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「お、あったあった」


 エドはクシマツの木の根元に生えている辛草を見つけて屈んだ。いくつか蕾がついているそれを、根本から慎重に千切る。これで五本目だが、クレイの要望は八本だ。


(あと三本……早く見つけてしまいたい)


 彼は辛草が苦手だった。辛草から染み出る液は、肌に直接触れるとピリピリと痛むのだ。一度誤って目に入り、しばらく涙が止まらなかった事がある。今でこそ薬草の知識があり手袋を嵌めて対処しているが、それも幾重にも重なる失敗から学んだ事。最初のころは、よく痛い思いをしたものだ。


「えーっと、あと何がいるんだ?」


 薄っすらと額に浮き出る汗を腕で拭いながら、篭の中に入っている薬草の確認作業に入る。

 日差しに照らされた森は昨日とは打って変って、清涼な空気を湛えた普通の森だった。


 途中に設置された木箱には朝も何も入っていなかった。それを横目に小道を進むと分岐があり、”泉はこちら”との立て看板に沿って辿り着いたのである。


 泉自体はそれほど大きくなく、深度も浅かった。覗き込んでみると、朝日が差し込んだ水底からこんこんと水が湧いており、澄んだ水の中を水草がゆっくりと揺らめいていた。

 求めている薬草もここなら採れそうだ。確信したエドは、すぐに採取に取り掛かった。


「菫蔓草とヨギリグサは揃ってる。甘露木かんろぎの葉と、マリノゲシの花も大丈夫だ。となれば、残りの辛草と夢見草で終わりかな」


 リストと篭を交互ににらみ合いながら、一つ大きく頷いた。太陽は頭上近くまで上がっているが、エドは薬草集めを優先する事に決めた。クレイのほうも午前中だけでは終わらないだろうから、多少昼休憩が遅れても大丈夫だろうと踏んだのだ。


 篭を抱え、再度地面に目を落とす。目を皿のようにして茎や葉を見分けていく。辛草の特徴的なギザギザの葉っぱが、泉から少し離れたところに見えた。

 近寄ってみると、その周囲に群生している。育ちのよさそうなものを選別し、無事に残りの三本を入手出来た。


「これで辛草は揃ったけど……夢見草が見当たらないな」


 クレイが所望する夢見草は、全部で二十本と他の薬草に比べて数が多かった。現在の所持数は十本。泉のほとりに自生していたものだけでは、数が足りない。


 夢見草は通年、どの地域にも生えている植物だ。根と葉を乾燥させればリラックス効果のある茶葉になり、歯ごたえのある茎や蕾は一般家庭で料理に使用され、はっきりとした黄色の小ぶりな花は、食事を彩るアクセントになる。


 畑で野菜として育てている夢見草もあり、市場でも購入すれば手に入れる事は可能だ。だが、自然の中に自生している夢見草の方が、葉や根がしっかりとしていて薬にした時の効果も高い。入手出来るのであれば、自然なものを採りたかった。


(もう少し奥に行ってみるか?)


 エドは森の奥を向いた。舗装も何もされていない獣道。日の光が燦々と降り注ぎ、美しい木漏れ日が先の方まで続いている。


「あれ?」


 エドは小さく声をあげた。行くか行くまいかで迷っていたその先。木々の間から、一瞬何かが光った。

 見間違いかと目を瞬くが、少し立ち位置を変えると、木の後ろで何かが陽光に反射し、キラキラと輝いている。


 それは人の髪だった。透き通るような金髪が、緑一面の風景の中でかなり目立っていた。


(……こっちを見てる。あれは、子供かな)


 エドの姿が見えるギリギリの位置から、円らな瞳がこっそりとエドを観察していた。彼が気付いている事に気づいていないようで、じろじろと不躾とも言える程に、熱心な視線を送っていた。

 エドは薬草を探すフリをしながら、隠れられそうな場所に目星をつけた。


「おぉっ、立派な薬草を見つけたぞ!」


 大きな声を出し、近くの茂みに身を隠す。多少わざとらしかった気もするが、子供相手なら十分だろう。

 しばらくして、人の気配が近づいてきた。その子は警戒するように周囲を見回しながら、おそるおそる泉に歩み寄っている。


(女の子だ。十歳ぐらいかな? この辺じゃ珍しい見た目をしてる)


