3

「森の中から現れた子供、ねぇ」


 細かく砕いたカムリギの樹皮を薬研やげんの中に入れ足すと、再び手元を動かす。ゴリゴリと中に入れた薬を磨り潰す音が、小部屋に響く。


「ただの反抗期じゃねえの?」


 クレイはやる気が無さそうにそう答えた。エドは火にかけている小鍋から目を離さずに、菫蔓草を茹でる。くすんだ茶色の茎が湯をくぐると、一瞬にして鮮やかな紫色に変化した。


 時刻は午後五時を回るところだ。昼にエドが帰宅した時、既にクレイの診察は全て終わっていた。遅ぇぞと小言は言われたものの、そこまで怒っていなかったのは幸いした。


 結局午後は薬草作りに入るというクレイに合わせて、市場まで乾物と魔石の買い出しに出かけた。夢見草は、一先ず今ある分だけで事足りるそうだ。

 エドは露骨に不満の声をあげた。ただし、目は小鍋を見つめたままだ。


「反抗期なもんか。あれは絶対、俺らに助けを求めてる」

「そうかねえ……」


 クレイは若干面倒そうに返事する。芯のない声に苛々としながら師匠の顔をちらりと見ると、いつもより目が垂れ下がっていた。次いで、くわっと大口を開けて欠伸あくびをしている。すごく眠そうだ。


「――あぁ、もう!」


 エドは小鍋から菫蔓草を取り出してバットに置いた。別のカバンから風味豆かざみまめの粉を少量取り出し、さっきまでの小鍋に投げ入れる。すぐに香ばしい匂いが漂ってきたが、菫蔓草の色素が染み出したそれは、本来の風味茶の茶色とあいまって実に毒々しい見た目をしていた。


 ティーカップにそれを注ぐと、クレイの机に届ける。中の液体が跳ね、クレイの手に飛び散った。


「あっつ! お前、もーちょっと丁寧に扱えよ!」

「うるせえ。それで目を覚ませ」

「うわ、すげえ色。風味茶の匂いなのに……毒入れてねえだろうな?」

「知るか。有難く飲んで苦しめ」


 ふん、と乱暴に鼻を鳴らして菫蔓草のもとに戻る。うわぁ苦い、と抗議の声が聞こえるのを聞くとざまあみろ、と思ってしまう。

 菫蔓草の煮汁は健康に良いが、とても苦いのが特徴だ。渋い顔をしているクレイを見ると、エドの留飲も少しばかり下がった。


「で、話を戻すわけだが」


 いつも以上に眉に寄せられた皺は、まだ口の中に苦みが残っているからだろう。ただ、先ほどよりも確実に眠気が飛んでいる。口調がしっかりしていた。


「その子の話を俺に持ち掛けてくるって事は、あの森の中に入ってリリーの家を見つけろって言ってるんだな」

「そう。もし力になれるんなら、なってあげたいじゃんか」


「でも別に、助けてって言われたわけじゃないんだろ。両親は何らかの事情があって、仲良くしてた村人に事情も話さず隠居したわけだ。それを無関係の俺らが押し入ってどうするんだよ」


 ぐ、と言葉に詰まる。冷めてきた菫蔓草を板に並べると、ナイフを使って小さく刻む。切り口から出てくる粘液に手を取られぬよう、慎重に手を動かした。


「失踪してどれぐらい経ったのかは知らんが、今も村人はリリーの両親がすぐ傍にいる事を知らんわけだろ。仮に俺らが家に行った事で、隠してきた事実が村人にバレたら? リリーの両親にも村人にも、良い結果を招くとは思えないがね。……エド、それ持ってこい」


 刻み終わったばかりの菫蔓草を器に入れると、言われた通りに師匠の元まで運んだ。薬研の中に少量入れると、再び手を動かす。粘液に絡めとられた薬草が、徐々に纏まり始めていた。


「それと、今日魔石頼んでただろ。どこにある?」


 クレイの発言に何も言えなくなっていたエドは、部屋の隅に置いていたいくつかの紙袋を持っていく。受け取るや否や机の上に全てを並べ、じっくりと一つずつ観察した。


 火炎粘土、電気岩の陽石と陰石、吸痛石きゅうつうせき、防水石。


「うーん……」

「あんまり良くないだろ。メルトラが近いから、もう少し純度の高いものが売ってるかと思ったんだけどな」


 クレイが唸るのも無理は無い。それらは確かに魔石特有の光を放っているが、大きさに対して光量が少ないのだ。


 サティア村は、雄大なメルトラ山脈に程近い。魔石はそのメルトラ山脈でしか採れない特別な力を持った鉱石で、ここなら比較的安価で純度の高い魔石が買えると踏んだ。


 しかし二人の予想に反して、魔石の含有量が少ない鉱物しか購入出来なかった。これでは薬の効力を存分に発揮出来ない。

 だが、無いものはどうしようもない。クレイは頭をかくと、渋々といった具合で声を出した。


「……仕方ない。エド、お前も手伝ってくれ」

「分かった」


 エドは一旦、リリーの事を頭の片隅に追いやり、手元の薬作りに専念する事にした。


(ここからが、本番だ)


 思わずこくりと喉が鳴った。エドはクレイの横まで椅子を引っ張ってきた。これから、クレイの妙技が始まるのだ。


「まずは火炎粘土からにしようか。エド、筆と紙を取ってくれ」

「ん」


 エドが見ている目の前で、クレイは紙にガリガリと書き込んでいく。円を描いたかと思えば正方形や三角形を書き加え、一つを塗りつぶし、一つに斜線を引き、曲線を描く。中央に幾何学模様のようなものを加えると「こんなもんかな」と一息ついた。


