第一話 百合を抱く木犀

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 透かし模様が入ったカーテンが、ふんわりと膨らむ。部屋にこもった空気を押し出すような夏風が、エドの鼻先を掠めた。ちらりと窓の外を見るが、顔をしかめてすぐに目を逸らした。太陽はまだ燦々さんさんと、白い地面が照りつける太陽を反射し、彼の目を射抜いたのであった。


「次の方、どうぞ」


 今日何度目かの声が室内に響く。朝一番から行っている診察は昼の休憩を一回挟んだのみで、後はひたすら病状を訴える村民のカルテを取っていた。

 エドはちらりと部屋の隅に置かれた時石盤じせきばんを見る。その表面は薄っすらとした桃色を内に抱えているが、概ね空色に変化していた。もうすぐ午後二時を回る頃のようだった。


 ギィと音が鳴り、ドアが開く。入ってきたのは女性だ。年の頃は三十歳ぐらいだろう。焦げ茶色の長い髪を後ろで一つに結んでいるが、心なしか髪が乱れているように見える。

 晴天を模したような青い瞳の下には、対照的な印象を与える陰鬱な青黒いくま。隠し切れない疲労はエドが立っている場所にまでひしひしと伝わってきた。


 クレイの深緑の瞳が女性を捉え、目の前にある木の椅子に彼女を促す。

 面倒だからと切らないでいた白髪交じりの髪は後ろで雑に一つで縛っていた。日に焼けた肌に鋭い眼光、一見すると強面の偉丈夫いじょうふで、とてもじゃないがこの場に似つかわしくない容姿をしている。


 恰好だって、動きやすいからと移動のためのマントを脱いだだけの服装だ。ブーツに厚手のズボン、瞳と同じ深緑色の旅装束。半袖から出た腕は筋骨隆々で、小さい子供ならその姿を見ただけで泣いてしまうのではないかと思う程。だが、彼はれっきとした薬師だ。


 入室してきた女性は、クレイとエドを何度か見比べる。エドはもう、そんな反応もすっかり慣れてしまった。

 身に纏う服は似たようなものなれど、二人の容姿があまりにも対照的すぎるからだ。


 エドは艶のある黒髪を綺麗に整えており、くっきりとした二重の中に潜む瞳は、春季に咲く浅紫の花のよう。日に焼けて健康的ながらも瑞々しい肌は、若さを感じさせる。それもそうだ、エドはまだ十五歳なのだから。


 この二人は親子だろうか、それにしてはあまりにも似ていない。じゃあ一体二人の関係は――という疑問を抱いた視線に対し、エドはにっこりと笑いかける。


「俺はクレイの助手です、親子じゃありませんよ」

「あ、そうなんですか。すみません、じろじろ見てしまって」


 彼女は恥ずかしそうにそう言いながら、失礼します、とこれまた小さな声を出し席についた。


「さて、貴女のお名前はリンダさんですね。悪夢ばかりみて、夜寝付けない。睡眠不足、との事ですか。ここ最近、何か特別な出来事などありましたか?」

「はい……」


 リンダが病状を語っている間に、エドはこっそりと残りの事前問診票を数えた。ここにあるだけで、あと二十人。飛び込みの患者が現れる事まで想定すると、またしても診察は今日だけじゃ終わらなさそうだ。


「なるほど、つい最近お母様がお亡くなりに……それは、気の毒でしたね」


 エドは既に彼女の寝不足の理由を知っていた。事前問診票を読んでいたからだ。それはクレイも同じだが、改めてリンダの口から詳細を語らせる。事前に書ききれなかった事実を聞き出し、彼女に溜まっているストレスを吐き出させる為である。


 クレイは彼女の話に時折相槌を打ちながら、優しい声をかける。よく頑張りましたね、辛かったでしょう。大丈夫ですよ、よく眠れるようになりますからね。


(毎度の事だけど、診察になると化けるよなぁ)


 エドに対するいつもの態度とは大違いである。今は仕事中で、患者を相手にするから当たり前なのだが、それでもこの変わり様を見るたびにエドは舌を巻く。クレイは薬師であり、役者だ。


