3

「頂きます!」


 勢いよく合わせた両手が、小気味いい音を立てる。料理にがっつくエドを横目に、クレイも食前の挨拶を言いながらフォークを手に取った。


 二人は、エドの注文に合わせて肉料理をウリにしている店に入った。店内は賑わっていて、二人もやっとカウンターの席につけたところだ。酒を飲んだ客が多く、少し大声を出して会話しないと喧噪に紛れてしまいそう。


 兎にも角にも、久しぶりの豪華な食事だった。青野菜とトマトのサラダ、根菜のミルク煮込み、牛肉ステーキの焼き加減は、二人ともレアで。こんな料理、旅をしている最中は食べられない。


「美味いな」


 どれも絶品だったが、特にクレイが舌鼓を打ったのは焼き立てのパンだった。

 サティア村の特産であるサティア小麦。実は大きく、挽くと香り高く輝くような白さとなる事で有名だ。外はカリッと、中はフワッとした食感のパンは、いつまでも芳醇な香りを楽しむ事ができ、いつもは小食のクレイですら食が進んだ。


「おいエド、もっとゆっくり食えよ。……ったく汚ぇな、服汚れてんぞ」

「ほへん、ひはふふ」

「……」


 夢中になって食べていたエドは、クレイの「何言ってるか分かんねえよ馬鹿」の呆れ顔に苦笑いするしか無い。エドが咀嚼そしゃくしながら服を見下ろすと、胸のところにミルク煮がこぼれていた。

 クレイは無言で濡れ布巾を手渡す。へへへと笑いながら大人しく受け取った。


「良い食いっぷりだねえ坊ちゃん。薬師様の助手君だ、サービスしてあげようね」

「っほんと!?」


 飲食店の女将がにこにこしながら、カウンター越しに話しかけてくる。既に空っぽになっているエドの皿に、次々と食べ物を盛っていく。

 エドは破顔しながらお礼を言い、底無しの胃に食べ物を詰め込んでいく。成長期の男の子というのはこうも食欲旺盛だったかと、クレイは遥か遠い昔の自分を思い返した。


「サティアの食べ物はうんと美味しいだろう、薬師様」

「ああ、本当に。噂通りだな」

「良い時にこの村に来たよ。サティアはここ数年、豊作が続いてるんだ。どんな野菜もびっくりするくらい生るんだよ」


 クレイはほう、と声を上げた。女将は反応に気を良くしたのか、カウンターの中に置かれている酒樽をぐいっと指差した。この村の男達の大好物、麦酒ビールである。


「一杯どう? こいつもサービスするよ」

「じゃあ、お言葉に甘えて。悪いね」


 やがてジョッキに並々と注がれた麦酒が運ばれてくる。零れそうな真白の泡とその下に隠れる黄金色の麦酒はやはり、格別に美味かった。



 *



「あぁ……美味しかったなあ。腹いっぱいだ、吐きそう」


 ぱんぱんになった太鼓腹をさするエドは幸せそうだ。かと思えば急に苦しそうに顔を歪め、やっぱり幸せそうな顔に戻る。さっきからその繰り返しであった。


 クレイは深々とため息をついた。旅をしている最中は野草や野獣を捕まえて食事をとっており、エドにとっては正直物足りないであろうと考えていた。こんな時こそたらふく食べさせてやりたいと思い、多少の過食は認めている。だが、今回ははっきり言って惨劇だった。


「お前ね、幾らかかったと思ってんの。見てみろこれ」


 クレイはポケットから、すっからかんになった財布をつまみ出した。診療所を出る前は少しは膨らんでいたのに、口を開けて逆さまにしても何も出てこなくなった。エドの大きな腹とニヤけた顔を交互に睨み「胃薬は処方しねぇからな」と恨み口を叩いた。


 二人は店を出て診療所までの道のりをゆっくりと歩いていた。飲食街を抜けると一気に喧噪は遠のく。道の脇に設置してある外灯を頼りに西を目指した。少しでも道を外すと、一寸先は闇だ。