 遠目から見た通り、綺麗な金髪だ。首元まで伸ばしたボブヘアが、首を振る度にふわふわと揺れる。空色の瞳は不安そうな色に染まり、小さな唇がきゅっと結ばれていた。

 金髪碧眼。遥か西の地方特有だと聞くが、エドが実際に見たのはこれが初めてだった。


 女の子は、華やかな見た目とは対照的な地味な服を着ていた。茶色をベースとしたワンピースに、歩きやすそうな同色の靴、足首まである白い靴下。


 この年の女の子はもっと明るい色の服を選ぶというのに、それらしいものが見当たらない。強いて女の子らしさと言うならば、襟や袖口をぐるりと囲むように施された花柄の刺繍くらいだろうか。

 そっと泉に近づくと、肩から下げたカバンの中から木筒を三本取り出した。


(水筒? 水を汲みに来たのか)


 この泉の水は飲料水にしても全く問題ない。問題ないが、村にはきちんとした水道設備が整っており、わざわざこの水を汲みに来なくても水には困らないはずだった。

 それに、女の子が現われた方向は森の奥。村民が暮らしているのは主に南側だから、つまりは真逆から現れたことになる。


(村外の子なのか? でもこの辺に、別の村も集落も無いはずだし)


 エドは首をひねった。色々と不可解な事が多い。まさかあの年の子供が、森の奥でひっそりと暮らしているとでも言うのか。

 そうこうしている間に、女の子は次々に水を汲んでいく。エドは意を決して、茂みから身を起こした。


「こんにちは」


 女の子が飛び上がった。目を大きく開けて驚愕しており、次いで警戒するような色に変化していく。


「……誰? 村の人じゃ、ない」


 女の子は下からエドを睨んだ。可愛らしい小顔は敵意むき出しで、まるで猫のようだった。


「俺はエド。少し前からこの村に来てる薬師の、助手だよ。さっきまでこの辺で薬草を摘んでたんだ」

「薬師……」


 女の子の顔が和らいだ。少しは警戒心が解けたようだ。迷うように瞳を泳がせたあと、彼女は再び泉のほうを向いてエドに背を向けた。


「君、名前は何て言うの?」

「……リリー」


 リリーは三本目の木筒に手をかけている。軽く中をゆすいだ後、静かに水を入れていった。


「家はあっちのほうにあるの? 今、森の奥から来たよね」


 彼女は小さく頷いた。どうやら話には応じてくれるらしい。エドはリリーの隣にしゃがみ込んだ。


「それ、一人で運ぶの重くない? 手伝おうか?」


 近づいて、リリーが持ってきた木筒の大きさに戸惑った。一本ならいざ知らず、十歳前後の女の子が一人で抱えて持っていくのはしんどいのではなかろうか。

 しかしリリーは、無表情に首をゆるゆると横に振った。


「慣れてるから平気」

「お父さんとお母さんは家にいるの?」


 リリーは無言でエドを見上げた。反抗的な視線が、惑うように揺れている。


「ママもパパも、動けないの」


 エドは言葉に詰まった。聞いてはいけない事を聞いてしまったと思いつつ、持っている篭をリリーに見せる。


「えっと……ほらこれ、この辺で摘んだ薬草。さっき言ったみたいに俺、薬師の助手なんだ。もしかしてお父さんとお母さんは病気なの? それなら少しは力になれるかもしれない」


 動けないなら、クレイに相談して家に出向くよ、と付け加えた。リリーはじっと篭を見つめたものの、目を伏せながらまたしても首を横に振った。


「来ちゃダメ」

「え? ダメって……」


 と、その時だ。泉の入口あたりから別の村民が現れた。


「やっと見つけた! リリー!」


 リリーは肩をびくりと震わせると、瞬時に立ち上がった。その顔には、恐怖が浮かんでいた。


「って、あ、ちょっと!」


 エドが止めるも間に合わず。リリーは水筒を持つと脱兎のごとく駆け出した。森の奥へ向かって。

 彼女はあっという間に見えなくなった。とんでもなく足が速い。エドはリリーに向かって伸ばした手をゆっくりと下すしかなかった。下した先に、一本の水筒があった。


(忘れ物……)

「ああ、くそ。また取り逃がした」


 ぜいぜいと荒い息を吐きながら現れた村民に、見覚えがあった。確か昨日、母の診察に付き添ってきた青年だ。


「ジークさん?」


 彼もエドの顔を見て声をあげた。疲れた様子でエドの隣に来ると、彼が持っていた篭を見て、ここにいる目的を察したようだった。


「誰かと思えば、助手君か。いやあ、見苦しい姿を見せてしまったね」

「いえ、そんな。……ところであの子は?」


 ジークはため息をついて、リリーが走った方を向いた。「あの子は元々、村外から来た子なんだけれど」と語りだした。


「数年前に他の村から一家で移住してきたんだ。最初の頃は家族ぐるみで他の人たちと交流があったんだけど、ある日、あの子の両親がいきなり姿を消した。リリーは両親の置手紙と一緒に、空っぽの家に取り残されていたんだ」