「……また、前と模様が違う」

「純度が低いからな。念入りに描いたのさ。ま、これを扱って薬を作るには、お前にゃまだ早い」


 涼し気な顔で言うクレイに、エドは歯噛みするしかない。


「なあクレイ」

「何だ」

「毎回聞いてるけどさ。一体どこでこんな知識をつけたの?」

「毎回言ってるけどな、秘密だ」


 大人になったら、少しは俺の事も教えてやろうな、僕ちゃん。

 大きな右手が、エドの頭をわざとらしく撫でる。あからさまな子ども扱いに苛ついて手を追い払ったが、少年の反撃はニヤついた笑顔とともにひらりと躱された。


 ”こんな知識”とは、もちろん魔石の事である。魔石を手に入れる事自体は安易だが、場所によっては大変希少なものとして扱われるし、扱い方によっては危険な代物に成り得るのだ。


 例えば電気岩なんかは、黄色い陽石と翠色の陰石の二種類が存在する。火炎岩かえんがんは緋色に煌めく美しい鉱石だ。防水石は星が散らばった夜空みたいな色で、風来岩ふうらいがんは春を歓ぶ若葉のような、萌黄色。


 普通の鉱石でない特徴は大きく分けて二つあり、一つはそれぞれが光を放っている事。もう一つは特定の”印”を描く事で、特別な力を発するという事だ。


 魔石の効力を発動させる印は、一つの魔石に対し何百通りもあるという。印によって魔石の発動量が変わってくる為、それを如何に発動させるかは、印を描く者にかかっている。

 そしてこれまでクレイはエドの目の前で、一度として同じ模様を描いた事が無い。


”石にはそれぞれ、持っている力の量がある”


 かつてエドの師匠は、そう教えた。


”石をみて、それに合わせた印を描いてやる事。印を描き足りなくても、描きすぎてもだめだ。魔石をじっくりと観察して、その意思を読み取って、寄り添うんだ”


 クレイの薬作りの神髄は、魔石だ。これまでやってきた薬の調合は序の口であって、ここからが本番なのだ。


”俺の本業は薬師じゃない”


 あれはエドが、薬師助手として手伝いをするようになった頃の事だった。幼いながらに「これだけ薬を作りながら何を言っているんだ」と思ったのを覚えている。


 しかし成長するにつれ、その言葉の意味が理解出来るようになっていった。力を持つ魔石を薬草に含ませる事により、その薬の効果をより高め、最大限発揮出来るようにするのである。


 普通、他の薬師はそのような事はしない。これまでの旅で他の薬師達の噂を聞いた限りでは、薬師はあくまでも自然に生えている草木を調合するだけだ。クレイみたいな技は、他では見られない。


 描いた印の上に、平たく伸ばした火炎粘土を置く。仄かに光っていた光が印に吸い込まれたかと思うと、再び粘土は光を灯した。先ほどと変わらない見た目だというのに、エドには輝きが一層増したように見える。まるで、火炎粘土が喜んでいるみたいな。


「よしよし。ちょうどいい温かさだ」


 印によって発動された火炎粘土は、それ単体で熱を宿すようになる。エドがそっと触らせてもらうと、人肌に心地いい温度になっていた。


(……敵わないなあ)


 エドは以前、練習がてら自分で発動させた火炎粘土を思い出す。あの時は印を描きすぎて、直に持つと火傷してしまいそうなものを作り出してしまったのだ。

 描く者によってもっと低い温度になったり、逆に熱くなったりする。クレイは魔石の発動に関して、天才的な腕を持つ者だった。


「何ぼうっとしてんだ。さっさと湿布作るぞ」

「――あ、うん」


 熱を宿した火炎粘土を、更に平たく引き伸ばしていく。掌ぐらいのサイズに切り分けると、先ほど菫蔓草を混ぜた薬草を塗りこんだ。あとは綿の布でくるんで、特製肩こり用湿布の完成だ。


「よし、次。先に硬い魔石を発動させてしまうから、終わり次第砕いてくれ」

「了解。任せといて」


 クレイは魔石を持つと、早速作業に取り掛かった。

 魔石は、発動させると砕きやすくなるという性質を持つ。先にクレイの手によって発動した魔石は、エドが可能な限り粉々に砕いていくのである。

 既にノミや金槌かなづちは用意してある。頑丈な鉄で出来た薬研も準備済みだ。


 扱うものがものだけに、力と時間を要する作業だ。一人でするのは大変なので、いつも二人で手分けして行う。

 自分の作業をこなしながらも、横目でちらちらとクレイの印を盗み見る。線を描く手に一切の迷いはなく、無骨な手からは想像も出来ない繊細な模様が描かれるのを見て、エドはそっと息を吐いた。


(やっぱ、適わないなあ)


 クレイによって発動された魔石と薬草を次々に合わせ、大量の薬を作ってゆく。

 夕食も取らずに機械のように作っていくうちに、時刻はすっかり遅い時間になろうとしていた。


「この人は症状が重いな……よし、少し電気岩の粉を混ぜよう。腰痛がマシになるはずだ」

「この人はどう? 喉の痛みが長引いてるんだって。貝柳の粉末を足すだけでいいかな」


「それに、吸痛石を少しだけ混ぜろ。ただし、ほんの少しだけだ。こいつは入れすぎると他の感覚まで感じなくなっちまうから、あくまで自然消化出来る範囲内だぞ」


 それでも二人は休まなかった。そこに患者がいると思えば、夢中になって薬を作り続けた。

 日付が変わり、いつの間にか村内で煌々とついている明かりは公民舎だけとなっていることにも、二人はまるで気が付かなかった。

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