な薔薇の棘が天高く、地面から突き上げ、そびえている。頂上には、あるものが突き刺さっている。
何が?
あの巨大で醜悪な蠅に決まっている。
ベルゼブブは、美しい薔薇の棘に身体の中央の辺りを突き上げられ、動くことすらままならない。ピクピクと動く蠅の王は、わずかにまだ生命を保っているようだ。
「はあああああああ!? 俺を守るんだよ、蠅共ォォォ」
親玉を失った蠅たちは、統率が取られず、どこを目指せばいいか分からない。
「仕方ねぇ、せめてお前だけでも道連れだ」
「ひどい腐臭だ」
男は、自身の腕を刃のように
刃物を構え、対峙する。
得物のリーチとしては、相手の方が長い。ゆえに、こちらの刃物を当てるには、多少踏み込んでから刺突する必要がありそうだ。
先に動いたのは、僕ではない。どう攻撃してくる、初撃を上手く躱せるか。距離が詰められ、近接の攻撃が繰り出される。しかし、飛んできたのは、変化させた刃ではなく、もう片方の素手による打撃だ。
その打撃は、僕の下腹部を深く抉った。予想していた攻撃ではなかったために、反応が僅かに遅れた。
「痛いよなあ?このまま殺してやる」
致命傷ではないが、鈍い痛みがじわりと広がっていき、僕の動きが鈍っていく。続けて、もう片手の刃で薙いでくる、透かさず、僕はナイフで防御する。硬質の物体同士がかちあい火花が散る。相手のかけた腕力が腕に重くのしかかり、押し負けそうになる。
しかし、こちらにはまだAliceが傍で存命しているという点で有利だ。
「ハイド!」
名前を呼ばれハイドは、呼応するように爪で敵罹患者を切り裂こうと攻撃を試みる。しかし、バックステップで
「俺も、お前を守れるんだな」
「ハイド、よく見るといい姿だ」
「ああ。一聖、俺があいつを拘束するから、その隙に攻撃を頼む」
「わかった」
内心で段取りを共有し、もう一度気を引き締める。
ハイドが先に駆け出し、僕もそれに続く、敵罹患者に組み付き、拘束が始まったのを確認、闇のナイフの刀身は、汚く喘ぐ男の喉元へ深く突き刺さる。
肉を抉る生々しい感触を感じたところで、すぐに引き抜いて距離を取った。敵の罹患者からは、多量の出血を確認出来た。
「くぞっ、アア」
喉を掻き切ったために、声帯から上手く声を出せないのだろう。どうやら、僕たちの勝利のようだ。
その男が喚き、地面へと倒れたかと思うと、僕に呪いでもかけるように、必死の形相で睨みつけながら、あっけなく死に果てた。
人殺しをした。
「もう一般人に僕は戻れない」
「自衛しただけだ」
僕は、殺人を犯した。
この男がどんな人物であったとしても、命を奪ったという事実。
僕は、こんなにも簡単に人を屠る力を身につけた。
どろりとした生温かい感触を感じ、左手に目を向ける。
どす黒くあの男に流れていた汚らわしい体液のはずなのに、手の平に付着する真紅の鮮血は、僕の目を奪うほどに美しかったんだ。
血液に魅入られていると、僕は不意に全身を駆け巡る強烈な痛みに襲われる。自分の平衡感覚が正しく機能せずに、地面へと飛び込むような勢いで倒れ、意識を失った。
発生源が死に絶えたことで、辺りの空気の汚染の進行は止んだが、依然として濃霧と汚染された空気はそのままだ。
「精神世界の崩壊が始まる、何度見ても不思議なものだ」
今まで濃霧で遮断されていた現実の夕陽の陽光が、空から優しく空気を温める。温められた霧は溶け、汚染された空気は浄化される。沈みかけの太陽は、歪な精神の影響を打ち消し、周囲の空間を元の姿へと戻し始める。
「博士、ここはじきに人目につくでしょう」
「ああ、まずあの死体を焼いて、塵にしなければな」
「では私たちは、一聖くんを保護します」
―—————————————————————————————————————
*ワンダー=罹患者が発現する異能力のこと
***********************************************************************************
醒めかけのまどろみの中に僕は居て、まだ意識が少し遠い。完全に覚醒しておらず、聴力が弱くなっているために薄く、小さく会話が聞こえる。
「ワンダーを初めて発現した反動だ、じきに目が覚める」
"wonder" 驚異とか奇跡といった意味の英単語だったはずだ。
「命に別状は無いのですね」
松葉は、心から安堵したように表情を緩めて、ほっと息をつく。
僕は、何をしていたんだっけ。そうだ、罹患者の精神世界に
ふと左手の鮮血の感覚を思い出し、手を握って、血液が付着したまま残っていないか確かめてみる。しかし、あのどろりとした感触はなく、既に綺麗に拭われた後だった。