「そうだ、クレイ」

「何だ。吐くなら帰るまで我慢しろよ」

「ちげえよ」


 間髪入れずに返ってくる声は、案外元気そうだった。これは本当に胃薬は必要なさそうだ。


「あっちの森ん中に、変な箱があったんだよ」

「変な箱?」


 帰り道も村の広場に差し掛かっていた。人っ子一人おらず、銅像ですら息を潜めているように、静寂に包まれている。 


 エドは北側の森を指差しながら、夕刻に目撃した木製の箱をクレイに伝えた。三日月の頼りない月光が森を照らしており、風に揺れもしない木々の陰が少し不気味だった。


 エドの報告を受けたクレイは、森を見回す。住居や建物が見当たらないからだろうか、小道には外灯が設置されておらず、エドの言う木箱は二人がいる場所から確認出来なかった。


「ちょっと行ってみるか?」

「えっ」


 エドは思わず驚いた声をあげた。その中に若干の怯みが含まれていたのをクレイは見逃さず、小馬鹿にするように「ガキんちょだねえ」と呟いた。あまりの暗さと静けさに慄いたのを一瞬で見抜かれ、エドの頬は一気に赤くなる。


「別に、怖くねえし!」


 頭の先まで熱くなるのを感じながら、エドは勢いで走り出した。クレイを追い越して、いち早く木箱まで辿り着く。ぽっかりと開いた森の入口が、エドを飲み込むように出迎えた。


「……あれ?」


 クレイがエドに追いついた。彼は胸くらいまでの高さの木箱の中に、頭を突っ込んでいる。やがて眉毛をハの字にさせ、困惑した表情でクレイを見上げた。


「食べ物が無くなってる」

「まあ、そういう事だろうな。お前のその顔は」


 クレイはそっと木箱を撫でた。月光でも分かる程には表面が古びているが、造りは頑丈だった。揺さぶってみても、ビクともしない。

 そこでクレイは、木箱の後ろに設置してあるものに目を止めた。膝くらいまである石像が置かれていたのだ。


 石像の頭部分を触って、ふと妙なことに気が付いた。長年設置していたのなら、汚れや苔がついていそうなものだが、比較的表面が綺麗なのである。

 もう一度木箱を触ってみる。


(一見すれば石像に対して供物を置く箱だ。でも木箱の方が、古い。この石像は木箱より後に置いたもののようだ。石像が壊れ、新しいものをここに置いたのか?)


 クレイは妙な違和感を感じていた。

 信仰の対象であるなら、何故こんな場所にひっそりと石像が置いてあるのか。遠目には木箱しか見えないし、その木箱すら人目をはばかるように設置されている。

これが本当に信仰の対象だったとしても、主役である石像よりも大きな箱を置くだろうか。普通、大きさが逆ではないだろうか。


(まるで、木箱の存在を誤魔化すために後から石像を設置したようだ)


 木箱自体はそれほど大きくない。エドが言うように、中に少し大きめの皿でも入れたら、もうそれでいっぱいになる。クレイも屈んで、内部を隈なく観察した。


「確かにさっきまで、ここには食べ物が入ってたようだ」


 鼻孔を掠める芳醇なパンの残り香。先ほどクレイ達も、心行くまで堪能したばかりだ。


「これ、何だろうな? 無いって事は、誰かが持ってったんだろうけど。でも、何でこんなところに置くんだろう」

「……さあな。野豚の餌にでもなったんじゃねえか?」


 エドが首を傾げて、素直な疑問を投げかける。しかしその答えはクレイにも見出せない。

 軽口を叩きながら、クレイは更に森の奥に続く道を眺めた。暗がりに目が馴染んだとはいえ、いよいよ月光だけでは森の奥までは見渡せない。耳を澄ませてみても、遠くから虫の鳴き声が聞こえてくるだけだ。あれは鈴虫だろうか。


「帰るぞエド。あんまり外にいると体が冷える」


 踵を返して再び帰路につく。夏の蒸し暑さを、秋風が掻っ攫っていく。今夜は心地いい眠りにつけるだろう。


”サティアはここ数年、豊作が続いてるんだ”

「……」


 大きな欠伸をするエドが視界の端に映る。食欲が満たされた彼は、強烈な睡魔に襲われているらしい。だが今日はまだ、風呂に入っていない。エドはきっと横になれば、梃子てこでも動かくなるだろう。


 クレイは帰ったら座る暇も与えずに湯浴みさせようと決意をしつつ、手の掛かる弟子にこっそりとため息をついたのであった。

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