 エドは再び手元の資料に目を落とした。これからやってくる村民の詳細が書かれている。次の患者の名前はコリー。七十歳の男性、数年前から慢性的な腰痛持ち。湿布処方を希望。これは手持ちの薬で対処出来そうだ。


 次。名前はアメリー、二十八歳の女性。数日前から咳が止まらず、熱が続く。これはどうだろうか、場合によっては他の薬草の調達が必要かもしれない。


 エドは一つ一つ、何の薬を作ればいいのか、その為には何の薬草がいるのか予想していった。いち早くクレイのような薬師になりたいのだ。


 まだまだだな、半人前。そんな言葉をクレイに言われる度に、何も言い返せない。小さな子供を相手にするようなクレイの半笑いに腹が立つが、それ以上に圧倒的に知識が足りない自分自身に、一番腹が立つのである。


 エドの手が止まった。めくって何枚目かの事前問診票を、微妙な面持ちで眺める。心の底に湧き出る形容しがたい気持ちは、呆れ顔になってエドの顔に現れた。


《ロイと言います。好きな人が出来ました。恋の病に罹っています。リーナを振り向かせる為の惚れ薬が欲しいです》


(……こんな相談、断ればいいのに)


 人口減少が進むこのご時世、医者は貴重な存在だった。小さな村にはまず、常駐していない。だから各地を旅してまわる、クレイ達のような薬師はかなり重宝されていた。どの村でも薬師とあらば広めの部屋と診察室を用意し、滞在中の食事もほとんど無料で提供してくれる。その代わり、村人からの診察依頼が殺到するけれども。


 体の不調に対する薬の処方や怪我の手当を行うのは、薬師として当然の事だ。困った人を助ける事が出来るのは嬉しいし、やりがいもある。


 でも中には、急を要しない相談――それこそ先ほどの相談のようなものも多いのだ。もちろん急患を一番とする等の優先順位はあるにはあるものの、美しくなりたい、もっと筋肉をつけたい、媚薬を作ってくれ、あいつを懲らしめる薬が欲しい――そういった、ありとあらゆる相談が舞い込んでくる。


 だがクレイは、薬を作るかどうかは別としても、一度は全ての悩みや相談を聞く。相談によっては、そういった”病気や怪我じゃない”類の薬まで調合する。エドの考えと同じく、怪我や病気以外の相談は頑として断る薬師のほうが多いのに、だ。


 そもそも今診ているリンダに関しても、通常に比べて診察時間が長くなりつつあるのだ。後ろに控えている患者はまだこんなにいるというのに、一から十まで話を聞き出そうとする。彼は毎回、こうだ。


 時間と薬の無駄じゃないかと、抗議したことがある。病気じゃない診察は外すべきだ、一回の診察時間を一定時間で区切るべきじゃないのか、効率化を図るべきだろうと。だがクレイはいつも言うのだ。


”困っている人がいるんなら、なるべく期待に応えてあげるべきだ”


 患者の悩みと意思に寄り添え。それがクレイのモットーであり確立したスタイルであり、その志をいつもエドに教える。


「十日分作ります。よく眠れて、良い夢が見られる薬をね。数日中には出来上がりますから、もう少しの辛抱ですよ」


 涙ぐむリンダの顔に、安堵の表情が浮かぶ。よろしくお願いします。その声は、入室した時と比べてかなり柔らかくなっていた。


(……これだから、何も言えなくなる)


 エドは彼女のその変化に、目を奪われた。この顔と、この声だ。クレイと一緒に旅をしてきて、老若男女問わずに何回も見てきた。

 不安でいっぱいだった彼らが、クレイの問診を経て浮かべる安心しきった表情。

それを見るたびに、効率化だなんだと叫ぶ自分が奥に引っ込むのだ。

 リンダが退室し、クレイが彼女のカルテにさらさらと何かを書き込む。


「エド、次」


 先ほどとは打って変わった素っ気ない声音。こっちのほうがエドは聞き慣れている。

 くたびれた広い背中。そこに尊敬の念を抱きながら、エドはそっと次の患者の資料をクレイに手渡した。

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