「一聖くん!目覚めたのね。本当に本当に良かった」
松葉は、一聖が左手を動かしたのを確認するとすぐに、声を掛けて覚醒を促す。
「お疲れ様、初戦であれならば上出来だ」
続けて雷道さんも、なぜかとても嬉しそうに声を掛けてくれる。僕は、上手く戦えたみたいだ。
「心配して頂いてありがとうございます、それといつ帰れるのですか?」
「帰れない」
「えっ、敵の罹患者は倒したじゃないですか」
「Aliceを発現してしまったら、もう戻れないんだよ」
「私達が家族だと思って、独りじゃないから」
「松葉ちゃん、一聖くんに割り当てた部屋まで案内してあげてくれ」
―—————————————————————————————————————
松葉さんから、今後の自分の住処になる施設を案内してもらった。自分に与えられた部屋を確認した後、窓から綺麗な海辺を見つける。
誰の人影も見えなかったから、なんとなく海の波音でも聞こうと、砂の上を歩き、しゃがんでみる。
―—————————————————————————————————————
「ディーヴァ!この少年に僕達を披露するんだね」
「そうだよ、ヴォイス!たまには観客が欲しいじゃん?」
―—————————————————————————————————————
「ねえ、そこは私の特等席なんだけど」
砂浜に、ちょうど座った時だった。
「え?ああ、ごめんなさい、どうぞ」
素直に場所を譲ってしまったが、何か釈然としない。譲った場所に少女が移動すると、その少女に周りに音楽記号のワンダーと共にAliceがふっと現れる。
僕は、不意に罹患者を確認したために、無意識に身構える。しかしその少女は、暴力性のあるワンダーを発現するつもりはない。自分の手をマイクに見立てて、広大な海へ向けて歌を歌い出す。
綺麗な澄んだ歌声と少女に周りに浮かぶ音楽記号、それら全てが美しく、すぐに見惚れた。
「ねぇ、ディーヴァ!きっと伴奏も必要だよね」
歌唄いのAliceは、そっと楽器を発現する。それは、アコースティックギターの形状に似た形をしている。その音色はとても不思議で、少女の歌声によく似合っている。
「こんな風にAliceを使う人も居るんだ」
しばらく一聖は、少女と歌唄いのAliceのささやかなリサイタルに耳をひたすらに傾け続けた。
スターダイブ
混ざり合う想いの風 ♪
あなたに私が吹かせてみせる
一瞬でも私を感じ逃さないで ♬
はじめから最高速度で駆け出すよ
もう刹那の間しか待てない ♩
心の準備はいいかな?
いいよね
あの彼方の星ぼしまで
君と私の想像の世界なら心が届くんだよ
「これでおしまい、私は
「私は、ヴォイスという、君たちは?」
「ハイドだ」
「僕は、
僕は、自己紹介を終えた後、少女の眼がふと気になる。
音色さんの瞳の色をよく観察すると、左右非対称で同じ色ではない。とても珍しい色をしているのは、分かるのだが~色と判別することが出来ない。
「私の眼の色、気になるでしょ!オッドアイってやつなんだよ~」
音色は、一聖に急接近し、自分の顔を近づけて、片目をぱちぱちと交互に開閉し、よく見せつける。
「め、珍しい眼をしていますね」
「そんな人間もいるんだな」
「雷道博士が、面白い新人が入ったと言っていた」
「君が、その新人だよね」
「僕は、自分の置かれている状況をまるで理解していなくて」
「俺も、さっぱり分からん」
「博士、また説明もないのね」
「そうなのか、てっきりもう説明済みかと思っていたよ」
「うーん、まず、君は殺人を犯したと思うんだけどね」
「それは、正当防衛ですよ」
「大丈夫、大丈夫、警察が捜査になんて来ないから
この建物は、博士のワンダーで守られているし、敵罹患者の死体は、もう存在しないし」
「そしていつも通りなら君の家族には」
「記憶の改ざんを行ったはずよ、自分達には一聖君という家族は"最初から存在しなかった"と」
「そんな、なんてことを」
「一聖、お前の家族の命を守る唯一の手段を講じたんだ」
「その通り、君のAliceはとても物分かりが良いわね」
「僕は、一体何に利用されるのですか」
残酷な現実に対して、自分が無力であると自覚した。
「冷静になって、私たちは普通じゃないの」
「幸運なんだよ、家族を惨殺されたり、誘拐された者も居るし」
音色とヴォイスは、新しい家族に諭すように、説明をする。
「私の歌ならまた披露出来るよ、今日から一緒だしね」
「よろしくお願いする、一聖君、この波打ち際、また観客になってくれ」
