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今日最後の診察を終え、エドは大きく息を吐き出した。
「終わった。けど、やっぱり全部は終わらなかったぜ、クレイ」
彼は手元に残っていた問診表をクレイに手渡すと、診察を終え患者の記録が書いてある問診票を机の上に広げた。症状や薬の種類毎に、手早く分けていく。
明日に持ち越した患者は残り七人。いずれも急ぎの患者ではないが、エドとしてはやはり宿題が明日に残ってしまったような気がして居心地が悪い。
「そうか。ま、時間はまだあるからな。エド、明日俺が残りの患者を診てる間に薬草を調達してこい。手持ちだけじゃ足らん」
「了解。足りないのは……分かった、ヨギリグサだろ。カムリギの樹皮と調合するには量が足りなくなってる」
エドは自信をもって答えた。今日は関節痛や神経痛、打撲等の外傷患者が多かった。手持ちのものですぐに対応出来た分はいいが、ヨギリグサの在庫が大幅に目減りした。今日診た患者達の湿布や薬を作るには、明らかに量が少ない。
「あと
「……くそぅ」
エドの見立てだけじゃ足りなかった。クレイは口をへの字に曲げているエドを見て「一人前には遠いねぇ」と声をかける。
「明日お前が出かける迄にはリストアップしとく。俺はもう少し片付けをするから、六時になったら飯食いに行くぞ」
ちらりと時石盤に目をやる。紺色一色、時刻は午後五時だ。
エドがうーんと伸びをすると、肩や首からバキバキと音が鳴った。今日は一日中座っていたから、体が硬直している。この村に来てまだ二日目で、そういえばどこに何があるのか把握していない。散策がてら、少し村を歩く事にした。
建物の外に出ると、エドの前に長い影が伸びる。太陽を後ろに、村の中心に向かう道を歩きだした。地面は昼間の熱気を蓄えているのか、まだむっとした暑さが残っている。それでも夏の終わりを感じさせる涼風が熱を攫うように吹いていた。
「お、薬師の助手君じゃないの。今日の診察は終わったのかい?」
中心地からこちらに向かってくる村民とすれ違った。好意的な笑顔を向けてくる男性は、確か午前中のうちに診た人だ。農作業中に転び、うまく受け身が取れなくて左手首を捻挫したのだ。応急手当として巻いた真新しい包帯をチラリと見ながら、こんばんはと返事する。
「はい、終わりました。でも患者さんはまだ残ってるから、本格的に湿布を作るのは明後日からかなあ。待っててください、俺が届けますから」
「おう、期待してるよ。待ってるからね」
エドはついでに、この村の事を訪ねた。東側に市場や宿屋や飲食店、南側には住宅が並ぶ。西側は今クレイ達がいるあたりで、簡易診療所として借りている公民舎の他には広大な麦畑が広がっていた。
また、村の中心地には広場がある。この村の特産である小麦の穂を腕いっぱいに抱えた男性と、野菜がぎっしり詰められた籠を持つ女性が銅像として鎮座しているらしく、それを目印に進めばいいよと教えられた。
お礼を言いながら男性とは別れ、再び歩く。
(この村にはどれぐらいいられるかな。過ごしやすそうだし、なるべく長く居たいけど)
薬師として旅をしているクレイとエドが訪れているのは、グランディア大陸中央部より南東に位置するサティア村だ。人口百五十人程の村で、まだ村として機能している他の村に比べればやや規模が大きい。
村の東側には、大陸を真っ二つに縦断する巨大なメルトラ山脈が
その山脈から流れてくるテペル川の水も、このサティア村の農業に欠かせない水脈だ。村のいたるところに水路が引いてあり、この夕刻の時間になっても子供たちが下着姿で水遊びをしている。
のんびりとした田舎の風景。住宅が集まっている方では複数の煙が上がっている。香草や香木を焼き、その煙を家の中に充満させる風習だ。
見上げると空は茜色から紺青に移り変わり、羽衣のような薄い雲がたゆたっている。すっかり濃紺に染まった東の空の方では、三日月がメルトラ山脈の端から顔を出していた。その周囲に、我先にと輝いてゆく星々。顔を前に向けると地上でも、ぽつんぽつんと明かりが灯っていく。
「お、あっちだな」
歩いていると、
人間というのは素直なもので、意識すると急激に空腹を覚えるものだ。
エドの腹が、ぐううと大きな音を鳴らす。周囲に誰もいなくてよかった。
「腹減った」
とぼやいているうちに、広場に辿り着いた。仕事を終えた露天商が商品を片付けている最中で、他にも農作業から帰宅する村民がまばらにいるようだ。
エドは東側に真っすぐ伸びる道を見つけた。遠目からみても、いくつかジョッキの絵が描かれたプレートを掲げる建物が見える。農夫の中には帰宅せずに飲みに行く者もいるようで、エドが見ているうちにも数人が連れ立って酒場に吸い込まれていった。
次第に空腹感が増すエドは、くるりと
「ん……?」
エドは道を引き返しながら、視界の端に映ったものに気が付いた。
村の中心から見て北側。先ほどの村人は北に何があるか説明しなかったが、近づくにつれてエドは納得した。
そこは鬱蒼とした森に繋がっていたからだ。一本の小道が続いているか、途中で曲がっていて奥までは見えない。
その途中、ちょうど森の奥が見えなくなるあたりに、何やら見慣れないものが置いてある。
(木箱?)
立ち止まって注意深く観察する。支柱となる四つの木柱の上に、屋根つきの木箱のようなものが設置されてあるのだ。側面が一面開いており、その中に平たい木の器が入れられている。
(パンと、果物が入ってるみたいだ。何だろう)
一体誰が入れたのだろうという疑問。あんな人気のない場所に何故食べ物が入っているのか。まるで鳥の餌箱のようだが、果たしてこんなところに設置するだろうか。周囲はただの、何もない森なのに。
その途端に、またしても腹がぐううと鳴る。先ほどよりも大きな音で訴えてくる胃に、彼は慌てて足を進めた。
一抹の疑問は残ったが、それよりも彼の意識を支配するのは今夜の晩御飯の献立だった。
(まあ、いいや。後でクレイに聞いてみよう)
肉、魚、いややっぱり肉がいい。エドはすっかり沈み込んだ太陽目指し、クレイを迎えに走ったのであった。
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