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 翌日。爽やかな朝を迎えた二人は、すぐに診察の準備に入った。診察室のカーテンと窓を開けてこもった空気を流す。残った人の問診票を再度確認しつつ、片付けてあった診察室外の椅子を並べ、濡れ布巾で軽く拭く。クレイの為に、机に薬草や診療器具を並べる。決まった配置に並べないと師匠が怒るので、間違えないようにエドも一つずつ確認を入れる。時石盤は翡翠色から白花色に変わりつつあった。


(あと二十分ぐらいしかない)


 開院は午前九時と定めている。そろそろ患者が来てもおかしくないが、まだ雑務が残っていた。

 いつもは二人で準備をするのだが、今日のクレイは診察室奥の小机に座って何か書いている。カリカリと筆をしたためる音しか聞こえない。


 エドは再度診療机の上を確認した。カワキリ、智草ともぐさ、トコシエの乾物。虫眼鏡、鑷子せっしはさみ、等々。問診票は引き出しの中に、筆記具と一緒にしまい込んだ。


(うん、机の上はこれでいい)


 エドは一つ、大きく頷いた。クレイの様子を窺うが、彼はまだ動かない。その手は止まることなく動き続けており、真剣な顔で手元のノートを見つめていた。


 クレイの意識は既に仕事に没入している。邪魔にならないようにそっと部屋を出ると、そのまま公民舎内部の窓を全て開けに入る。最後に入口に到達し、表に掛けてあった”準備中”の札を”開院中”にひっくり返した。軽く外の様子を窺うが、まだ患者の姿は見えなかった。


「エド」


 診察室に戻る途中で、クレイが不機嫌そうに名前を呼んだ。ドアが開き、顔だけがにゅうっと伸びてくる。エドは片目を釣り上げた。


「おいクレイ。そのぼさぼさの頭と髭と悪党みたいな顔、どうにかしろ。もう九時になるぞ!」


 エドがびしっと指差すと、クレイは顔を顰めてため息をついた。へいへい、という気の抜けた返事に苛つきつつ、急いで洗面室まで走る。木桶の中に、櫛と鏡と紐、それに洗顔薬と剃刀を投げ入れる。部屋に戻るとそれらを引っ掴んで、乱暴にクレイに手渡した。


「悪党みたいな顔、は余計だろうよ」

「あ? 本当の事言って何が悪いんだよ。朝の顔は極悪人そのものだ、少しは笑え」


 文句を言いながらも、櫛を使って髪を纏めていく。エドはその間に水差しを使って桶に水を張り、洗顔薬を溶かし込んだ。空気を含むように手を動かすと、水に粘性が出てくる。髪を結んだタイミングで桶を机の上に乱雑に置いて、剃刀をぐいっと差し出した。


 ぶすっとした顔は変わらないが、やはり髪を纏めると幾分かマシだ。恨めしそうな表情でエドを見上げる。

 髭なんて剃らなくても診察には影響無いだの、お前姑かよだのぶつぶつ言う声は無視する。別に、間違った事は一つもしていない。


 身だしなみは清潔に。エドがクレイを見ていて学んだ事だ。もちろん反面教師という意味で。

 洗面室まで急き立てても、どうせクレイは出向かないのだ。本人が動かないなら、鏡を持っていけばいいじゃないか。そういった事は、最初の頃に習得した。


「あーそうだ、エド。あっちの机の上」


 クレイが顎のあたりに刃物を当てながら、話をする。元々は、エドがクレイに呼ばれたのだという事を忘れていた。


「昨日言ってた調達リストな。ちょっとばかし多いが頼む。金も一緒に置いてあるから」

「ああ、分かった。朝っぱらから行ってきていいの?」

「いいよ。今日の数なら一人で対応出来る」


 エドは先ほどまでクレイが座っていた小机に向かった。ノートは片付けられていて、代わりに洋紙が一枚と必要分の金銭が置かれていた。リストにはずらりと調達品目が書かれている。ざっと確認すると、採りに行かないといけないものと、買い出しに行かないといけないものがあるようだ。


「北側の森の中に、小さい泉があるらしい。その辺なら、ある程度採れるだろう」


 一体いつそんな情報を仕入れたのだろうと思いつつ、エドは顔を引き攣らせた。


(北側の森って、昨日の不気味なところ……)


 しかしリストを見る限り、水辺に多く生えている種類の薬草がいくつかあるようだ。それにそうじゃなくとも、やはり森というのは薬草探しにはもってこいの場所である。エドは諦めて、再びあの森に行く覚悟を決めた。


「エド、これ頼む」


 見るとクレイは、乾いた布で顔をごしごしと擦っていた。エドは洋紙を畳んでズボンのポケットにねじ込むと、近寄って師匠の顔をチェックした。よし、綺麗になっている。


 エドは部屋の隅に掛けてあったカバンを肩から下げると、水桶の中に剃刀を入れた。


「じゃ、片付けたらそのまま行ってくる。昼に一回、戻るよ」

「おう。ついでに昼飯も調達してきてくれ」


 片手をひらひらとさせながら、やる気のない声で気ぃつけろよと声をかけた。その声を尻目に、水桶を片付けに行く。


「あ、おはようございます」

「おはようございます。薬師様はいらっしゃる?」


 エドが公民舎を出る時、ちょうど一人目の患者がやってきた。エリンという名の、綺麗な御婦人だ。

 案内を終えた後、エドは洗って外に干しておいた篭を持った。薬草を摘みに行く時は、いつもこの籠を抱えて行くのだ。


(じゃあ、泉に行ってみますか)


 雲一つない、抜けるような晴天だ。刺すような眩しさに目を薄めながら、エドは広場の方向に向けて颯爽と歩き出した。

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