「それと重要情報でーす!」
「なんでしょうか?」
「君もオッドアイになっているよ、白とも灰色とも上手く認識できない感じ」
「とてもいい色だよ、それじゃあね!」
音色は手を振りながら、施設へと走っていった。ヴォイスの姿はいつの間にか、見えなくなっていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
海岸から戻り、一聖は、自分の置かれている状況を整理し始める。
まず、この建物には、Aliceを発現した罹患者と呼ばれる人間が、集められ、暮らしているようだ。
そして、Aliceを発現した者は、みなオッドアイになる。部屋に備え付けられた鏡で自分の両目を確認したら、確かに眼の色が左右非対称になっている。
不思議なことに、瞳の色を何色と断じることが出来ない。それぞれ白と灰色に近いか。
僕は、どうなってしまうのだろうという思いと、無性に家族が住んでいる家に帰りたくなる。不意に泣き出してしまい、涙が止まらない。
僕の家族は、異能力の作用により、僕のことを忘れたらしい。
異能力、眼がオッドアイという共通項があるからで、いきなり家族になれるものか。
「一聖、いろいろな事が立て続けに起こった、休もうぜ」
「そう、だね」
割り当てられた部屋は、一人、暮らす分にはちょうど良い広さで、何も不自由を感じない。インテリアのセンスは、とても良いし、くどくない安心感を覚える。
ひときわ異彩を放つのは、壁に掛けられている掛け軸と絵画だ。
掛け軸の方は、書道家が書いたのだろう、素人の僕が見ても達筆という印象を受ける。
絵画の方は、人物画で精密に描かれている。モデルは、人間だと分かるだけで、中性的で、男性なのか、女性なのか判別出来ない。
部屋の内装の観察をして、過ごしていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「はい」
「一聖くん、入るね」
僕の部屋を訪ねてきたのは、松葉さんだ。僕の心の中を察してか、心配そうな顔をしている。この人達が新しい家族。この建物が実家。
「どうかな、いい部屋を用意したつもり」
「質問があります」
「君の家族のことね、わかってる、
「酷いことだとわかってて、なぜ!」
僕が大きく声を上げたから、松葉さんの後ろから、ゲルニカが様子を伺うように顔を出す。
「罹患者は、とても貴重な存在なんです」
「でもさ私たちが、あなたを保護しなければ、どうなってたかな」
「あいつらは、まずあなたの家族に罹患者がいないか、力づくで調べるでしょう。一般人なら殺害。罹患者なら精神を破壊し、手駒にされたわね」
「わかって欲しい、これが最善手なの」
「飲み込むしかないんですか、この状況を」
「今日は、一聖様の今後の話をしにきたんです」
「よく聞いて、選択肢は、大きく分けて、三つよ」
ゲルニカと松葉さんの表情は、真剣だ。
「一つ、ここでささやかに暮らし、生涯を終える。農作業程度の仕事でもしてもらうことになるかも、職業は金銭が稼げればなんでもいいわ」
「二つ、Aliceの能力と戦闘力を研磨し、Aliceを悪用する勢力と戦う戦闘のプロになる道」
「三つ、これは、お勧めしないけど、この場所を明日から離れる」
「戦闘のエキスパートは、とても不足しているから」
「考える時間を、頂けますか?」
「ええ、もちろんよ」
「三つ目の選択肢は、考えてないってことでいいかな」
「はい」
「一聖様、連絡用のスマートフォン本体と周辺機器をここに置いておきます」
ゲルニカが、ポーチから端末を取り出し、部屋の机に置いてくれる。
「食事は、給仕が決まった刻限に届けてくれるよ」
「そうだ、今はここに
今居る建物の簡単な地図を渡され、松葉が一つの区画を指差す。
「じゃあね、また」
「一聖様、おやすみなさいませ!」
松葉とゲルニカが、部屋から退室する。その後、一聖は、一通り身体のケアを済ませて、倒れるように眠りについた。
翌朝、備え付けのベッドから、身体を起こし、軽く伸びをする。
「一聖、いい朝だな」
「ああ、ハイド、おはよう」
松葉さんに砕覇という名の人物に会うように、促されたのを思い出す。特別にやることも無いので、地図を頼りに会いに行く。
目的の部屋の扉の前に到着した。入口のドアには、芸術的な装飾がなされていて、他の部屋のドアと造りも少し違っている。
一聖は、緊張を感じつつ、ドアノブに手を近づけ、扉を開いた。
驚愕した。
部屋の内にある全てが一つの作品群のようにまとめられている。まず興味を惹かれたのは、天井に