 ジークは疲れた顔でエドの隣に座った。泉を見下ろして、揺れる水面をぼうっと見ている。


「手紙は、リリーを村の児童養護施設に預けてほしいっていう内容だった。前日まで二人とも元気にしていたし、家族仲も良く見えたから、驚いたよ」


 ジークは胸元からぶら下げているものをエドに見せた。木で出来たそれに、「太陽と月の家」と書かれている。


「僕は施設で働いてる職員なんだ。いつからだったかな……リリーはしょっちゅう施設を抜け出すようになった。そして決まって、この森の中に入るようになったんだ。


 この森の奥は、村人は滅多な事じゃ入らない。害獣や毒を持つ蛇なんかがうようよしてるから、危ないのさ。夜になると怪物が出るとかいう噂も……まあ、これは噂にすぎないと思うけどね」


 ジークの語り口調は愚痴っぽくなっている。エドに説明しつつ、溜まった鬱憤を一緒に吐きだしているようだ。


「施設の職員の中で、僕は一番の若手だ。体力もあるからって、いつもリリー捕獲役に抜擢されるんだけどね……見た通り、あの子はすばしっこい。小さくて足が速くて、とても大人が通れないような藪の中や狭いところに潜り込んでいく。まるでネズミさ。僕だってこの森の中には行きたくないんだよ。ほんと、勘弁してほしいんだけどなあ」


 ジークは深々とため息をついた。エドは苦笑いするしかない。


「それは、大変ですね。だいぶ疲れてるみたい」


「リリーは別に悪い子じゃないんだけど、少し扱いづらい子でね。まあ、いきなり親に捨てられたとなれば、ショック状態になるのも無理はない。でも、こっちが何かしようにも、返事も少ないしとにかく不愛想なんだ。そのせいで子供たちの中でも浮いちゃってて……ああ、もうクタクタだよ」


 ジークの吐露は続く。不満や愚痴は人間関係の不和を招く。おいそれと口に出来ない事を、村外の者であるエドだから語っているのだろう。


「……何でリリーは、この森の中に入るんでしょうね?」

「さあね。理由を聞いてもだんまりだし、注意しても叱っても聞く耳を持たない。いつか本当に動物に襲われでもしたら、こっちも大変だってのに」


 何を考えてここに入るのか、正直得体が知れないよ。

 ジークがぽつりと漏らした呟きが、ゆっくりと虚空に消えていく。

 数拍置いて、青年はよいしょと立ち上がって伸びをした。森の中を見つつ、そろそろ行くよとエドに声をかけた。覚悟を決めたようである。


「リリーを見かけたら、声かけておきます。ジークさんが探してるよ、って」

「うん、ありがとう。ついでに施設まで連れてきてくれたら凄く助かる」


 軽い口調で言いながら、ジークは森の中に消えた。

 一人残されたエドは、ふと見上げた太陽が思ったよりも傾いている事に気が付いた。


(うわ、クレイに怒られる)


 さすがに時間が経ち過ぎている。採れていない夢見草は、午後また採りに来るとしよう。


「そういえば、これ」


 エドは水が並々入った水筒を手に取った。よく見るとその表面には、網目模様の美しい細工がなされていた。ジークに頼めばよかったが、リリーの話をしているうちに忘れてしまっていた。


 少し逡巡した結果、エドはいったんそれを持ち帰る事にした。ここに置きっぱなしにしていて誰かに盗まれるよりは、直接渡したほうが確実にリリーの手元に届く。

 一旦水を抜いて中身を空にし、篭の中に入れる。立ち上がって泉を後にした。


(リリーは嘘をついている)


 来ちゃダメ、と言ったか細い声を思い出す。他人を拒絶する反抗的な瞳の奥に垣間見えたのは、怯え。微かに揺れていた語尾は、誰かに救いを求める少女のそれだった。

 ジークは知らなかった。森の奥に両親がいる事、二人が動けない事。


(何で森の中に入るのかって、失踪したはずの両親が森の中にいるからだろ)


 言わないのか、それとも言えないのか。


(薬師の助手って言った時、リリーは少しだけ警戒を解いた。ジークさんに秘密にするなら、多分他の人にも秘密にしているはず。なのに、俺の問いには素直に答えてくれた)


 それはつまり、彼女が薬師を必要としているという事に他ならない。

 昼の広場は賑やかだ。屋台が並び、至るところから美味しそうな匂いが漂ってくる。


 さすがのクレイも腹を空かせているに違いない。

 エドは適当に二人分の食べ物を見繕うと、クレイの元に急いだ。

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