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(さみぃ。もう一枚羽織っときゃよかった)


 しんと静まり返る村内を、あてもなくぶらぶらと歩く。冷え込んだ空気が服の隙間を縫うように入り込み、クレイはぶるりと身を震わせた。


 エドと一緒に薬を作り続け、気が付くと丑三つ時と呼ばれる時間になっていた。さすがに集中力が切れた二人は寝具に入ったものの、頭が冴えていたのかなかなか寝付けなかった。


 しばらくして薬師は就寝を諦めた。隣のベッドで盛大ないびきをかいているエドを恨めしく思いつつ、夜半ながら村内を散歩する事に決めたのである。


(どこかに入りたいところだが……さすがにどこも開いてないな)


 東の空は微かに白みかけており、散策するには支障ない程度の明るさだ。それでも空にはまだ、星が明るく輝いている。飲食店の方向に顔を向けるが、クレイがいるところからは光が灯っている様子は見えず、何かが聞こえてくる様子も無い。澄ました耳に届くのは風の音か、牛舎の動物の声ぐらいだった。


 仕方がないので何となしに南西の方角に向かってみる。住宅街と帰り道を少し外れたその先には、広大な麦畑が広がっているという噂だった。


「――すげえな」


 住宅地を抜けた先の視界は、一気に開けた。

 吹き抜ける秋の風が麦の穂を撫でる。視界一面に開けたそれらは、さざ波のように波紋を広げていた。


 そっと近寄って、麦を手に取ってみる。地面からは鮮やかな緑色の茎が伸びるが、実から伸びる髭は山吹色に変わっていた。まだ収穫を迎える前だというのに、その実は垂れ下がりそうな程大きい。立派な成長具合だった。


 女将の言葉を思い出す。豊作が続いているという話だが、どうやら今年も問題なくその記録を更新出来そうだった。


 腰を上げて見回してみると、くたびれた木製の丸椅子を発見した。おそらく農作業の休憩に村民が使用しているものだろう。もちろんこの時間にそれを利用する人は居ないので、少しばかり拝借する事にした。


 どっかりと腰を据えると、椅子が鳴る。あまり立て付けは良くないらしい。

 胸ポケットに忍ばせていた小瓶を取り出すと、クレイはその中身を少しだけ口に含んだ。


 嚥下すると、喉を熱い塊がゆっくりと通り過ぎていく。鼻孔を突き抜ける葡萄酒の香りと、じんわりと温まってゆく体に深い心地よさを感じた。


 クレイは静かに息を吐くと、美しい麦の海を眺めた。不規則に波をたてる麦畑、風に吹かれた穂同士が擦れる音。空に浮かぶ千切れ雲は真っ先に太陽の光を受けて茜色に染まり、対照的な濃紺の空により一層映えている。


(贅沢な時間だ)


 この風景を独り占めしている優越感。心が洗われて、空っぽになる。クレイは首から下げているものを、無意識のうちに取り出していた。


 一つは時石。何の混ざりもないそれは今、美しい藤色の光を放っていた。ちょうど、午前四時だ。


 時石は一日に二十四色の光を放つ。一時間毎にその色を変える為、時間を知る道具としてどの一般家庭にも置かれていた。


 そしてもう一つ。小袋から取り出したものは、掌に収まるサイズの長方形の石だ。厚みは、子供の手でも折れそうな程に薄い。全体的に薄紫色で、水晶のように向こう側が透けて見える。一筋の線が曲線を描きながらその中でゆっくりと蠢いていて、ぼんやりとした光を放っていた。


(イリア)


 思い出されるのは一人の女性。鈴の音のような可憐な声を、ぬばたまのような美しい黒髪を、透き通る白い肌を、浅紫の宝石のような瞳を。

 それは一日たりとも忘れる事のない彼女が遺した、唯一の形見だった。


(俺はまだ、これを見る勇気が持てない)


 一体いつになったら見てくれるの? クレイの臆病者。そんな声が思い浮かんで、自然と口角が上がる。寂寥感を滲ませながら、「イリアは笑うだろうな」とぼやいた。死の間際に、彼女が手の内に残していたものは、映写石えいしゃせきと呼ばれる魔石だった。

 使用した者の記憶を閉じ込める石。印を結んで解放すれば、その記憶を視る事が出来る。


 彼女を亡くして幾年の歳月が流れた。もうどれぐらい経ったのか、”時間”の概念に疎いクレイには、はっきりとした年月が分からなくなっていた。

 大きな掌で映写石を包み込むと、再び袋の中にそれを戻した。

 遠くから鶏の声が聞こえる。住宅のほうからは、いくつか煙が上がっていた。


(こんな朝早くから香炊きか。丁寧な事だ)


 それぞれの地域や家によって、香炊きの回数は異なる。三日に一回行うところもあれば、月一回しか行わない家まで様々だ。クレイが見る限り、サティア村の香炊きの回数はだいぶ多いように見える。少なくとも毎日、多い家では日に二回行っているようだ。


(戻ろう。いい加減、体が冷える)


 空はだいぶ明るくなっていて、もしかするとエドが起きているかもしれない。

 クレイは公民舎へと引き返した。それほど距離は離れてなく、麦畑からでも白い建物を目視出来る。


「あれ」


 クレイは思わず声をあげ、足を止めた。こんなに早朝なのに、公民舎の入口に、誰かいる。

 目を凝らして観察しているうちに、くだんの人物はきょろきょろと周りを見回しながら、ドアの隙間に何かをねじ込んでいた。それほど頑丈に閉められたドアでもなく、作業はすぐに終わる。


 終わるや否や、一目散に走った。が、途中で何かに引っかかって盛大に転んだ。声もあげずにむくりと立ち上がると、再び走りながら姿を消した。

公道を通らずに、藪の中に紛れるようにして。


「金髪……」


 あっという間に姿が見えなくなったが、それが誰なのかすぐにピンときた。小さな背丈に、特徴的な金の髪。逃げて行った方向は、北だ。


 クレイはため息を吐きながら、足早に入口に向かった。くしゃくしゃに折れたそれには、”くすしさまへ”とたどたどしい字で書かれていた。

 ぼりぼりと頭を掻きながら、再度深いため息をついた。エドの得意げな顔が、ありありと思い浮かぶ。


(……白檀、確かまだあったな)


 焚くと高貴な香りがすると言われるが、正直なところクレイはその香りが苦手だ。だが、クレイ達が白檀を必要とする理由は、楽しむ為のそれではない。


 ドアの鍵を開けて中に入るが、しんとしている。エドはまだ寝ているようだ。

 今日は診療の予定は無く、ひたすら薬作りの続きと配達だ。仮眠だけでも取る事にし、エドを起こさないように、静かに寝室のドアを開けた。

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