視線を普段通りの高さに戻すと、絵画のキャンバスに向き合っている一人の少女とそのAliceがそれぞれ創作に熱中している。
少女とそのAliceは、線画を描くこと一点にのみ集中していて、一聖の訪問に全く気付かない様子だ。
少女の髪型は、ツインテールでクリーム色の髪色をしている。驚くことに萌黄色のスカートをパレットの代わりに用いて、絵を描いている。
スカートに盛られた絵の具が彼女自身を、生きるアートのように演出していた。
一聖は、さらに室内を見回す。室内にも関わらず土が敷かれている。ところどころに数種類の植物が植わっており、いい香りがした。
「もしもし、どなたですか?師は、今、忙しいのです」
おそらく砕覇さんのAliceなのだろう。たんぽぽの綿毛のようで、とにかくモフモフしている。主人が創作に掛ける時間を邪魔されたくないという感じだ。
「すみません、日を改めます」
一聖とハイドは、早々に退室をするべく、再びドアの方へ向き直る。
歩を進めようとしたところで、声をかけて静止される。
「客人だ、グラディエント」
「ようこそ、我は砕覇というよ」
無表情だが、不思議な暖かみを感じる。
「僕の名前は」
「一聖くんだろ?Aliceの方はハイドだね」
なんだか嬉しそう?理由は、分からない。
「グラディエント、お茶にしよう」
「休憩ですね。ハーブティーをお持ちします」
「ここは、いい空間だろう」
砕覇さんからは、僕の到着を心待ちにしていた感じが伝わってくる。
「さあ、一聖くん、座るといい」
一聖は、砕覇に促されて、木製のテーブルの傍にある椅子に腰掛ける。
「あの、なぜパレットを使わないのですか?」
第一印象で感じた疑問を、投げかけてみる。
「ふふ、そこに気づくか、少年」
砕覇さんが、謎の間を置いて、喋るのを止めて。
「それはな、効率がとても良いし、かっこいいからだ」
ハーブティーの用意を終えつつ、なぜかグラディエントが得意げに答える。
三人分のティーカップが机の上に並べられる。お茶が、カップへ注がれると、芳醇な香りが鼻腔を抜けた。
小さめのパンケーキがお茶請けとして、添えられていて、これがハーブティーと相性がとても良い。一聖は、一口目を食べた後、そのまま短時間で完食してしまう。
「気に入ったみたいだ、良かった」
「私が作ったのですから、当然だ」
この人も、僕の家族になってくれる人なんだ。
現在居る施設で一生を終えること。僕は、それを、受け入れても良いかもしれないと、考え始めている。
砕覇さんは、このアトリエで絵画を描き、それをクライアントに売ることで、金銭面で施設を支えているらしい。罹患者との戦闘も可能ではあるが、絵を描く方が性に合っているのだと教えてくれた。
アトリエを一通り眺め、たくさん砕覇さんの絵画を見せてもらった。少し元気が出た。ハイドは、グラディエントとよく話が合うようだ。
「一聖くん、またいつでも来るといい」
「少年、ハイド、またな」
「創作のお時間に失礼致しました」
「グラディエント、またゆっくり話そうぜ」
名残惜しさを感じつつ、アトリエを後にする。すると、支給された携帯端末に、着信が入った。
「もしもし」
「やあ、一聖くん。松葉」
「あの話ですね。僕は、戦闘のプロを目指そうと思います」
「よしっ!嬉しいよ、きっと博士も喜ぶ」
松葉さんは、同じ部門に入ることを素直に喜んでくれた。明日から、鍛錬を始めるから、それに励んで欲しいとも手短に伝えられた。
部屋に到着するなり、ハイドが一聖へ声を掛ける。
「本当にいいのか?穏やかに野菜でも作ったっていい」
「いいんだ、きっと僕には適正があるんだ」
「そうか、なら明日から鍛錬だな」
「どんな内容なんだろうね」
今日も、身体のケアを済ませて、ベッドに横たわる。砕覇さんのアトリエでリラックス出来たこともあり、すぐに眠りにつけそうだ。
「ハイド、電気消すぞ」
「ああ、おやすみ」
夜が明け、翌朝、部屋のドアのノックの音で目を覚ます。
「おーい、一聖くん、起きて起きて」
扉をノックしているのは、声から察するに音色さんだ。
「準備を急ぎます、音色さん」
「起きたね、砕覇ちゃんと一緒に待ってるね」
なんと、砕覇さんも一緒にいるらしい。鍛錬は、複数で行うらしい。
一聖は、準備を短時間で済ませて、自室のドアを開けた。
「お待たせしました、音色さん、砕覇さん」
「慣れたらでいいけど、呼び捨てでいいよ」
音色さんの、気遣いを感じる。
「師範のもとへ行くぞ、一聖くん」
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